10
時雨がグラウンドに出ると、探していた二人はすぐに見つかった。
グラウンドの一角に簡易テントが設営されており、その下に設けられたテーブルの前に陽炎と朝潮は立っている。
報告書に目を通しながら言葉を交わす二人に、時雨は歩み寄った。
「やあ、二人とも久しぶりだね」
声に反応して時雨の方を向いた二人は、なんとも微妙な顔をする。「自分達にやたら親しげな様子で話しかけてきたコイツは誰だ?」とでも言いたげな表情で、主に陽炎が時雨を睨み付ける。
「あ、もしかして時雨さんですか?」
ふと思い至ったのか、朝潮が口を開いた。その言葉に陽炎は驚きを隠し切れなかった。
「えっ、嘘。時雨ってもっと、ほら、地味めな感じじゃない。それに今は満潮と一緒に特別任務とかでいないんじゃなかったっけ?」
「出先で改二になったんだよ。そして今日帰ってきたんだ」
改二になったと聞いて、陽炎と朝潮の二人は興味深そうに時雨の身体を眺める。「随分と派手になったわね」とか「色々大きくなって羨ましいです」とか各々思った事を口にしていた。
時雨の観察にも満足した二人は、納得して再会を喜んだ。
「悪いわね。姿が変わってたものだから、ぜんぜん気付かなかったわ」
「いいよ、気にしてないから。……それより復旧作業はどんな感じなのかな。僕はその手伝いに来たんだけど」
「あら、頼もしいわね。それじゃ朝潮、簡潔に教えてあげて」
「はい。現在、鎮守府の主要施設は全て機能停止しています。また送電線も破壊されている為、外部からの電力供給も止まっています。各種ドックと工廠を最優先に修復作業を行う予定ですが、実際に作業を進めるには如何せん人員が足りません。なのでトラック島から主戦力の皆さんが戻ってくるまでに、資材庫より修復資材を予め用意しておく事としました」
「えっ、トラック島から戻ってくるんだ。そうなるとMO攻略は中止なのかな」
「はい、そのような報告を受けています。今はどの施設にどの程度の資材が必要か、それを調べに行ってもらっています」
「時雨の出番はその情報が集まってからね。帰ってきて早々で悪いけど、情報が集まり次第バシバシ働いてもらうから今の内に休んでおいて」
了解──と頷いて、時雨は最寄りの椅子に座る。そんな時雨に朝潮が問い掛ける。
「あの、時雨さん。満潮は一緒ではないんですか?」
「うん? あぁ、一緒に帰って来たよ。ただ、ここに来る道中に負傷をしてね。命に別状のない怪我なんだけど、もしかしたら骨に異常があるかもしれないものだから、応急処置をして鳳翔さんの家で休ませてもらっているんだ」
「そうなんですか、よかった」
「キミはいつも満潮の事を気にかけているね」
「彼女は少し無理をする所がありますから、身近な人間として心配なんです」
「キミが心配してくれる事を、満潮はきっと感謝してると思うよ」
「だったらいいのですが。……あとでお見舞いに行っても大丈夫でしょうか?」
「間借りしているから明言は出来ないけど、鳳翔さんの事だから大丈夫だと思うよ。手が空いたら様子を見に行ってあげて」
「はい、勿論です」
二人が会話をしていると書類を抱えた駆逐艦 不知火と同じく駆逐艦 大潮が簡易テントまでやってきた。
「遅くなりました。陽炎、こちらが被害状況をまとめたもので、こちらが必要な資材をまとめたものです」
「ん、ご苦労様。あれ、大潮が持ってるのは?」
「はい! 道中で間宮さんから受け取った差し入れです!」
不知火の後ろに続いた大潮は両手にお盆をもっていた。その上には様々な和菓子が並べられている。
「崩壊したお店の中で辛うじて無事だったものらしいです!」
「やった、ラッキー。間宮さんのお菓子をタダでゲットできるなんて怪我の功名ね」
「陽炎さん、不謹慎ですよ。提督は未だ行方不明なんですから」
たしなめる朝潮に、陽炎はひらひらと手を振る。
「へーきへーき。あの人ならその内ひょっこり顔を出すって」
