神無 優夜side
今更でなんだが、俺は記憶喪失だ。
これまでの事であまり違和感が無いので忘れていると思うが、これでも結構重傷だ。
と言っても、自分の名前も憶えているし、どういう存在なのかも憶えている。もちろん、前世での知識もある。なら問題は無いとみんな思うだろう。
だが、俺が忘れたのはこれまでの対人関係だ。別に顔を忘れるとか名前を憶えていないとか、そんな簡単な話ではない。
人間誰しも、誰かとは出会うものだ。街を歩くだけでも、人ごみというものは存在し、そこには確かに人がいる。その人達全員の顔を憶えるなんてのは不可能だ。でも、そこに人が居たというのは記憶している。
俺の場合は、そこに人が居たという記憶すらない。
例えるなら記憶の中の俺は、世界でたった一人だ。そこには他の誰も存在しない。
そこに人がいなければ何も始まらない、何も起きない、何も終わらない。つまり、そこから先の記憶というものが存在しないのだ。
訪れた土地は憶えている。だが、そこで何をして、誰と出会ったのかを、俺は憶えていない。
だから、俺の以前を知る者に出会った時、どうすればいいのか解からない。
少 年 祈 祷 中
それは突然現れたというべきか。
俺はいつもの様に屋敷の屋根の上で昼寝をしていると、急に腹部に何か重たいものが落ちてきた。
一瞬、三途の川で豊かな胸の死神が昼寝しているのが見えたが、何とか生きている。
「ったく……誰だよ。桜良か、それとも藍……」
俺が起き上がると、俺に馬乗りしている紫のドレスを着た金髪の女性と目が合った。
「ようやく見つけたわ。ユウヤ」
彼女は嬉しそうに目に涙を浮かべると、俺に抱き着いた。
記憶を失くしているからか、それとも相手が一方的に知っているなのか、俺には解からない。
さっきの話の続きだが、こういう状況になった時はどうすればいいのか分からない。
「とりあえず、離れてくれるか?」
「あ、うん……」
彼女は素直に俺から離れてくれ、俺の目の前に座った。
でも、その表情は嬉しさで緩みっぱなしだった。
「良かったわ。貴方が急に行方不明になったと聞いて、みんな大慌てだったのよ」
「あの、実は」
「ルーミアなんて、ここ一ヶ月必死に探し続けてたのよ。本当、どうして今まで」
「おい……」
俺は彼女の肩を掴むと、彼女は話すのをやめた。
そして、何かに気付いたようにその目は少しづつ、不安になっていく。
「優夜……?」
「悪いが、俺はアンタを憶えていない」
「え? それって……」
「落ち着いて聴いてくれるか?」
俺は無理をした笑顔で彼女にそう言った。
そして俺はこれまでの経緯を語ることにした。彼女を含めたこれまでの人との関わりの記憶をすべて失った事を、何一つ包み隠さず。
それを聞き終わると、彼女の表情は険しい物に変わっていた。
「そういうことだったのね」
「ああ。悪いな、折角喜んでたってのに」
「いいのよ。でも、通りでこれまでの貴方と何かが違うと思ったわ」
「そうなのか?」
「解るわよ。これでも貴方と一緒に過ごしてたのよ?」
彼女は、胡散臭そうに笑いながらそう言った。
でも、その目には少しの哀しみが見え隠れした。
「でもそうなると、貴方の記憶を奪った邪神を探さないといけないわね」
「いや、これは俺の問題だ。アンタは手を出さないでくれ」
「……やっぱり、貴方ならそう言うと思ったわ」
「え?」
彼女はそう言うと、俺の隣に座った。
「貴方はいつでもそう。普段は人に頼ったり、仲間を信頼してくれる。
けど、自分の事となると一人で抱え込んで、他人を頼ろうとしない。
今回だってそう。自分の復讐に他人を巻き込みたくからルーミアに行き先を告げなかった」
「俺が……」
その時、俺の脳裏にある場面が流れた。
‐回想‐
そこはとある森の中、俺と見知らぬ女性と何か口論している場面だった。
『こんな時間にどこに行く気よ?』
『――には関係ないだろ』
『そんな台詞、いくら貴方でも在り来たりね』
『……うるさい』
『この辺りで噂になってる「邪神」の所に行く気でしょ?』
『それがどうした? これは俺とアイツ等との問題だ。お前が口出しするな』
『負けるわよ』
『やってみなくちゃ解からねえだろ』
『いいえ、アンタは冷静じゃないわ。そんなんじゃ、心を揺さぶられるわよ?』
『うるせえよ……』
『ユウヤ‼』
『お前に何が分かるんだよ。人喰い妖怪が』
『……!?』
