艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 月下の防波堤。山城が一人でいたい時に訪れる定位置だった。

 鎮守府庁舎の方に耳を傾ければ、未だ喧騒が聴こえてくる。既に宴会は終了していたが、まだ熱狂の名残がざわついているらしい。

 

 その喧騒から遠く離れ、膝を抱えた山城は海に向けて溜め息を零す。頭に浮かべるのは一人の少女の事だけ。近々ここを去るという少女の事だけ。

 

「まいってるわね、わたし」

 

 戦艦 山城はまいっていた。たった一人の少女にまいっていた。他でもない駆逐艦 時雨にまいっていた。

 

 時雨と一緒にいて、いつもの自分でいられた時はない。いつだって心が動いていた。それはつまり自分にとって、あの少女は特別な存在という事だ。

 

 認めなければならない。いい加減認めなければならない。

 姉──扶桑が言った事は正しかった。自分は彼女と別れるのが寂しい。離れたくないと思ってしまっている。

 

「けれど、それだけじゃない」

 

 自問する。答えは元より持っていた。

 

「わたしはあの子を放っておきたくないのよ」

 

 不安だった。

 自分の手の届かない場所に行ってしまう事が不安だった。

 

 時雨という少女は目的の為に命を棄てられる子だ。いや、それでは語弊がある。棄てるのではなく、使える子なのだ。それが自分にとって望む事であるのなら、生命ですら対価として喜んで支払える。あれはそういう手合いだと知っていた。

 

 目を離せば彼女はいなくなる。自分が関与できない場所で、呆気なく自分の使命に殉じる。──漠然とそんな予感があった。

 

「なのにあの子は……」

 

 人の気も知らないで、一人だけずっと先を見ているのだ。出会った頃より何倍も綺麗な目をして、真っ直ぐに前だけを見ているのだ。本来祝福すべきその尊い視線を、自分は苛立たしく感じてしまう。

 

「はぁ……、本当に、まいってしまうわ」

 

 以前の自分ならこんな事を思う筈もなかったのに。

 思考停止と現実逃避を得意技としていた頃の自分なら、その眩しさからただ目を逸らすだけで済ませていた筈なのに。

 

 ……今では目を逸らす事も、目を閉じる事もできない。それをいつまでも見ていたいと思ってしまう。

 

 あぁ、なんてこと。結局は──

 

「──あの子と一緒にいたいだけなのね」

 

 観念するように山城は吐露した。

 照れ臭くて少しだけ笑ってしまう。そんな気持ち、姉に対していつも感じている事なのに、言い様もなく新鮮な気分だった。

 

「……山城?」

 

 不意に声がして振り向く。視線の先に時雨がいた。……どうしてこう、この子はタイミングがいいのだろうか。どうして、よりにもよってこんな気持ちの時にやってくるのか。本当、まいってしまう。

 

「ああ、やっぱり山城だ。こんばんは」

 

「……あなたは、本当にいつも突然ね」

 

「あはは、ごめん。実を言えばもしかしたらここにいるかなって思ったんだ」

 

「わたしを探していたの?」

 

「うん、それもあるね。でもいなかったらいないで、ここで酔いを醒まそうと思ってた」

 

 防波堤に座りこむ山城の隣に立って、時雨は気持ち良さそうに夜風を浴びる。少しだけ火照った頬が妙に色っぽく見えた。山城がその横顔を眺めていると、視線に気づいたのか時雨が顔を向ける。二人の視線が交差した。

 

「山城はどうしてそんな苦しそうな顔をしているの?」

 

「え──」

 

 時雨の問いを受けて声が漏れる。

 苦しそうと言われた。今の自分は苦しそうなのだろうか。……あぁ、でも確かに苦しいところはある。いつからだろうか、この子といるといつも──胸が、苦しい。

 

 それを認識した途端、胸に詰まっていた何かが決壊した。凝り固まっていた何か。押し殺していた想い。今まで避けてきた感情が溢れ出る。

 

「あなたがいなくなるからよ」

 

 その言葉はいとも容易く口から零れ落ちた。ほとんど無意識だった。

 

 時雨は目を見開き、驚きを表す。同じく山城も自分の発言に驚き、誤魔化す為の言葉を探した。けれど見付からなかった。口から零れ出すのは本当の気持ちだけ。

 

「あなた、わたし達を守るって言ったじゃない。なのに突然いなくなるなんて無責任よ」

 

 ───だから隣にいて欲しい。

 

「わたしの心に踏み込んできて勝手にいなくならないでよ。そういうの迷惑なの」

 

 ───だから隣にいて欲しい。

 

「人をこんな気持ちにしておいて……、どこかにいかないで」

 

 お願いだから隣にいて欲しい。

 

 感情がそのまま言語として出力されていく。初めての経験故にそれを止める術など知らなかった。友情か愛情かを問わず人を好きになるという事を怠ってきた山城の落ち度。好意とは劇薬だ。自分にも他人にも影響を及ぼし、感情の処理を間違えれば暴走する。──そして、それはすべからく人に変化を与えるものだ。

 

 涙が零れた。

 散々気持ちを吐き出して、その最後には涙が零れ落ちた。

 

