悪魔は哄笑する、求めていた戦いに。
雪の降る夜。空が赤々と燃え、ちらちらと降る雪さえも溶かす熱が村を襲った悪夢のような夜。ネギは、この夜のことを片時も忘れることはなかった。いや、より正確に言うならば忘れることができなかった。
石にされてゆく村の人々、幼馴染とよく遊んでいた広場を埋め尽くす悪魔の軍勢。焼かれ、壊されて行く建物。全て、鮮明に思い出せてしまう光景だった。そして、漠然とだが憧れを抱いていた父の姿もまた同じ。
(忘れちゃいけないことだったはずだ、僕にとってそれは、何よりも優先すべきことだったはずだ)
だが、学園にきてから彼の中に渦巻いていたはずの悪夢が、いつの間にか消え去っていたことにネギは気づくことができなかった。それほどに、学園に来てからは激的な日々であったのだ。
幼馴染や姉代わりの人以外で、初めて心を許せる仲間と出会い。共に戦い、共に分かち合い、我武者羅に歩む日々。それは彼の妄執さえ忘れさせるほどであった。
(でも、もう駄目だ)
きっと、そのまま忘れたままでいればよかったのだろう。それなら、あの仲間たちと共に戦っていくという選択肢もあったかもしれない。だが、ネギは思い出してしまった。自分がどうしようもないほどのエゴイストであることを。
あの日から誓ったこと。村の皆を助けたいという願いと、父から託された思いに応えたいという気持ち。それは彼にとってとても大切なことではある。しかし、一番であるというわけではない。彼にとって最も優先すべきであったこと。それは。
(あいつを、殺す……!)
それは、もう後戻りのできない道だ。どれほど相手が罪深くとも、相手が悪魔であろうとも。殺してしまえば、それはその後の一生に付きまとってくる。光の当たる世界にはいられないだろう。
だが、それがどうした。
(僕は父さんみたいにはにはなれない。分かっていたことだ)
憧れた父とは、決定的に違う自分。
どれほど手を汚そうとも、のうのうと闇に消えた首謀者と手先共を引きずり出してやるという執念。あの事件を企てた全ての者に、然るべき報いを与えるという宿怨。
(必ず報いを受けさせてやる……ッ!)
何者も望まぬ、どうしようもなく身勝手で独りよがりだとしても。このどす黒い感情を晴らす方法が、彼には復讐というたった一つの方法しか導き出せなかった。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル……!」
湧き上がってくる魔力は膨大で、今ならどれほど暴れても尽きることはないのではないかと思えるほどだ。きっと、自分は魔力暴走を起こしているのだろうとネギは考える。怒りや憎しみ、様々な感情が渦巻いていたはずなのに、頭はひどく冷静であった。
「来たれ虚空の雷、薙ぎ払え! 『雷の斧』!」
素早く、かつ一定以上の火力が期待できる魔法を牽制として放つ。ただの魔法の矢ではあの悪魔はびくともしないだろうことは、数年前のあの日に理解している。恐らくは、この魔法であっても掠りもしないだろう。
想定どおり、ヘルマンは素早い動きで大斧をかわし、カウンターで拳圧を飛ばしてくる。ネギはそれを最低限の動きでよけ、更に連続して魔法を叩き込む。
「『魔法の射手・光の7矢』!」
攻撃直後のわずかな硬直を狙い、魔法の矢をヘルマンへの顔面へ狙い撃った。当然、これもヘルマンには通用しない。本命は、ヘルマンの視界を一時的にふさぐこと。
「ぬ……!」
(背後をとった……これで!)
