艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 時は深夜。あと数刻すれば日付が変わる頃。扶桑と山城は与えられた自室にて身体を休めていた。扶桑は化粧台でスキンケアに勤しみ、山城はベッドに身を投げている。

 

「あぁ……、筋肉痛が痛い」

 

 久しぶりの長距離航行と、実質的な初実戦を経てここまでやってきた山城の全身は筋肉痛に支配されていた。企業で改修を受けていた間も自分に課したいくつものトレーニングを一日たりとも欠かしたことはなかった山城だったが、それでも今日の激務には足りなかったようだ。

 

「山城はもう筋肉痛? 若いと早いわね。わたしは寝て起きたら痛くなっているわ、きっと」

 

 筋肉痛が遅れてくるなんて、わたしももう若くないわね──と扶桑は笑う。自虐的な様子はなく、素直な感想であった。

 

「な、何を仰いますか姉様! 扶桑姉様は若いです! ええ、ぴちぴちですとも! いつもお傍にいる山城にはわかります!」

 

 山城の必死なフォローを扶桑は笑い流す。妹が自分を悪く言わないのをわかっている扶桑は、自身の評価に関する山城の発言を鵜呑みにしない事にしている。とはいえ、山城としては本心からの言葉であり、扶桑にしても言われて嬉しい言葉でもあるので、それに異を唱える事はしない。伊達に姉はしておらず、妹の扱いには慣れたものだった。

 

 そんな二人の部屋の扉を誰かがノックした。

 扶桑はだらける山城を一見し、山城が姿勢を直したのを確認すると、ノックしてきた人物に対して「どうぞ」と答えた。

 

 了解を得たその人物は、桃色のツインテールを揺らしながら顔を覗かせる。「どもども、失礼しますね」と人懐っこい笑顔を浮かべる彼女は、扶桑姉妹も見覚えのある顔だった。

 

「あら、あなたは確か秘書艦の──」

 

「──漣です! 提督からの指示で、山城さんを呼びに来ました!」

 

 はきはきとした口調で、漣は山城を名指しする。指名された山城は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「……提督がわたしに何の用よ」

 

「それは漣も聞かされていないんですよね、これが。なので別に無視しちゃってもいいと思いますよ。こんな時間に婦女子を部屋に呼ぶなんて不健全ですしおすし。それでも行かれるのでしたら提督室でお待ちですので、なるはやでオナシャス!」

 

 ではでは~……──と、漣はそそくさと去っていく。口も軽ければフットワークも軽い秘書艦であった。

 

 漣を見届けて、扶桑は山城の方を見る。

 

「積もる話もあるでしょうし、せっかくだから行ってきたら?」

 

「……姉様が、そう仰るのでしたら行ってきます」

 

 気乗りはしないが、決して嫌な訳ではない様子で山城は立ち上がり、筋肉痛の身体を引き摺って、提督室へと向かった。移動する中で、わたしに用事って何かしら──と考える。そして、きっと世間話でしょうね──と答えを出す。

 

「あの人、昔からおしゃべり好きだったものね」

 

 かつてを回想しながら、山城は提督室の前まで移動した。

 

「戦艦 山城、入ります!」

 

 一声と共に入室する。中にはやはりゴトウ提督が待っていた。

 

「お、来たかね。ああ、硬くならず楽にしなさい。知らぬ仲でもなし、今は遠慮も厳禁だ」

 

「はあ……そうですか」

 

 山城は気の抜けた返事を返す。それを見て、ゴトウが懐かしそうに笑う。

 

「作戦説明の席では話をする暇がなかったが……、いやぁ久しいな山城君。四年ぶりかね?」

 

「お久しぶりです、ゴトウ先生。四年と半年ぶりだと思います」

 

「そうかそうか。山城君と君の姉君も息災のようで何よりだ」

 

 そう言って笑うゴトウに視線を向けられず、山城は目線を落とす。

 

「……足を悪くされたそうですね。以前は健脚を自慢なされていたのに」

 

「ああ、原因不明の奇病でね。両足だけ年々筋力が落ちていくのだ。医者もお手上げらしい」

 

