ダンジョンに潜るのは意外と楽しい   作:荒島

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レベルの差はあまりにも大きい、とはカリーヌさんの言葉だ。

 

もしレベルが上のモンスターと出会ったらしっぽを巻いて逃げろ、と耳にタコが出来るほどに言われていたことを思い出す。

Lv.1とLv.2の差はとても大きい。

ならそれ以上の差は絶望的に大きいのだろう。

だが、それでも引けない場面というものは必ずある……それは正しく『今』だった。

 

「ベート止めなって!酔っぱらってんだよ」

「そこの雑魚が吹っかけてきた喧嘩だ!文句ならそっちに言え!」

 

いつの間にか野次馬で通りは埋まっていた。

前にやり合った喧嘩の時よりも、多くの視線を頬に感じる。

少し煩わしいものの、感覚は鋭く尖り目の前の敵への集中は途切れてはいない。

頭は煮え滾っても、コンディションは最高だった。

 

「そっちの君も止めときなって!こんなんでもベートはLv.5なんだから怪我じゃすまないよ?」

「粋がってるだけの軟弱野郎に本気なんて出さねえよ。何ならハンデつけてやってもいいぜ?俺は左しか使わねえぞ、どうだ?お?」

「ベート!煽らないの!!」

 

酒瓶を傾けながらニヤニヤと挑発したような笑みを浮かべる狼男は、自分の事を舐め切っている。

すでに拳を構えたこちらに対して、向こうは無防備もいい所だった。

足元は少し覚束ない上に、ダランと力の抜け切った体勢のままだ。

その光景にチリチリと身の内を焦がすような熱が吐く息すら焼く。

 

「……後悔すんなよ」

「は?する訳ねえだろ?ほれ、いつでもいいぜ?」

 

とことん馬鹿にした態度だ。舐められているのをヒシヒシと感じる。

なら、それでもいいさ。

俺を舐めたまま、そのニヤケ面歪ませてやる。

 

 

開始の合図なんて、どこにもなかった。

 

 

全開で、地を蹴る。

飛び込んだ瞬間、怒りでか全てがスローモーションのようにクッキリ見えた。

こちらの動きを眼で追う顔も、笑みを崩さない口元も。

それはこちらが右腕を引いたところでも変わる事はない。

せせ笑うような表情は語っていた。

所詮、雑魚のパンチだと。

 

(ふざけんな……っ)

 

ギュウと拳を握りしめる音が漏れる。

怒りをすべてそれに乗せるようにただ固く、固く。

拳は砲弾になる。

力んだ筋肉が軋みを上げながら、その爆発を待っている。

 

解放。その瞬間。

空気を穿った。

 

「なっ!?」

 

驚きの声が上がった。

何が起きたのか分からないという表情だ。

僅かに仰け反った鼻からはパタパタと鼻血が垂れる。

しかし、そんな狼男の反応に対して思わず顔を歪めてしまう。

 

(あの距離から避けやがった……!?)

 

狼男は拳を打ち出してから、着弾するまでに反応してみせた。

その間、約0.1秒。いや、ステイタスの恩恵がある今ならもっと早い。

試合なら一発KOだってあり得るほどの会心のタイミングだった。

だというのに、向こうのダメージは鼻を掠ったのみ。なんて割に合わないのか。

これがレベルの壁か、と思うと同時に1つ察したことがある。

 

アイツは『ボクシングのパンチ』を知らない。

 

「嘘っ!?油断してたっていってもベートが一撃貰った!」

「ざけんなっ、掠っただけだ!変な体術使うからって、調子乗んなよ雑魚が!!」

 

狼男が咆哮する。

怒りに目を赤く染めながら突進してくる姿はまさに獣。

酔っぱらっているとは言え、その速度は目で追うのがやっとだ。

 

生き物がそんな速度を出していいのか?と思うほどの身のこなし。

遅い自分の体が、酷く鈍重に思える。

先読みして身を捻ろうとするも、向こうの腕は既に振り抜かれていた。

 

「うらぁっ!!」

 

律儀に宣言を守るのか、振るわれる左拳が頬を擦り肩を打つ。

ギリギリで顔を逸らした瞬間、耳元を轟音が鳴ったかと思えば、肩が弾け飛んだような衝撃が襲った。

対人経験が少ないのか、大振りなテレフォンパンチ。

格闘技に必須のコンパクトさが全くないにも関わらず、コイツの拳はただただ『重く』そして『速い』。

 

