義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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拠点・六

「で、献策?なんやけど」

 

「何故そこで首を傾げるのですか?」

 

「いや、なんちゅーか……こう、献策や無い気もすんなーって思うてな」

 

方面軍司令官に渡している巴蜀・荊州・揚州を足しただいたいの地形を示した地図を懐から出し、適当な箇所を指で指し示す。

 

「東方にウチと興覇、はっけーと文聘の八万。西方に張任・郝昭の三万。豫州戦線に魏延・高覧の七万。北方戦線に張繍・賈駆の五万。南方戦線に張郃と馬謖の七万やろ?」

 

「はい」

 

外征用の兵力に割くよりも内政を円滑化するために防衛に割いている兵が多いのと降兵と流民を得たが為に、兵力自体は豊潤である。

志願制を止めれば動員兵力は跳ね上がるが、現在の総兵力は三十万。外征に動員できる兵力は五万から八万。周囲に曹関連合しか敵が居ない袁紹は守備を忘れて攻めに全力を注げるが、こちらはそうはいかない。中心部分の兵力配置を空洞に、国境を固めるしかないのだ。

 

「で、襄陽にある籍やんの軍は千とかやろ?」

 

「五百ですな。北方に回していない黒騎兵五百騎が、拙者の戦力です」

 

「一万は直轄軍を持っときや」

 

至極真面目な顔でそう提言する張遼に関籍は相貌を崩して一笑し、杯を呷って卓上に置き、言った。

 

「軍師にも言われ、同じことを返しましたが………呂布殿が居るでしょう」

 

天下無双の飛将軍と、その配下の最精鋭が、千騎。

なるほど、確かにその戦力を無視されるべきではないほどのものであろう。

 

「襄陽の治安維持なんぞは五千騎の赤騎兵の内、侯成・高順の麾下を引いた千で充分です」

 

「いーや、絶対アカン。四方の方面軍が寝返ったらどないすんねん」

 

「寝返る?」

 

心底驚いたような表情を苦々しく、しかし変わらぬことを嬉しく思いながら、張遼は更に言い募る。

 

真摯な言葉が関籍の欠落した意識―――即ち、自分の生に対する執着―――に届くと信じ、張遼は築城を任せて単身で諫言しに来たのだ。

 

「無防備に過ぎんのや、籍やんは」

 

「……そうでしょうか」

 

些か気分を害したような関籍は、むっつりとした不満顔を隠そうともせずに酒を杯に注ぎ、呑む。

 

四方を信頼できる戦友が守り、統治は信任できる四官ら名士が行っているのだ。

裏切りなどは聞きたくもないし、すべきではない。人として有り得べかざることである。

 

関籍は、万能でなかった。

 

織田信長が他人を顧みなかったように、ナポレオンが配下に非凡さを求めなかったように、始皇帝が最期の最後になって死を恐れたように、項羽が敵対者に坑を以って臨んだように。

 

彼は、他人を疑えなかった。

彼は、自分を貫いた。

 

史書にも明確に記されているこの三条が、欠点を明確に表していた。

 

如何に強く太ろうと、関籍が頂点にいる限りは彼の陣営は致命的なまでに、彼の死によって脆くも崩れる。

どうしようもなく人の裏切りに弱い。

劉備陣営とは違い、建制化されていない組織の大弱点であった。

 

「拙者が彼ら彼女らを裏切らぬ限りは、彼ら彼女らが拙者を裏切ることはないと思います」

 

「せやけど、一万くらいええやろ?

ほら、侵攻された時に兵も必要やし―――」

 

待ったと言うように手を立て、掌を張遼の眼前に見せつける。

関籍の表情からは、先ほどまであった僅かな柔らかさが抜けていた。

 

「拙者には曹孟徳のような政戦両輪をこなす才能はありません。劉玄徳が如き人徳もなければ高邁な理想も無く、袁本初のように高貴な血統でもない。ただの一農民が、義真殿に戦の基礎をご教授いただき、あなたに磨かれただけに過ぎないのです」

 

つまるところ、彼には血筋もない。卓抜とした事務能力もないし政務における天才の発想力もない。農民であると言う身の程を知りすぎているが故に理想も無く、人を誑し込む人徳もない。ただの一軍人に過ぎないのである。

 

「拙者にできるのは有為の才人を信じ、活かし、その能力を見出すことです。その根幹は信であり、それ以外にはありません。故に、拙者はその献策を採ることはできないのです」

 

「……ほいでも、籍やんが殺られたら指揮系統やら何やらが一気にぶっ壊れるんやから、もうちっと気ぃつけてもらいたいんやけど」

 

郭嘉の配慮で待機させていた華雄軍三千も北方戦線に移動し、本当に千五百騎しか襄陽にはいない。有能な将を内地で遊ばせているほど余裕もないからしかたないとも言えるが、それよりも関籍軍の仕組みが問題だった。

