艦これ Side.S   作:藍川 悠山

45 / 94
05

 

  5

 

 

 未だ日も昇らぬ早朝。辺りは暗く、足元の海面すら正確には視認できない。そんな早い朝の海に二人は立っていた。

 

 既に艤装は装着してある。出立の準備も十全だ。

 故に言葉もなく、二人は旅立ちの時を待つ。日が昇った時が合図。あと数分もすればその時間は訪れる。

 

 彼女達の背後。そこにある港では二人を見送る人達が集っている。共に戦った者。戦いを支えた者。二人と関係を持った人達がその出立を見送る為、その場にいた。

 

 別れの言葉はない。別離を惜しむ言葉はもはや言い尽くした。だからこそ、これ以上は余分だ。全ての者がそれを弁え、言葉ではなく視線で二つの背を押す。

 

 隻眼の艦娘は頼もしい笑顔を送り、その妹は期待を込めた視線を送る。戦いを共にした艦娘達は二人の武運と無事を願い、戦いを支えた者達は二人の行く先に幸あらん事を祈った。

 

 そして、紅白の衣装を身に纏う姉妹はひたすらな感謝と誤魔化せない寂寞の想いを込めて、去っていく二人を見つめた。その瞳は揺れる事無く、毅然とした二人の背を心に焼き付ける。

 

 暁の空が白みだす。夜明けは近い。旅立ちの時は目前だ。

 

 鋼鉄のサンバイザーを被る艦娘が巻物を広げる。それは滑走路であり、彼女の艤装。艦載機は巻物を滑走し、次々と明るくなった空へと飛び立つ。それらはすぐに海上の二人を越えて先に進み、彼女達の進路を先導する。

 

 頭上を越えた艦載機を確認して、二人は頷き合い、機関に火を入れた。

 進み始める二人。同時に見送る人々からは離れていく。別れの時は来た。夜明けは訪れ、白かった空は黄金に輝いた。

 

 二人は振り向かず、目の前に広がる水平線を見つめる。太陽が姿を見せ、その圧倒的な光を放つ。黄金の旭日。目が眩むほどに強烈な光を浴びながら二人はその極光の先を目指した。

 

「────」

 

 不意に誰かの声が聴こえた気がして、進みだした二人は一度だけ振り向いた。港にいる仲間達の姿は小さく、もうよく見えない。二人の名が呼ばれた気がしたけれど幻聴だったのかもしれない。それでも──

 

「きっとまた会えるさ」

 

 ──二人の内、一人がそう呟いた。もう一人もそれに頷き、今度こそ前を向いた。

 

 二人──時雨と満潮はそれから振り返る事無く、自分達の進むべき道を行く。黄金の空の下、多くの瞳に見送られながら二人は西方の鎮守府を旅立った。

 

 

  -◆-

 

 

 時刻が正午に至る頃、時雨と満潮の二人は何事もなく目的地である中央の鎮守府、その近海付近にまで達していた。空は快晴、海は穏やかだった為、航行は極めて好調であった。

 

「もうすぐ鎮守府ね」

 

「そうだね。こんなに早く帰ってくるとは思ってなかったけれど、なんだか随分長い間離れていた気がするよ」

 

 その実、二人が中央の鎮守府から離れていた時間は二週間にも満たない。しかし、その間に得た経験の大きさは何物にも替え難かった。それをしみじみ感じ入る。

 

「戻ったらまずどうする?」

 

「提督の話を聞くよ。その為に呼び戻されているんだからさ」

 

「まぁそうだけど……、それが終わったらよ。自分の時間が出来たらまず何がしたいって話」

 

「ああ、そういう事。……うーん、あんまり考えてなかったね。とりあえず白露あたりに顔を見せてあげようかな」

 

「一直線一番バカか。姉妹艦で仲良い奴はいっぱいいるけど、アンタ達はその中でも群を抜いて仲良いわよね。いつも一緒にいる訳ではないし、べたべたスキンシップ激しい訳でもないのに、なんていうか、二人でいるのが妙にハマるというか、見ている側も落ち着くというか」

 

「なんだかんだ一番付き合いの長い友達だからね。艦娘として戦い始めるよりも前から付き合いのある幼馴染だし」

 

