義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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張遼回。戦は後。


生の極み

魏延が李儒を両断し、夜明けと共に城攻めを開始したと時を同じくして、それぞれの城に抑えの兵を籠めたことで多少なりとも数を減らした七万の軍は函谷関に布陣していた。

 

函谷関。秦の時代に造られ、その国の終わりとともに項羽によって破壊され、前漢の時代に再建された天下の険である。

この函谷関の位置を簡単に示すならば、関中の肥沃な土地と文化の中心である中原を繋げている『くびれ』とでも言おうか。ともあれ、中原の大地が西に行くに連れて徐々に山に狭められていき、一本の道でしか往来できない程の嶮しさとなった地点に嘗てのこの関はあった。

 

その道は道というよりも谷であるが、漢にとっての咸陽とでも言うべき長安にたどり着くには函谷関を通らねければいけない―――ということでもないが、あたかもそうであるかのようにまっすぐ道が伸びている。

だが、この道が正規の道であり、まだまだ軍では歩き辛いとは言え一人が歩くならば問題ないように整備されていることに変わりはない。

実際長安にもこれが最短の道筋であり、何万もの軍を引き連れて行くならこの道が最適であろう。

別道もあるにはあるが、細く険しいと軍が縦に伸びて進軍もしずらいし、補給線も伸びきってしまうのだ。

 

つまり、八万の軍で侵入するにはやはりこの函谷関を落とさなければどうしようもないのである。

 

「軍師、状況を」

 

広い幕舎に集まり、円卓を囲って卓上に広がった地図を真剣に睨む諸将から眼を離し、関籍は傍らに控える軍師こと郭嘉に発言を促した。

貧血から快復し、思考能力と血色の良さを取り戻した郭嘉は咳払いと共に兵士の駒と馬の駒、城の駒を取り出す。

 

「まず、これが函谷関です。高さは約二百八十六尺(六十六メートル)、よじ登って侵入、攻城兵器などはほとんど役に立ちません」

 

道を塞ぐようにして置かれた城の駒の右斜め横と左斜め横に、馬の駒が一つずつ置かれた。

函谷関を首に、両端の獣道を塞いでいる騎兵を翼に。その布陣は鶴が翼を広げたような雄大さを感じさせる。

 

「脇には山伝いとは言え進めなくもない道がありますが、敵方も片翼三万ずつ展開することで補っています。つまり、実質我らは野戦の傍らに攻城戦をせねばなりません」

 

無言で頷き、或いは横に居る同僚に小声で話しかけ。

数はともかく地の利からすれば明らかに不利な状況に置かれていることを悟った諸将らは、僅かに動揺を見せた。

 

何せ、関籍軍の諸将は二百八十六尺の壁など見たこともない南方出身者と、造ろうとした瞬間に騎馬民族がすっ飛んでくる北方出身者がほとんどを占めている。

あまりにも圧倒的な『物理』の壁が彼等の前に立ちはだかっていた。

 

「どう落とすか。いやに久しぶりな気もするが、諸将らの意見を聴きたい」

 

歩けば降伏、歩けば降伏。軍議を開く間もなく降兵と降将の処遇を決め、抑えの兵と将を残して前進。

これを続けてきただけに、関籍には軍議に対しての妙な懐かしさがある。

 

張遼を幕舎に呼んで展望を話し合ったり、酒を呑んだりはしていた。

だが、本格的な軍議とよべる物は荊州を発って以来久しかったのである。

 

「別働隊を率いている魏文長を待たれては?」

 

「ここに居る敵軍は八万。こちらが仕掛け、張り付けていかねば内二万は魏延の排除に向かうことになりかねません」

 

関中に居る兵数は正確には掴めていないものの、李傕の自己愛的な性格を加味すれば万を下ることはない。

そこに更に二万が加われば、魏延も敗亡せざるを得なかった。

 

「勢いに任せて攻めてみてはどうだ?」

 

いつもながら軍全体が持つ攻撃力に任せたゴリ押しとも言える主張するのは華雄。

取り敢えず突撃し、敵を破砕してからものを考える。

 

智略が足りている陣営にあっては自分の思考を放棄する傾向にある華雄は、一先ず突撃を主張した。

穿った考え方や奇策などは他に考える者が居る。

そう信じている彼女は単純且つ場の空気に沿い、計らずとも場に居る現場指揮官の相違として、彼女の単純極まりない思考回路は機能していた。

 

「周文の故事に倣うわけですか」

 

