だが、そこへ導くことは誰にだってできるのだ
静寂。今この場を支配しているのはまさしくそれであった。地面を叩く雨の音さえ、々しい。ヘルマンはゆっくりと、ネギの胸から腕を引き抜くと、無造作に彼を手放す。
「幕引きは、存外あっけないものだったな」
最早興味もないとばかりに、ヘルマンは淡々と自分の腕についた血を振り払う。
「……せん、せい……」
千雨は、目の前でピクリともしないネギを見て呆然としていた。死の恐怖は知っている。修学旅行の夜、あの怪物に嫌というほど味わわされた。一度は心が折れ、挫けそうにもなった。
それでもなお立ち上がれたのは、初めて手に入れた心を許せる仲間のおかげだった。ずっと孤独に戦い続けてきた千雨を、受け入れてくれたネギの存在があったからこそ、彼女は恐怖を克服できたのだ。
「返事して、くれよ……」
だがそれは、同時に失うことへの不安も生んでしまった。彼女にとって、ネギはあまりにも大きな存在となってしまっていたのだ。
「なあ、先生っ!」
ネギの体に縋り、嗚咽を漏らす。彼の体は、既に冷えて切ってしまっていた。
一方で、ヘルマンはネギに対する熱が休息に冷め始めていた。確かに、彼は長い間封じられていたヘルマンを満足させるに足る相手だった。しかし、それも最早過ぎ去ったことでしかなかった。あの昂りはもう、味わうことは出来ないのだから。
(十分すぎるほど楽しめた、これ以上を望むのは流石に贅沢だな)
ネギの才能はヘルマンをして予想外と言わざるをえないほどのものだった。魔力暴走を引き起こしていたとはいえ、ヘルマンをあと一歩まで追い詰めたのだ。
(あの冷徹なまでの理性と殺意、背筋が凍るほどのものだった。あのまま成長を遂げていればどれだけのものになったことか)
力の差があろうとも決して折れることなく、傷ついてなお殺意を剥き出しにして襲い掛かってくる様は、ヘルマンをして恐怖を覚えるものだった。それでもなお、それをスパイスに戦いを楽しむのがこの男なのであるが。
そうして、戦いの余韻に浸っていたヘルマンであったが。
「ヘルマンっ!」
「はあああああああああああああああああああっ!」
「何っ!?」
フェイトを足止めしていたアスナが、ヘルマンに向かって飛び蹴りを放ってきたのだ。
「ぐふぁっ!?」
咄嗟の反応が遅れたヘルマンは、アスナの蹴りをもろに受け、雨で濡れたコンクリートの上を滑っていく。
「よくも、よくもやってくれたわね……!」
アスナの目には、明確な殺意が宿っていた。先程までとは違う、本当にヘルマン達を殺そうという漆黒の憎悪が。口元の血を拭いながら立ち上がったヘルマンは、アスナがヘルマンに向けてこれほど怒りを向けている理由を考える。
(当然の話か、私が彼を殺した事で彼女の数年が無駄に終わったのだからな……)
(忌々しいけど、あの糞ガキが死んだ以上私の今までの苦労が全部水の泡だわ……! 本当に、よくもやってくれたわね、ヘルマンッ!)
事実、彼女の怒りの原因はネギが殺されたことではなく、ネギが死んだことによる自分の苦労が無駄になってしまったことだ。アスナからすればネギなど生きていようが死んでいようがどうでもいいが、彼が死んでしまえば計画は完全にご破産。与えられた任務をこなせなかったことになってしまう。
「あんた達、無事で済むと思わないことね……!」
言うが早いか、アスナはヘルマンへと一瞬で肉薄する。拳は一瞬の内に振りかぶる準備を完了しており、ヘルマンは咄嗟に後ろへと飛んだ。
「せりゃあっ!」
「ぐむぅっ!?」
先程以上の衝撃を、なんとか両腕でガードすることで受け止める。しかし、たったその一撃だけで腕の筋繊維が幾つか断裂する音が聞こえてきた。
(……まずい、予想より薬の効き目が短かったか! もう身体能力が戻り始めているとは……!)