 それで宿した魂も姉妹艦なんだから、本当腐れ縁だよね──と時雨は笑う。

 

「確か家が隣同士だったんだっけ?」

 

「正確にはお向いさんだね」

 

 艦娘として生まれた子供は国の保護の下、保護者によって育てられるか、または国営の特別育成施設に収容される。時雨は前者として人の社会の中で育ち、奇妙な縁により姉妹艦である白露とは幼少期を共にしていた。血の繋がった姉妹が、姉妹艦の艦娘として出生する事はよくあるが、血縁のない姉妹艦が時雨達のように幼少期を共有する事は稀なケースであった。

 

「それは国が配慮して後から引っ越しさせたとかじゃなくて?」

 

「うん。僕と白露は二週間くらいしか生まれた日数が違わないし、互いの母親が妊娠する前からお向いさんだったからね。本当に偶然だったらしいよ」

 

「なんともまぁ……縁ね、それは。下の妹連中は実の姉妹なのよね?」

 

「村雨と夕立だね? そう、正真正銘の双子だよ」

 

「にしてはあの二人って似てないわよね。見た目はなんとなく似てるけど、中身がさ」

 

「二卵性らしいからね。実際は同じ日に生まれた普通の姉妹みたいなものさ」

 

「それなら納得」

 

「満潮は施設育ちだったよね」

 

「……なんで知ってるのよ」

 

「以前に朝潮から聞いたんだ。『満潮がすれた子なのは親に捨てられて施設に入れられたと思っているからなんです』ってさ」

 

「あの真面目女……余計な事を……!」

 

 真面目の権化たる長女を想起して満潮は苦い顔を浮かべる。しかし、次の瞬間には溜め息を吐き、力を抜いた。

 

「まぁそうよ。別に珍しい話でもないでしょ。自分の産んだ子がいずれ化物と戦う運命にあって、命懸けの戦場を生きていく事が決定付けられている。それを知りながら愛情と時間を費やしてまで、自身の手で育てようと思う親がどれだけいるのか、考えるまでもないでしょ。施設で育ったほとんどの艦娘はそういった経緯で施設に入るし、その事で親を怨むとかもないわ」

 

「じゃあ、なんでキミはあんな刺々しく育ったんだい?」

 

「アンタはホント答え辛い事を平気で聞くわね。……それは、アレよ。ほとんどの連中が受け入れる事を、私は受け入れられなかったって事よ」

 

 遠くを眺めながら満潮は言う。

 

「物心が芽生えた頃、考えちゃったのよ。ホントに余計な事なんだけどさ。両親にとって自分は自身の人生を消費してまで育てる価値のない存在なんだって。愛するには値しなかったダメな娘だったんだって、そう考えたのね。最初は悲しかった。でも次第に反感を覚えて、最終的には周囲の拒絶に落ち着いたのよ。ま、ちょっとした人間不信ね。そういう時期が確かにあった。それが尾を引いて今の人格が出来上がりってわけ。幼稚だと笑ってもいいわよ。自分でもそう思うもの」

 

「いや。キミの悲しみも反発も正当なものだよ。同情してはあげられないけど、キミが苦しんだ時間は間違っていないと思う」

 

「ん、ありがと。……あぁ、でも勘違いしないでほしいんだけど、別に施設で育った事は決して嫌に思っていないからね。朝潮や大潮、荒潮あたりと出会ってからは、あれはあれで楽しかったと思うし」

 

「うん、わかってるよ。キミが自分を不幸だとか不遇だとか、そんな甘えを抱いていないのはよく知ってる」

 

 キミは強い子だもんね──と時雨は満潮の頭を撫でた。満潮はその手を振り払わず、小さく鼻を鳴らす。その事を時雨は意外に思った。

 

「あれ、キミならてっきり『子供扱いするな』って怒るものだと思ったんだけど」

 

「ふん。残念ね、私にはもうその手のからかいは通用しないわよ」

 

 自分を肯定してくれる行為に対して反発はない。それを自然に受け止められるほど満潮の棘は抜けていた。自身の成長を誇らしげに語る満潮は胸を張る。

 

「──…………」

 

