ダンジョンに潜るのは意外と楽しい   作:荒島

26 / 27
おまたせしました。少し長いです。


22

ひゅるり、と風が頬を撫でた。

遠くで木々がざわめいているのが見える。

何となしにそれをぼぅと眺めながら、小さく息を吐いた。

 

(ベルは、何であんなこと言い出したんだ……?)

 

その疑問に答える声はどこにもなく、モヤモヤした思いが胸の中で燻っている。

突然、『決闘』という強い言葉がベルの口から出た事に、動揺する自分がいるのを感じていた。

 

『ベル君のことをちゃんと見て欲しいんだ』と、前にヘスティアが言っていた事を思い出す。

もしかしたら、彼女はこの事に気付いていたんだろうか?

今となっては手遅れだが、その言葉が耳の中で反響するのを止められない。

 

(俺は、ベルの事をちゃんと理解してやれなかったのか……?)

 

肯定も否定もなく、ただ細く伸びた影法師が夕暮れの地面に2つあるだけだ。

その根元にあるのは自分と──ベルの姿のみ。

 

少し距離を空けて構える姿はダンジョンに潜る装備一式を身にまとっている。

ナイフこそ刃を見せず鞘に入ったままだが、それ以外は完全装備の臨戦態勢。

 

正真正銘の本気。

その瞳の中でチロリと燃える炎を幻視して、思わず長く息を吐いた。

 

(本当はあんまり乗り気じゃねえんだが……)

 

向こうがそれだけ戦いたがっているのなら応えてやるのが礼儀。

その背景にあるのが怒りなのか、それ以外なのか……気になる部分は多いが、1人のボクサーとして申し込まれた試合は断った事はない。

 

それに──拳を合わせないと分からない事もある。

 

「やるか」

 

ポツリと呟くと、ベルが僅かに反応した。

 

「……イットは、いつものガントレットつけないの?」

「お前がナイフ鞘に収めてんのに、俺がつける訳ねえだろ。決闘ったって殺し合いじゃねえし」

 

ギュッと厚手の革の手袋を握りながら、そう言う。

生憎、かなり格上でもない限り人間を鈍器で殴り付ける趣味はない。

 

それに、と続けるとベルの眉が僅かに跳ねた。

 

「ボクサーの拳はそれだけで凶器だ。甘く見ない方がいいぜ?」

 

答えはない。代わりにベルはただ低くナイフを構えなおした。

自然と対応するように、こちらも拳を口元で構える。

 

「ルールは……『参った』って言ったら負けにするか?」

「……」

「不満そうな顔だな。じゃあ、10秒立てなかったら負けだ……分かりやすくていいだろ?」

 

集中しているのか、返事はない。

しかし、ギラギラと光る瞳が何よりも如実に心情を語っている。

『戦いたい』と、ビシビシと伝わって来る。

 

その眼光に昔の試合を思い出しながら、ギュウと拳を握りしめた。

 

(やべえ、おかしいな……)

 

この状況に心配すべき筈なのに……これからの一戦にワクワクしてしまっている自分がいる。

病気だろうか?……いや、今更だろう。

こんな気概をぶつけられてワクワクしないボクサーなどいる訳がない。

ベルの気迫に当てられたのか、自然と気持ちが切り替わっていく。

 

風の音だけが耳に届いていた。ゴクリと唾を飲む音さえ良く響きそうだ。

 

「いつでもいいぜ……かかって来いよ」

 

そう告げた瞬間──

 

 

ダンッ、と。

 

 

──ベルの体が弾けた。

 

白い影が低く疾走する。

思った以上にその速度は、速い。

真っ直ぐに突っ込んでくる弾丸は、狙い澄ましたように鋭い刺突を繰り出す。

 

「阿呆」

 

が、それは首を傾けるだけで空を切った。

 

あっさり躱された事に驚くベルに拳を引き絞る。

確かに速いが、真っ直ぐ過ぎる。

その愚直さは嫌いじゃないが、駆け引きのない一撃をもらうほど甘くはない。

 

「ぐっ!!」

 