ヘルマンはそう冷静に分析しつつ、どうすべきかを思案していた。アスナの実力はヘルマンでさえ圧倒的といえるほどの差がある。既にネギの抹殺に成功し、任務を果たした以上は、この場を離脱するほうがいいかと考え、すらむぃ達の方へ視線を向ける。
それを隙と見たアスナが再び拳を振りかぶり、一瞬で距離を詰めて振り下ろす。しかし、それを予想していたヘルマンは瞬動ですらむぃ達の場所へと移動した。対象を失った拳はそのまま地面に吸い込まれ、コンクリートの床を容易く貫いた。
(恐ろしいな、以前よりも更に磨きがかかっている……)
まだ薬の効果で弱体化しているとはいえ、彼女の本気の一撃に戦慄する。何より恐ろしいのは、その力のコントロールの上手さ。殴ったコンクリートの床に、彼女の攻撃で出来た穴以外に一切の破損がないのだ。
ひび割れもなく、まるでそこだけくり抜いたかのようになっていた。もしまともに相手をしていれば、死をまぬがれることはなかっただろう。
「ちょこまか逃げてんじゃないわよ!」
「そう言われても、さすがにこちらもボロボロなのでね。これ以上相手をする気はない。すらむぃ、あめ子、ぷりん。逃げるぞ」
「エェー!」
「まだ食ってないのニ」
「……おあずケ」
撤退するというヘルマンの指示に、三人は不満気である。なにせ久々に外に出られたのだ、彼女らも相当に空腹であった。そんな中でも、ヘルマンの命令で食べたりしないように我慢していたのだ。不満があるのも当然である。
「今回は諦めろ、命あっての物種だ」
「ちぇー、あとでちゃんとごはんくれヨー!」
水のゲートが開き、すらむぃ達が飛び込んでいく。
「そういうわけでフェイト、私は先に失礼するよ」
「了解。僕も終わったら合流するよ」
ヘルマンもそのゲートの中へと足を踏み出そうとする。
「逃がさないわ!」
だが、アスナは再びの瞬動でヘルマンへと蹴りを放つ。転移のゲートを潜る前に、アスナの攻撃が届くと判断したヘルマンは後ろへ飛び退った。ゲートが閉じてしまい、ヘルマンは退路を断たれた格好になってしまった。
「クッ!」
「あんたはボッコボコにしてやらなきゃ気がすまないわ」
「やれやれ、とんだことになってしまったな……」
「水が……!」
「消えていくアル……」
「先生っ!」
一方で、すらむぃ達が離脱したことにより水牢から抜け出すことが出来たのどか達がネギへと駆け寄る。
「先生、先生目を開けて……っ!」
「先生!」
「ネギ君……!」
口々にネギに呼びかけるが、しかしネギの反応はない。息をしていないのだ。
「近衛! 早くアーティファクトを!」
「ダメや、もう傷ができてから3分経ってもうてる……治癒魔法で何とかするしか……!」
既に3分が経過しているため木乃香のアーティファクト『コチノヒオウギ』でも治すことが出来ない。幸い、心臓はまだ鼓動しているが、あまりにも弱々しい上に出血の原因にもなっている。
「だめ、だめ……血が止まらへん……!」
回復魔法をかけても、木乃香の腕では止血するのがせいぜい。それに傷口が大きすぎて、止血自体うまくいっていない。のどかと夕映も回復魔法をかけて補助するが、それでも回復量は雀の涙だ。
「せんせー、嫌だよぅ……置いて行かないで……」
「ちくしょう、ちくしょう……!」
出会ってからまだ半年も経過していない。しかし、それ以上にかけがえのない時間を共に過ごしてきたネギの喪失に生徒たちは皆涙を流す。
「……立て込んでいるところ悪いけど、僕も仕事なんだ」
「ぐはっ!?」
ネギに縋り付いていた千雨に衝撃が襲いかかる。フェイトの魔法で吹き飛ばされたのだ。
「千雨さんっ!?」
「くるなっ! コイツの狙いは私だ……!」
駆け寄ろうとするのどかを静止する。ゆっくりと歩み寄ってくるフェイトの冷徹な瞳が、千雨の視線と交差した。
「さて、僕も役目を果たすこととしよう」
(……私も、ここで終わるのか……?)
