CADは伝統的な補助具である杖や魔法書、呪符に比べて高速、精緻、複雑、大規模な魔法発動を可能とした、現代魔法の優位性を象徴する補助器具だ。
しかし、全ての面に置いて伝統的な補助具に勝っているかというと、そうではない。
精密機械であるCADは、伝統的な補助具に比べて、よりこまめなメンテナンスを必要とする。
特に、使用者のサイオン波特性に合わせた受信・発信システムのチューニングは重要だ。
サイオンは千差万別、十人十色。百人いれば百通り、千人いれば千通り。サイオンの波動には一人一人微妙に異なる特性があり、ソレチューニングが合っていないCADは、使用者とのサイオンのやり取りが上手くできない。
それ故に、CADの調整は魔工技師の仕事であり、腕の良い魔工技師が重宝される。
実のところ、サイオン波というのは毎日変化している。身体的成長であったり、その日の体調であったり。だから、本来ならば毎日でも使用者に合わせて調整するのが好ましい。しかし、CADの調整にはそれなりに高価な専用の機器が必要になる。
大きな組織ならまだしも、中小企業だったり個人レベルなら、月に一、二回の周期で専門店やメーカーのサービスショップで定期点検を受けるのがせいぜいだ。
第一高校はこの国でもトップクラスの名門校だけあって、学校専用の調節施設を持っている。生徒は教職員と共に、学校でCADの調整を行うのが普通だ。
だが比企谷宅には、ある特殊な事情から、地下に造られた隠し部屋に最新鋭のCAD調整装置が備わっている。
夕食後、巧妙にカモフラージュしてある隠し扉をいくつもくぐりぬけ、地下の隠し部屋の一つである作業室にある作業机に座った。机の上にケースを置き、中から四つ、いや、二つと一組のCADを取り出した。
「いくつかいじっておくか」
つい数時間前に使用した特化型CADを装置にセットし、起動式の追加とバグ取りをおこなった。あまり使っていなかったせいか、少々メンテに時間を食っていた。特化型CADが終わった後、今度は汎用型CADをセットしこっちはバグ取りだけをおこなった。
特化型も、汎用型も、どちらもごくごく普通で典型的な起動式だけ入れていた。それは、目立たないようにするための対策であり、大規模な魔法を使う気はないと言う表れだ。結局、ぼっちがぼっちとしているために必要なスキルである。
汎用型のメンテも終わらせ、特殊型を持って作業机から立ち上がった。
比企谷は、作業室の隣にある訓練室に移動した。
両手に特殊型をつけ、頭の中で仮想敵を思い浮かべる。今回は司波達也を思い浮かべ、試合の時と同じ立ち位置に設定した。おそらくではあるが、だいたいの身体能力と動きを想定し、それより数段上と仮定する。九重八雲の戦闘データを基準にして体術を想定する。魔法は今回使用した種類とだいたいの魔法力程度しか分からないが、なにかしらの切り札を持っていると判断する。
これから投影する司波達也は、体術を主体とした司波達也であり、本物とは違うだろう。CADが二丁あったことから魔法主体が本来のスタイルだと考えられる。しかし、多少なりともデータから作りだした司波達也だ。いい訓練となるだろう。
比企谷は訓練室の床に久しぶりにへたり込んでいた。
想定した司波達也と比企谷八幡の体術に差がほとんどなく、拮抗し決定的な打撃を受ける事なく、入れる事ができずそのまま数時間も体を酷使して動かしていた。
決して司波達也の想定を高くしすぎた設定をした訳じゃない。おそらく、これが本来の身体技能であると確信している。もしくは、これ以上か。
毎回、希望的観測を介入させないようにしているが、今回だけはすがりつきたくなるほどにすがりつきたかった。しかし、それだけはできないと、ため息をついた。
ようやく息が整い作業室に戻ると、両手のCADを外して机に置き汗が吸い込んで重くなった服を脱いで、ズボンに手をかけて、ふと手を止めた。
「ん? 私を気にせずに着替えて着替えて」
「………毎回、勝手に入るのをやめてくださいよ」
「いいじゃない。ほら、私と比企谷君の仲なんだし」
そんなことをいいながら、その手にはちゃっかり一眼レフカメラを構えて部屋の紙魚に座っている雪ノ下陽乃の姿があった。さて、そのカメラでナニを取ろうとしていたんだろうね。まぁ、今も目に見えない早さでシャッターを押しているんだけど。
「はぁ、着替えるんで部屋を出ていってもらえませんか」
「大丈夫、大丈夫」
「俺が大丈夫じゃないんですよ!」
シャッターを押す指は止まらない。
「てか、なんで毎回撮るんですか」
呆れたように、諦めたように顔を覆うように手を頭に持っていってため息をつく。
「え? なんで撮らないって選択肢が出てくるのかな?」
はい、そもそもの根本がもはや違っていました。
「…………はぁ、もういいですよ。それで、用件はなんですか」