前方にいたはずのネギを見失ったヘルマン。そしてネギは、彼の死角となる背後へと。
「『白き……」
「遅い」
振り向くと同時、ヘルマンはネギの左側頭部へと裏拳を放つ。やむなくネギは魔法詠唱を中断して、ヘルマンの攻撃をしゃがんで回避する。
「残念だが、それは悪手だ」
姿勢を低くするというのは、存外次の動きが制限されやすい。特に視線が自然と下へ向いてしまうため、次の追撃に対処できなくなる。ヘルマンは裏拳の勢いで既にネギのほうへと向き直っており、そのまま彼の腹を蹴り上げた。次いで追撃の拳がネギの頭部を狙う。
「ぅぎっ……! う、ぐ、『魔法の射手』……!」
鈍く重い痛みにネギは思わず呻くが、追撃を食らわないためになんと自分へ魔法を撃ち込んだ。当然ダメージはあるが、しかしヘルマンの重い一撃を考えれば安いものだと切り替える。
「ハハハハハ! まさか自分を撃ってその反動で追撃を免れるとは!」
「はーっ、はーっ……すぅ、はぁ……」
呼吸を整える。相手は封印から解放されてからあまり時間が経っていないとはいえ、万全を期さねば、この悪魔を殺すことはできない。だが、逆に言えば今全力で戦えば勝機があるということだ。この機会を、絶対に逃すわけにはいかない。
(体が軽い、心もだ)
彼の心には今、憎悪や復讐心を存分に晴らせるという歓喜があった。理性で抑え込んで、気づかぬうちに鬱憤をためていたそれは、修学旅行のときに感情を暴走させた時でさえ無意識に蓋をして巧妙に表に出さなかったものだ。
理性的で紳士の皮を被り、覆い隠していてきた、黒よりなお黒い汚泥のごとき激情。腐臭すら感じられそうなほどの、醜悪なる独り善がり。それを、思うが侭に吐き出し、暴れられる。
(すごく
眼前の敵を睨む彼は、しかしその口元に笑みを湛えていた。
(いいぞ、もっと感情を爆発させるがいい)
一方で、ヘルマンもまた楽しそうに笑みを浮かべている。期待していた通り、いやそれ以上の熱を感じさせてくれるネギに、彼は非常に満足していた。
(やはり、若い者は身を焦がすほどに熱くなれる)
京都で戦った小太郎といい、改めて若く有望な者との戦いは心が躍るものだと実感している。成熟したものにはない必死さや、まっすぐに突っ込んでくる愚直さがたまらない。
「実に、実に血が滾るぞ……!」
拳を固め、引き絞るように肘を折り曲げて引き、一気に振りぬく。悪魔の人ならざる腕力と魔力で強化された鋼のごとき拳から放たれる必殺の拳圧が数発連続して襲い掛かる。
(さあ、こいつにどう対処するかね!)
本気の全力というわけではない、しかし少年一人の命を刈り取るには十分すぎる威力だ。速さも、重さも未熟な者では対処できるはずがないそれらを、しかしネギはまたがる杖を自在に操ることで回避する。
「いい、実にいいぞ! ネギくん、君は今まで相手にしたものの中でも最上級と認めよう!」
思って以上にできる、どころではなかった。圧倒的なセンスと才能、ヘルマンをして過去最高クラスの実力を秘めていると感じさせる相手。
(ここまでの興奮を覚えたのは、
走る、飛ぶ、攻撃、回避、反撃、防御、離脱。繰り返される闘争の一挙手一投足全てがヘルマンを更なる歓喜へと誘う。ネギもまた、冷静に冷徹に冷酷に。相手の命を奪わんと全力で悪魔へと喰らいついていく。
「『悪魔の右腕』!」
「『風花・風障壁』!」
並みの魔法使いならば嬲り殺されるであろう豪腕の一撃を、弾き、逸らすような角度で魔法を展開して受けきる。
「『白き雷』!」
「温いぞっ! 『悪魔パンチ』!」
膨大な魔力で威力が底上げされた反撃の魔法を、惰弱だと一喝し、拳圧で消し飛ばす。
目まぐるしく入れ替わる攻防に、しかしネギはしっかりと追いついて見せている。ヘルマンもまた、少しずつギアをあげてより激しく、苛烈に攻める。
(さて、どこまでついてこれるかね?)
