由比ヶ浜の襲来から一週間がたった。音沙汰は無く、やはり俺の予想通りとなった。今では部室はただの自習室と化している。
今日も課題を終わらすかとカバンに手を突っ込もうとしたとき、ドアが二回遠慮がちに音を鳴らす。
「どうぞ」
雪ノ下の凛とした声に、引き戸が開けられる。すると、どこかで見た顔がひょこり。
「やっはろ~・・・」
何その頭悪そうな挨拶。いや、そもそも挨拶なのか?
「由比ヶ浜さん・・・今日はどうしたの?」
「いや~その、クッキーづくりを教えてもらいたくて・・・」
由比ヶ浜は頭の後ろと背中に手をやりながら、照れくさそうな笑みを浮かべている。まさか来るとは思ってなかったな。予想はずれたり。だが、あれだけ言われてまた来るってことは相当精神が強いか、もしくは真正のばかか。
「その、先週言われた日に本屋さん寄ってレシピ買ったんだけど、うまくできなくてさ」
言われたことをすぐに実行できる素直さは認めよう。見知らぬ人間に言われたことを、例え正論だったとしても、受け入れることは結構難しかったりする。しかし・・・レシピあってできないってどういうことっすかねえ?
「ちゃんとレシピ通り作ったのか?」
由比ヶ浜が地味にびくつく。しかし、目は合わせないながらも一歩も引かない。ここに来たことといい、どうやら根性はあるようだな。
「えっと、やっぱあたしが作るんだからアレンジはちょっと・・・」
「・・・はあ。料理できない奴の典型だな」
俺の溜息に由比ヶ浜は身構えるも、前回ほどは怖がっていなかった。まあ努力する奴は嫌いじゃないからな。優しい目をしていたのだろう。俺の中では比較的にという条件は付くが。
「・・・雪ノ下、どうする?」
「何がかしら?」
「依頼を受けるかどうかだよ」
雪ノ下の両目が大きく開かれる。俺の発言が意外だったのだろう。
「そうね。あなたに異論がないならば私は受けても構わないと思うわ」
「ほ、ホント!」
由比ヶ浜の目が輝き、雪ノ下に駆け寄る。なんか犬みたいだな。尻尾と耳が見える。
「で、教えるにしたって場所はどうすんだ?」
「・・・そうね。私や由比ヶ浜さんの家を教えると餓えた獣が執拗に張り込む可能性があるからあなたの家でいいんじゃないかしら?」
最初の理由要りますかね? こいつなぜか無駄に俺を貶してくるんだよな・・・。まあ、小学校や、中学校のやつらよりは大分ましだが。
「まあ一応器具は揃ってるが、嫌だ。何で俺の家にあげなきゃいかんのだ。別に学校の家庭科室でもいいだろうが」
「あなたバカ? 学校のものを私用で使う許可なんて出るわけないでしょ?」
「一応部活動という名目なら使えるかもしれねえだろ、考えなし」
俺の視線と雪ノ下の視線がぶつかる。しばらく場の膠着状態が続いていたが、やがて雪ノ下は溜息を吐き、目を切った。
「わかったわ。じゃああなたが聞いてきなさい。もしそれで使えるようなら使えばいいし、使えないならあなたの家にいけばいい」
何で当然のごとく俺の家が選択肢に入ってるんだよ・・・。
「俺が行く必要はないだろ。部長が行った方が何かと捗る」
それに俺が行っても、絶対良いようには解釈されないだろう。
「これは賭けよ。あなたの意見と私の意見、どちらが正しいか。私はダメだという方に賭けたのに、行くわけないでしょ」
まあ確かに、聞かずに帰ってきて、だめだったと報告することもできなくはないしな。
「・・・なんか、いいね。こういうの」
由比ヶ浜がポツリともらす。
「いや、どこがだよ」
「こうやって何の遠慮もなしに好きなこと言い合えるってすごいいい関係だと思う」
「遠慮がないことは認めるけれど、この男と特別な関係に見られるのは単純に不快ね。そもそも遠慮が無いのはこんな男に遠慮なんてする必要がないからであって・・・」
「それでもすごいよ。あたしはさ、空気読んで周りに合わせてばっかだからさ。言いたいこと言えるって事や関係に憧れとかあるし。羨ましいなって」
・・・それは違う。空気を読むという行為は自衛の手段であるとともに相手を慮ってるから生まれることだ。俺や雪ノ下はそれが下手で、かつ周りのことをどうでもいいと思ってるから、他者から何と思われようと関係ないから言葉の暴力でノーガードで殴り合える。だから俺も雪ノ下も弾かれたのだろうけど。
「・・・俺、先生のとこ行ってくるから」
俺は席を立ち、職員室を目指す。俺たちは由比ヶ浜が期待してるような間柄じゃない。別に由比ヶ浜のことは何とも思ってないが、やはり俺は他者の期待を裏切ることが嫌いだ。何度繰り返しても、罪悪感で心がざわつく。