不良八幡の学校生活   作:雨雪 東吾

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夏の球技大会 3

 リア充とは、大抵が部活、特に運動部に所属し、ある程度の運動神経と強力なコミュ力を用いて楽しく、時には辛く放課後を過ごすものである。ここ総武高校でも大多数のリア充はそうして過ごし、業後の連絡事項が終ればクラスは殆どもぬけの殻だ。故にリア充でありながら帰宅部の人間というのは一人寂しく自宅へ向かうのが唯一の選択肢になることが多い。

 

「よう、奇遇だな」

 

「・・・」

 

「まあそんな警戒すんなよ。依頼についての話だ」

 

 奇遇と言っておきながら、用件があるというのも自ら昇降口で待ち伏せしてましたと言っているようなものだが、そんなことはこの際どうでもいい。球大まで時間がない今、やるべきことはやらなければならない。

 

「人間っていうのは、自分から嘘をつくことはあまり好きじゃない。一部例外は除かなきゃいかんが、大体はそんな感じだ」

 

 佐伯の表情に変化がみられる。当たりか?

 

「ただし必要に駆られればその限りではない。例えば誤解が蔓延していたり、とかな」

 

 ビンゴ。今完全に疚しいことのある人間の顔をした。具体的にどうとは言えんが、感覚でわかる。

 

「相手の誤解を肯定したり、若干の誇張をしたりするのは難しくない、というよりも楽しいか。自分にとって益になるならば」

 

「俺は・・・」

 

「お前の通っていた排律中学は公立ながらにしてバレーボールの名門で入部者も多いと聞く。残念ながら排律中学のやつはお前しかいないみたいだから、お前のかつての立ち位置なんて俺は知らんがな」

 

 口を開けるが、またすぐ閉じる。こいつとてプライドとかがあるのだろう。中学でどうだったかは知らんが、高校では立派にリア充している。これがばれたらハブられる可能性もある。子供の人間関係なんざそんなもんだ。信じるに値しないし、繋がりを持つ必要性も感じない。しかしこれは俺の主観だ。

 

 こいつは俺と違いコミュ力があり、自身で全てを成し遂げる気概や能力といったものがないのかもしれない。やや見下した言い方かもしれないが、人間というのはさぼれば際限なくさぼれる。周りの力を当てにして、手を抜いたことばかりやっていれば自然と能力というものは腐り落ちていく。

 

 そんな生き方をしたいと思うのは弱者の理論だ。恐らく雪ノ下なんて非難するだろう。彼女は自分でなんでもできるが故にできない人間の心情が理解できない。

 

 努力にも限界はあるのだ。やる気があっても周囲が、環境が、時間がそれを奪っていく。才能に絶望し、自分の限界を決めてしまう。でもそれが大半の人間というものであろう。

 

 彼がそれに当てはまる人間かどうかは知らないし、どうでもいい。こいつが依頼者で俺は請負人。俺にはこいつの望む形で依頼を成功させる義務がある。ある、が。

 

「佐伯、俺は部で依頼を受けた以上、お前のために動く。全部話してくれないか?」

 

 そして続ける。真摯に取り組まない依頼主にはその義務は発生しないと思うんだよな、俺は。お前はどうだ、佐伯、と。


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