地力で言えば、間違いなくヘルマンのほうが圧倒的に有利である。勿論、彼はそんなことに慢心するほど愚かではない。油断すれば、手酷いしっぺ返しを喰らうことを学んでいる。だからこそ確実に、相手が気づけないように追い詰めて行けばいいと考えていた。
(ネギくん、私は才ある若者と戦うのも、その力を試すのも好きだが……それらを真っ向から叩き潰して再起不能にするのも大好きなのだよ)
(くそっ、早く先生のほうに行かなきゃならねぇってのに……!)
一方、千雨はフェイトを相手に逃げの一手を取らざるを得なかった。いくら霊子に修行で魔法を教わっているとはいえ、あくまで初期呪文が殆ど。彼女が戦力となるためには、氷雨と入れ替わらざるをえない。
(先生、あんたがなにか隠してることがあったのは分かる、けど……!)
ヘルマンとのやりとり、ネギは今までで見たことがないほどに感情的であった。怒り、悲しみ、憎しみ、恨み。負の感情をありありと感じられた中で、しかしその顔には笑みを浮かべていた。
(また、一人で戦う気かよ……!)
彼にとって、相手は故郷を襲った仇であることが、先ほどの会話から何となくだが分かる。きっと、彼は復讐を果たすつもりなのだろう。だから、優等生の仮面を脱ぎ去ったのだと。最早目的のためなら、仲間とともに戦うという道すら断つために、復讐者という醜悪な自分を晒したのだと。
ネギは、共に戦ってきた仲間を置き去りにしていくつもりなのだ。
(嫌だ……)
それを理解している者がもう一人いた。のどかである。
(嫌だよ、せんせー……置いてかないで……!)
仲間であったはずだった。共に戦えると思っていた。だが、それは自分の思いあがりであり、ネギは一人で戦う道を選びかけている。共に苦難を乗り越えてきた仲間さえ、置き去りにして。
だが、無理矢理にでも加勢しようにも、水の牢獄ではうまく動けず、非力な彼女では脱出などできはしない。第一、仮契約カードもない状態では役立たずもいいところだ。
「な、何が起こっているアルか……?」
古菲は目の前で繰り広げられる魔法戦に混乱していた。元々、完全に無関係であったのだから仕方ないが、魔法という規格外の話に頭が追いついていない。
「どうにか脱出しなければ……しかし、魔法のない私たちではとても……」
夕映は、なんとか脱出できないか思案する。だが、魔法という手段を失っている今、ここにいるのは非力な女子中学生だけだ。ただ一人の例外を除いて。
「ゆえ、古菲ならどやろ!?」
「そうか! 彼女の拳ならあるいは……!」
木乃香の言葉に、夕映ははっとする。魔法が駄目なら、物理的な攻撃であれば破壊できるかもしれない。夕映は脱出を試みようと、古菲に水壁の破壊を頼む。
「古菲! この水の塊を壊せませんか!?」
「え、あ、や、やってみるアル!」
気を無意識で操っている彼女ならば、水壁を破壊できるのではないかと一縷の望みに賭ける。古菲は戸惑いつつも夕映の言葉に了承し。
「『崩拳』!」
外と水牢の境界に拳を叩き込む。が、いくら気で強化された拳であっても相手は水。どれほど殴ろうとも手応えなどなく、水牢が少し震える程度でしかない。
「だめアル、柔らかすぎて効いてないアルよ……」
「くっ、どうすれば……」
物理的に脱出することは不可能。魔法を使おうにも媒体がない。打つ手のない状況に、夕映は歯噛みするほかなかった。
「氷雨、替わるぞ!」
『クソっ、また私に貧乏くじを引かせるのか!』
氷雨と千雨が入れ替わる。千雨が死ねば、精神寄生状態である氷雨も死ぬのだから、協力せざるを得ない。
「『魔法の射手』!」
「……舐めているのかい? そんなもの、当たらないよ」
入れ替わると同時に牽制に魔法を放ってはみるものの、あっさりと回避されてしまう。
「『石の槍』」
「うわっと!」