「じゃあ、ズボン脱いでみようか!」
「そっちの用件じゃないんですよ!」
どうやら満足したのか、いや、チラッと目に入ったが上限いっぱいまで撮り終えたようだ。ちょっと残念そうな顔をしている。
「まぁ、また今度でいいかな」
カメラをしまいながら、さらっと恐ろしいことをいう。
「そもそも、次があると思っている事が怖ぇよ」
比企谷はズボンを換えるのを諦め、乾いたシャツに袖を通した。
「あ、じゃあ私も見せたらいいのかな」
「勘弁してください、ほんと」
土下座だ、綺麗な土下座だ。
「そんなに見たくないの、傷ついちゃうな~」
頬を膨らませそっぽを向く姿を、少しだけ可愛いと思ってしまった。
「それで、そろそろ本題に入ってもらえますか」
土下座から立ちあがって、作業机の椅子に座り雪ノ下陽乃の方へ顔を向ける。
「そうね、前に言っていたけど、今度の休みにデートに行こうか」
「…………」
「……じょ、冗談よ。だからその目はやめてね」
いや、完全に本気だった。本気で言っていた。
「もう。その前に、さっきの組手相手は、誰かな?」
一気に、言葉のトーンが押さえられ、さっきまでの軽い空気はどこかへ行ってしまった。
「司波達也、以前言っていたやつですよ」
「見ていた限り、八幡と互角みたいね」
「ええ、おそらくは。でも、体術に限っての想定なんで、魔法が絡めばかなりきつい相手だと思いますよ」
「そう。でも、八幡も普通じゃないでしょ」
悲しむような表情を裏に隠して、笑いかける。
一般人、つまり魔法を使えない人間からしたら魔法師及び魔法を使える者の方が普通ではない。ここで言っているのは、魔法師のカテゴリーだけで見た場合の普通じゃないと言うことだ。
「ま、そうですね。俺は異端ですよ」
それが、なんでもないかのように軽く認める。
「……ごめんね」
雪ノ下陽乃は、今の表情を見せないように俯く。
「別にいいですよ、俺は。今ここでこうしていれるだけ『アレ』を受けたかいがあるんですから。それに、弱いままじゃできないこともありますからね」
「……うん、ありがとう」
俯いたまま、少しだけ表情を緩ました。
「本題だけど、最近第一高校の内部でエガリテが異様に動いているわ」
エガリテ・白い帯に赤と青のラインを縁取ったシンボルマークを持つ。その中身は、政治色を嫌う若年層で構成された組織である。表向きには【ブランシュ】とは一切のつながりを持っていないと言われているが、実態はこの【ブランシュ】の下部組織だ。
その【ブランシュ】とは、魔法師が政治的に優遇されている現代のシステムに反対し、魔法能力による社会差別を根絶することを目的に活動する、というのが彼らの抱える理念だ。つまり、反魔法国際政治団体である。
だがそもそも、この国には魔法を使える者が政治的に優遇されている、という事実が無い。むしろ、魔法師を道具として使い潰す軍や行政機関のやり方に、非人道的という非難が浴びせられているのが実情だ。
「ったく、テロ団体の下部組織が何をしようとしてんだよ」
めんどくさそうに舌打ちを打つ。ブランシュの当人たちは市民運動と自称しているが、裏では立派にテロリストと言われるほどのことをしている。
「内部って事は、生徒もメンバーって事で考えていいって事か」
「ええ、愚かな事にね」
魔法を否定する団体に、魔法師の卵がメンバーとして活動しているとは、これほど可笑しいことはない。
「どうせ、二科生の生徒が多いんだろうな。
勝手に自分を劣等生だと決め付けて、勝手に才能を持つ者に嫉妬して、勝手に相手を天才だからと決め付けて、勝手に努力を辞めた、そんな奴らの集まりだな。反吐が出そうだ」
本物の絶望を知っている人間からしたら、それはぬるま湯もいいところだ。
自分に魔法の才能がないことに耐えられない生徒が、魔法から離れたくないと思いながらも一人前に見られないことに耐えられない。だから魔法による評価を否定する。
『平等』と言う幻想にすがり、囚われた集団だ。
「しかし、何をする気だ?」
「そこが分かったら、私としてもいろいろと動けるんだけどね」
「……仲間集め、ってわけじゃない。いや、それもあるのか……なら、そのあとに何か起こす気か…………」
顎に手を当てて比企谷八幡は考える。
「あ~どんなに考えても結局予測にしかならないか」
「まぁ、情報はいろいろ集めてくるから、雪乃ちゃんたちをお願いね」
「ええ、分かってますよ」
用事が終わった雪ノ下陽乃は立ち上がり、比企谷に近づいて、座ったままの比企谷に正面から抱きついた。
「ちょ、陽乃さん」
「充電だよ」
比企谷は諦めたのか、抵抗をやめてそのままされるがままになっていた。
「…………うん、ありがとう」
ようやく腕を解いて離れる。
「じゃあ、比企谷君。デートのコースは頼んだよ」
そう言い残し、作業室から素早く出ていった。
「……はぁ、一応考えておくか」