このままむざむざ殺されるのは嫌だとは思う。しかし、千雨にはフェイトに対抗できるほどの力はない。氷雨でも逃げ回りながら戦うので手一杯だったのだ。それに、ネギも助かるかわからない今、千雨の心には諦めがはびこり始めていた。
『クソッ、こんなところで私は死ねんのに……!』
千雨が抵抗を見せないせいで、氷雨も焦りを見せる。彼女が死ねば自分も死んでしまうのだ、このままでは千雨と心中してしまう。
「往生際が悪いよ。せめて幹部らしく毅然としていてもらいたかったんだけどね」
フェイトの視線には、失望と軽蔑がありありと感じられた。自分よりも下の立場である彼に見下されるという、氷雨にとってはこの上なく屈辱的な光景。
「これで終わりだ」
腕に魔力を帯びさせ、千雨に向けて撃ち放つ。狙いは当然、心臓や肺など重要な器官が収まり急所である胸部。千雨は、その攻撃を只黙って受けるしかなかった。
「これ以上、やらせないアル……!」
「何っ?」
古菲が、フェイトの手刀を横合いから掴むまでは。
「崩拳!」
フェイトの側頭部を捕らえた強烈な一撃が放たれる。が、障壁に弾かれてしまい直撃させることはできなかった。反撃を食らうとマズいと判断した彼女は、続いて姿勢を低くして相手の懐へと潜り込む。
「絶招通天炮!」
相手をかち上げるようにして、掌底と拳を叩き込む。やはりダメージはないが、フェイトを吹き飛ばすことには成功した。
「へぇ……」
吹き飛ばされたフェイトは感心したように声を漏らす。彼自身、中国拳法はそれなりに学んでいるが、彼女のそれはまさしく達人クラスと言っていい。魔法も使えない一般人で、これほどの実力者がいたということに、フェイトは少し驚いた。
「早く逃げるアル……! こいつは私が相手するアルよ」
こちらに向かってくるフェイトから守るように、古菲が千雨の前に立つ。
「お、おい古菲! お前でも相手できるようなやつじゃ……!」
「心配無用アル、私もむざむざやられる程度ではないアルよ」
最早テコでも動かないと悟った千雨は、古菲に疑問を投げかける。
「なんでだよ、相手はお前よりずっと強いんだぞ? このままじゃ、お前だって……」
「それで諦められないから、私はこうして立っているアルよ」
古菲の言葉に、千雨はハッとした。自分は今、勝手に諦めようとしていたのだと。ネギが死んでしまうことを確定事項にしてヤケになっていたのだ。
(皆、まだ諦めちゃいねぇのに……私だけが諦めてどうすんだよ……!)
治療は木乃香達がやってくれている。もしかしたら助からないかもしれない、だが諦めたらもうそれは0でしかなくなってしまう。皆、まだ諦めてはいないのだ。千雨はガシガシと頭を掻き、顔を叩いて自分に喝を入れる。
(ああそうだ、先生はまだ死んじゃいないだろうが!? 何勝手に決めつけてたんだ私は!)
諦めかけていた心を奮い立たせて立ち上がる。先程よりも、幾分か気持ちが楽になっていた。
「そうだよな、このまま諦めて殺されるなんて、私もゴメンだ!」
「おおっ、なんかいい顔になったアルな。そっちの方がかっこいいと思うアルよ」
「そりゃどうも。さて、死なない程度には頑張らねぇとな……!」
二人は並び立ち、フェイトをまっすぐに見据える。
「……これ以上時間をかけるつもりはない」
瞬間。フェイトは古菲の目の前に立っていた。
「なっ、うぐっ!?」
喉を潰そうとして放たれた裏拳には即座に反応できたものの、そちらはフェイク。もう一方の拳が古菲の鳩尾に直撃し、体をくの字に曲げる。
「多少腕が立つところで、君と僕との差を覆すことはできない」
「がはっ!?」
「古菲!?」
腹にめり込んでいた拳を、今度は真上に向けて放ち勢いよく顎へと振りぬく。気と魔力で強化された拳である。そういったものを知らない古菲には防御するすべもなく、軽減することもできなかった。山なりに飛んでいく古菲は、何とか受け身を取るものの固い石畳に強かに打ち付けられた。
「かはっ!?」
「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」
宙空に石の槍が形成されていく。目の前の古菲は、立ち上がったはいいが顎を撃ちぬかれたせいでふらふらと覚束なく、意識が朦朧としかけている。千雨は最悪の事態に背が凍りつく。
(マズいっ……!)