その隙を狙ってフェイトが石柱を生やして攻撃してくるが、氷雨はすんでのところで横に飛んで回避に成功する。
「チッ、やはりあいつを相手に正面切って戦うのはきつい……!」
氷雨もまた、真正面から戦うよりは搦手を使うタイプである。『桜通りの幽霊』事件で魔法具を用いたり体を奪って人質にしていたことがその証拠だ。近接戦闘などすれば、下手をすると一撃で沈められるだろう。
『おい氷雨、あいつの弱点とか知らないのか? お前の同僚だろう!?』
「あったら私だってそこを突いてる! あいつは幹部でこそないが候補の中では一番実力が抜きん出てやがったんだよ! 私みたいに尖ったものはないが、まんべんなく強い!」
氷雨も幹部となって日が浅いが、実力は十二分にある。かの組織で幹部を張るというのは、ただ強いだけや頭が回る程度では務まるものではないのだ。その点では、氷雨はフェイトよりも上であるといえるだろう。
しかし、それはあくまでも魔法具を扱う才能や有利な状況を組み立てる手管にある。そんな強みが出せない状況で、なおかつ遠近両立の正統派に強いタイプであるフェイトを相手にするのは、苦しいと言わざるをえない。
「逃げるだけか。前の戦いはやはり、まぐれだったようだ……」
「せりゃぁーっ!」
逃げる氷雨を追いながら、挑発的な言葉を投げるフェイトを、アスナが横合いから蹴りこむ。弱体化しているとはいえ、『魔法無効化』能力と気と魔力で強化された強烈な蹴りはあの戦闘狂であるヘルマンでさえ冷や汗モノであったと聞いていたため、素直に回避を取る。
(うーむ、やはりアスナは強いアルな。やっぱり戦ってみたいアル)
期末テストの際、一度その実力を目にしている古菲は、改めてその実力を認識し。
(マジかよ……修学旅行の時にもしかしたらと思ってたが、あいつ結構強いんだな)
その時に同行していなかった千雨は、薄々ながら感じていたアスナの実力を見て驚嘆する。
「素人の動きじゃないな。君、本当に一般人?」
「どっからどう見ても普通の女子中学生でしょうが」
(普通の女子中学生は地面に
自分のことは棚に上げつつ、アスナの言葉にツッコむ千雨。つくづく、この学園には一般常識が通用しないと感じる千雨であった。
(これが私に課せられた試練ならば、成長しろということ。ただ戦うだけではだめ。制限された状況でどう戦うか。恐らく、マスターはそれを期待している)
肉弾戦闘という点では、フェイトは中々に厄介な相手であるとアスナは思っている。彼がまだ見習いであった頃に付き従っていたデュナミスも、魔法戦闘と近接戦闘を両立できるタイプだった。恐らくは、そこからいろいろと学んだのだろうと推察する。
(魔法は効かないとはいえ、いつもの調子が出せない分不利ね)
魔法無効化系統の能力者の弱点として、空間に作用する魔法や幻術には通用しないというものがあるが、それ以上に魔法障壁が張れないという致命的な弱点がある。物理的な防御力が皆無に近いのだ。
いくら魔法が効かなくても、アスナとて物理的に攻撃されれば負傷はするし殺せば死ぬ。魔法使い相手であればこの上なく強力な武器だが、物理的な手段を用いる相手には意味が無い。
そして魔法を使うとはいっても、打撃主体の戦い方をするフェイトは、アスナにとって
相性が悪い相手なのだ。
(
普段であれば近接戦闘面でも天と地程の差があるため問題ないが、今の弱体化した状態ではそのアドバンテージもない。他にも対処する手段はあるにはあるが、ネギたちがいるこの場で使えば正体がバレかねない。
(……成る程。つまりマスターは、他のものに頼らず、単純に肉弾戦闘でこの状況を切り抜けてみろって試してるわけか)
思い出すのは、苦しくも辛かった修業の日々。宙吊りにされたり斬り刻まれそうになったり氷漬けにされたり細切れにされそうになったり。
(……思い出さなきゃよかった)
