神無 優夜side
茨木童子、酒呑童子や星熊童子に並ぶ、平安時代に京都で暴れ回ったという鬼の一人。
源頼光の鬼退治から難を逃れ、羅城門に住み付くがすぐにバレ、腕を斬り落とされたという話が有名だ。
そして今、俺が居るのはその羅城門の下。
ここに夜な夜な鬼が歌を詠っているという、奇妙な噂がある。
俺はその真相を探るべく、この場所へと足を運んだ。
真夜中の羅城門は、昼間と違って灯りもない所為か、より一層不気味に見えた。
羅生門では、ここの二階には餓死した人間の死体があるというが、今はどうなんだろう。
そんな事を思いながら、俺は羅城門の二階へと昇っていく。
二階へと辿り着くと、そこには人間の死体が山のように在った。
しばらく進んでいくと、足元に何かが当たった。いや、考えなくても分かる。
俺が足元を見ると、そこには刀を持った骸骨が倒れていた。どうやら下人のようだ。
「まさか、な……」
俺は骸骨を部屋の端へと寄せると、さらに先に進んだ。
二階の最奥部へと辿り着くと、そこには一切の光もなく、暗闇だけが存在していた。
だが俺にはわかる。この暗闇の奥に、鬼がいる。
夜の風が、月を隠していた雲を吹き払うと、その光が羅城門を照らした。
月明かりによって暗闇が取り払われると、そこ奥に隻腕の女性の姿を露わにした。
酷く痛んだ長い桃色の髪、ボロボロになった茨模様が入った赤色の着物、腕には千切れた鎖が付いた鉄輪がはめられている。そして頭には二本の角が生えていた。
彼女は壁に寄り掛かりながら虚ろな目で、俺の事をじっと見つめていた。
「誰?」
「ただの通りすがりだ。アンタは?」
「ただの鬼。それ以外は無いわ」
「そうか」
「貴方も、私を退治しに来たの?」
「いや、俺はアンタに会いに来ただけだ」
「鬼に会いにね………変わった人」
「よく言われる」
俺は彼女の傍に歩み寄ると、隣に腰を下ろした。
「この羅城門、住み付くには不憫すぎないか?」
「住めば都よ」
「うまいこというな。でも、死体ぐらいは片付けておけよ」
「勝手に増えていくのよ。ここは」
「そうかよ。不幸なことで」
辺りに散らばる骸骨に目を配りながら、俺は静かに黙祷した。
それが終わると、俺は密かに持ってきた酒を取り出した。
「呑むか?」
「気が利いてるのね」
「俺は呑めないからな。せめてアンタにやろうと思って」
「ふふ、それじゃあ遠慮なく頂くわ」
彼女に酒瓶を渡すと、彼女はそれを見つめたまま俺に問いかけた。
「貴方は、怖くないの?」
「ないな。これでも俺、人間より少し変わってるから」
「そう……ここのところ、夜も物騒なのは知ってるでしょ」
「心配されなくても、俺はそう簡単に死なねえよ」
「人間の中にも変わった奴が居るのね」
「そうか?」
「ええ。この前なんて、殺しが在った所を歩いてたら妙なお札が貼ってあったわ」
「御札?」
「ええ。白い虎が書かれたのが都の西に貼ってあったわ。他にも龍とか鳥とか」
白い虎……それに各地で張られている絵の描かれた御札。
もしかしたら、何かの手掛かりになるかもしれない。
でも、今はそういう話より、彼女の事をもっと知りたかった。
「ところで、アンタはどうしてここに?」
「逃げてきたのよ。仲間を見捨ててね」
彼女は自傷するように笑う。
「退治されていく仲間を見て、怖くなって逃げたのよ」
「まあ、妖怪でも死ぬのは怖いよな」
「ええ。でも、今はその時の後悔で胸が締め付けられるわ」
「仲間を見捨てた自分が許せないってか?」
「そうよ。一緒に過ごしてきた仲間より、私は自分の命を優先した」
「それが普通だ。問題は、それを後悔するか、できないかだ」
「人間にしては厳しい言葉ね」
「鬼に遠慮なんて必要ないだろ?」
「その通りね」
彼女そう言って笑うと、酒を一気に飲み干した。
「良い飲みっぷりだな。流石鬼」
「お世辞なんていいわ。それより、一つ聞いてもいいかしら?」
「なんだ?」
「都良香、この名前に聞き覚えはない?」