 そんな会話の中、不意に時雨の表情が固まった。驚きと戸惑いが混じった顔を満潮のいる方に向けている。

 

「ちょっと時雨、私をからかえないのがそんなにショックなわけ? アンタも大概意地が悪い──んぐっ!?」

 

 話も半ばに満潮は時雨に口と肩を押さえられ、強引に姿勢を低くさせられた。いきなり乱暴にされ、目を白黒させる満潮の耳元に時雨は「静かにして」と優しく囁く。耳元で囁かれ、なんだか全身が強張ってしまったが、満潮はなんとか頷きを返した。

 

 それを確認した時雨は満潮の口から手をどけた。口が解放された満潮はいろんな意味で慌てている心中を落ち着かせる。深呼吸を一度すると、小声で問い掛ける。

 

「いきなり何、どうしたのよ」

 

「あそこを見て」

 

 二人して海面に膝をつき、低姿勢のまま満潮の背後を時雨は指差す。その方向にはひたすらに海が広がっていたが、しかし、目を凝らしてみれば水平線上には確かな陰影が浮かんでいた。

 

 視力が極めて良好な時雨でなくても、それは確認できた。つまり距離はそう遠くない。

 

「あれって、深海棲艦? ……嘘でしょ。そろそろ鎮守府近海よ」

 

「でも間違いないよ。僕の目で確認できる範囲では空母ヲ級が一隻、随伴艦の駆逐艦が二隻。随分と身軽な機動部隊だ。今の中央が主戦力をトラック島に置いている事を察知して、その薄くなった警備を抜けてきたと見るべきだね」

 

「小規模での奇襲ってわけ。狙いは鎮守府……しかないわよね」

 

 満潮の言葉に時雨は頷く。

 

「どうする満潮。戦力的には劣っているけど、こちらの存在は知られていないみたいだよ」

 

「……そうね」

 

 満潮は急ぎ考えをまとめる。鎮守府は間近だ。ヲ級から艦載機が発艦される前に対処しなければならない。

 

「鎮守府に打電後、なるべく身を隠して接近、急襲しヲ級を無力化する。……どう思う?」

 

「僕等ができる最大限だね。リスクはあるけど、上手くいけば勲章ものだ。うん、やろう」

 

「よし。……けど、目的はヲ級の無力化であって撃破じゃないからね。無理はせず、危ないと感じたらすぐに逃げるわよ。最悪、鎮守府に先回りして防空に回る。いいわね?」

 

「わかってる。こんなところで沈むつもりはないよ」

 

 目的を確認して、二人は姿勢を低くしたまま深海棲艦が見える方向へと進んでいく。遠くから見れば二人の身体は波間に消え、注意していなければ察知する事は出来ない。日中であっても一定の距離までは隠密行動が可能だった。その間に鎮守府へと打電を飛ばした。

 

 ある程度接近し、満潮の目にも敵の詳細が視認できるほどまで近付いた。巨大な帽子と杖を持った特徴的な人型と、それを上回る大きさを持つ見慣れた駆逐イ級の姿がそこにはあった。時雨の見立て通り、ヲ級が一隻、イ級が二隻。こちらの動きが露見している様子はない。

 

「そろそろ見付かってもおかしくない距離ね。あと十秒間前進したら、隠密行動を解除して急襲するわ」

 

 時雨は「了解」と頷いて、その時を待つ。

 口に出さずに秒数を数えていき、それが七秒に達した瞬間──二人は同時に左右へと飛び出した。着水の事を考慮せず海面を蹴り、横に転がる。まったく余裕のない回避行動。しかし、その甲斐もあり、辛うじて回避は間に合った。

 

 二人が一瞬先には通過していただろう地点から水柱があがり、その中から砲弾が空へと昇る。海中からの砲撃。予想も及ばないその攻撃を察知し、間一髪ながら回避できたのは戦闘経験からなる直感があってこそだった。

 

 時雨が左、満潮は右に避け、隊列は左右に広がる。だが、隊形を組み直すなどという無駄な動きは出来ない。足を止め、全感覚器と電探及びソナーを駆使し、二人は見えない敵の正体を探る。

 

