1
トラック島へ向かう道中、深海棲艦と遭遇する事はなかった。結局として平穏無事に扶桑・山城・明石の三名はトラック泊地へと到着を果たす事となった。
「……気合いを入れて損したわ」
「まあまあ、何事もないのが一番ですよ」
自分のやる気が徒労に終わってぼやく山城に、明石は「お疲れさまでした」と肩に手を置く。そんな明石に、大して話した事もないのにコイツもだいぶ馴れ馴れしい奴ね──と山城は思った。それと同時に、時雨ほどじゃないから別にいいけど──とも彼女は思った。
「二人とも無駄口は後よ。先に到着を知らせましょう」
扶桑に言われて、山城と明石の二人は口を閉じると、海岸よりトラック島に上陸する。目の前に生い茂る南方の樹海は天然の要塞が如く、三人の行く手を塞いでいた。
事前に知らされていた情報によれば、この樹海の先に駐屯施設があるらしいのだが、如何せん初めて訪れた扶桑達にとってその障害はなかなかにして厄介なものだった。
「豪華な南国リゾートだと聞き及んでいたけど、誰よ、そんな嘘言ったの。手つかずのジャングルじゃない。姉様ぁ……、この茂みを進むのですか?」
「ええ。いつまでも海岸で足踏みしている訳にはいかないわ。……できれば遠慮したい気持ちはわかるけれどもね」
少し覗いてみれば申し訳程度のケモノ道が奥まで続いていたものの、その周囲には多くの虫や小動物、果ては巨大な蛇も見受けられた。基本的に温室育ちの扶桑姉妹が躊躇うのも無理はない。それは明石もそうだった。
「各地を転々としている私はそれなりに慣れてますけど、それでも案内もなしにジャングルへ飛び込むのは気が引けますね」
明石がそう呟いた時、茂みの中から声が届いた。
「──そうだと思いまして、ここにお待ちしておりました」
凛とした声の主は平然とジャングルから現れる。
栗色の長髪を一つにまとめ、後ろに流した髪型。ヒールを履いているとはいえ、その身長は高く、女性的な魅力が凝縮された肢体。白と紅を基調とした衣服に身を包み、朱の傘を広げたその女性は、優雅かつ大胆に海岸へと歩を進めた。
三人の前に立った彼女は、それぞれの顔を見つめると、その名を謳う。
「大和型戦艦、その一番艦──『大和』。お初にお目に掛かります」
およそジャングルに似つかわしくない女性が、虫や蛇に動じず、さも当然のように現れた事にも驚いたが、その女性が『戦艦 大和』だと知って、三人は尚更驚きを隠せなかった。
彼女──大和はトラック島に縛られた箱入り娘。過保護にされているお姫様だと、扶桑姉妹は認識していた。だが、その実、逞しい女性であったと認識を改める。トラック島に実際やってきて、ようやく思い至ったが、濃密な自然に囲まれたこの環境で暮らしていたのならばそれは当然のような気がした。
「あなたが大和ですか。初めまして扶桑型戦艦一番艦の『扶桑』です。こちらが妹の山城、そして工作艦の明石」
「お話は聞いています。どうぞこちらに。立ち話をするのもなんですから、まずは基地の方に向かいましょう」
そう言うと大和は振り返り、ジャングルのケモノ道へと足を向ける。三人ははぐれないように、その後に続いた。
-◆-
樹海を抜けると、そこには無骨ながら堅牢な印象を受ける要塞が鎮座していた。周囲には木造の宿舎が点在し、各種施設も充実している。そのどれもが前進基地とは思えないほど意匠に富んだ見事な作りの建築物群だった。中央の鎮守府と比較しても遜色はなく、西方の鎮守府と比べてみればあらゆる面で優れている。樹海に囲まれた楽園。そう呼称しても差し支えない絢爛豪華さであった。
前言撤回。南国リゾートだと言った人は間違っていなかった──と、振る舞われたラムネを飲みながら山城は思った。
大和の案内の下、三人は食堂に通されていた。腰を落ち着けて休息を取りつつ、山城は辟易とした表情で周囲を見回す。施設の外観もさることながら、内装もまた豪勢なものだった。食堂は姿が反射するほど磨かれたフローリングが張られ、部屋の中央には高級感漂う赤い絨毯が敷いてあり、その上には光沢のある長方形のテーブルが延々に続いている。全体的に洋風にまとめられた内装はモダンであり、基本的に簡素なデザインの多い鎮守府とは装飾に対する意識において雲泥の差があった。
