義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
張遼は、赤面したという形容が生易しく見えるほどの速さと赤色を以て赤面した。
彼女は生来磊落なたちであり、こうも容易く恥じらいを表に出すことはない。むしろ相手に仕掛けていって赤面させるというのが彼女の正しいあり方である。
姐さんの気質を持つ彼女に好意を持ったり持たれたりした以上その二つの候補のいずれに該当しようと相手方がこのような反応を見せるべきなのであるが、関籍という人類でも史上まれに見る朴念仁且つ超弩級の言論直球派を相手にしてはさすがに相手が悪かった。
「いいい、いきなり何言っとんねん自分は!?」
「まごうことなき本心です。迷惑千万であることは承知しているのですが、やはり貴女に嘘はつけません」
ここに来て、張遼は動揺すら見せることなく絶句する。
朴念仁だ朴念仁だと思っていたが、流石にここまで憶すことなく告白ギリギリの台詞を吐けるとは思っていなかった。
『霞。迷惑をかけ通しな拙者が言えたことではありませんが、この関籍。貴女に出会えたことが、最大の幸運であったと感じております』などは、彼の内面を知らん人間から見たら完璧に告白であり、それ以外のなんでもないだろう。
彼女はまず、自分でもらしくもないと思っている恥じらいと、深く穿ったような意味は無いとわかっているのに疼く乙女心を持ち前の優れた自制心で無理矢理に心を鎮めた。
鎮めたというよりも押さえつけたといったほうが適切であろうが、ともあれ動揺は収まりを見せる。
一々動揺を鎮めるのに時間をかけていられないのが将という人種であり、この切り替えの速さこそが彼女が名将と呼ばれる一因だった。
要は、実際の心情はどうあれども手早く自身が必要だと思った途端に心を切り替えられるのが彼女の用兵に現れる粘り腰と応変の才であると言える。
それは、このような日常においても発揮された。
「ま、悪い気はせえへんな。ウチは翼の夢を手伝いたくて手伝っとんやから」
「む?」
「ウチには夢って言えるもんがなかってん」
并州雁門郡に生まれた彼女にとって、漢という国は辺境を半ば見捨てているという印象だけでしかなかったし、夢というものをみるよりもなによりも、対処しなければならない圧倒的な現実があったのである。
鮮卑を含む異民族の王である檀石塊という傑物に代表される遊牧民族こそが、彼女の前に立ちはだかった現実であった。この現実は、街を燃やす。人を攫って奴隷とする。精強な騎兵で押し寄せてきては物品を略奪して去っていく。
夢などという綺麗なものは、彼らが響かせる馬蹄とともに舞い上がる赤砂と泥で塗りつぶされた。
「だから最初は洛陽から来た奴らがくっちゃべってる『ここで箔つけたら云々』なんちゅうもんも、こういう現実見とらん奴から死ぬんやなーって思っとった」
「手厳しいながら、妥当な評価ですな」
并州に来た時点の関籍には、辺境での現実ほどに重い物を感じたことなどない。妹を育て、侠の仲間たちとともに色々と黒歴史認定が下されるであろうことをやっていただけである。
それでも不景気や飢饉で三日に一度何か口に入れられたら御の字というくらいには苦しかったが張遼の居た并州には遥かにマシだった。
「でもほれ、翼は違ったやろ?」
「と、言いますと?」
「他の奴らは一回で浮かれたようなこと言うことやめとったけど、翼はクソが付くほどに真面目に夢かたっとったやん」
とはいっても彼自身の寡黙さもあって大っぴらに語るということは少なかったが、彼女は初対面で後世演目になる程度には劇的な出合い方をしたため、よく彼女自身から絡んで行ったりしていたことで聞いている。
初めは関籍も持ち前の他人行儀な態度を崩さなかったが、そこは人付き合いに関する社交性が中華屈指の高さを誇るこの張遼。案外内面が屈折していて気難し屋なこの男に対して気長な態度を崩さずに接した。
その気長さと理解を深めようとする姿勢は、ただの外面的なものではない。将来神速の渾名をほしいままにする驍将とは思えないほどの遅速さと、軍神の半身とも謳われる名将ぶりにふさわしい慎重さでその性格と内面に対する洞察を深め、自身を理解してもらうための努力を欠かさなかったのである。
「それはただ、拙者が諦めの悪い男だったということでしょう」
「その諦めの悪さちゅーもんが今に繋がっとんのやから、そう卑下したもんでもないって」