あまりの衝撃に踏ん張りきれずに、足裏を削るように後退する。

だが、衝撃はミノタウロスの時ほどではない……それは自分が強くなったからではない、相手が手加減しているのだ。

嬲り殺しにして、せせ笑おうとしているのか。理由は分からない。

しかし、心は折れない。折ってやらない。

ベルの代わりに殴ると言った以上、一発も入れられない結末はあり得ないのだから。

 

とっくに『覚悟』は出来ている。

1つ、呼吸を整えるとまた突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「思い出したよ。彼、最近噂になってる『死にたがり』君だ」

「あー、身の程知らずって新人の?」

 

フィンの言葉にティオナはそう返すと、目の前の戦いに視線を向けた。

ベートとイットが殴り合う光景がそこには広がっている……いや、殴り合いと言えるのだろうか。

ベートの左腕によるラッシュに対してイットは防戦一方だ。

上体を揺らして避けるか、ガードするかで全く手が出ていない。

防ぎ損ねた攻撃が痣を作っていく様子は見ていて痛々しい。

先ほどのベートの鼻を掠めた一撃には驚いたものの、まぐれだったのかもしれないとティオナは息を吐く。

手加減しているとは言え、Lv.1とLv.5の喧嘩など成立するはずがなかったのだと思いながら、隣で神妙な顔をしている自分の団長に顔を向けた。

 

「そろそろ止めた方がいいんじゃない?下手したらあの子、死んじゃうよ?」

 

しかし、その言葉にフィンは返事をしない。

ただ、面白いものを見るようにじっと目の前の戦いを見つめ続けている。

 

「ちょっと、フィン!趣味が悪いんじゃない?」

 

嬲り殺しにされる様子を見つめるフィンに顔を顰めると、彼はゆっくりと頭を振った。

 

「いや、そうじゃないよ。親指がうずうずいってるんだ。きっとこの後、何か面白いことが起きるよ」

「えー、本当に?」

 

疑わしげに見るティオナにフィンは曖昧に笑うのみだ。

彼の親指はその予兆を伝えるのみで、未来を教えてくれる訳ではない。

何も答えることが出来ないフィンの代わりに口を開いたのはその隣で観戦していたアイズだった。

 

「あの子、何か狙ってる」

「狙ってる?何を?」

「分からない。けど、ミノタウロスに一撃与えた何か、かもしれない」

 

1人得心顔のアイズだが、ティオナはさっぱりだ。

ミノタウロスがどうしたというのだろうか、と首を傾げながらウムムと唸る。

しかし、アイズは答えることもなくその瞳を戦いから動かすこともせずにいる。

 

「それに、あの目……」

 

ガードの隙間から見える、燃えるような眼差し。

思わず目を奪われてしまうような輝きに魅せられながら、アイズは呟く。

 

「あの目、まだ死んでない」

 

 

 

 

 

上体を傾けて、飛んでくる拳を避ける。

火傷のような熱さが皮膚に走るが怯むわけにはいかない。

擦れた拳撃に意識を割くことなく、ただ前を見据えるのみ。

ジリジリと足が後ろにずれていくことに苛立ちを覚えながら、じっと機会を窺っていた。

 

(こんなの、俺の性分じゃねえんだけどな……っ)

 

何故だろうか、背中が異常に熱い。

まだか、まだかと体が急かすように疼いている。

前に出ろ!と本能が叫ぶのを懸命に抑えながら、ただガードを固める。

まさか無限にこのラッシュが続くというわけではないだろう。

集中か、体力か。それが途切れた時が反撃の機会だ。

 

一発叩き込むまで、倒れる訳にはいかない。

 

「糞っ!調子に乗りやがって、いい加減にしろっ!!」

 

狼男が吠える。

怒りに呼応するように、その拳のギアが1段階上がった。

速さと重みを増した拳がガードの隙間をこじ開けるように貫いてくる。悪寒が走った。

 

(やべぇ、弾かれる……っ)

 