このままでは、古菲が串刺しにされる。それを避けるために、千雨はフェイトの方へと突貫した。魔法が放たれる前に妨害する気だ。
「君なら」
「!?」
すると、古菲に向けて先端を向けていたはずの石槍が、急旋回をして千雨に切っ先を向けた。
「
(やばっ! 避けら……!?)
勢いよく走っていた千雨は、避けることもできずに脇腹を大きくえぐられる。肉のちぎれる嫌な音と、灼熱の痛みが一気に千雨へと殺到した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
「外したか。だがもう動けないだろう?」
腹部の多くが欠損し、温かい血がどんどんと流れ出ていく感覚。反対に、体は雨に冷やされて冷たくなっていくのが分かった。痛みは段々と鈍くなり、目の前がかすみ始める。倒れ伏した千雨を見下ろし、フェイトは止めの魔法を準備する。
『痛い痛い痛い痛いいいいいいいいい! くそくそくそっ! 何故私がこんな目に合わなきゃならねぇんだ!』
「当然の報いさ。牙を抜かれた君にはね」
冷ややかな目で、千雨の胸元にあるペンダントを見やる。最早、相手が組織の幹部であろうと殺すことに一分のためらいも感じなかった。
「散々苦労させられたけど、これで終わりだ」
展開した石の槍を、彼女らを確実に仕留めるため、その頭部へ狙いを固定する。
「死ね」
無情な言葉とともに、石の槍はついに千雨へと射出されようとして。
「させないよ」
轟と、すさまじい何かがフェイトの右頬を貫くように叩きつけられた。子供ぐらいの体格しかないフェイトはいとも容易く吹き飛ばされ、睨み合いをしていたアスナとヘルマンの間へ落ちる。
「すまない、大分遅れてしまったね」
若い男の声が、雨の中でもよく通る声が聞こえた。着崩したスーツに、少しよれたネクタイ。眼鏡の奥に見える瞳は闘志に溢れ、精悍な顔つきを際立たせている。
「あ、あんたは……」
千雨はこの男を知っていた。ほんの数カ月前までは、彼女にとってはある意味身近な人間だった。それは、口をあんぐりと開けている古菲も同じ。
「た、高畑先生アルか!?」
「やあ、久し振りだね千雨くん、古菲くん」
現れたのは、かつての2-A担任であった高畑・T・タカミチ。麻帆良学園で学園長に並ぶ実力を有する魔法先生であった。
「驚いたよ、明山寺鈴音に重症を負わされたと聞いていたが」
フェイトに言われ、自分の右手をポケットから出してプラプラと振るタカミチ。その手には、包帯が巻かれている。
「ああ、確かにここ1ヶ月は満足に動くことが出来なくてね。おかげでまだ本調子じゃない」
タカミチはそう飄々と言ってのけるが、フェイトはむしろ警戒を強くしていた。仮にもあの『
他のメンバーに比べれば見劣りはするが、少なくとも幹部クラスに実力は決して劣らない。むしろ、魔法が使えないというハンデを抱えてそれなのだから薄ら寒さすら覚える。
(参ったね、こちらはかの『剛拳』の弟子、ヘルマンは神楽坂明日菜が相手か。逃げづらくなったな)
「しかしよくもまあ、やってくれたものだね……」
ズンと、周囲の空気が一気に重くなる。タカミチの威圧によるものだ。その圧でフェイトは足を釘付けにされてしまう。冷や汗が、彼の背中を伝った。
(これが、かつての英雄……っ!)