修業の日々を思い出して、アスナはゲンナリとした気分になる。組織を立ち上げてまだ間もない頃、そこらの魔法使いに毛が生えた程度の力しかなかったアスナは、とにかく強くなる必要があった。だから、主人に稽古をつけて欲しいと頼んだのだが。
エヴァンジェリンは容赦無いスパルタで鍛え上げた。修行に慣れて楽になったらレベルを上げてまた地獄、その繰り返し。時々稽古をつけてくれる鈴音とチャチャゼロからは逃げまわり、バテて気絶するまで追いかけ回される。
(あ、やばいなんか涙が……)
自然と涙が出てしまうが、幸い今は雨が降っているので誰かに気づかれることはなかった。
……ちなみに、アスナは同じく修行を受けた過去がある鈴音に当時どうだったのか聞いてみたが。
『? ……楽しかった……けど……?』
元々地獄のような修行を生家で経験していたため、エヴァンジェリンやチャチャゼロとの修業の日々は彼女にとっては新鮮でとても楽しかった思い出らしい。
兎も角。
(初心に帰れってことね)
今の状況は、まだ弱かった頃の自分と同じ。魔法が使えず、肉体一つでどうにかせねばならないのは、昔散々経験したことなのだ。いや、昔とは決定的に違うものがある。それは自分が強くなれたという確固たる自信と、経験だ。
(よし、ならやってやろうじゃない!)
あの頃に比べて、どれほど前に進めたのか試されているのならば。存分にやってやろう、アスナはそう決めてフェイトへ向けて走りだした。
(そーっと、そーっと……よし、バレてないか?)
激戦が繰り広げられるなかこっそりと、スライムたちに捕獲された木乃香達の背後へと忍び寄るものの影があった。
(……気づかれてないみたいだな、あともうちょいだ!)
白く細長い姿のオコジョ妖精、アルベールである。ネギたちと同行せずにいた彼は、戦闘に注視しているであろう状況下で、人質となっている仲間を救出するという役目を与えられていた。
(前の魔力暴走があったおかげで、今の暴走状態でも兄貴は上手く発散できてはいる。けど、結局魔力をコントロール出来てるわけじゃねぇ……このままだとガス欠になっちまう!)
今のネギは、限界性能以上のブーストを無理やり掛けた状態なのだ。短時間であればいつも以上の実力を発揮できるだろうが、長くは持たない。
(早く助けなきゃ取り返しがつかなくなる!)
数の有利はそのまま戦力的な優位に繋がる。加えて、刹那や夕映といった実力のある増援があれば、敵も後手に回らざるをえないだろうとアルベールは考えていた。
「あとはこの見習い用の杖さえ渡せば……」
「どうなるデスカ?」
「!?」
突然の声に、おもわずアルベールは振り返る。そこには、体の透き通ったヒトガタが浮いていた。スライム三人娘の一人、あめ子である。アルベールはすぐさま距離を取ろうとしたが、あめ子は腕を伸ばしてアルベールを絡めとった。
「し、しまった!」
「なんか捕まえたデス」
「なんだヨ、捕獲対象にはいなかったよナ?」
「……食べていいノ?」
残りの二人がアメ子の方へとやってくる。人質として利用している手前、のどか達を捕らえただけのおあずけな状態であるため、アルベールを食べるか話している。
「お、俺っちなんて食べてもおいしくねぇぞ!?」
物騒な会話にアルベールは青い顔をしながらジタバタと暴れまわる。スライム娘達も、肉の少なそうなアルベールを食べても腹が膨れないと判断したらしく。
「面倒だし捕まえとこうゼ」
「デスネ」
「ちょっ、やめっ!」
哀れアルベールは、無造作に水牢の中へと投げ入れられてしまった。その際、持っていた練習用の杖も取り上げられてしまう。
「ちくしょう、あともうちょいだったのに……!」
水牢の中に入るのは予定通りだが、肝心の杖が奪われてしまっては意味が無い。これで、脱出方法は完全に他人頼みとなってしまった。