叩き込まれたボディにベルが顔を歪めた。

ライトアーマーがあるとはいえ、衝撃が消える訳じゃない。

 

飛び退って距離を取るベルに、思わず口を開く。

 

「それじゃダメだ、ベル」

「……な、何が?」

「速いけどよ、お前の攻撃は真っ直ぐ過ぎる……少しは考えねえと勝てねえよ」

 

考える事を無くして勝てるほど戦いは簡単ではない。

だからこそ、フェイントという駆け引きが生まれ、コンビネーションという技が発展していったのだ。

 

しかし、身体能力をぶつけるまでしかベルは出来ていない。

それでは体のスペックを振り回しているだけに過ぎないのだ。

 

「頭を使えよ、ベル。じゃねえと速攻で負けるぞ」

 

そう口にすると、その顔に僅かに焦りの色が滲んだ。

 

 

 

 

 

 

(凄いプレッシャーだ……)

 

ベルのナイフを握る手に思わず力が入った。

 

拳を構えた瞬間から、まるで大岩を相手にしているような威圧感が絶え間なく襲ってきている。

まるで隙が見えない……開幕直後の不意打ちも見切られた事はベルの心に焦りを生んでいた。

 

(どうする?考えろ……考えるんだ……)

 

イットに言われた言葉をベルは反芻する。

単純な攻め方では簡単に反撃される。

もっと意表を突くか、避けられない状況で一撃を与えるしかない。

 

(でも、どうやって……)

 

焦るベルは、ふと目の前が暗くなるのを感じた。

視界に影が落ちている──何故?

 

 

 

「素直なのはいいが、考えすぎだ馬鹿」

 

 

 

すぐ間近にイットの顔があった。

 

その右腕はすでに引き絞られている。

一気に背中が冷えるのを感じながら、ガードを固める。

 

次の瞬間──腹部が爆発した。

 

「ぐぅぅっっ!!?」

 

防具などないかのような重い衝撃が背中まで突き抜ける。

胃がシェイクされたようにかき乱された。

踏ん張りがきかず、ふわりと体が浮く。

 

焦る視界の中、イットの左腕が振りかぶられるのが見えた。

ゾクリと鳥肌が立つ。

第二波が、来る。来てしまう。

 

(ま、ずいっ)

 

本能に押されるように、咄嗟にイットの胸板を蹴り飛ばして距離を取った。

ブゥン!と空気の千切れる音がすぐ目の前を過ぎていく。

逃げ場のない空中に打ち上げられて、あの連撃を貰い続ければどうなるか……想像するのは容易い。

 

負ける──惨めに、負けてしまう。

認めさせる所の話ではない。

 

冗談ではない!まだ何も伝えられていないのに倒れる訳にはいかない。

ベルは奥歯を噛みしめると、上体を揺らしながらこちらを伺うイットを睨んだ。

 

(あの一発を貰うのはマズい……!!)

 

本能が警笛を鳴らしている。

先ほど見たイットのステイタスがチラついた。

 

力がSランク、耐久に至ってはSSランク……全く太刀打ち出来ない領域だ。

しかし、唯一対抗できそうな項目が一項目だけ存在していたことにベルは気づいていた。

 

『敏捷』Aランク。

奇しくもベルも到達していた唯一のAランクが敏捷だった。

ならば、速さだけであれば──負けない。

 

落ち着けば出来る筈だ。

自分を信じて、その拳撃を全て避けろ!

 

「ふぅっ!!!」

 

剛腕が唸る。

連続で飛んでくるストレートを細かいステップを踏みながら避ける。

避ける。避ける。避け続ける。

 

避ける事に集中すればイットの攻撃は避けれる。

けれどもその猛攻に押され、こちらの手が出ない──否、そうではない。

 

ベルの腹部が重い一撃を思い出すように疼いた。

 

「ビビってんのかっ?手出さなきゃ勝てねえぞっ!」

「くっ」

 

前髪が数本持って行かれる。

 

図星だ。あの拳の反撃をベルは恐れてしまっていた。

捕まったが最後、なすすべもなく終わってしまう様を否応もなく意識してしまうのだ。

 

(それだけは……絶対に、ダメだっ!!)