 ゴトウは枯れ木のように細い自身の両足を軽く叩きながら、変わらず笑顔を浮かべる。そこに虚勢はなく、自分の境遇に悲観などしていない。それをわかりながら、しかし、記憶の中の彼と比較すると、山城にはあまりに弱々しく見えてしまう。

 

「わたしを呼んだのは……やっぱり世間話をする為に?」

 

「うむ。せっかく偶然の再会を果たしたのだ。思い出話に花を咲かせようではないか。無論、明日の作戦に支障が出ない程度にな」

 

「…………」

 

「気乗りしないかね?」

 

「そんなことは……。ただ、わたしは口下手ですから」

 

「ふむ。確かに昔もそうだったね。……たかだか四年半前とはいえ、随分懐かしく思えるよ。あの時の私はまだ一教官で、提督業などする事になるとは思ってもいなかった。君も今よりも小さくて、姉君がいないと何も出来ない子だったね」

 

 懐かしむようにゴトウは言葉を紡ぐ。事実故に山城は反論できない。

 

「姉君が作戦で鎮守府を一人離れ、へこたれる君を教導する事になった時は本当に困った。まるで母親からはぐれた幼子のようだったからね」

 

「……その際はご迷惑をお掛けしました」

 

「ハハハ! まぁ、だからこそ放っておけなかったのだろうな。私の専門は水雷戦だったが、君の為に射爆理論を読み返した記憶があるよ」

 

 鬱屈とした山城の言葉を、ゴトウは笑い飛ばす。

 

「もう教導はされていないんですね」

 

「艦娘が少なかった昔とは違い、今は経験を積んだ子達が大勢いる。もはや普通の人間である私が出る幕はないよ」

 

 元より教えられる事も少ない。実際の船を使う海戦と艦娘による海戦は必ずしも互換性のあるものではないからね──と、ゴトウは続けて言った。

 

「ともあれ、思い返してみれば私が教導した中で、君が最も手の掛かる子だったな」

 

「……欠陥戦艦の相手は嫌でしたよね。ごめんなさい」

 

 当時を思い出し卑下する山城に、ゴトウは笑みの消えた顔で彼女を見つめた。

 

「馬鹿者。手の掛かる子ほど可愛いとはよく言ったものでね。実際、君ほど教えがいのある子はいなかったよ」

 

「え……」

 

「確かに艤装の問題で斉射すると自分に被害が出るわ、速力が遅い上に装甲もさして厚くなく、本人も本人で姉君がいなければポンコツであったし、現実逃避が得意技だとなぜだか誇らしげだったりと、いろいろ散々だったが……、それでも君は努力した。自分でも厳しく接したと思うほど過酷だった教導に、泣きべそかきながらでもついてきた君は間違いなく努力していた」

 

「それでも……努力しても駄目だったじゃないですか。教導効果試験でも丙評価でしたし」

 

「……私もそれが気掛かりだったよ。だから沢山悩んだ。この先、あの子は生き残れるだろうか。私の力不足で命を落とすのではないか。偉そうな事ばかり言って、女の子を戦場に送るだけしかできない私は、君達に守られる価値があるのだろうか──とね」

 

 自虐するようにゴトウはそれを口にする。

 その言葉を聞いて、山城は不意に思い出す。いつかの日々、彼の教導を受けた長いようで短かった期間。その中でたった一度だけ、厳しかった当時の彼が心中を吐露した事があった。その言葉を思い出す。

 

 『女子供に戦争させる今の世界は間違っている。だが、その間違いを正す力が我々大人にはないのだ。だから君は我々を許すな』

 

 記憶はおぼろげだが、確か自分が厳しい教導に対して不満を漏らした時の言葉だった。なぜ自分がこんな辛い思いをしなければならないのか。なぜ自分達だけが戦わなければならないのか。そんな事を彼に当たり散らした時に言われた言葉だった。

 

 今ならばわかる。

 あの二人の駆逐艦の目を見た時。死を覚悟した子供の眼を見た時。山城もまた同じ事を想った。その憤りは未だ尚、胸に灯っている。

 

 ……そうか。わたしがあの子達の為に戦おうと思ったのは、その言葉があったからだったんだ。

 

 その事に山城は気付いた。

 

「あります」

 

 山城は自然と言葉にしていた。

 