「すまねぇッス、オレっちが油断してなきゃ……」
「気にすることはないですよ、助けに来てくれただけでも嬉しいです」
「うう、優しさが沁み入るッス……」
「あとは、せめて先生たちの無事を祈るぐらいしかできへんな……」
このまま、指を咥えてみているしかない状況に焦燥を感じる木乃香。それは、他の皆も同じであった。
(一応
「それにしても……失望したよ、大川美姫。仮にも幹部格である君が、敵対者に利用されるがままなんてね」
フェイトにとって美姫、氷雨は尊敬すべき相手であった。若輩者でありながらその実力で幹部の座を勝ち取った彼女は、フェイトにとって超えるべき壁と思っていたのだ。
「チッ、私だって好きでやってるわけじゃない。現状この体に寄生してるから仕方なく手を貸してやってるだけだ。死なれたら困るんでな」
「いっその事潔く死を選んだほうがいいと思わないのかい?」
「私はあの人のものだ、この命さえあの人に捧げてるんだ。勝手に死ぬことはあの人への反逆に等しいんだよ」
それは、ある種彼女なりの矜持であるのだろう。彼女にとって絶対である存在のためにこそ、自らの命は投げ打つ価値があるのだと。だが、フェイトにはそれが見苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
「……どうやら、僕の買いかぶりだったらしいな」
ネギと戦えないことは大いに不満であったが、その代わり目標の一人であった相手と戦えるならば文句はないと思っていた。だが、蓋を開けてみれば腑抜けに成り下がっていたなど、期待はずれもいいところ。
「もういい、これ以上続ける意味もなさそうだ」
そう言うと、再び石の槍を展開する。今度は、おびただしい数の物量であった。
「っ!?」
「死ね」
一斉掃射。まさしく、フェイトの攻撃はそれであった。
「ボケっとしないっ!」
着弾する直前、持ち前の俊足を活かしてアスナが氷雨の首根っこを掴み退避する。コンマ一秒後、着弾地点は大きくえぐられた。
「く、首を持つな……絞まるぅ……!」
「我慢なさい!」
被弾すれば魔法無効化能力がばれしてまうため、全弾を回避しつつ氷雨に被弾しないようにブンブンと振り回す。それが余計に氷雨の首を絞めてしまっているが。
「神楽坂アスナ、君も厄介だが相手をする気はない」
「チッ、しつこい男は嫌われるわよっ!」
回避に専念していたせいでフェイトの接近を許してしまう。何とか距離を取ろうと、ハイキックをフェイトに放つも受け止められ、そのまま足を掴まれてしまう。
「邪魔だよ」
「はあっ!」
アスナは掴まれた足を軸として更にもう片方の足で掴んでいた手に踵を落とす。
「つっ……!?」
「片足取ったぐらいで勝ち誇ってんじゃないわよ未熟者!」
痛みで咄嗟に手を離してしまう。そこに、アスナは追撃の回し蹴りを繰り出す。一瞬の硬直で動けなくなっていたフェイトは、それを顔面にモロに受けてしまう。
「ぐぅっ!?」
弱体化しているとはいえ、気と魔力で強化されたアスナの蹴りは強烈である。フェイトは衝撃に乗せられて横一直線に吹き飛ばされた。そのまま、地面をこすりながら着地する。起き上がったフェイトは、しかしあまりダメージを負っているようには見えない。
「まさか、ここまでとはね。認識を改めるとするよ、神楽坂アスナ。君も十二分に敵であると考えることにする」
『おいおい、嘘だろ……あいつに一発入れやがった……!』
想像していた以上に、アスナの実力が高かったことに千雨は驚愕する。あれほど苦労して戦い、ついに倒すことのできなかったフェイト相手に、ここまでの奮戦をするとは千雨も完全に予想だにしていなかった。
「魔法障壁を破るなんて……」
それを見ていた、夕映もまた驚きを隠せなかった。ただ、彼女の場合は、アスナがフェイトの魔法障壁を抜いたことに、である。