 

バッ!と空の右手を突き出す。

イットの表情に怪訝そうな色が滲むが、拳が届くよりもベルが口を開く方が早かった。

 

「ファイアボルト!!!」

 

閃光。そして、爆発。

 

「なっ!?」

 

イットの驚く声を耳にしながら、ベルは地面を蹴り出す。

粉塵舞い上がる中に突っ込むと影に向かって全力でナイフを突き出した。

 

しかし……手応えはない。

まるで靄を突いた様な感触に注視すれば、ナイフの先にあったのはイットの上着だけだった。

 

一体、どこに──

 

「あっぶねえ……やるな、それが習得した魔法ってやつか?」

 

──ベルの左耳を声が打った。

 

バッと振り返れば、少し汚れた姿のイットが頬を拭っている。

目眩ましで打ったとはいえ、狼狽えた様子もなく飄々とした姿を見てベルは唸った。

 

「いい隠し玉持ってんじゃん。持ってるもん全部使ってこいよ。決闘って言ったのはお前だろ、ベル?」

 

……言われるまでもない。

 

ベルが手に入れた速攻魔法『ファイアボルト』は威力こそ低いものの、一言の詠唱で敵を焼く炎の雷だ。

イットに魔法の存在がない今、『ファイアボルト』はベルの切り札だった。

 

「ファイアボルトォ!!」

 

駆け出しながら連続で詠唱する。

雨あられに降り注ぐ炎の矢の中を、しかしイットは掻い潜り続けているのが見えた。

何発か着弾しているが、耐久の高さに任せて強引に突破してくる。

 

思わず舌打ちしながらバックステップで身を引くと、拳がアーマーを掠った。

 

(??また、ボディ……?)

 

ふと、違和感を覚える。

 

思い返してみればイットは、開幕からずっとボディしか狙っていなかった。

何か理由があるのかと思ったが、防具の上から殴り続ける事に意味などあるはずがない。

 

「……イット」

 

口に出した声は自分のものでないように低かった。

動きを止めたベルにつられるように、イットの拳が止まる。

 

「なんだよ?」

「さっきから、ボディしか狙ってないよね……なんで手加減するの?」

「…………言ったろ?ボクサーの拳は凶器だ。それで頭でも打ち抜ち続けたら下手すりゃ死ぬぞ?」

 

死ぬ、という言葉に思わず体が強張る。

そんな経験をしたのはこの街で2度しかなかった。

1つは怪物祭でシルバーバックに追われていた時。

そしてもう1つは──ミノタウロスに襲われていた時だ。

 

「……」

 

金髪の少女と、血まみれの背中。

 

2つの映像がベルの頭にフラッシュバックする。

あの日、憧れた2つの姿。

そして、強くなる為の2つの目標。

 

(何を考えてたんだ、僕は)

 

臆病な自分が腹立たしい。

 

死ぬ事が怖かったなら冒険者を目指す事すらしていなかったはずだ。

今更こんな所で何を怯えているのか?

この街に来た時から覚悟は、出来ている。

ギリっと歯を食いしばると、ベルはイットを真っ直ぐに見た。

 

「構わないっ」

「…………ベル」

「全力で来てよ、イット!僕も全力で行くから!遠慮なんてしないで欲しいんだ!!」

 

思いを全て吐露するように、ベルは叫ぶ。

 

「……」

 

じっと考え込むようにその姿を見ていたイットは、やおら手足の重りを外すと宙に放った。

弧を描いて飛んでいく4つの重りは長い滞空時間の後──轟音と共に着弾する。

 

その重量と衝撃に、石畳に僅かに亀裂が入った。

 

「!!?」

「……ごめん、ベル。本当に悪かった。お前の覚悟、踏みにじるような真似してよ。自分の勘違いっぷりに自分で腹が立つぜ」

 

けど、と続く言葉と共にイットの眼光が鋭くなる。

 

「お前がそう言ったからには本気だ。気張れよ?」

 

