義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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現状報告・大戦準備回。霞かっこいいよ霞。


軍議

荊州は、どこか浮かれていた。

荊州本城である襄陽から黒い『関』の大旗が降ろされ、紅い『漢』の旗が掲げられた時は荊楚の民は驚き、政治体制が変わるのかと思ったものの、帝の勅令によってそんなことは有り得ないとわかった為である。

彼らが第一に心配するのは、やはり自分たちの生活のこと。即ち、安定した生活をくれる現政権の維持と存続を望んでいるのだ。

商人たちからすれば貨幣経済を完膚無きまでに叩き壊した後漢の政策は―――李傕がやったこととはいえ―――受け入れられないものである。しかし、御光来なされた帝が直々に『統治法は維持する』と言ったのであれば、それは殆ど恒久的な制度の安定を示すことになる。

 

戦に負けて領土が取られる心配が皆無な荊楚に於いて、唯一懸念されていた案件―――支配制度の移行―――すらもを乗り越えた彼らの歓喜は深かった。

 

こうした『現実』の変化のなさは光武帝の立った地である彼らの元来多感で感傷的な―――滅びを天命によるものであったり、悲劇的なものであるように見せようとする一種特異な―――面に火をつけことなる。

 

なにせ、恐らく天下一の漢の忠臣の元に帝が御光来なされ、新たに『漢』の旗が立ったのだ。激情家の多い荊楚の人々にはその漢の大旗とそれを支えるようにして傍らに立つ『関』の旗を見るだけでなにやら込み上げるものがあった。

 

故に、だろう。

 

荊楚の一枚の絵のように劇的な場面を好む国民感情は、一気に外征に傾いた。

 

「陛下を奉じて一気に司隷へと攻め入り、洛陽を奪回して天下に威を示すべきだ!」

 

「否。帝にはひとまず襄陽にて起居していただき、荊南三郡を劉備より奪回。荊楚一丸となって揚州を攻めるべきだろう!」

 

「荊南を攻め取ったとしても経済的な利益には繋がらん。争乱渦巻く揚州を取り、経済を安定させた後に司隷をとり、南北に水道を通すべきだ」

 

「争乱と言えば蜀であろう。伝手も出来ていることだし、出兵を―――少なくとも支援を行うことが寛容だろう」

 

「いや、揚州攻めは蛇足。すぐさま司隷をとり、南北に水道を巡らせたほうが銭回りはよくなろう」

 

「揚州は未だ経済が発展しておらぬ。この隙にこちらの経済機構を移植して傀儡にすべし」

 

劉巴・馬良・蒋琬・董允・費禕・賈駆・魯粛・劉曄・劉馥・陳羣・韓浩・司馬孚ら政治的指導者たちが一同に介し、前線から繰り出してきた華雄・文聘・張任・李厳・董襲・呂蒙・張郃・公孫瓚・徐栄・高覧らがその議論を軍事的な面から補填し、更に議論の剣戟を交わす。

 

揚州派と荊南派と司隷派。

これら三つの主張が―――

 

「……喧喧囂囂たる有り様やな、ホンマに」

 

―――その一言で、議論の剣戟がピタリと収まった。

 

議論の間にふらりと入ってきた一人と、続く五人。

囂囂とした議論の中でも埋まることも物理的に触れられることもなかったのなかったいつもの席に腰を下ろし、彼ら彼女らは開いている二つの席を見る。

 

関籍と郭嘉。

 

主君とその軍師の席を天辺にして右に三つ、左に三つ。

半円に囲われるような席配置に隠された意味は権限の同一さ。戦争と統治の一任による連合制こそが周囲に敵を抱えた状態で『不意を突かれない』第一の要因であった。

 

「諸士にまず、申し伝えること有り」

 

議論が収まってから一刻後、隣に郭嘉を背後に呂布を引き連れた関籍は自らの着くべき席に着き、新たなる情報を開封した。

 

「巴郡の東部以外、蜀が一丸に固まった」

 

場のどよめきを傍らに、関籍は更に畳み掛ける。

凶報の後には吉報を。その一事は何万遍の説諭に勝ることを、彼は本能的に知っていた。

 

「陛下は我らに中華全土を平定することをお命じなられた。即ち、軍事においての一切を諸士と拙者の采配に任せることを決められた」

 

明らかに意気が揚がり、再び議論の熱が戻る彼ら彼女らの目に語りかけるようにぐるりと見回す。

 

関籍は、開き直ったやら何やらで一種泰然とした雰囲気を纏っていた。

 

「拙者に腹案は無い。諸士の意見によって陛下の元で旗を掲げて戦う第一の戦を決めたいと思う」

 

揚がった意気が、更に揚がる。自分の出した意見が史書に記される戦の草案を描くことになるかもしれないのだ。ここで揚がらねば参謀・名士・武将の名を語れぬであろう。

 

「六将、それぞれ統括する戦線の報告を」

 

「ほな、ウチから」

 

ひょいっと手を上げたのは、誰もが認める筆頭将軍。合肥駐屯軍の軍団長たる東部戦線司令官である。

 

主に騎兵の将として知られる彼女であったが、内政もやって出来ぬことはなく、元々庶民的なところもあって名士と叩き上げの連中との折衝役も務めていた。

謂わば、関籍軍の緩衝材である。

 