その名前に、俺は当然覚えがあった。
都良香とは、平安時代に存在した漢詩歌人である。
一説では彼女が羅城門で漢詩を詠んだところ、そこに住み付いていた鬼が対称となる歌を詠った事で有名だ。鬼を感心させるほどの歌人、そう云われている。
そしてその鬼というのが、俺の目の前に居る茨城童子だ。
「知ってるよ。百年以上も前に存在した、有名な歌人だ」
「そう………有名だったのね」
「気霽れては風新柳の髪を梳る。氷消えては波旧苔の鬚を洗ふ」
「それは」
「都良香と羅城門の鬼が詠んだ歌だ」
「少し違うわね。私が詠ったのは『水消えては波は旧苔の髪を洗ふ』よ」
「そうなのか。やっぱり人の言い伝えってのは案外あてにならないな」
「そうね」
彼女はそういうと、嬉しそうに笑った。
「あの人も、貴方と同じで私をちっとも怖がろうとしなかったわね」
「そうだろうな。でなきゃ、こんなところには来ないだろ」
「不思議よね。妖怪は人間い怖がれるのが当たり前なのに」
「誰かが勝手に決めた理なんて、所詮そんなものだ。いつかは誰かが破るさ」
「人間も妖怪も、どっちも変わらないって言うことね」
「変わらねえよ。どっちも一長一短、似たり寄ったりの臆病者だ」
「なら、貴方はどっちなのかしら?」
「俺は人間だよ、お嬢さん。他の人間より永く生き過ぎただけのな」
俺は彼女にそう言って笑いかけた。
彼女もそれにつられて楽しそうに笑みをこぼした。
「面白い人。薊様が言ってた人間によく似てる」
「薊?」
「鬼の頭よ。と言っても、今は旅に出てどこにいるかもわからないけどね」
「えらく自由気ままな鬼だな」
「そういうお方なの」
彼女は楽しそうに笑う。
「薊様は不死である自分がどうしようもなく嫌いだった。
暇潰しと言って自分から命を絶つが、それでも死ぬことは決してなかった。
そんな時、あの方の前に人間が現れた。人間は薊様に命を大切にしろと説教した。
人間も同じく不老不死だったが、薊様と違って自分の命を大切にしていた。
対局する二人は、山の頂で決闘をした。初めは薊様の優勢だったが、人間もあらゆる手を使って戦い、薊様の心を徐々に開いていき、最後には己の拳で決着を付けた」
俺はその話を聞いて、無茶苦茶な人間も居たものだと思った。
それを語る彼女は、何だか初めて見た時より無邪気に笑っていた。
「人を侮るな。弱いからこそ知恵を使い、繋がりを大切にする。それが人間だ」
「その言葉は?」
「薊様がいつも言っていた言葉、人間に負けた自分が言うと説得力があると言っていた」
「まあ、確かにそれに反論はできないな」
「ちなみに薊様はその人間に惚れたようで、旅もそれが原因だとか」
「鬼に惚れられる人間ね………一度お目にしたいぜ」
俺は立ち上がると、その場を去ろうと歩き出す。
「そうだ。アンタの名前、聞いてもいいか?」
「『茨木 華扇』、臆病者の鬼よ」
「華扇か。最後にアンタに伝えておくことがある」
「何?」
「アンタの仲間、理想郷というところで静かに暮らしてるらしいぞ」
俺はそれだけを伝えると、その場を立ち去った。
「それは、良かった……‼」
後ろでは、華扇が声を殺して泣いていた。
彼女にも涙が流れるうちは、彼女の心は化け物ではない。
真の化け物というのは、喜びも悲しみも感じず、涙を流すことのできない哀れな存在なのだから。
「鬼の目には涙、か」
羅城門へと逃げた鬼は、自分の臆病さに後悔した。
仲間を見捨て、生き延びた罪は、一生消えることは無い。
しかし、それは一人の少年と出会うことで変わった。
仲間が生きている。それを聞いて彼女は涙を流した。
例え恐ろしい妖怪と謳われようと、その心は人間と変わりないのだ。
妖怪のように残酷な人間もいれば、人間のように臆病な妖怪もいる。
ならば、彼は一体どんな心を持っているのだろう?
次回予告
もう一人の自分、それは鏡に映る偽りの姿。されど心は真実を語る。
東方幻想物語・妖桜編、『月明かりと鏡と鵺的な本心』、どうぞお楽しみに。