ズン、とプレッシャーが増した。

ギラギラとした闘争本能がぶつかってくる。

まるで大型モンスターを相手にする様な濃厚な野性の気配がベルを包む。

 

(何だ、これ……)

 

冷や汗が頬を伝った瞬間──その雫が、弾けた。

 

衝撃。

 

視界が大きく跳ね上げられる。

横から殴られたのだ、と気がついた時には滞空していた体が地面に叩き付けられていた。

 

「ぐぅっ!!?」

 

ブレる視界の中で、ゆっくりを身を起こせば拳を振り抜いたイットの姿がそこにはあった。

その光景を見て、ベルは悟ってしまう。

イットがまだ全然本気ではなかったのだという事に。

 

「立てよ、ベル。寝るにゃまだ早いだろ?」

「そんな、の……当たり前だ!!」

 

ベルはフラつきながら立ち上がると、ナイフを再び構えなおした。

 

 

 

 

 

 

「男の子ってやつなのかな?子供達の成長は早いったらありゃしないよ」

 

ヘスティアは少し寂しそうに言うと、ぶつかり合う2人の眷族達を眺めていた。

 

いや、ぶつかり合うというのは語弊があるだろう……実際はイットのワンサイドゲームだ。

超重量から解き放たれた身体は、まるで別人の様に素早い。

ガードの隙間を縫うような拳打がベルの体に次々に突き刺さっている。

見る見るうちに痣だらけになっていくベルの姿に飛び出しそうになるが、ヘスティアはぐっと唇を噛み締めて留まった。

 

(駄目だ……これはボクがけしかけたのが原因でもあるんだ。手を出す事は許されないし、見届ける義務がある)

 

それが『ライバル心』などと口に出した自分の責務だ、とヘスティアは思った。

 

鈍い音と共にベルの体が宙を舞う。

もう何度目になるだろう?それでも立ち上がろうともがく姿は、とても美しく見えた。

 

身体はボロボロでも、その眼は死んでいない。

荒い息を吐きながら、立ち上がる姿にヘスティアは小さく呟いた。

 

「2人とも頑張れ」

 

ベルも、イットも。

ベルだけじゃない。きっとイットもこの戦いを通して、大きな事を知るだろう。

それはイット・カネダという冒険者を更なる高みに押し上げてくれるに違いない。

ぎゅっと手を握り締めながら、ヘスティアはそう確信する。

 

(イット君は、ちゃんと理解してくれるかな?)

 

出来ることなら無事に終わって欲しいのだけれど、と付け加えながらその眼差しは2人の大喧嘩に注がれていた。

 

 

 

 

 

 

地面に背中が叩きつけられる。

 

手足は鉛の様に重く、まるで水中にいるように息苦しい。

もう、何回殴り倒されただろうか?

軋む体で立ち上がりながらベルは考える。

腫れて狭くなった視界の中で彼はまだ戦っていた。

 

対してイットは軽く息を乱す程度で、ダメージらしいダメージはそこまで見受けられない。

ベルの魔法を基点とした有効打は幾つか入れられてたものの、SSランクという耐久力の前にダメージが深く通らないのだ。

それに加え、重りを外して以降は直撃する事さえほぼなくなっていた。

 

(やっぱり、すごいなぁ……)

 

ベルは口元を引き締める。

イット・カネダという冒険者がどれだけ強いのか、初めて身をもって体感できている。

これまでのどんな相手よりも強敵だ。

──そして、どんな相手よりも負けたくない冒険者であった。

 

(でも、もうミノタウロスに怯えるだけだった時の僕じゃない)

 

あれから半月と少し。

その中で得たものは沢山ある。

 

ソロでダンジョンで潜り続けた日々。

ヘスティアから貰ったナイフ。

エイナと買いに行ったライトアーマー。

シルがきっかけで手にした魔法。

 

成長は、きっとしている。

イットと離れていた間、沢山の人に支えられながら頑張ってきたのだ。

 

(全部、ぶつけるっ!!)