パァン!と腕が飛ぶ。

同時に抜けた重い一撃が体を芯から揺さぶった。

まるで体の真ん中に穴が空いたようだ。声すら出ない。

嫌な音が体の中から響いた気がする。

自分のものでないように暴れまわる脚に、思わず膝は落ちかける。

 

「──もう止めとけ、雑魚が」

 

ふと、狼男が口を開いた。

痛みに呻きながら視線を向けると、こちらを見下ろす瞳と目が合う。

言葉は少なくとも込められた幾つもの意味は察することが出来た。

それが侮りなのか、優しさなのか。

感情のベクトルは正反対でも、受ける屈辱は同じくらいに身に堪えた

 

一方的にやられる悔しさもある。

雑魚と見下される怒りもある。

しかし自分の力量不足でベルの悔しさを無視されてしまうのが、何よりも許せない。

寝てなどいられない。

ギリっと歯を食いしばると、ガタつく足で地面を掴み直す。

ニィと笑ってみせると、そのままファイティングポーズを取った。

 

「馬鹿、言えよ」

「……はっ、そうかよ。粋がるだけの雑魚はここで沈んどけ」

 

その眦が吊り上る。

強者の気配が大きくなるのを肌が感じる。

来る、と思う前にトドメとばかりに大きく振りかぶる左腕が見えた。

 

野次馬のざわめきが耳から消える。

 

(ラッシュが止まった……!!)

 

目を見開く。

待ちに待ったチャンスだ。

モタモタするな、と震える足を叱咤する。

『1秒でも早く踏み込め』と。

『痛みなんて気力でねじ伏せろ』と。

 

反撃の狼煙が今、確かに上がったのだ。

 

「おぉおおおお!!!!」

 

ダッキングしながらその懐に飛び込む。

やっと解き放たれたその動きは我ながらに最高にキレている。

放たれた相手の左拳は空を切るが、安心してなどいられない。

相手は拳を戻すのが早い。すぐに2撃目が来る。

更に深く体を沈め、拳を体に滑らすように避けた瞬間、自慢の右腕を唸らせる。

 

リバーブロー。叩きつけるような衝撃はしかし、相手の体を少しも揺らさなかった。

3撃目がくる。

考えるより早く、左腕が顎を打ち上げた。ダメージはなし、それも考慮済みだ。

しかし、動きが僅かに止まった瞬間にそのまま抜けるように体を離脱させる。

体が病気かと思うほど熱かった。汗がどっと吹き出す。

 

やはり、これでは駄目だ。

この戦況の差をひっくり返すパンチはただ1つ、それしか勝機はない。

 

「畜生が!いい気になんなぁっ!!」

 

一度に2回攻撃を入れられたことに怒り心頭で吠えられるが、怒り心頭なのは最初からこちらも同じだ。

酔いで赤い顔がますます赤くなるのを見ながら、これまで以上に大きく振りかぶられるストレートに向かって真っすぐ前に出た。

相手の驚くような顔が目に飛び込むが関係ない。

拳を構えながらも全神経は今、その放たれんとしている左拳に集中している。

 

多分、これまでのどんな攻撃よりも重い一撃に自ら突っ込む。

生き物としての本能が引き止めるように脳を焦がした。

走馬灯だろうか、不思議と周りがよく見える。

考えるな感じろ、と心の中で呟く。

相手のリズムを感じ取れ。

1、2とカウントした瞬間、その砲弾は放たれる。

一瞬で迫る拳は視界いっぱいに広がった。

目を思わず閉じそうになる。

だが、逃げるな。

 

(見ろ!!)

 

刹那、顔を屈める。

掠る左拳で頬がざっくり裂けるが、関係ない。

 

「うぉおおおおおおおお!!!!」

 

こちらの拳は既に放たれている。

燃えるような体の熱が口から雄叫びとなって上がる。

意識の隙間を縫うような一撃はここに完成した。

 

ズドンッ!と鈍く刺さる音が響き渡る。

 

『クロスカウンター』

パンチを紙一重で避け、突き刺さったカウンターが狼男の頬に食い込む。

相手の力を利用したことに加え、予想外の一撃は重く重く相手に突き刺さる。

弾き飛ばされるその体。

わっ!と歓声が沸く。

苦痛に顔を歪める狼男の顔を見て、思わず口元が歪んだ。

 

「やっと……重い一発入れてやれたぜ」

 

さぞかし重かろう。

俺とベル、2人分の一発だ。

 