京都で、近衛詠春からも感じた絶対的な差。未だ到達できない怪物たちの領域。フェイトが求めてやまない力を体現する者達である。
一方でタカミチの目には、明確な憤怒の炎が宿っていた。当然だ、共に戦った戦友の息子と元教え子達。目の前の少年は、そんな彼女らにこうも
「僕達の目をくぐり抜けて何をやろうとしていたのか……じっくりと聞かせてもらおうか」
その言葉とともに、周囲に次々と人が現れる。葛葉刀子、瀬流彦、神多羅木などなど魔法先生がずらりと。中には教会の所属であるシスターシャークティの姿もあった。
「フォフォ、さんざん好き勝手やられたツケは払ってもらおうかのぅ」
そして、タカミチと並び学園の双璧とも言える魔法使い、近衛近右衛門の姿もあった。
「これはこれは。一体どうやって我々がいることに気づけた?」
「フォフォ、確かにネギ君たちでは儂らに伝えるのは無理じゃったろう。大方、監視でもつけていたんじゃろうな?」
そう、何かあったのならばネギと千雨を監視していたぷりんから連絡があるはずだ。それがないからこそ、こうしてバレていないと踏んで戦っていたというのに。
「じゃが、詰めが甘かったのう。たった一人だけ、監視から逃れられたものがおるじゃろう?」
「……! あのオコジョ妖精か」
「彼が最初、何故別行動をとっていたのか。それは、儂らに連絡を取るためじゃよ」
フェイトは内心で舌打ちしていた。すらむぃ達は種族としてはまだ若い部類だ。そのため、お世辞にもオツムがいいとはいえない。しかし、だからこそ素直に仕事を受け入れるし、単純な仕事では言われた通りにこなすことができるのだ。
だが、今回はそれが仇となった。ぷりんは監視対象であるネギと千雨だけを追いかけていたため、アルベールのことを置いて行かれただけだと思っていたのだ。
「いや、待て。我々が交戦してから10分もせずに彼は現れた。いくら妖精とはいえど小型の動物であるオコジョでは時間がかかるはずだ」
そう、どう考えても時間のつじつまがあわないのだ。学園長室までは人間サイズで換算としても10分はかかる距離だ。それを往復するとなれば更に時間はかかるはずである。彼らが戦闘を始めてからまだ20分も経過していないというのに、どうやって魔法先生らを集めたというのか。
「それには俺が答えてやるぜ!」
その疑問には、アルベール本人が口を開いた。
「そりゃーオレっちはすばしっこくはあっても長距離走るのには向いちゃいないさ。けど、それなら事情を知ってる人間に代わりを頼めばいい話だぜ!」
「そういうことよ!」
アルベールに応えるように魔法先生たちの後ろから現れたのは、なんと朝倉和美であった。
「あさ、くら……!? お前、なんで……?」
和美の登場に驚く千雨。そう、アルベールは同じ女子寮に住んでいる彼女の元へと走り、伝言を頼んだのだ。彼女は修学旅行時に魔法について知っているが、現時点ではネギ達と密接な関わりがあるわけでもないため捨て置かれていた。
「なるほど、一般人が相手ではオコジョ妖精は接触は出来ないが、彼女であれば接触することも、魔法先生に連絡を取ることも可能か」
「へっ、そういうことさ。俺っちは戦闘なんてできねぇが、できないなりのことはする主義なんでぇ!」
忌々しいとばかりにアルベールを睨むヘルマン。まさか、取るに足らないオコジョ妖精なんぞに出し抜かれたとは、上位悪魔としてのプライドに触ることだった。
(以前の借り、これで返しきれたとは思っちゃいないけど、私だって手伝いぐらいはしないとね)
修学旅行の際、ネギを暴走させてしまったことを彼女はずっと悔いていたのだ。だからこそ、こうして恩を返せる機会が来たことが彼女には嬉しかった。