手をひらひらと振りつつ、張遼は憧憬とも似つかない眼差しで関籍を見た。
それは同じ環境にいた相棒がその遥か険しい夢の道を歩み、いよいよその頂に達しようとする瞬間を誰よりも見たいと思っていたのは彼女であろう。
至純の夢、というのか。まだ名も無き民であった頃の彼が抱いたであろう、欲も何も、何の混じりけも無い純粋な夢。
「ウチの夢っちゅうのは、翼の夢の極みを見ることだったのかも知れへんなぁ……」
「む……なんというか、貴女は少し自身のことを考えた方がよいのではありませんか?」
「悪いけど、翼だけには言われたくないわ」
年柄年中漢王朝のことしか考えていないこの男だけは、その言葉を吐く資格はない。
欲深とまではいかずとも、常人が才気に恵まれたのならば己の栄達を考えるだろう。武人気質、或いは職人気質ならば、己の才覚を認めて伸ばしてくれる者につくすだろう。
だがこの男は、一見して何の利益も何もなかった漢という概念と化した国にその才を捧げた。
馬鹿となにやらは紙一重というが、まさにこの男はそれだった。
「拙者は自身で決め、この道を進んできたのです。これは紛れもなく自身を為の物であり、霞殿の如く『他者の夢を叶える』ということを夢にしたのではありません」
そう言う意味やないんやけどなとこぼし、張遼はある一つの事象を勘づいた。
「ちゅーか自分、ウチの呼び方は『霞』なん?『霞殿』なん?」
「霞殿、と呼ばせていただいておりますが……」
何をいまさらといわんばかりの解し切れていない表情を傍目に、張遼はさらに考える。
こいつ、まさか無意識なのか、と。
「さっきは呼び捨てやったやん、自分……」
「む、そうでしたか?」
「あぁ、呼び捨てやった。せやから余計に―――」
赤面していた顔に右手をやり、ブツブツと何事かを呟く。
「霞殿?」
「何でもない。気にせんええよ」
なんの話を、していたのか。
天然物の朴念仁のお陰で頭から消え去った話題を探し出そうとしている張遼は、懸命に頭を捻って考えた。
自分は、何を言いたかったのか。それが自分でもわからなくなるという事態に、彼女は直面していたのである。
「……何やったけな、ほんま」
「とおっしゃられましても、拙者にはわかりかねます」
「うん。せやろな」
妖怪でもない限り、人の心を読むことなど出来はしない。それが妖怪どころか、朴念仁ならば特にだった。
自分が恋愛的な好意に近い気持ちを抱いてから随分になるが、一向に気付こうとしないのである。
「なぁ、翼。翼はまぁ、戦争が巧いやろ?」
「世間の下馬評では、そうなっております」
動揺の余波の所為でここで『そうです』などと答えて誇示する型の人間ではないことを失念していた張遼は、会話の出鼻を挫かれたことを感じながら更に問うた。
「敵の動きを読む時はどうしとるん?」
「勘と経験です」
「あ、そ……」
叩き上げに相応しい戦場感覚に思わず頷いてしまう自分に辟易する。
自分の気持ちにいい加減気づいてくれても良いのではないかという焦燥にも似たような感情が、彼女の中にはあった。
儒学的なことを意外と重視する質の彼からすれば、結婚をしないで子を遺すことなくこの世を去るというようなことは有り得ない。
この戦いが終わって帝を都にお迎えすれば、自然彼は武官の頂点たる大将軍か、驃騎将軍辺りになるだろう。
そして、同世代の将と比べれば年齢的にも決して若いとは言えない彼に、絶対帝は嫁取りを勧めるはずだった。
勧められた以上、この恋愛的要素を欠落させて産まれてきたような男も嫁取りに動く、筈。
しかし、この朴念仁がその時になって自ら探すとは考えられない。
郭嘉に『ご結婚について真剣にお考えください』と言われても『今は古人の些事よりも漢王朝の礎を築くことに注力すべきだと、私は思う』と返して無かったことにする奴である。恐らくは帝辺りが引き合わせた人間と結ばれるのではあるまいか。
「はぁ……」
「霞殿。体調がお悪いのでしたら後方担当と致しますが……」
「別に悪いわけやない。ほら、行くで」
鬱憤を晴らすように、関籍の広い背中をバシンバシンと叩きながら張遼は押し出すように引っ張っていく。
この二人の関係がこれからどうなろうが、この関係性は崩れそうにも無かった。
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