だが、そう告げた瞬間。

目の前から何かが変わった気配がした。

思わず身構えるが、様子がおかしい。

怒髪天で殴りかかってくるかと思えば、何の反応も返ってこなかった。

 

「……?」

 

覇気がない。

足元をフラつかせながら、狼男は妙に静かに佇んでいた。

口元を切ったのか、血を垂らしながらこちらを睨んでいる。

その視線に何かを感じて緊張を解かないものの、正直膝が震えて仕方がない。

ダメージがかなり足にきているのを自覚しながら、拳を構えていると彼はポツリと口を開いた。

 

「……止めだ」

「は?」

 

今なんと言ったのか、聞き返す前に狼男はクルリと背中を向ける。

 

「な!待てよっ、まだケリついてねえだろ!」

「ボロボロの奴が何言ってんだ、糞が。これ以上付き合ってられっか」

 

薄気味悪さを感じながら、それでも追いすがろうとすると突然、目の前の側頭部に跳び蹴りが叩き込まれた。

これまでの苦労が何だったのかと言わんばかりに、狼男の体が軽々と吹き飛んでいく。

それを成したアマゾネスの少女は頬を膨らましながら、腕を組んで口を開いた。

 

「何言ってるの!格好悪くなって逃げたしただけじゃない、馬鹿ベート!」

 

そのままクルリと振り返ると、その瞳と目が合った。

 

「ごめんねー、うちの馬鹿が迷惑かけちゃって」

「誰が馬鹿だ、ティオナ!!」

「いえ……別に問題ないっす」

 

むしろ、横槍を入れられたことに文句を言いたかったがグッと我慢する。

自分の体がどうなっているか分からない訳じゃない。

 

「あちゃー、ボロボロだね。肩貸そうか?」

「いいっすよ、別に」

 

少しムスッとしながら、そう言う。

別に悪い人ではないのだろうが、タイミングが悪かった。

闘争心はまだまだ燃え尽きてはいない。

しかし、目的は達したのだから大人しく退くべきだ。

体は思った以上にボロボロだった。

 

「……仕方ねえか」

 

文句はあるが、気分は悪くない。

次に会った時にはケリつけてやる、と心に決める。

ジンジンと衝撃の余韻が残る右拳を見ながら、俺はゆっくりとその場を後にした。

 

 

 

 

 

「もー、ベート酔っ払いすぎ」

 

ティオナはベートを叩くとそう言った。

その足取りは先ほどに増してフラフラして、千鳥足も良いところだ。

いつにない醜態を恥ずかしく思いながら、ティオナはため息を吐く。

 

「……ちっ、酔いなんてもう覚めてるっての」

「うん?何か言った?」

「何でもねぇ!」

 

食ってかかるベートにティオナは首を傾げる。

憮然とした表情のまま黙ってしまった彼に肩を竦めて、店の方に歩き出す。

 

「面白い子だったねー、イット君って言うらしいよ。ベートが一発貰うとは思わなかった」

「黙っとけ、くそっ」

 

楽しげに言うティオナに対して、ベートは不機嫌になるばかりだ。

その笑みを深めながら、ティオナは口を開く。

 

「皆、大ウケだったよ。因果応報だって」

「黙らねえと、その口きけなくすんぞ」

「やれるもんならやってみなさいよ酔っ払い……あぁ、そうだ。戻ったらファミリアの皆でお仕置きだから覚悟しといてね」

 

突然の宣告に固まるベートに、ティオナはにっこりと笑う。

 

「あれだけ周りにもファミリアにも迷惑掛けたんだから、気絶で済むと思わないでね」

 

それは、まるで死刑宣告だった。

自分の未来に気が付いて、ベートの体はブルリと震える。

思わず後ずさるも、いつの間にか固められた後方には退路など存在していなかった。

顔が引き攣らせたその丁度、1分後。

夜のオラリオに狼の悲鳴が長く響いて、やがて消えた。




勝負に勝ったが、試合には負けた感じでしょうか。
どうしたもんか、と悩みましたがこういう形に落ち着きました。
特にベートの扱いは困ったもんでしたが、彼も根から極悪人ではないということで。

決め手はクロスカウンター。
宮田君はやっぱり偉大ですね。あと、矢吹丈も。


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