「え、朝倉もなんかあの不思議なのを知ってたアルか?」
一方で、全く関係のなかった古菲はイマイチ状況が飲み込めていないのであった。
「しかし、事は急を要するようじゃな」
血だまりの中で倒れているネギと同じく重症を負っている千雨。ネギを必死に治療している孫娘、そのクラスメイト。上位悪魔と交戦しているアスナ見回して既に手遅れになりかけていたことを察した。
「先生……ち、ゆ……魔法……使える、ひとは……?」
「僕が使えるよ、というか君も重症なんだから喋っちゃダメだよ!?」
「よかっ……た……」
「千雨さんっ!?」
(先生……死なないで、くれ、よ……)
ネギが助かるかもしれないという安心感からか、千雨は急激に眠気に襲われる。
(ああ……なんか、眠いや……)
そのまま、意識を手放し気絶してしまう。これはいよいよマズいと感じたシャークティは瀬流彦に指示を出す。
「瀬流彦先生、ネギ先生をお願いします。私は彼女を」
「あ、はい!」
瀬流彦がネギの、シャークティが千雨の元へと駆け寄り、傷の状態を見て、治癒魔法による治療を始めた。
「これは、マズいな……」
「血が流れすぎています。早く塞がなくてはなりませんね……」
さすがに腕利きの魔法使いであり、先程よりも傷の治りが速い。出血もすぐに収まったが、出血が既に相当なものであるためすぐにでも本格的な治療を施す必要がある。千雨も同様であった。
「一刻も早く集中治療室に連れていく必要がありますわ」
「うむ、そちらのことは任せた。儂らは彼奴らの相手をする」
ネギと千雨を抱え、離脱していく二人。残ったのは、のどか達とヘルマンら。
「やれやれ、よもやこのようなことになろうとはな……」
「抵抗は無意味です。貴方が魔の者である以上、私の剣の錆になるだけ」
刀を構え、ヘルマンに警告する刀子。今は関東で先生をしているが、彼女も元は関西で神鳴流剣士として鳴らした強者だ。ヘルマンにとっては最悪の相手と言っていい。
「神鳴流剣士か、それも相当な熟練者だな」
「少しでも動いてごらんなさい、その髭を丸ごと刈り取ってあげるわ」
(厄介なことになってきたな……)
既に戦闘でかなり疲弊しているヘルマンでは、この状況から抜け出すことは難しい。フェイトもこの包囲網を突破できるほどまだ実力がついていない。
「仕方ない、投降するとしよう」
「っ……! だけど……!」
「既にこの一局は詰みの段階だ、フェイト。逆転の目は存在しないだろうな」
長年戦いの中で生きてきたヘルマンは、こういった戦局を見極める目や駆け引きに長けている。どう足掻いたところで、自分たちが勝てる要素はない。
「ふむ、では投降するということでいいかの?」
「ああ、そうだ」
ヘルマンはちらと、フェイトの方を見やる。そして、少しだけ口角を上げると。
「ただし、
「何?」
「すらむぃ! ぷりん! あめ子! フェイトを転移させろ!」
ヘルマンが言い放つと同時に、フェイトの周りに水のゲートが展開する。彼女らは逃げたのではなく、ヘルマン達を回収する機会を伺いながら雨の中に紛れていたのだ。のどからを捉えていた魔法を解除したのも、本当に逃げたと錯覚させるため。
「なっ!?」
驚愕するフェイトの前に、ヘルマンは背を向けて立った。
「お前は逃げろ、フェイト」
「だったら君も……!」
「生憎、二人いっぺんに逃げられる状況ではないから、なっ!」
「くっ、そこをどけっ!」
タカミチはフェイトに向かって走るも、ヘルマンに妨害されてしまう。そのまま、フェイトはゲートの向こうへと消えてしまった。
(ああもう、私が動けてたら……!)