力ずくで函谷関を抜いた某覇王に僅かに重なる影を払拭すべく、傅彤が静かに塗り替える。

傅彤は、荊州義陽郡―――即ち、魏延と同郷の者である。

所謂幼馴染と言う奴で、容姿こそ差異があるとはいえ性格は粗方似通っていた。

 

強いて言うなれば、魏延が農奴で傅彤が豪農である、という点のみであろう。

故に彼女は、魏延よりも比較的教養が豊かだった。

 

それ以外は魏延と人物の型が似ており、生来単純かつ激情家というべき激しさを持ち、自分の生まれ故郷に強い縁がある漢王朝に強いこだわりと忠誠心を抱いている。

一徹とすらいえるその頑なな忠誠心は新参ながら確かなものであり、既に二千を率いる一端の将となっていた。

魏延や馬謖に代表される荊州軍閥の一員であり、地位的な意味で二人には負けるとは言え優秀な若手株である。

 

「周文か……」

 

周文は秦の世の時代の陳の人であり、かつて楚の将軍項燕に視日(日時の吉凶をみる官)として仕えた。

そして彼女は秦の世の末、陳勝が反旗を翻し張楚王として立ち、諸将を各地に派遣、その地を平定させている時、陳勝に自分は軍事に精通していると自薦する。

これを聞いた陳勝は呉広が囲んだ榮陽がいつまでたっても落ちないという報に際して周文を将軍として西征させ、秦を討たせた。

 

周文は各地の不穏分子を兵として吸収しつつ迅速に進軍し、車千乗、兵、数十万で函谷関につき、さらにそれをあっさりと抜く。

秦軍が榮陽に気をとられているとはいえ函谷関に到着する行軍速度はかなりのものであり、しかも秦が始まって以来、函谷関は一度も抜かれたことがなく、かの戦国四君の信陵君でさえ函谷関に攻め寄せはしたがこれを抜くことはできなかったのだ。

 

この後彼女は秦の名将である章邯の『囚人、奴隷を解放して兵とする』という奇謀によって数の利を失い、敵地で大いに戦うこと一度、敗残兵をまとめつつ章邯に挑むこと二度の末に敗北。自刎することになる。

とはいえ函谷関を初めて抜いたのはまぎれもなく彼女であり、更に功績を書き連ねるならば周文が章邯を釘付けにしている間、反乱はますます拡大することになった。

秦嘉・董緤・鄭布・陳嬰、そして、歴史の主導者となる項梁・劉邦・英布(黥布)などが次々と立つ。雨後の竹の子のように続々と現れる反乱軍に対して、秦からの鎮圧軍は章邯の軍しかでていない。

 

つまり秦唯一の鎮圧軍を足止めした周文の働きにより各地の豪族は兵力を増大させ、反乱はいよいよ本格化していったのである。

 

時間稼ぎという地味な役割ながら、実質的に秦の命脈を断ったのは彼女だといっても過言ではなかった。

即ち、漢の命脈を啓く一助となっている。

 

某覇王よりは、遥かにマシな人選であった。

 

「兵の士気はそりゃあ高いし、力攻めすれば抜けるんやろうけど……あんまし兵に負担かけるんはアカンやろ」

 

何となく力押しに決定しかけたところで、袴を穿き、晒を巻いて羽織を肩に掛けただけと言う相変わらずの軽装な格好をした張遼が反駁する。

論が偏りすぎるのも良くはないし、折角勝利が周到に用意されたているというのに無駄に戦うというのも良くない。

 

第一、近頃の本営では厭に急いているような雰囲気があった。

 

「ではどうする?」

 

「魏延がこっちに来るまでに場外に展開した野戦部隊を叩いて回せるだけの予備の兵力を無くしてしまえばええ。ま、敵さんもそう簡単には潰さしてくれへんやろけどな」

 

反射で問いを投げたであろうとしか思えない速さで反問した華雄に対して答え、周りを見回して更に述べる。

 

「近頃はちっとばかし、焦り過ぎちゃうかなーて思うんやけど」

 

傅彤は魏延に迫る危機の芽を摘み取ろうとしていたのだろうし、華雄が代弁した諸将は一刻も早く関籍を長安へ至らせたいと言う忠心からでたものであろう。

 

帝を迎えた熱気のままに戦わなくてよかったのだと、非常に冷静な眼で辺りを見回した張遼は独りごちた。

焦りは指揮の曇りを呼ぶし、座して勝利が得られるというのに血を欲することもある。

 

