ダンジョンに潜るのは意外と楽しい 作:荒島
死んでいるのではないか、とその姿を見た時ヘスティアは恐怖していた。
昼、血塗れで帰ってきたベルにも絶叫したが、それ以上にその背にいたボロボロのイットの姿は本当に死体のようだった。
装備は全て砕け、服も襤褸布が引っ掛かっているような有様を見て平常心でいられるはずもない。
あの時、その光景は自分の眷族が死んでしまったと錯覚するには十分だった。
「いやぁ、死ぬかと思った……三途の川見えたもんなぁ。参った参った」
だというのに何故、その本人はあっけらかんとジャガ丸くんを食べているのだろうか。
目が覚めた瞬間、『腹が減った』と教会中の食料を詰め込み始めたのを見た時にはベルと2人で拍子抜けしたのは記憶に新しい。
ベルはその様子に胸を撫で下ろしながら力なく笑うと、ギルドに換金に出掛けて行った。
残されたヘスティアはイットに何かないように見張っているのだが、何がおかしいのかケラケラ笑う姿は健康体そのもの。むしろ元気なようにも見える。
「ヘスっち達から貰った薬なかったら本当にポックリ逝ってたなぁ……本当に感謝しとかないと」
「感謝よりも、自分を大切にしておくれ。ボクはね、君が死んだんじゃないかって思って心臓が止まるかと思ったよ!」
「本当、心配かけて悪かったよ。あんなところで出くわすとは思わなかったからさ」
どこか軽い調子に本当に分かっているのだろうか、とヘスティアは眉を顰める。
通常、15階層にいる筈のミノタウロスが5階層に現れた不幸は既にベルから聞いている。
動けなくなったベルの為に、ミノタウロスと殴り合ったことも知っている。
その結果、どういう事か足元をふらつかせるだけの一撃を入れた事は幸運だったが、何よりも幸運だったのは生きて帰ってきたことなのだ。
「イット君、君がこのファミリアに来た日にボクが言った言葉を覚えているかい?」
「あぁ、もう半月も前になるのか……確かあの日も怒られてたんだっけ」
しみじみと呟くイットにヘスティアは頷く。
「そうだね。それで、ボクはこうも言ったんだ『ファミリアを失うなんて真っ平ごめんだ』ってね?」
「…………うん、悪い」
「思い上がりだって思うかもしれないけど、ボクは君以上に君のことを心配しているんだ……きっとベル君もね。戦うよりも逃げる事を本当は選んで欲しいんだ。それを忘れないでおくれよ?」
そう言えば、きつく口元を結んだイットはゆっくりと頷いた。
「……分かった、今度はちゃんと約束するよ。100%勝ち目のない戦いはしない、必ず生きて戻ってくるって、約束する」
真摯な眼差しはブレずにこちらを見つめている。
自分の子の力強い澄んだ瞳をヘスティアが信じられないなんてことある訳がなかった。
ならよし!と大きく頷くと一転、笑顔を浮かべる。
「じゃあ湿っぽい話はおしまいだ!ステイタス更新を済ませてしまおうじゃないか!ミノタウロスから生きて帰れるなんてなかなかない経験だからね、きっと伸びてるに違いないよ!」
「あ、あぁ……そうだな、結構傷だらけになったし。伸びてなかったらむしろ落ち込むわ」
「あんまり伸びてなかったとしても、今日はしっかりと休むんだよ?」
「流石に今日は休むって。これでも体調管理は気を使ってんだぜ?」
ヘスティアの忠告に苦笑いを浮かべながら、イットは上着に手をかけた。
イット・カネダ
Lv.1
力:D507→B717
耐久:C686→A886
器用:G260→E455
敏捷:E435→C605
魔力:I0→I0
《魔法》
【】
《スキル》
【超超回復(カプレ・リナータ)】
・早く治る
・受けた傷以上に回復する
・傷が深いほど上昇値は大きい
「……見間違い、かな?」
「何言ってるのんだい?イット君も少しは文字読めるようになったんだろう?それで合ってるとも」
「いや、だってこれ……伸びすぎじゃ?」
自分の識字能力を疑ってか、何度もステイタスの紙を凝視するイットはしきりに首を捻っているが、それは仕方のない事だろう。
およそ1日でここまで急成長したのだから。
しかし、数字は正直だ。
いくら見つめても変わらない値をそこに示し続けている。
トータル上昇値700オーバー。
激闘で得た物は確かにそこにあった。
「それだけ重傷だったってことじゃないのかい?スキルの効果は『傷が深いほど上昇値は大きい』んだろう?……もっとも、どのくらい重傷だったのかは君は語ってくれないけれどもね!」
「ははは、ヘスっち顔怖いぞ?」
頬を膨らませながら、ヘスティアはイットを軽く睨む。
ミノタウロス相手に殴り合った経験値を差し引いてもこれだけ上昇したということは、もしかすると致命傷になるほどの重傷を負っていたのではないだろうか?