 

全力で地を蹴った。

絶好調とは言い難いが、凄まじい速さでイットに迫る。

振り上げられるナイフ、迎撃の構えが取られる。

 

 

その瞬間、ベルはナイフを手放した。

 

 

「っ!?」

 

意表を突かれたのか、イットの瞳が僅かにナイフの軌道を追ってしまう。

ベルが1歩……いや2歩詰めるには十分な隙だ。

 

超接近戦。

イットのフィールドに踏み込んだベルを襲ったのは圧倒的な恐怖だった。

次の瞬間にも拳が突き刺さってきそうだ。

逃げ出したい衝動を抑えながら、更に半歩踏み込む。

そして手を伸ばす刹那、イットの拳が握り込まれているのが見えた。

 

(来るっ!!)

 

だが、もう少しで届くのだ──逃げる訳にはいかない。

ギュウと奥歯を噛み締めると、ベルはイットの胸板に触れた。

 

ヒュッと息を吸う。

チリリと脳が焦がされた。

 

「ファイアボルトォァ!!!」

 

絶叫。ゼロ距離からの魔法発動。

妨げる物が何もない炎の雷は分散する事なく、100%の威力をダイレクトに届ける。

逃げ場のない熱風にベルの体が煽られた瞬間──メキリ、と硬いものが脇腹に喰い込んだ。

 

「──っっっ!!!」

 

声が、出ない。

嫌な音を立てた骨の悲鳴を感じながら、その体は簡単に宙を舞った。

相打ちと言うにはあまりに不条理な結果。

地面に叩きつけられたベルは息も絶え絶えの状態だった。

 

けれど、ベルは確かな手応えにほんの僅かに口角を上げる。

 

(届いた、かな……?)

 

これまでの成長の証はイットに届いただろうか?

守ってもらうだけの男じゃなくなったのだと、思ってもらえただろうか?

いや、と呻きながらベルは地面をのたうちまわる。

 

(まだ、だ……)

 

折れる膝を叱咤しながら立ち上がると、暗くなる視界の中で驚いた表情を向けてくるイットの姿が見えた。

流石にあれだけの一撃に、苦悶の表情を浮かべているものの足取りは揺るぎない。

 

カチャリ、と爆風で飛ばされてきたナイフを指に引っ掛け、ゆるゆると構えた。

 

(まだまだ、伝えたい事がたくさん、あるんだ……)

 

だから、まだ寝てなどいられない。

 

(僕は…………イット、に……ま……だ……)

 

まだ、寝てなど──

 

 

 

 

 

 

「……立ったまま気絶してやがる」

 

その構えられた右腕をゆっくり下ろしてやると、半開きの瞳を覗き込む。

腫れ上がってしまった瞼の奥で赤い眼は今も戦い続けていた。

 

気絶しても倒れないのだ。

この決闘、勝負は引き分けだった。

 

「まったく……お前って奴は」

 

もはや呆れる程の根性だ。

 

何がそこまでベルを駆り立てたのか?などという愚問はもうしない。

自分に置き換えれば分かることだ。もし同じことをされたなら多分、怒っていたかもしれない。

見えっ張りな性格なのだからだろうか、余計にそれを痛感する。

これまでの行動がどれだけベルに恥かかせてきたのか、何を必死になって伝えて来ようとしたのか。

その胸の中の思いが一合ごとに伝わってきた。

 

ベルも1人の『男』だった。

そんな簡単な事に、自分は気付いてやれなかったという事なのだ。

 

「イット君」

「……ヘスっち。見てたのか」

「ずっと見ていたとも。まったく……ボクの子達は無茶ばかりする」

 

肩を竦めてそういうヘスティアは、ベルに近づくとゆっくりとその体を抱きとめた。

 

「2人とも、お疲れ様」

 

そう呟いて髪を撫でる姿に、居辛さを感じた。

ベルをここまでボコボコにした罪悪感から、頬を掻きながら口を開く。

 

「ベルには、俺のポーション使ってくれ。買い込んでたのが山みたいにあるから、少しは効くだろ?」

「熱入って派手にやってくれたからね、たんまり使わせてもらうとも……イット君の方は?怪我は大丈夫かい?」

「何発かいいのもらったけど、この通りピンピンしてら」

「本当に良かったよ、無事に終わってくれて……ベル君はボロボロだけどもね。イット君も、その火傷治すんだろう?」

 