早速和菓子に手を伸ばした陽炎は、一口サイズのモナカを口に放り込む。そして、数回咀嚼するとすぐに飲み込んだ。そんな陽炎に不知火が報告する。
「陽炎、その事なのですが……」
「──! まさか提督の遺体が見つかったの!?」
「いえ、見付かっていませんが」
「なんだ、ビックリさせないでよ」
「これを見てください」
「はいはい、なんですかー」
不知火は一枚の書類をテーブルに置き、陽炎と朝潮はそれを覗き込む。そこには各施設の被害状況が記されていた。
「これがどうしたのよ? 被害があるのなんて見ればわかるわ」
「そういう話じゃないみたいですよ、陽炎さん」
最初に気付いたのは朝潮だった。
「庁舎の被害が最も大きいのは外観を見ただけでもわかりますが、詳しく調べたこの資料によると少しおかしいです。庁舎全体ではなく、提督室を中心にして集中的な攻撃を受けています。それも念入りに、何度も爆撃を受けた形跡があるみたいですね」
「……ドックや工廠ではなく提督室を滅多打ちにしたってわけ? それじゃあ何? 深海棲艦は鎮守府じゃなくて、提督の抹殺を最優先にしていたってこと?」
「これが偶然でないとするのなら、そう考えるのが妥当かと」
「…………まあ、仮説として報告書にまとめておきますか。真偽の判断は大淀さんに任せましょ」
陽炎の決定に周りの皆が頷く。
その様子を眺め、会話を聞いていた時雨は、やはり──と彼女達が気付いた仮説を呑み込む。
──『運命は特別な存在に惹かれる』
提督がその特別な存在だとすれば。そして、自分もまた特別な存在だとするのなら。これまでの全てが合致する。ならば『運命を変えるのは必ずしも特別な存在ではない』とはどういう意味なのか。それが未だにわからなかった。
「あの、あなたもどうぞ」
思考の海に飛び込んでいた時雨に、おどおどとした大潮が和菓子の乗ったお盆を差し出す。現実に引き戻されて、気が抜けた返事をした後に、ようかんを一切れだけ頂いた。
今になって時雨の存在に気付いたのか、不知火は怪訝な顔で陽炎に問い掛ける。
「陽炎、あの方はどなたでしょうか」
「ん? ああ、あれは時雨よ。改二になって帰ってきたんだって」
「なんと!」
「ええっ!? あの人、時雨さんなんですか!?」
その近くにいた大潮まで驚いて、椅子に鎮座していた見覚えのない艦娘が時雨である事を二人は知った。不知火と大潮はそれを知るや否や、興味深そうに時雨を観察し始める。本日二度目の観察を受けて、時雨は苦笑を浮かべた。
自分の変化に気付きながら、あえて深く触れなかった間宮さんと鳳翔さんはやっぱり大人だなぁ──と笑顔の裏に思った。
「はいはい、改二になった子が珍しいのはわかるけど、そのくらいにしときなさい。必要な資材の量はわかったんだし、トラック島で呑気にバカンスでも楽しんでいた連中が帰ってくる前にお膳立てを終わらせるわよ」
しこたま時雨を観察していた自分を棚にあげて陽炎が言う。しかし、言っている事に間違いはなかった。
「大潮、他の皆を一度グラウンドに集めて。その後、分担を割り振るから」
「はい、了解です!」──と大潮は頷き返し、拡声器を持ってテントから出ていく。
「不知火は朝潮と一緒に分担表を作成して。資材庫から遠い施設の分担にはなるべく体格の良い年長者を配置するようにね」
「了解」──と不知火と朝潮は返答して、表をまとめていく。
指示を済ませた陽炎は一仕事終えたように一息を吐き、テーブルに置かれた間宮の和菓子を堪能した。そうしている陽炎を見つめていた時雨は、不意に彼女と目があった。
「ん、なに? あ、お菓子が欲しいの?」
「いや、いらないよ。ところで陽炎、キミは何もしないのかい?」
「しないわよ。私の仕事は指示を出す事だもの。なんで、私のやる事はもう終了しているのです。あとは進捗を待つだけね。……んむ、うまいうまい」