「艦娘の多くは世界の為、人類の為に戦っています。だったら、あなたにだって守られる価値がある。少なくとも誰かの戦う理由にはなります」

 

 ひねくれた慰めを言葉にする。戦いを強いる世界だろうと大人だろうと、そこに戦う理由を見出した者がいる限り、等しく守られる価値がある。個人の所業など関係はなく、また意味もない。だから気に病まないで──と山城は言葉の裏に気持ちを込めた。

 

 山城の言葉に、ゴトウは暫しの間沈黙し、小さく笑みを浮かべる。

 

「それは救われる言葉だね」

 

 では私も君に言葉を贈ろう──と、ゴトウは続けて言う。

 

「今日あった道中の戦闘報告は聞かせてもらった。全体を通して良好な命中率だった。特に姉君との連携は筆舌に値する。数年に及び前線から退いていた身でありながら、復帰戦でここまで華々しい戦果を挙げるのは並大抵ではない。戦いを離れても尚、努力を怠らず、研鑽を重ね、五省を実践した結果だと私は評価する。──頑張ったね、山城君。君は私の自慢の生徒だ」

 

 それは一切虚飾のない正当な言葉だった。同時に紛れもない本心からの言葉であった。

 

「ぁ──」

 

 漏れそうになった声を、口をきゅっと締めて我慢する。油断すると泣き出してしまいそうな衝動に駆られる。その言葉にはそれだけの価値があった。

 

 まだ幼さが残る頃、彼の教導を受けて、それでも結果を出せず、悔しさに涙した。頑張った自分。力を尽くしてくれた彼。その両方に報いられなかった心残り。それがあったから、山城はゴトウに顔を合わせ辛かった。……その全てが氷解していく。

 

 涙はしない。今は胸を張り、笑みを返す。

 本当に嬉しい時は涙が出るけれど、それでもやっぱり嬉しかったら笑うべきなのだから。

 

「それは報われる言葉ですね」

 

 恩師の言葉を真似て、山城は返答した。

 それを聞いたゴトウと、それを言った山城は笑い合う。かつては出来なかった笑顔を見せ合う。それが出来て、山城は自分が大人になった事を自覚した。

 

「先生、わたしは大人になりました。あの時は子供だったけど、あなたと同じ大人になりました」

 

「うむ、そうだね」

 

 山城の言葉に、ゴトウはただ頷く。

 

「あの時にはいなかった戦える力を持った大人になりました。だから、あなた達の分まで、わたしが大人として子供達の為に戦います。せめて命を落とす誰かを一人でも減らす為に、この間違った世界が終わるまで」

 

 決意を改めて声にする。

 

「ああ、その成果を心から期待する」

 

 ゴトウは満足したように頷き、「時間を取らせて悪かった。もう休みなさい」と山城に告げた。彼女はそれに従い、敬礼をすると退出していった。

 

 それを確認したゴトウは体重を背もたれに預け、深い息を吐く。ため息にも似ていたが、しかし、重たさは感じない。事実、その表情は過去の清算を済ませたかのような清々しさに満ちていた。

 

「……本当に、大きくなったな」

 

 瞳を閉じた先に、かつての彼女を思い出し、娘の成長に驚く父親のようにゴトウはしみじみと呟いた。

 

 

  -◆-

 

 

 提督室を出た山城は深夜の通路を通り、艦娘寮へ戻ろうと足を進める。人気のない鎮守府内は不気味さすら感じられたが、今の山城はそんな中でも悪い気分ではなく、その足取りは軽やかだった。窓の外に見える夜の空と海を楽しむ余裕すらあった──が、そこで不意に発見する。

 

「あれって、もしかして……」

 

 海を走る影。見覚えのないシルエットだったが、それでもなぜだか感じ取れた。あの影は恐らくあの子だと。

 

 足早に階段を下り、外に出て、海を目指す。

 海を一望できる防波堤に登り、姿を探す。容易く彼女は見つかった。

 

 抑えられた砲撃音が夜に響く。

 海に浮いた標的を狙い、砲弾は発射される。だが命中する事なく海に落ちた。彼女は位置と角度を変え、それを繰り返していく。

 