 

まず、内政組。これは中華一とも言える官僚組織である。名士が持つ力を名士自身が制限し、組み込み、関籍の下についている役割を分担した四官(馬良、費禕、蒋琬、董允)によって運営されているから、頭が変わっても大差なく運用できる。

が、軍部は違った。

 

まず、頂点に関籍が居る。

その隣に郭嘉が居て、下に各方面軍の司令官と豫州総督と水軍総督―――郝昭(西方戦線司令官・上庸)、張繍(北方戦線司令官・滎陽)、馬謖(南方戦線司令官・江陵)、張遼(東方戦線司令官・合肥)、魏延(豫州総督・外黄)、甘寧(水軍総督・江夏)、が並列関係にあり、この六人の下にそれぞれ予算・兵力・将・軍需物資・根拠地の軍政権・非常時に於ける独立行動権が与えられていた。

 

即ち、六人の将はある程度の規範と制限はあれど好き勝手に治め、敵を撃退し、或いは逆侵攻するのも勝手だと言える。

しかも郝昭には張任・李厳・魯粛ら、張繍には賈駆・華雄・蒯良・蒯越ら、馬謖には張郃・呂蒙・呂公・劉巴ら、張遼には公孫瓚・文聘・満寵ら、魏延には臧覇・韓浩・傅彤・王威ら、甘寧には董襲・黄祖・蔡帽ら。いずれも臨機応変の才を持つ勇将・猛将・智将揃いであり、一度叛かれた場合、兵が同数でも対処が極めて困難であった。

 

北方方面軍が五万。西方方面軍が八万。南方方面軍が七万。東方方面軍が三万。豫州軍が七万。

千五百騎では圧し潰されるしかないであろう。

そして、圧し潰されたならば残りの五軍の連携は難しくなる。

 

張遼の心配はそこにあった。

 

「気はつけます」

 

「頑固もん」

 

「信条なので」

 

どちらともなく口を噤むと、互いに酒を注ぎ合い、呑み干す。

 

最早一瓶が空になり、二瓶目に突入していた。

 

「そー言えば、籍やん」

 

「はい」

 

健康的な小麦色の肌によく映える薄紅の唇を舐め、僅かに緊張したように口を開き、閉じ。

それを何回か繰り返し、言った。

 

「好きな女(ヒト)って、居るん?」

 

「好きな人ですか。居ますよ」

 

「…………待った、聞き方が悪かった」

 

珍しく完全に言い方を間違えた張遼は自身の緊張を悟り、一つ呼吸を外して改めて言う。

 

「妻に娶りたいなーて思う人は、居るん?」

 

「娶れる人が居りません」

 

娶れる人が居ないのと、娶りたいと思う人は違う。

聡い張遼に一発で看破されながらも、関籍のはぐらかしは予期せぬ効果を生んだ。

 

「……つまり、居るんやな?」

 

「身分が違いますが」

 

半ば以上に確信を得ていた『理由』を聞き、張遼は無言で頷いた。

 

洛陽での初恋以来、高貴な女に恋しやすい関籍に惚れてしまった以上はこんなときが来ることはわかっていた。

 

「…………どんな名家なん?」

 

「漢の忠臣です。それ以上言う気はありません」

 

「………………………さよか」

 

つまり、アレ(曹操)か、アレ(夏侯淵)。

 

自分の旧姓と先祖と嘗ての関籍の発言を忘却の彼方に葬り去った張遼は、いつになくどんよりとしていた。

 

曹操と夏侯淵の先祖は夏侯嬰。漢の高祖の御者であり、誰もが認める忠臣である。

彼女の勘違いは誰もがやりかねないところであった。

 

「……嫌ですか」

 

「……………女っ気がなかった籍やんが女に興味を見せたっちゅーことを、本来は歓迎すべきなんやろけどなぁ」

 

「……………………」

 

嘗てない沈黙を保ちながら酒を溢し続ける男と、悲しみを背負ったような重苦しい雰囲気を漂わせる女。

 

割りと致命的な勘違いがこの場に発生していることを、当人以外の誰かが同席していたらすぐさま理解し、誤解を解きほぐすべく懇々と説いたであろう。半ば告白めいた一言だったのだから。

 

しかし、動転している当人同士しかこの場には居なかった。それが最大の不幸であった。

 

こんなことがあろうと割りと後腐れなく付き合えるこの二人がこの時の真意に気づくには、まだ時間を必要としていた。




関籍目線→好きになったばかりに困らせてしまっか……

張遼目線→臣下としてはよろこぶべきなんやろけどなぁ……

(郭嘉以外には)どうしようもない。

郭嘉「私の主君とその配下の将が修羅場すぎる」

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