「あ──……信じられない。わたし、泣いてるの?」

 

 涙に気付いて我に返った途端、恥ずかしさが沸いてくる。涙している自分が格好悪くて、山城は両手で顔を隠した。

 

「山城」

 

 彼女の本心を黙って聞いていた時雨は涙する山城にハンカチを差し出す。顔をあげた山城はその白い無地のハンカチを見た。飾り気のないデザインに時雨らしさを感じながら山城はそれを受け取る。

 

「ごめんなさい。こんな事を言うつもりじゃなかったの」

 

「うん、わかってる。でも、そう思ってくれてるのは本当なんだよね?」

 

 山城は小さく頷く。

 その事に関して偽りはない。だから頷かざるを得なかった。

 

 隣に立つ時雨はすっかり酔いも醒めた様子で頬を掻く。

 

「なんか、驚いたよ。まさかキミにこんなお願いをされるとは思わなかった」

 

「……わたしの方が驚いたわよ」

 

 静かに流れる涙を拭いて鼻をすする。大人の威厳などまるでない。尚更気恥ずかしくなって抱えた膝で顔を隠した。

 

 そして、ふと感じ入る。

 自分にもこんな感情があったのかと。なりふり構わないほど必死に焦がれる気持ちがあったのかと。それがとんでもなく驚きで、それと同じくらい嬉しくもあった。だからこそ彼女を愛おしいと思うし、だからこそ理解してあげなくてはいけないとも思う。

 

「その……、すごく嬉しいよ。キミが別れを惜しんでくれるのならこれ以上の事はない」

 

 でも──と、時雨は続ける。山城はそれに続くわかりきっていた返答を聞いた。

 

「──ごめん。それでも僕はいくよ。やるべき事が出来たんだ」

 

 彼女の言葉は、すん、と腑に落ちた。それでこそ自分の知る駆逐艦 時雨だと山城は納得する。頑固で強情な困った奴。けれど、それ以上に尊いと思える。一緒にいると楽しくて、自分に色々なモノを与えてくれる掛け替えのない大切なわたしの──友達だ。

 

「それはあなたじゃなければ出来ない事なの?」

 

「わからない。僕じゃなければダメなのかもしれないし、僕にも出来ない事かもしれない。でも、やらなくちゃいけない事だと思うんだ」

 

「そのやるべき事って、わたしには教えてくれないの?」

 

「……ごめん」

 

 運命を変える為に戦う──とは言えなかった。

 運命の存在を知れば山城は時雨の為に動くだろう。そういう優しい人だと知っている。時雨にはそれが嫌だった。叶うなら守られるだけのお姫様でいてほしい。それは自分のエゴだと知りながらも、自分に彼女達を守らせてほしかった。

 

「そう……、相変わらずあなたはよくわからないわね。いつだってそう。あなたはいつも自分にしかわからないモノの為に戦っていた。自分勝手に意地を張って、頑ななほどひたむきだった。──でもいいわ。あなたの事を信じてあげる。そんなあなたの事をわかってあげる」

 

 それを山城は理解する。彼女の気持ちに理解を示す。

 詳しい事情を知らずに受け入れる。その人物を理解した上での受容。信頼するとは即ちそういう事だ。

 

「大丈夫よ。わたしはもう大丈夫。……だから頑張ってきなさい」

 

 彼女の目指す先に何が待っているのかは知らないけれど、願わくばこの子が笑顔になれるような未来を祈って、山城はその言葉で時雨の背中を押す。時雨はそれに頷いて「ありがとう」と呟いた。

 

「…………」

「…………」

 

 二人は同じ風景を見つめる。

 防波堤から眺める夜の海。柔らかな月の光。打ち寄せては引いていく潮騒。涙した頬を撫でる涼しい海風。そして隣から感じる大切な人の体温。

 

 緩やかな時間の流れの中、二人はその空間を共有した。

 

「ねぇ、一つだけお願いを聞いてくれない?」

 

 ぽつりと山城が声を零す。

 

「いいよ。僕が叶えられるならいくらでも」

 

 即答する時雨に、山城は顔をあげる。

 隣に立つ彼女を見上げて、涙で目元が赤くなった瞳を向ける。

 

「抱きしめさせて」

 

 僅かな驚きが時雨の顔に浮かぶ。しかし、次の瞬間には優しい笑みに変わっていた。

 

「うん。お安いご用だ」

 

 時雨は膝をついて、座っている山城の目線に合わせる。山城も姿勢を直して時雨と向かい合う。同じ姿勢になれば、やはり時雨の方が数段小さかった。

 

 その小さな体を山城は抱きしめる。

 互いの身体を押し付け合うように、二人は隙間なく密着する。熱い体温。心臓の鼓動。首筋の匂い。滲む汗の感触まで感じ合う。

 

 力を込めた山城の腕が時雨の身体を締め付けた。痛いほどの抱擁。彼女が今、ここにいる事。そして、その存在を確かめるような必死さで、山城は無意識の内に時雨をきつく抱きしめていた。

 

 時雨はその痛みを受け入れる。

 苦しさはあったけれど、それに勝る喜びが全身に巡っていく。それを少しでも返すように、時雨は慈しみを込めて山城を抱きしめた。

 

 


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