「ん、そんなに凄いことなん?」
魔法に関して素人である木乃香が疑問を呈する。
「とんでもないことですよ、魔法障壁は術者の技量が高ければ破るのは非常に困難な対物理防御となります。魔法だって、容易くは通さないでしょうね。本来であれば解除させるか、魔法で突破するものなのですが……」
「けど、普通にあの男の子、蹴られとったえ?」
「魔力や気を込めた一撃で崩すこともできるにはできる、とあの人から聞いたことはあります。ですが、それは扱いに長けた者であることが前提なんです。アスナさんは、相当に魔力制御が上手いです。素人とは思えませんね……」
見つめる先、フェイトとアスナ、氷雨の戦いはさらに激化していった。
「どうした、まだ私は元気だぞ?」
「はぁ、はぁ……!」
一方のネギは、アルベールが危惧していた魔力切れ寸前の状態に陥っていた。いや、正確には魔力はまだ残っている。だが、魔力暴走によって吐き出されていた潜在魔力が底をつきかけているのだ。
「想像以上に楽しませてもらったが……それだけだな、私を満足させる程ではなかった。封印されている間も楽しみにしていたんだがなぁ……」
「勝手なことを……!」
自分が満足するためだけに、自分の欲求を満たすためだけに目の前の男は村を襲ったというのか。
「そんなことのために、村の人々は石にされたのか。アーニャの両親も、スタンお爺ちゃんも石にしたというのか!」
「その通りだが、それがどうかしたかね?」
あっさりと、それを肯定するヘルマン。
「必要だからそうしただけだ、そうでないなら別に村を襲いはしなかったかもしれん。私にとっては、まあその程度でしかないということだ」
「き、さまああああああああああああああああああああ!」
怒りに痛みを瞬間的に忘れ、勢いよくヘルマンへと殴りかかる。ネギ本人は肉体的に子供でしかないが、魔力で強化されているためその勢いは砲弾に匹敵するだろう。
「いいぞ! なおも執念を燃やしてくるか!」
だが、ヘルマンはそれをとても嬉しそうな声を上げて受け入れる。殴られた腹には、一切のダメージがなかった。
「そうだ、せっかく数年も待ったのだ。そうでなくては困るな!」
悪魔の膂力で放たれた拳が、ネギの顔面に突き刺さる。鼻っ柱を叩いたそれは、スピードを落とすことなく振りぬかれ、ネギを真反対まで吹き飛ばした。
「立てるかね、立てないならそこまでだが」
ヘルマンは期待していた。ネギが立ち上がり、なおも襲いかかってくれることを。その期待通り、ネギは立ち上がって呪文を唱えだす。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル……来れ雷精、風の精! 雷を纏いて吹きすさべ、南洋の嵐!『雷の暴風』!」
ネギが出せる最大クラスの魔法であり、最大火力の雷系魔法。全てを焼き焦がす電熱が、暴風を纏ってヘルマンへ襲いかかる。
「ぐ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
いくら潜在魔力が尽きそうでも、ネギが普段から扱える魔力も十分すぎる程に潤沢だ。その魔力を込めた最大火力ともなれば、さすがのヘルマンも無事では済まない。腕を交差させ、防御の体勢で魔法を受け止める。
「くたばれえええええええええええええええええええええええええ!!!」
怒りに任せ、滴り落ちる鼻血さえ気にも留めず、殺意を剥き出しにして叫ぶ。ズリズリと、魔法に押されてヘルマンが下がっていく。
「だが、詰めが甘い! ぬうんっ!」
しかし、ヘルマンは両腕を思い切り前へと押し出し、魔法を弾き飛ばしてしまう。同時に、『雷の暴風』も消滅してしまった。
「嘘だろ、あれでも倒れねぇのかよ!?」
上位悪魔の驚異的なタフネスに、アルベールが叫ぶ。圧倒的、ひたすら圧倒的に地力が違う。単純にして絶対の力の差に、しかしネギは怯むことなどなく。