魔法先生が集まってきてしまったせいで、迂闊に動けなかったアスナはこの状況を呪った。自分であれば、決して取り逃がしはしなかっただろうに、と。そんな彼女を嘲るかのように、ヘルマンは高笑いをした。
「ハハハハハ、詰めが甘かったな!」
「だが、お前はもう逃げられないぞ」
魔法先生らによって、拘束魔法で縛り付けられるヘルマン。これでもう、完全に逃げ場を失ったことになる。だが、それでもヘルマンは続ける。
「無論、分かっているとも。だが私を捕らえたところで、復活したての私に大した情報はない。君たちはとんだハズレを引いたというわけだな。ハハハハハハハ!」
雨が止み、静けさを取り戻した夜の虚空に、ヘルマンの笑い声がよく響いた。
「…………ここ、は……?」
真っ白な部屋で、ネギは目を覚ました。鼻をくすぐるのは薬品の匂い。
「確か僕は、あの悪魔に胸を貫かれたはず……うっ!」
胸に手を当ててみると、そこには包帯が巻かれ、かすかに痛みが感じられた。あれは現実であったことを嫌でも理解させられる。どうやら、あの後に病院へ誰かが連れてきて、治療を受けたらしい。
「そうだ、千雨さんたちは……!?」
周囲を見渡してみると、他にはベッドが見当たらない。ここは個室であるようだ。起き上がったネギは、痛む胸も気にせず、ベットを降りて部屋を出る。すると、目の前の別の個室に見知った名前があった。
「え……千雨さん!?」
長谷川千雨の札があったのだ。驚いたネギは、そのまま吸い込まれるようにその個室の扉に手をかけ、ゆっくりと開く。
「千雨……さん?」
窓のそばに、赤みがかった髪の少女の姿。髪をほどいてはいるが、その後姿は間違いなく千雨のものだ。
(よかった……立てるぐらいには回復できてるんだ……)
少なくとも命に別状がないということが分かり、ネギは安心するとともに、申し訳ない気持ちになった。復讐心から暴走し、自分だけでなく千雨の命まで脅かしてしまった。謝らないと、そう思い千雨へと近づいていく。
「あの、千雨さん……その……」
「…………」
ネギの呼びかけに、千雨は振り返る。寝起きなのだろうか、いつもより表情がいつもより険しい気がした。
「あの、すみませんでした!」
謝罪の言葉とともに頭を下げる。
「僕、考えなしに突っ込んでっちゃって……千雨さんも危険な目にあわせちゃって……」
「…………」
千雨は黙ったままだ。静寂が部屋を包み、気まずい空気が流れる。
「……なあ、先生」
「な、何ですか?」
頭を上げ、千雨を見る。先ほどと違い、少しだけ微笑みが見えた。千雨はそのまま頭に手を乗せて、彼に顔を近づける。
「一体誰に謝ってるんだよ?」
「えっ?」
「謝るのは私にだろぉ? せんせぇ?」
乗せていた手で髪の毛をひっつかみ、後ろに引っ張る。
「うぐっ!? ち、千雨さん……!?」
「お前、いつまで私の事アイツと勘違いしてんだよ。クキキ」
「お、お前は……!」
「そうだよ、"私"だよ先生!」
そう、表に出ていたのは千雨に寄生している精神体、氷雨だったのだ。
「いくらなんでも酷いなぁ? あいつと私を間違えやがってさぁ、クキキ」
千雨の顔で、邪悪に嘲笑う氷雨。ネギにとては非常に不快な表情だ。彼は今でも彼女を信用などしていないのだから。彼が最も信頼する相手の顔で、こんな不快な顔をされるのは我慢がならなかった。
「じゃあ、千雨さんはまだ眠ってるのか?」
「眠ってる? そうだなぁ、確かに眠ってるなぁ……」
ニヤニヤと笑いながらネギを見る。もったいぶったかのような言い方にネギは苛立ちを隠せず、少し荒っぽい声で問いただす。
「千雨さんはどうなってるんだ!」
「クキキ、まーだわかんないのかよ! 私がこんな好き勝手やってるのにアイツが出てこないんだぞ?」
「まさか……」
顔から血の気が引く。違う、そんなことはないと思い込もうとする。
「あいつはな、確かに眠ったよ。そう、それこそ永遠になぁ……?」
「そん、な……」
「あいつは死んだのさ、お前が気絶した後に負った傷のせいでなぁ!」
「う、嘘だっ! デタラメを言うな!」
必死に否定しようとするが、ネギは最悪の事態ばかりを想像してしまい、それを必死に振り払おうとするがどんどんと悪い方へと傾いていってしまう。本当に、本当に生きているのか。
だったらなぜ、目の前のコイツは自由に振る舞えるのだ。それは、千雨がもう出てこれないということではないのか。
「アイツはもう、
「嘘だ……嘘だああああああああああ!!!」
真っ白な部屋の中に、少年の絶叫が大きく響き渡った。