サイゼでの食事は無事終了した。雪ノ下には意外と好評で驚いたが、サイゼであれば当然か。
「じゃあ帰るか」
「そうね。特段することもないし早く帰りましょう」
俺ら二人ならこうなるわな。
特段話すでもないが、方向が同じ故に別れるのは憚られる微妙な状況。本当人間関係ってのは気苦労が絶えんな。一人と一人ってだけで幾分かましにはなるが。
「あ」
「え?」
「へ?」
思わず声出してしまった。公衆の面前で間抜けな声出すとか恥か死ぬ。忸怩たる想いに苛まれながら、その原因となる人物を観察する。
脱色された明るい茶髪をお団子にしているのが特徴的な奉仕部の一人、由比ヶ浜結衣。今日はとことん知り合いに会う日だなあ。何だ、こいつも友達と遊んでるのか。赤髪のは見たことあるな。由比ヶ浜と話してるとこ見かけて、うっとおしい話し方だったから覚えてる。
「由比ヶ浜さん・・・あの」
「あ、ちょっとさがみんたち先行っててもらっていい? 後で追いつくからさ」
由比ヶ浜の笑顔に若干の違和感を覚えるも、特に口をはさむことなく彼女らが分かれるさまをボーっと眺める。中身のない会話を二言三言交わし、二手に分かれる。
いつもなら由比ヶ浜が何かと問いただすのだが、どうやら今日は雰囲気がいつもと違う。雪ノ下は先ほどのタイミングを逸して話しかけるのに躊躇している。逆に知らない人間がいるときに話す方が勇気いると思うんだが。
「で、雪ノ下なんか話あるんじゃねえの」
さすがにこの状況で帰る訳にはいくまい。それくらいの分別はあるし、逆に常識と言えば俺みたいなことある。自称だけどね! でも人間にとって自分こそが信じる道であるはずだ。自分の考えが一番正しいと感じるはずだ。頑固で偏屈というのは悪い意味で取られがちだが、しっかりとした自分を持っているという点は評価に値すると俺は思う。意固地になるのはいただけないが。
その点俺は他者からの干渉により、アイデンティティクライシスを起こすことはない。確固たる信念を持ち、我が道を進む。それは雪ノ下も同じだろう。方向は違うが雪ノ下さんも同じはずだ。ただ彼女らと違うのはその道を進むうえで選択肢が俺だけ狭いことだ。
雪ノ下姉妹はその才能により多方面において実力を発揮する。それはすなわち知識も多いということで、それにより視野も広く、多方面から物を見れる可能性を高める。
彼女らは雪ノ下家の令嬢ということで社会というものもある程度知っているのだろう。所謂箱入り娘には全く見えないしな。つまり経験も人並み以上にあり、圧倒的な才能を有する彼女らにはそのわずかな経験だけで穿った見方を可能とするはずだ。二人には凡人と違った景色が見えているに違いない。
・・・それでも、俺の見ている景色だってある意味で真実だ。邪道かもしれんが俺なりの道を進み、自分の常識を培ってきた。人の影を見せられ続けた俺に当たる光は、恐らくまやかしだろう。彼女らの様に、日の当たる場所を歩くのはこの先も難しいと思われる。
でも、俺にはそれくらいがちょうどいいのかもしれない、っと、何かいらんこと考えてたら終わってた件。相も変わらず奉仕部は二人と一人の模様です。話半分だが、聞いた内容を要約すると18日に由比ヶ浜に部室に来てほしいとのことだ。こいつのカースト考えれば誕生日祝い合うのは見えてるしな。妥当な判断だ。
しかし誕生日が近いというのにあまり浮かない表情なのはなぜなのだろうか。自分の誕生日を忘れるはずはないだろう。誕生祝くらい推測できると思うが。それとも、騙されるとでも考えているのだろうか? あの光の部分しか知らなさそうな由比ヶ浜が? ノーテンキにしか見えない由比ヶ浜が? 詐欺師からしたらカモがネギ背負って歩いてるような由比ヶ浜が?
一抹の不安と寂しさを感じるも、すぐにそれは掻き消える。
だって俺には関係ない。
さて、今回は珍しく地の文ばっかですね。地の文多くすると物語が進まなくなるのであまり書きたくなかったのですが、セリフを省略することでその問題を解消。完璧すぐる・・・。(完璧とは言ってない)
穿った見方というのも誤用多いですね。僕も間違えてました。本来は"本質をついた見方"という意味です。