 見覚えのない艤装。前は背負った大型連装砲を前面に持ってきて構えていたが、今は違う。背中に装備する大型連装砲を縦に二分割し、左右に展開して構える形になっていた。あれは実質的に連装砲ではなく単装砲が二基あるのだと言える。更にその右側面には手持ち可能な単装砲、左側面には同じ仕様の連装砲が設けられている。駆逐艦にしては充実の火力だと思えた。

 

「──って関心してる場合じゃないわ」

 

 射撃訓練をする彼女に駆け寄って、山城は声をかける。

 

「時雨、あなたこんな時間に何してるの!」

 

「あ……、山城か。キミこそ、こんな時間にどうしたの? 海を見に来たのかい?」

 

 そんな呑気な事を言う彼女──時雨は足を止めて展開した艤装を格納すると、防波堤の上に立つ山城を見上げた。海風を受けて山城のスカートが翻る。

 

「あなたね……。明日、大事な作戦があるのに何疲れるような事をしてるのよ。もう日が変わったっていうのに」

 

「えっ、もうそんな時間? まいったな、そこまでやるつもりはなかったんだけど。これは満潮に怒られちゃうね。……あと山城、パンツ見えてるよ」

 

 あはは──と笑いながら時雨は言う。山城は恥ずかしそうにその場にしゃがみ込むと、忌々しく時雨を睨んだ。先程まで珍しく良い気分だった山城だが、時雨を見つけてからは台無しであった。

 

「それなら仕方ない。ここで切り上げるよ」

 

 時雨は用意した五個の標的を回収する。忙しなく動く時雨を上から眺めながら、山城はふと口を開いた。

 

「あなた、かなり様変わりしたわね」

 

「そう? まぁ僕自身もまだ慣れないし、そうなのかもね」

 

「少し女の子らしくなったわ」

 

「ああ、それは満潮にも言われた。僕としては余分な肉が付いて動きにくいから困りものなんだけどね」

 

「満潮からしたら贅沢な悩みね。……まぁ悪くないんじゃない。以前の面影もあるし」

 

「キミが気に入ってくれたのなら何よりだ」 

 

 少しだけ成熟した時雨の身体を眺めて、山城は生唾を呑み込んだ。その途端に、なぜ今自分は生唾を呑み込んだのだろうか──と首を傾げる。何かいけない発想をしそうになって、慌てて振り払う。

 

 このまま無言なのはマズイと思った山城は話題を探す。無作為に見回していると、時雨の頭部で月の光を反射させている髪飾りを見つけた。

 

「……それ付けてるのね」

 

「あ、うん。似合うかな?」

 

 回収した標的を抱えながら、時雨は僅かに不安そうな表情を浮かべる。そんな顔をされて「似合ってない」と言えるほど山城は鬼ではないし、そもそもとして金色の髪飾りは時雨の黒髪に映えて、とても似合っていたのだから、元より山城の解答は決まっていた。

 

「まぁまぁね。扶桑姉様ほどではないけど、まぁまぁ似合ってるわよ」

 

 恐らく山城にとっては最大級の褒め言葉である。素直に「似合ってる」と言わないあたりが山城らしさであった。

 

「まぁまぁか。よかった」

 

 そんな山城の真意など伝わっていない時雨だが、彼女からして見れば肯定的な感想を貰えただけで無条件に嬉しいので、山城のひねくれた感想など問題ではなかった。

 

「それじゃあ僕は艤装と標的を片付けてくるね。山城も早く眠った方が良いよ」

 

「いいわ。あなたを待ってる」

 

「……? どうして?」

 

「あ、あなたが道草せずにちゃんと戻るか心配だから、部屋まで送ってあげるわ」

 

 まだ山城と一緒にいれるとわかった時雨の顔は嬉しさに溢れた。

 

「うん、わかった。じゃあ急ぐね!」

 

 そうして時雨は最大戦速で出撃ドックの方へと消えていった。

 防波堤に一人残った山城は、なぜかこそばゆくて頬を掻く。

 

「なんていうか、あそこまで喜ばれると、こっちまで嬉しくなるわね」

 

 一人になった途端に素直な事を言う山城は、可愛い奴め──と小さな声で呟いた。

 

 


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