「東部戦線は水路を張り巡らすことに一年間注力したこともあって、合肥の水道と東部戦線全域に連絡網をバーッと敷いとるから、気づかれる前に大軍召集して攻めることができるで。

でも、守るにもパパッと情報入って楽やし…………正直、ここの戦線を押し上げる必要は感じへんな。こっちよりは巴西か司隷、次点で荊南やろ」

 

「自身の戦線を薦めなくていいのか?」

 

関籍の信を一番受けているであろう筆頭将軍の自身の功名を求めない態度に、同じく東部戦線を担当する公孫瓚がポロリと誰もが抱いた疑問を零した。

 

「いやまぁ、そりゃウチんところでやればウチが殊勲やろけど……国事やしな。ほれ、次」

 

サバサバと私情を切り捨てて意見を述べた張遼に続いて立ったのは、甘寧。こちらも同じく基本的な担当は強力な水軍を保持する孫呉に相対する東部戦線である。

 

「私から言うことも張遼殿に次ぐ。ただ、揚州方面から攻めるのであらばその分領内の情報伝達が滞り、東西南北全てに敵を抱えた状態では不測の事態が起こりかねないことを知っていただきたい」

 

甘寧の言うことは最もであった。普段十から八の小早船からなる艦隊が整備された水道をひたすら行ったり来たりして情報伝達を東西南北それぞれの戦線に伝えているからこそ、今まで攻めてきた敵に対して的確に戦力を集中させることができたのである。

揚州を攻めれば自然と水軍を水塞から出して運用することになり、十の伝達艦隊たちも主力とせねばならない。そして主力を揚州をぶつけることになるが故に『回す主力がない・集結に必要不可欠な情報がない・不測の事態が発生した場合、主作戦である揚州を中途半端にしたままで切り上げなければならずに戦果がない』と言う無い無い尽くしの三重苦を背負うことになる。

 

「揚州攻めは少なくとも二面か三面まで減らしてからがよいかと」

 

「興覇はこう言っているが、異議は?」

 

沈黙が何よりもその指摘の正しさを雄弁に語り、揚州攻めと言う選択肢が初めに消えた。

 

「攻め易いのは、北かと」

 

次に発言したのは、張繍。仄かに昏い灰色の髪と金色の眼がどこか狼を思わせる滎陽・成皋・敖倉の三城の駐屯軍の軍団長たる北方戦線司令官である。

 

「滎陽・成皋は難攻不落の要害であり、この二城が落ちぬ限りは敖倉からの補給が途絶えることがありません。敖倉には十万の兵が二年篭っていても尽きぬ兵糧がありますから、ここを補給拠点になされるがよろしいかと」

 

補給の重要さ・運ぶまでの困難を身に沁みてわかっている彼としては、経済より何よりも安定して兵に補給を行える箇所で戦闘を行いたかった。即ち彼が企図する戦は自らが苦心して築いた補給拠点と交錯させた甬道が存在する敖倉一帯の北部地域であり、対涼州三雄との決着であると誰の目にもわかった。

 

「四官は、どうだ」

 

「彼の地であれば兵糧が途絶えることは億が一にもありますまい。関中を奪回すれば補給線は相当な安定を見ることになると思われます」

 

四官を代表して黒髪白眉の麗人―――馬良が答え、場が一転して司隷奪回の方向へと傾く。

補給線と不落の城があれば、確実な勝利が得られることはほとんど決まったようなものだった。

 

「馬謖は、どうだ」

 

「今荊南を取れば自然と蜀も相手取ることになります。甘都督も仰られましたが、やはりこの四方に敵を抱えた状態での多方面作戦はちと辛いものがありますし……」

 

「ありますし?」

 

「少し西部戦線にお邪魔して歩き回ってみたのですが、奇襲用の山道がまだ見つかりません。後回しでよいと思います」

 

郝昭も同意を示したことを確認し、関籍はひとまず軍議を纏めた。

 

『攻めるは北部、司隷一帯』

 

続いて決めるはやはり、『どうするか』である。

 

司隷一帯は攻め易い。張繍は一言でこう表した。

が、それには些か語弊がある。

 

司隷一帯は兵を集結させ易く、安定した動員ができるだけであり、決して攻め易くはないのだ。

 

まず洛陽に至るまでに四面楚歌の戦の後に李傕らが復興させた旧函谷関がある。

南から攻め入ろうにも武関があり、旧函谷関を抜いても函谷関がある。

 

つまり、洛陽を抜き、項羽が壊した函谷関を武関を抜き、函谷関を抜いて、長安を抜かねばならない。項羽が壊した方の函谷関は正に要塞であり、精鋭が詰めているとの情報もある。うかうかしていれば被害は嵩むであろうし、そもそも『周文と項羽しか抜けなかった旧函谷関を抜けるのか?』という問題があった。

 

「御館様、御館様!」

 

「延、腹案でもあるのか?」

 

「ハイ!」

 

手に持つ地図と竹簡、不安と期待と隠し切れない高揚感で何となく『何かある』ことを悟っていた関籍が話を振ってやると、すぐさま飛び出す忠犬魏延。

着々と武一辺倒から文武両道の道を驀進している血気盛んな若年の将は、如何にも『らしい』を言い出した。

 

「ワタシに五千の兵と五千石の兵糧を貸してください。そうすれば函谷関を無用の長物にしてみせます」


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