 潜水艦ではない。少なくとも単なる潜水艦ではない。水中から砲撃してくるなど、もはや艦種として分類していい存在ではない。

 

 ならば──と、時雨は思い至った。そんな規格外を時雨はただ一つだけ知っている。

 

「満潮、前だ」

 

 注意を呼び掛け、時雨は前方を注視する。

 極めて静かにソレは現れた。海面に波紋を発てず、見えない糸に釣られるような浮遊感で、海の底──深海よりソレは出現した。

 

 膝より先がない事以外、人間と酷似した異形の影。黒鉄の艤装に身を包み、刺々しくも禍々しい威圧的なシルエット。一度見ればその姿を忘れはしない。──駆逐棲姫。先の戦いで突如現れ、全てを台無しにした規格外の存在だった。

 

「時雨……、あれが」

 

「うん。間違いなく、アイツだ」

 

 砕けた半面。歪にひしゃげた凹凸のある装甲。修復された形跡のある駆逐棲姫は以前の個体と同一と判断するべき。否、判断よりも先に、時雨は感覚として理解できた。己が敵の存在を感知出来ていた。

 

「聞いていた通り、最悪のタイミングで出てくるのね。いえ、相手にとっては都合がいいんだろうけど」

 

「よほど僕等に邪魔されたくないみたいだ。それだけあのヲ級が重要なんだね」

 

「はっ……、露骨ね。だったら尚更邪魔したくなるわ」

 

「同感だね」

 

 駆逐棲姫は二人の進路を塞ぐように対峙している。その思惑は手に取るようにわかった。駆逐棲姫は壁。障害物に他ならない。ならばするべき事は一つだ。

 

「時雨、アンタの方が強いんだから自分の役割をわかってるわね?」

 

「わかってるよ。任せて」

 

 意思を疎通し、二人は砲塔を構える。時雨は艤装を展開させ、左腕の大型砲塔を突き出し、満潮は右腕の連装砲で狙いをつける。そこに規格外の相手に対する恐れは一切ない。考える事はただ一つ。相手の思惑を打ち砕く事のみ。

 

 その動きを確認して駆逐棲姫も活動を再開する。両腕の生物的な大型砲塔を持ちあげ、その口が開かれる。覗くのは砲身。機械的な内部を露出して、駆逐棲姫は声なき咆哮をあげた。

 

 先に仕掛けたのは駆逐棲姫。咆哮は砲弾となり、左右に広がる二人を目掛けて放たれた。二人は波を蹴り、急発進し、それを回避する。攻撃のタイミングを待っていたかとばかりに、その動きは洗練されていた。

 

 時雨が突き出した左腕の大型単装砲を撃ち出す。駆逐棲姫の右半身を狙った一撃は、しかし、当たり前のように回避された。既に何度も体験した駆逐棲姫が規格外たる所以。物理法則を無視した急発進と急制動。そして攻撃を見てから回避しても容易く間に合う驚異的な直線移動速度。それにより駆逐棲姫は時雨の砲撃を当然として回避する。

 

 以前は万が一とも言える確率で駆逐棲姫は回避するタイミングを間違えたが、そんな奇跡に二度目はない。だが──

 

「──!」

 

 その驚きは駆逐棲姫のものだった。否、驚きというものを感じているかは定かではなかったが、その動きは明らかに鈍化した。

 

 駆逐棲姫は被弾したのだ。

 回避したはずの時雨の砲撃に──ではない。移動した先に飛来した満潮の砲撃が直撃した。

 

 駆逐棲姫の回避行動は完璧だ。それが命中弾であるか否か、そしてどこに命中するのか、それを分析した上で最低限度の動きを以て回避する。右半身を狙った攻撃が来るのなら左に移動し、最低限の行動でそれを避ける。一切の無駄がなく、機械のように精密な行動。人の身にはおよそ出来ない技術。だからこその完璧だ。

 

 完成された回避行動は、しかし、最適ではない。その状況次第で最適解というのは変化する。無駄がないというのは、つまり余分がないという事。余剰がなければ応用は出来ない。いつだって完成された動きしかできない。その完璧は完全であるが故に脆弱だ。一撃一撃を完全に回避できるとしても、不規則な連撃に対応できるとは限らない。完成されたモノに柔軟性など存在せず、そこにつけ入る隙が生じる。