ベルが蹴り飛ばされた後の姿を確認できなかった以上、真実はイットの胸の中だが……そうなると薬を譲ってくれたミアハには大きな恩が出来てしまったかもしれない。
むむむ、と難しい顔をするヘスティアにイットは首を傾げた。
「……何だか、ヘスっち平然としてんな。もしかして意外と普通の伸び方だったりする感じ?」
「そんな事は断じてないから安心しておくれイット君!それは大きな誤解だから!……ただね、別の考え事があるのさ」
「へぇ、何?」
「ふふん!女神の秘密ってやつさ!」
「えー何だよ、それ」
呆れたように服を着るイットの背中をヘスティアは横目でジィと見つめる。
以前、彼のステイタスが『勝手に更新されていた』ことがあった。
どこかの神がちょっかいを出してきたのかとも思ったが、その現象はこの半月の間ずっと続いていた。
大きな悩みの種だったそれは、本日ベルから話を聞く中で転機を迎えた。
『ミノタウロスと戦ってる時、服が破けて見えたイットのステイタス、動いてた気がするんですよね……』
神聖文字は読めないけれども、細かい象形文字が目まぐるしく変化していくことを見るのは難しいことではない。
加えて戦闘中にどんどん動きが良くなっていったという証言を聞いて、考えに辿り着いたヘスティアは思わず眉を寄せた。
ステイタスが『自動で更新されている』。
ベルの目が正しければ恐らく戦闘中でさえも、つまりはそういう事だろう。
ただでさえ、『超超回復』などというレアスキルを発現したイットだ。
この事がバレれば神共の玩具になることは想像するに容易い……否、確定事項だろう。
それだけは何としてでも阻止しなければ、というのがヘスティアの考えだった。
(ただイット君にまで秘密にするのは心苦しいけれどね……)
しかし、この事は絶対の秘密だ。
どこから漏れるか分からないのが世の真理だ。ベルにもきつく口止めしたヘスティアだったが、徹底的な情報規制をこの件についてはかけるつもりだ。
いや、それだけじゃないだろう?と自分の浅ましさに頭を振ってしまう。
本当は、それは単なる建前に過ぎない事にヘスティアは気付いていた。
自動更新されてしまうステイタスが本物ならば、イットという『冒険者』にヘスティアという『神』は必要なくなってしまう。
イットにそう思われてしまう事を心のどこかで恐れていた。
もちろんそんな事があるはずないと、彼がそんな薄情な人間でないことは分かっている。
けれども覚悟をしたはずなのに、彼がここから離れて行ってしまう未来を幻視すると寂しさで胸が苦しくなるのだ。
「ヘスっち?」
いつの間にか顔を覗き込んでくるイットに、ヘスティアは自分がしばらくボンヤリしていたことに気が付いた。
どれくらいこうしていたのだろう?不思議そうな彼の表情を見るに、数秒という事はない。
慌てて誤魔化しながら笑うと目の前の顔が何か思いついたようにクシャリと歪んだ
「あ。ヘスっち、寝てたんじゃねえのぉ?涎垂れてるぞ」
「えぇっ、どこだい!?」
慌てて口元を拭ったヘスティアが面白かったのか、イットの笑い声が教会に響く。
「ははは!冗談だよ、冗談」
一瞬、キョトンとするもからかわれたのだと気が付くと彼女の頬はすぐにパンパンになった。
「まったく、君は少しボクのことをからかいすぎじゃないのかい!!」
「他愛のないスキンシップだよ、ヘスっち」
カラカラと笑われながらも、ヘスティアはこんなやり取りに安らぎを感じる。
やっぱり、自分はこんな生活が大好きなのだと思う。
(ボクも、もうちょっと頑張らないといけないかな?)
自分に何が出来るだろう、とヘスティアは考える。
冒険者なんていう事をやっている子供たちに女神ヘスティアは何をしてあげられるのか。
答えが出るにはもう少しかかりそうだ。
▼
同刻、ギルドを後にしたベルの足は軽かった。
世界が鮮やかに見えて仕方がない。
恋をするって凄い事なんだと今、実感している。
「アイズ・ヴァレンシュタインっ」
口の中でその名前を転がせば胸が弾んでしまう。自然と顔がほころんだ。
しかし可憐な金髪の少女の姿が浮かぶと同時に、血塗れで奮闘する少年の背中が脳裏を過った。
軽かった足が自然と止まってしまう。
(イットに、顔合わしづらいな……)
今日のダンジョン攻略において自分が余計な真似をし続けたのだという後悔がじんわりと肩を重くしてきていた。
無茶な提案をし、足を引っ張り、イットに怪我をさせてしまった。
教会に帰ってきた自分に彼はなんて言葉をかけるだろう?
(責めては……くれないだろうな。多分励ましてくれるか、無事で良かったって言ってくれる)
自分は無茶するくせに、他人には優しい少年なのだ。
悪いのは自分なのに、と思わず俯いてしまう。
同期のイットがどんどん強くなる姿に焦って、劣等感まで覚えて早く先に進みたいなんて思っていたベル・クラネルのせいなのに。弱い自分のせいなのに。
(僕はどうすればいいんだろう?)
謝り続けるべきだろうか?
それともイットの無事に安堵すべきだろうか?
いや、違うと首を振る。
やるべきなのはそんな事ではないはず。
冒険者ベル・クラネルがすべき恩返しはもっと別にあるはずだ。
助けられた恩は、助けて返す。
(次は、僕がイットを助けるんだ)
ポッと火がつくようにそんな思いが灯った。
彼と一緒に戦って、助け合って、対等な関係で改めてお礼を言いたい。
その為に強くなるんだ、という思いがベルの胸を焦がした。
強くなってイットとちゃんとしたパーティーを組もう。
(強くなるんだ!!)
拳を握り締める。
イット・カネダを助けられるようになる為に。
アイズ・ヴァレンシュタインに追いつく為に。
強くなる理由が増えたベルの足はまた進み始めた。
原作始まったのに話が進まなかったという…
次回はちゃんと話動かしてみせます