悪びれる様子もなく陽炎は美味しそうに和菓子を頬張る。どっしりと構える彼女を見て、時雨は逆に感心してしまった。
「キミはなんだか大物感があるね」
「まあね。このくらいの器量がなくちゃ、陽炎型のネームシップは務まらないでしょ」
自信満々に陽炎は言った。そんな彼女に朝潮が懐疑の視線を向ける。
「かっこいい事を言っていますが、それはいわゆるサボタージュでは?」
「フッ」
朝潮の言葉に陽炎は不敵な笑みで返す。続く言葉はない。笑って誤魔化そうとしていた。「むー」と唸る朝潮に不知火が告げる。
「朝潮、構うだけ無駄ですよ。手を抜ける大義名分を得た陽炎はテコでも動きません」
「流石は我が愛しの相棒。よくわかってるわね」
感心するように陽炎は何度も頷いた。
「さて陽炎。アナタの分担場所ですが、資材庫から最も遠い出撃ドックになりました」
「はあぁ!? なんでよ!」
「何を言ってるんです。か弱い子達の負担を考えて、遠い施設には体格の良い年長者を配置するよう言ったのは陽炎ですよ。アナタは見事、その条件に符合しているじゃないですか」
「んな……!」
陽炎は駆逐艦の中では発育の良い身体をしており、尚且つ年齢も平均より上の艦娘である。重労働に十分耐え得るタフネスを兼ね備えていると判断していい。
「それに比べ、か弱い不知火達は資材庫から最も近い艦娘寮の担当にしましょう。ええ、そうしましょう」
「あーっ、それ職権乱用じゃない! ズルイわよ!」
「はて? 不知火は己が責務に従事しただけですが?」
「くわーっ! その『何言ってんのこの人』みたいな顔やめなさいよ! 朝潮はまぁわかるけど、アンタはアタシよりも筋肉あるでしょ! むしろ脳味噌まで筋肉じゃないアンタは! それでよく自分をか弱いだなんて言えたもんね!」
「フッ、妄言を。見てください、二の腕なんてこんなぷるぷるですよ」
そう言いながら不知火は腕を持ちあげ、腕を揺らす。二の腕は微動だにしなかった。極限まで引き締まったアスリートのそれである。
「ほら」
「何が『ほら』よ! 妄言言ってんのは完全にアンタじゃない!」
「おや、そんな雑談をしている間に朝潮が分担表を完成させたようですよ?」
「はい、完成しました!」
朝潮が誇らしげに完成した分担表を掲げる。出撃ドックの分担には不知火が言った通り、陽炎の名前が記されていた。
「ふんっ──ハッ!?」
朝潮の手から分担表を奪おうと伸ばされた陽炎の腕は、不知火の恐ろしく素早い手刀によって払われた。
「残念ながら既にこれは公式文書です。身勝手に破り捨てれば厳罰ですよ?」
「うぐぐっ……!!」
完璧なる墓穴を掘った陽炎はがっくりと肩を落とす。その肩に時雨は手を置いた。
「一本取られたね、陽炎。不知火の方が一枚上手だった訳だ」
「ちなみに時雨、アナタも出撃ドックの担当なのであしからず」
「──え?」
不知火の言葉を受けて、時雨は分担表に目を通す。陽炎の名前の隣には時雨の名もあった。
「改二になってかなり身体が成熟した様子なので、時雨さんはここが適任かと思います」
悪意のないキリッとした顔の朝潮が言った。彼女にしてみれば真面目に考えた結果の割り当てである。そこに他意はなかった。なので時雨も強く反論はできない。
「えっと……僕、帰って来たばかりで、実は道中交戦したりもして、疲れていたりなんかしちゃったりするんだけど……」
なんとか言い逃れようとする時雨の肩に力強い手が置かれる。言わずもがな、それは陽炎の手であった。
「ヘイヘイ、時雨ちゃん。一人だけ逃れようってのは水雷魂的にどうなのよ」
「陽炎……、僕まで冥府魔道に落とす気かい?」
「こうなれば一蓮托生でしょ。仲良く資材庫と出撃ドックを行ったり来たりしーましょ」
「むぅ。今日ほど自分の成長が早くて悔んだ事はないよ」
「フッ。私もよ」
観念した二人は景気づけに和菓子を頬張る。穏やかな甘みが疲れを癒すが、これからの重労働を考えると気休めにしかならなかった。