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駆逐艦 時雨は夢を見る。
自分の夢。在りし日の艦艇が見る夢ではなく、いつか自身が辿る事となる日々の夢。それは未来。定められた運命が導く駆逐艦 時雨の生涯だった。
その日々の中、一人の戦艦の最後を見届けた。
その日々の中、姉妹の誰かが死んだと聞いた。
その日々の中、目の前で仲間達が弾けた。そこには姉妹もいた。自分だけが生き残った。
その日々の中、夜戦で傷付き動けなくなった誰かを残して自分達は去った。彼女は沈んだ。
その日々の中、度重なる空襲を受けた。その度に誰かの断末魔を聴いた。
その日々の中、姉妹の誰かが目の前で死んだ。
その日々の中、姉妹の誰かがまた目の前で死んだ。
その日々の中、姉妹の誰かが戦場で動けなくなった。見捨てるしかなかった。彼女も死んだ。
その先に地獄があった。
炎を吹いた■■の身体が二つに分かれ、鮮烈な赤を撒き散らした。先を進む■■は爆発と共に沈んだ。まだ出会えぬ■■と■■も夜の暗闇に消えていった。
■■が花を咲かせた。紅蓮の華。それでも彼女は沈まなかった。
「わたしを省みず先に進んで」
彼女はそう言った。そう言い残して彼女はいなくなった。
先に進んだ。地獄は更に苛烈さを増す。砲弾の雨が容赦なく自分達を襲う。共に進むのは僅かに一人。自分より大きな■■は被弾し、心を消耗させていく。彼女を慮る余裕なんてなかった。一瞬でも心配すれば次の瞬間には自らが没する。そんな地獄だった。
地獄を前に僕等は諦めた。
彼女達が死んだ甲斐もなく、僕等はなんの結果も残せずに敗走した。途中で二つに分かれた■■を見た。心が潰れた。
必死に逃げて、気付いた時には一人だった。一緒に逃げていた■■はいなかった。その後、彼女が死んだ事を聞いた。
地獄を越えた。いや、越えてなどいない。地獄の後に続くのは、結局更なる地獄だけだった。
その時にはもうほとんどが死んでいた。
あれだけいた仲間達は……、共に戦ってきた仲間達は……もう簡単に数えられるほどしか残っていなかった。
その先に勝利はない。今すぐ負けない為だけに戦いは続いた。自分達の命を使った時間稼ぎ。それは延命ではなくて、ゆるやかな自殺に近かった。
それでも──と、自分は戦い続けた。
吐き出すのは偽善めいた言葉と空虚な強がり。そして鮮血。
それでも──と、自分は止まれなかった。
この身は既に己だけのものではない。誰かの死を背負い過ぎたのだ。誰かの死を見届けてきた自分の生には意味があるのだと傲慢にも思いあがった。だから、そこに救いなどあるはずもなかった。
摩耗した心で誰かを守ろうとした。
龍の名を持つ誰かを守れなかった。
龍の名を持つ誰かを守ろうとした。
今度は守れた。けれど、自分が守ったモノを知って絶望した。
最後の最後に命を用いる兵器を守って、その役目を終えて、自分は沈んだ。多くの死を見送った自分は呆気なくその生に幕を下ろした。
それが運命の果て。
駆逐艦 時雨の運命が至る最果て。
──そんな夢を見た。そんな、いずれ訪れる現実を見た。
心が悲鳴をあげる。
それがどちらの自分かなどわからない。
かつての時雨か。現代の時雨か。或いは両方だったのかもしれない。
その運命を経験した者と、その運命が我が身に訪れると知った者。どちらにも悲鳴をあげる程度の資格はある。
悲鳴はやがて怒声に変わる。怒りは憎しみに転じて、憎しみは否定に繋がる。
否定する。
その運命を否定する。
そんなものは認めない。そんなものなど認めない。
それが自分の運命であるのなら、その悉くを征してやろう。
受容などするものか。甘受などするものか。諦めたりなどするものか。
失いたくないものがある。
失いたくないものができた。
この先にそれらは失われる。ならば挫けている時間などない。
覆す。絶対に覆す。
運命を覆して未来を掴む。自らが望む未来を掴んでみせる。
その決意を魂に刻む。──瞬間、景色は一変した。
どこまでも続く青。波のない海と雲のない空。その中で自分は船に乗っている。船には見覚えがあった。否、見覚えと言うよりかは見慣れた姿。もう一つの自分。在りし日の艦艇の魂がそこにはあった。
「あぁ……そうか。キミは──」
納得は当然だった。
夢を通して彼女はずっと訴えてきたのだから。
忘れられない光景を。地獄の光景を。そして、あの美しい船達を彼女は時雨に見せ続けた。その意図など考えるまでもない。
「──キミはずっと彼女達を救いたいと願っていたんだね。……うん、わかるよ。今の僕ならキミの想いが」
時雨も出会った。
あの夜、自分が求める運命と出会った。だからわかる。……彼女達を失いたくないと、その気持ちが痛いほどによくわかる。
「伝わったよ、キミの必死な願い」
手を伸ばし、砲塔に触れる。感情とも言える思念が流れ込んできた。それを受けて笑みを浮かべる。遠くに感じていた『時雨』の魂は、その実、自分と大して変わらない。
──やっぱり『僕』は僕なんだね。
「キミの願いは、もう僕達の願いになった。……一緒に行こう。キミの想いも全部受け止めるから」
触れ合った先から光が流れ込み、次第に船は輝く粒子となった。光の粒は桜吹雪が舞うように宙を漂い、その全てが時雨を基点に収束する。『時雨』は時雨に融けていき、船の姿は徐々に消え、ひたすらに青い世界だけが残される。
光が収まった時、その世界に時雨は一人だけしかいなかった。青い海の上に一人、彼女は触れ合った手を眺め、自分の胸に当てる。その胸にじんわりと温かさは広がった。
「そこにいるんだね。うん、僕等は一緒だ」
鼓動を共にし、二つの時雨は完全な同調を果たす。
この世界は一人と一隻の世界。どこまでも澄んだ果て無き青。その中で“時雨”は自らの運命に反旗を翻した。