前進基地という名目でありながら鎮守府よりも優遇されているトラック泊地に甚だ呆れつつ、その優遇される理由が目の前に座る戦艦 大和にあるという事実に山城は嫌な顔をする。無論、それが恵まれた者に対するひがみだと自覚する彼女は直接嫌味を言う事はなかったが、それでも良い顔はしなかった。
大和自身に非がある訳ではない。むしろ彼女にだって自分の境遇に多少なりとも不満はあるだろう。姉が言うにはこの島で飼い殺し状態だという話だし、戦いから遠ざけられるわだかまりは山城にも経験がある。けれどそれは、たまたま、偶然、そういう存在に産まれてしまったというだけの話だ。欠陥戦艦として生まれた自分と同じように、期待される者として生まれただけの話だ。それは理解しているし、それに対して憐憫や同情の念はない。艦娘という存在は等しく同じような境遇で生きているのだから、そこに上も下もないだろう。──けれど、大和一人にここまで慰安を重視した設計の施設があてがわれていると思うと釈然としなかった。長い間、戦いを離れて人の社会に近い場所で暮らしてきた自分が言えた事ではないけれど、最前線で戦い続けている艦娘達を目にしてきた山城には、大和が受ける厚遇が腑に落ちなかった。
そんな誰にもぶつけられない苛立ちをキンキンに冷えたラムネで飲み込む。そして「不幸だわ」と自分の狭量さを嘆いた。
「ここにはあなた以外の艦娘はいないのかしら?」
溜め息を吐く妹を尻目に、扶桑が大和に問い掛ける。
「はい。艦娘はワタシ一人で、他の人間は基地を管理する上で必要な人員が少しいる程度です。つい先日までは中央から来ていた艦娘達が滞在していたのですが、彼女達の鎮守府が空襲を受け、急遽戻ってしまいましたから」
中央の鎮守府が攻撃を受けた事は扶桑達にも情報が及んでいた。人的被害はなかったと聞いて、時雨達が無事だと安堵した事を扶桑型戦艦姉妹は思い出す。
「それで、MI作戦の詳細はあなたに聞くよう提督から指示されているのだけれど……」
「はい、それは西方の提督より承っています。と言っても中央が主導なので、こちらにも詳しい情報はまだ入っていないのですが。……今、わかっているのは攻撃目標が敵機動部隊である事。その為に棲地MIを攻撃する事。そして作戦決行は今日から四日後という事だけ。鎮守府から参加する艦娘の編成や作戦行動は追って連絡が来るそうです」
「そう、断片的な知らせなんて長門らしくない不手際ね。中央の提督が行方不明という話らしいし、流石のビッグセブンも手一杯って事かしら」
「みたいですね。……長門さんとはお知り合いで?」
「ええ。これでも戦歴だけは長いから、人付き合いはそれなりに広いつもりよ。もっとも彼女に比べると実戦経験は乏しいのだけれどね」
扶桑と大和の会話が一段落したのを見計らって明石が話しかける。
「そろそろ私の要件を切りだしてもいいですか? 作戦決行が四日後なら、あまり時間はないようですし、取り急ぎ作業に入りたいんですが」
「そういえば明石、あなたは何をしにトラック島へ? 指揮系統が違うのなら聞かない方がいいと思っていたけれど、どうもひた隠しにするような事でもない口振りね」
明石の言葉に、扶桑は首を傾げる。
「あれ、言ってませんでしたっけ。私は大本営からの命令で、大和さんの調整作業の為に、ここへ来たんですよ」
「ワタシの、調整……ですか」
要領を得ない大和が言葉を繰り返す。
「そうです。貴女は実質的に初めての実戦ですからね、動作の確認も兼ねて色々調べておかないといけません。ましてや活躍を期待される秘蔵っ子ならば尚更ですし、万全の態勢で初陣に臨ませてあげたいという、まあ、大本営の親心ってやつじゃないですかね」
「なるほど。それで、ワタシはどうすれば?」
「大和さんには艤装を装着して海に出てもらいますが、その前に正確なデータを取る為には協力者が必要なんですよ」
そう言って明石は悪びれる様子もない笑みを浮かべて扶桑と山城の方を見た。
「──というわけで、お二人も手伝ってくださいね」