ヘスティアの視線が胸元の火傷に向けられる。

ベルからの最後の一撃、ゼロ距離からの魔法行使はかなり効いた。

現代日本じゃありえない光景だ。冒険者っていう生き物は、平気で無茶苦茶してくる。

 

炎と同時に感じてベル自身の熱さを思い出して、ヒリヒリする肌を指でなぞった。

 

「いや、これは自然に治るまで放っとく。今日の記念だ」

「……自分の眷族にこんな事は言いたくないけど、Mっぽいよイット君」

「何だ、ヘスっち?喧嘩売ってんのか、買うぞ?」

 

そんなんじゃない。

ただ、自分への戒めとベルの成長の証をすぐに消してしまいたくなかったのだ。

 

「それで?どうだった、ベル君と喧嘩してみて」

「ん。そうだな……すげえ強かったよ、ベルは」

 

そんな事、分かりきっているだろうに。ヘスティアは意地悪くこちらを見つめてくる。

実際、おっさんやアイズとの手合わせで速さに目が慣れてなければもっと重いものをもらっていたかもしれない。

この半月でベルは見違えるように強くなっていた。

 

髪をかき上げると、夕暮れの空がただただ広がっていた。

 

「まさか、ベルと喧嘩するなんて思いもしなかった」

「それだけイット君の存在がベル君の中で大きかったって事さ」

「そんな怒ってたって事か?」

「いいや?君に弱く思われたくなかったのさ、何だかんだでベル君は君に憧れてる節があるからね」

 

そんな憧れるような人間だろうか?と思ってしまう。

昔、自分が憧れた『あの人』はもっと大きな背中と、温かい笑顔で──そして何より強い人だった。

 

そんな存在に自分がなれるのだろうか?

風に靡く髪を払うと、長く息を吐いた。

 

「……顔合わせずれえなぁ」

「逃げちゃダメだよ、イット君」

「逃げねえよ、そんな期待されてるって言うなら余計にな…………ヘスっち。俺さ、13階層行くわ」

 

ダンジョン『中層』

Lv.1での適正範囲を超えた領域への侵攻宣言にヘスティアは驚いたような表情を浮かべるも、少しして納得した表情を浮かべた。

 

「ベル君のせいかい?」

「情けない姿は見せられないからさ。特訓はしてきたし、中層にもパーティ所属のLv.1は意外といる。やれない事はないだろ」

 

いつまでも足踏みしている訳にもいかない。

特に、すぐ後ろにベルが来ているというのだから余計にだ。

 

「ま、細かい話は後だ。ベルを治療するのが先だしさ。多分、肋骨に罅入ってるし早く運ぼうぜ」

 

そう口にすると、ヘスティアの顔がくわっとつり上がった。

 

「な、何だって!?まったくもう!熱くなりすぎだよ、イット君!すぐに運ぶからとっとと手伝うんだ!!」

「死ぬ怪我じゃねえから、慌てるな。それより揺らさねえでゆっくり運べよ」

 

慌てるヘスティアにそう宥めるように言うと、ベルの体がピクリと動く。

 

「うぅっ……うぅん……」

「あっ、イット君!ベル君が、ベル君が気がついたよ!!」

 

満面の笑みを浮かべるヘスティアに、曖昧に頷いた。

すぐに気が付いてくれたことは喜ばしいが、もう少し落ち着く時間が欲しかった。

どういう顔で接すれば良いのか、少し迷ってしまう。

 

(なんて声掛けようか……)

 

強くなったな?良い戦いだった?

まとまらない考えを携えながらも、ゆっくりとベルに近づくのだった。

 




一件落着?でしょうか。難しいかったですが、こういうまとめ方になりました。
イット君、中層への進出を決意。

少し多忙で間が空きましたが、お付き合い頂いてありがとうございます。
いつも閲覧、ご感想ありがとうございます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。