 

 完成された動きは予測できる。一度目の攻撃は完璧故にまず当たらない。だが、二度目の攻撃ならばどうか。一度目の攻撃を回避し、その行動が完了した瞬間と、二度目の攻撃を回避しようとする動きは繋がらない。極限まで予備動作を必要としないからといって、それがゼロになる事はない。一度目と二度目の合間に静止する刹那は確かに存在する。その一瞬の静止状態を予測し、移動先に砲撃を先んじて放つ。これこそが駆逐棲姫の攻略法。思い立って即実践できる芸当ではないが、二人はその特訓を西方の鎮守府にて行っていた。

 

「お生憎様。アンタの対策を用意していないとでも思った?」

 

 不敵に笑う満潮が言った。

 MO作戦で最も驚異的だった敵。その研究と対策を怠るほど満潮と時雨は愚鈍ではない。それが脅威であるのならば尚更だ。同じ手は二度も通用しない。二の轍は踏まない。人は学習する生き物。それを知らぬ駆逐棲姫の失態だった。

 

 二人は被弾し怯んだ駆逐棲姫に追い撃ちを放つ。時雨は追い撃ちの為に準備していた右腕の砲塔二基を発射し、満潮も装填完了後、次弾を叩き込んだ。放たれた砲弾は次々と命中し、駆逐棲姫の身体は爆炎に包まれる。それでも尚、二人は容赦なく全砲門を爆炎の方向へと向け、集中砲火を浴びせた。

 

「■■■■■■──!!」

 

 数多の被弾を受けた駆逐棲姫が苦悶の咆哮と共に爆炎から逃れ出る。一直線に横へ離脱し、砲弾から逃げ延びた。──しかし、それは同時に時雨達の進路を封じるという役目を放棄したに等しい。

 

「──時雨!」

 

 満潮の声に反応して時雨が駆け出す。真っ直ぐに前進し、その先にいる空母ヲ級を目指した。二人の目的はヲ級の無力化であり、敵戦力の撃破ではない。このまま二人で戦えば間接的に祥鳳の生命を奪った駆逐棲姫を撃破する事は出来たかもしれないが、それで鎮守府への攻撃を許してしまえば意味がない。優先すべき事柄を見失わず、二人は私情を捨て、目的を遂行する。単艦での能力が高い時雨をヲ級に向かわせたのもその為だ。

 

 それを察知した駆逐棲姫の行動は早かった。瞬時に転回し、駆け出した時雨を追走──しようとして背後を撃たれた。

 

「チッチッ、人を無視するのはよくないわよ?」

 

 駆逐棲姫の後ろには満潮が位置し、無防備な背中を狙っていた。時雨を追えば背後を撃たれ、満潮の相手をすれば時間を稼がれる。多くの被弾をした今、背後を撃たれ続ければ規格外の化物と言えどタダでは済まない。既に修復した装甲は消耗し、各性能も低下している。これ以上の損害は今後に関わる。八方塞。なれば迅速に障害を取り除き、時雨を追撃する──と駆逐棲姫は思考もなく、付加された命令に従った。

 

 振り返り満潮を視界に捉える。

 青の隻眼が輝き、駆逐棲姫はこの時初めて満潮を障害──敵だと認識した。

 

「やる気になったみたいね」

 

 連装砲を装填しながら満潮が言う。その表情から不敵な笑みは消えていた。突き刺さる殺意を受けて、心の奥に冷たい刺激が走る。恐怖を実感する。自分は相手を恐れている。そして、それを受容した。

 

 深く息を吐き出す。

 認めてしまえば楽なものだ。恐怖は結局恐怖でしかない。恐れは当然。不安はいつだって身の周りに存在する。それを感じて、今更動揺する事なんてない。自然な事だ。恐怖も恐れも不安も、当たり前にありふれている。だから、自分も自然でいよう。決して呑み込まれてはいけない。

 

 適度に脱力して、適度に力を込める。

 戦いの覚悟は定まった。──さあ、ゴングを鳴らそう。

 

 装填した連装砲を構え、満潮は目の前の恐怖へと砲弾を撃ち込んだ。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。