彼女の悲しげな顔を最後に、それは終わった。
‐終了‐
「そうだった……」
俺はあの日、何があったのかを思い出した。
俺の周りで騒がれるようになった邪神の噂、俺はその真意を確かめる為に動いた。
その時、彼女に呼び止められたが、焦っていた俺はその制止を振り切った。
「俺は、なんてことを……」
名前も顔も思い出せない。けれど、俺は後悔した。
仲間である彼女に、俺は彼女が傷付く言葉を平気で言ってしまった。
人間でも妖怪でも無い俺が、彼女に人喰いと言ってしまったんだ。
「最低だな」
「優夜……」
「俺はこんなことまで忘れようとしてたのか。男して最低最悪だ」
「何か思い出したのね」
「ああ。お陰で、色々とやることも出来ちまった」
記憶を取り戻すこと、そして、彼女に謝ることだ。
許してもらえなくていい。ただ、後悔を残したままにはしたくないだけだ。
「ありがとう。ええと」
「紫、八雲紫よ」
「ありがとう、紫。大切な事を思い出させてくれて」
「いいのよ。でも、もう自分だけ抱え込むことはしないでよ」
「ああ。そうだな」
今までは、何でも自分一人だけでなんとかしようとして、そして空回りしてきた。
俺一人の問題だからと、他人を信頼することもせず、その結果が今の俺だ。
「なあ、紫」
「なに?」
「お前に頼みがある」
「頼み?」
「ああ。ここ最近、都の方で嫌な動きがあるのは知ってるよな」
「知ってるわ。人間でも妖怪でもない、化け物の仕業だって噂になってるわ」
「悪いが、そっちの方をお前に頼みたいんだ」
「私に?」
紫は意外そうに目を丸くした。
「記憶が完全に戻ったわけじゃないが、何故だかお前には任せられるような気がするんだ」
「ふふ。やっぱり、貴方は記憶を失くしても相変わらずね」
「どういう意味だよ」
「別に、深い意味なんて無いわ」
紫は立ち上がると、その目の前に奇妙な空間の裂け目を開けた。
「ねえ。私からも一つ頼んでいいかしら?」
「なんだ?」
「幽々子の事を、頼みたいの」
「幽々子を?」
「そう。あの子は、人間が背負うには重すぎる荷を科せられた可哀想な子。
もしも、あの子が自分を見失いそうになれば、その時はどうか助けてあげて」
「どうして、そこまでアイツの事を気に掛けるんだ?」
紫は振り返ると、俺にこう言った。
「あの子は、私の大切な親友なの。だから、最期まで笑っていてほしいのよ」
「それがたとえ、残酷な結末でもか?」
「ええ。その時は、私が責任もってあの子をどうにかするわ」
「親友としての役目、か」
「そうよ。私の大切な、桜の様に儚くも美しい人間の親友」
紫は、嬉しそうに、しかしどこか悲しげな表情で言った。
紫に取って、幽々子は大切な親友。失くしたくない、大切な人か。
「……なんで、それを俺に?」
「貴方にならあの子を任せられる。そんな確信があるのよ」
「それは、参ったな」
ここまで期待されていると、俺と彼女がどんな関係だったのか気になる。
だが、今は彼女の事を信じるしかない。同じ過ちを繰り返さぬように。
「貴方は邪神の事だけを考えて。他の事は、私たちが何とかするわ」
「私、たち?」
「ふふ。貴方が思っている以上に、貴方の事を信頼している人がいるってことよ」
「……そうなのか」
「そうなのよ。だから、貴方は安心して前だけを見ていて」
紫はそう言って空間の裂け目に入ると、それは次第に閉じていく。
「また会えて良かったわ」
「俺もだ。理想郷の事、楽しみにしてるぜ」
「……ええ」
紫は嬉しそうに笑うと、裂け目は完全に閉じた。
「俺はまだ、一人じゃないのか」
俺は澄みきった青空を見上げ、静かに涙を流した。
八雲 紫side
「さあ、それじゃあ手当たり次第に声を掛けましょうかね。
優夜の事を心配していた、これまでの登場人物たちに、ね」
徐々に戻っていく記憶、その中には後悔の記憶があった。
復讐に目が眩み、周りが見えなくなり、
今まで旅をしてきた仲間を傷付けたこと、それを思い出した。
再会した少女に、彼はこれからのことを頼んだ。
それは直感で彼女が信頼できると思ったのか、
それとも朧げに彼女のことを憶えていたのか、それはわからない。
そして、また彼女も自分の親友のことを彼に頼んだ。
次回予告
少女は恨んだ、自分を呪う桜を、それを死に際まで愛した父を、この世のすべてを。
東方幻想物語・妖桜編、『桜と嘆きと孤独な姫君』、どうぞお楽しみに。