「『加速』っ!」
杖にまたがり、加速をつけて突撃する。無謀にも思えるそれであったが、ヘルマンが迎撃しようと構えた目の前で、突如上空へと舵を切る。
「ぬっ?」
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル。吹け、一陣の風! 『風花・風塵乱舞』!」
突然のことに虚を突かれたヘルマンは、ネギの起こした強風によって立ったまま地面へ縫い付けられる。
「火力で倒せないなら、押し潰してやる……!」
「ぐ、ぎぎ……!」
破壊力で駄目ならば、風圧で地面と挟み込んで強引に押しつぶそうという考えだ。ヘルマンも既に雷の暴風を真正面から浴びたため、ネギの全力の魔法による風圧に耐えるだけで精一杯といった状態である。
「ハハ、ハハハ! やはり君は素晴らしい……!」
心からの、ヘルマンの賞賛。怒りに任せたものとはいえ、それでもこうして自分を追い詰め、危機感を抱かせている。こんなにも押されたのは、やはり『赤き翼』のルーキー二人以来。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
最早、ネギは完全にヘルマンに対する怒りと気力だけで動いていた。精神が、肉体すらも凌駕して動いているに等しい。だが、それは必ず限界が訪れる。
「う、あ……」
魔力が、ついに切れてしまった。最早杖を飛ばすことすらできず、重力に任せて落下していくネギ。
「兄貴っ!」
「先生っ!?」
誰かが助けに行こうにも、捕獲されている面々は動けず、氷雨とアスナは戦闘中。誰もネギを助けることもできず、そのまま地面へと激突した。
硬いもの同士がぶつかる鈍い音と、水の飛び散る音が雨の中でもよく響いた。
『早く助けねぇと!』
「無理だ、コイツに少しでも隙を見せたらこっちが死ぬぞ!」
『だったらどうした、どっちにしろ先生が死んじまったら命の保証なんざねぇんだ!』
「おいこら勝手に……!」
ピクリとも動かないネギの様子に、千雨は助けに行こうとするも氷雨は危険だと止める。が、千雨は強引に入れ替わってネギの方へと駆けていく。
「舐めた真似を……!」
「あんたの相手は私よ」
背を向ける千雨を見て、フェイトは追撃をしようとするもアスナに阻まれる。ネギに駆け寄った千雨であったが、ネギは意識がない。
「先生! しっかりしろ!」
「ぅ……ち、さめ、さ……ん……?」
呼びかけると、なんとか意識を取り戻すことができたらしく千雨の名前を呼ぶ。体の状態は悲惨と言わざるを得ず、腕は折れ、骨が突き出てしまっている。魔力が切れかけ、満足に動くこともできないようだ。
「に、げて……あいつ、は……僕を……」
「何言ってんだバカ! 先生を見捨てていくなんてできるかよ!」
「ふむ、美しい友情か、あるいは愛情か。どちらにせよ素晴らしいものだな」
ヘルマンが、悠然と歩んでくる。体が電熱によって所々焦げてはいるものの、まだまだ戦闘は続行可能といった様子である。
「さて、この勝負私の勝ちだが……」
「先生は、やらせねぇぞ……!」
「邪魔だよ、部外者はどきたまえ」
ヘルマンに立ちはだかるも、ヘルマンは千雨に興味もなさ気にそう言って裏拳を一発見舞う。それだけで、非力な千雨は吹き飛ばされてしまった。
「ゴホッ……!」
「勝者は敗者を心置き無く蹂躙できる。それもまた、古から脈々と続くルールだ」
そう言うと、彼は意識が朦朧としているネギの首に手をかけて持ち上げる。
「ここまで楽しませてくれた礼だ、苦しまずに逝かせてあげよう」
ヘルマンは右手を手刀へと変え。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「さらばだ、ネギ・スプリングフィールド」
その胸を、刺し貫いた。