堅固に備えを固められては、如何に精強な騎兵が居ようとその殲滅は難しい。無理して突っ込めば、無用の死を兵卒に強いることになってしまう。

 

「出てこない以上、定石でいこや。焦る必要もないわけやしな」

 

こちらは作戦通りに事が進めば時が経てば経つほど有利になり、相手は内外に敵を抱えることになる。

魏延の今までの進軍速度を考えれば、あと二日三日で長安には着くであろうと張遼は自分なりの回答を導き出していた。

 

「最近、勢いが付き過ぎている傾向にあります。諸将にはここで一時心気を入れ替え、慎重に、敵に当たっていただきたい」

 

尻馬に乗る形で、郭嘉が重ねて窘める。

勢いがないと戦には勝てないが、有り過ぎては気ばかりが急かされて負ける羽目に陥る可能性が高い。

 

個人なればそれ程浮かれはしないであろうし、集団であるが故の弊害と言えた。

 

「では、長期戦の構えを以って左翼と右翼の敵に当たる。弓矢の手入れ、騎馬への配慮を怠らぬように」

 

出撃日時を敢えて知らせず、軍議は長期戦の構えで一決した。

 

少し考え込んだり、顎に手を当てたりして去っていく諸将に連れて郭嘉も一礼してその場を退き、幕舎には張遼と関籍と呂布が残る。

 

「籍やん、ちょっとええか?」

 

「はい」

 

続いて呂布の方へと眼を遣った張遼は軍議の際に使う歴戦の将としての凄みを捨て去り、いつもの親しみ易い軽さを含んだ調子で声をかけた。

 

「借りていくで?」

 

呂布はその愚直に見える素直さと忠実さで、どの将との談義であろうと何を言われようとついて行き、警護の任を果たす。

しかし、彼女は張遼が関籍に対する忠誠心においても、軍団の指揮能力においても、更には個人的な戦闘力においても最優秀と言い切れる程の人物だということを知っていた。

 

「……気をつけて」

 

「へいへーい」

 

この手の頼みには無言で頭を振る事が多い彼女が一言で了承したあたりに、改めて張遼という形式上は部下である筈の存在の大きさが伺える。

 

荊州軍で主君に次ぐ影響力を持つという警戒されて当然な身でありながら、彼女は一切の気兼ねもなしに関籍と酒を酌み交わし合うことができ、軽口を叩きあうことができた。

 

更には郭嘉のように諫めるだけにはとどまらず、窘めたり叱りつけたり励ましたりできるのは彼女のみであろう。

いとも容易く主従の垣根をひょいひょいと越えてしまっているその姿には『けじめがつかないし、増長を生む』との反対派も居るが、主要な武官は『基本的には主を立てている』として認めていた。

 

大雑把に例外を受け入れる雑さが、彼等彼女等にはあったのである。

 

「焦り過ぎやな、自分」

 

「拙者も自戒してはいるのですが、どうにも」

 

「……ま、不幸続きの籍やんやからな。やっとこさ報われてウキウキするのもわからんでもないんやけど、主君が浮かれてたらアカンよ」

 

ま、ウチが言えたことやないけどな。

カラカラと笑いつつ、張遼は叱られた子供のように気不味い顔をしている関籍の背を二度三度叩く。

 

「生きてきた中で最も幸せな時なんやからしゃあないけど、気ぃつけてな」

 

「いえ、帝への不敬になるやもしれませんが……今まで生きてきた中で最も幸せ、という訳ではありません」

 

漢王朝の復興と隆盛のために戦い続けてきた彼らしからぬ言葉に、張遼は思わず首を傾げた。

不義を挫き、その先に帝を迎え、大軍を引き連れて賊に支配された都へ上洛して此れを討つ。

 

一連の不遇さもあり、この時こそが最高―――人生の絶頂期の開始なのではないかと洞察していた張遼は、珍しく自分の読みが外れたことを訝しみ、問うた。

 

「じゃ、今までで一番幸せだった時っていつなんや?」

 

「拙者が貴女に出会った時に決まっているではありませんか」

あそこから全てが始まり、色々な苦難があった。

こちらの一片の義心を汲んでくれたばかりに迷惑をかけ続け、それなのに文句一つ言わず常に側で支えてくれた。

 

「霞。迷惑をかけ通しな拙者が言えたことではありませんが、この関籍。貴女に出会えたことが、最大の幸運であったと感じております」




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