義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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公孫瓚「凡人ハム?誰、それぇ。俺☆公孫瓚!」

賛ではい。瓚である(重点)。


包囲

公孫瓚。彼女は先祖代々郡太守級の所領を持つ有力豪族の子として生まれたが、その英名ぶりに反して生母の身分が低かったのであまり厚遇されなかった。

若い頃に遼西郡の門下書佐に任命されてから頭角を現し、聡明で声が大きく、弁舌さわやかで頭の回転も速く、物事の説明も巧み。実家からの冷遇を受けながらも変な方向に曲がることはなく、その才幹を陽の方面に伸ばしていったのは彼女の性質の賜物だろう。

 

涿郡の盧植の下で経書・兵学を学んだ彼女は孝廉に推挙されて郎となり、遼東属国長史となった。

彼女が躍進したのは涼州の乱に際しての援軍として朝廷は幽州の突騎3000人の出動を命じた時である。

このとき公孫瓚は都督行事の割符を与えられ、突騎兵の指揮を任された。

薊まで来たところで、張温の対応に不満の張純が将軍を自称し、張挙・烏桓族の丘力居を誘い反乱を起こし、右北平と遼西属国を荒らしまわった張純に対して公孫瓚は配下を率いて張純らを攻撃。これを撃破し、更に反乱を繰り返す張純に公孫瓚は攻撃を仕掛け、 遼東付近でこれを攻め破り、誘拐・捕虜とされていた人民らを素早く救出し、さらに長城を越えて反乱軍を追撃した。

 

この大功を以って張遼と前後して幽州の刺史となった公孫瓚は、着任早々にこう宣言する。

 

『異民族には一粒の米、一寸の土地もやりはしない』と。

 

異民族に対する超鷹派として幽州に侵攻する烏丸を撃退し続け、時には并州軍と共に侵攻してくる異民族を殺し続けたのだ。

 

董卓の乱を経て、各地の刺史や牧が軍閥化してからは袁紹を敵にして戦い続け、

 

一、地方の軍隊を呼び寄せて無道ならざる董卓を討ち、乱のきっかけを作った

 

二、挙兵して二年も経つのに国のために戦わずに勢力を拡大し、民衆を搾取している

 

三、韓馥から冀州を奪って、勝手に印璽を作って、文書を下す時は詔書(皇帝の言葉を伝える文書)だと言っている

 

四、占星術師に怪しげな現象を観測させて、金品を贈って一緒に飲み食いし、吉日を決めて郡や県を略奪している

 

五、一緒に挙兵した同志の元虎牙都尉の劉勲は功績が多かったのに、袁紹は些細な事で殺した

 

六、元上谷太守の高焉と元甘陵相の姚貢に大金を要求し、払う金を用意できかった二人は命を落とした

 

七、上昇志向ばかり強くて、身を引こうという謙虚さがない

 

ら七ヵ条の檄文を叩きつけて宣戦布告し、一時期は河北全域を支配する勢いを見せたものの地力―――つまり、名士冷遇による地盤の揺らぎや異民族による度重なる侵攻、家格の違い、人材の層の薄さ、製鉄・塩などをこなす幽州経済の中心地・魚陽を軽視など―――で負けているがために徐々に押しこまれ、界橋の戦いで大敗北を喫して易京に撤退。

正面切っての戦いから機動力を活かして縦横無尽に暴れ回り軍需品を燃やし尽くす、或いは奪って易京に籠めるといった蝗害めいた戦法に切り替えて二年持ちこたえ、滅ぶ。

 

公孫瓚は物資を易京から大量に輸送、近辺の山々に埋めておいた為に配下の内応によって易京城が落ちるとわかるやいなやさっさと逃げ出し、腹心五千騎と従姉妹と共にひたすらに袁紹軍の後背を荒らし回っていた。

 

曹操が青州兵を得ることができたのも、荊州が一大経済地域となったのも、彼女がひたすら袁紹軍に粘り強く抵抗を続けていたことが大きい。

 

袁紹からすれば、最近やっとの思いで居場所を捉えて叩いておいたが為にもう彼女の中では亡き者になっていたのであるが、彼女はしぶとく生きていた。

 

「麹義、あれを見てみろ」

 

懐。司隷郡に袁紹軍が持つ最後の兵糧集積地。

公孫瓚が指差したそこが、赤々と天を照らして燃えている。

 

「またやりやがったなテメェ!」

 

「警戒が甘いんだよ、どいつもこいつも、な。少しは警戒を厳重にしなきゃいつまでも燃やされるぞ?」

 

幾度となく燃やされ、兵糧集積地の警戒を厳重にすれば輸送中を襲われ。

挙句の果てには南皮にまで出没し、兵糧・軍需品を燃やすことにのみ全騎兵を投入する。

 

やっとのことで正面から潰しても、側面からやってくる。

 

「いい加減にくたばれ!」

 

麹義がそう言って手に持つ強弩を公孫瓚に向けたのも、その厄介さを知り尽くしているからこその判断だと言えた。

 

が。

 

「貴様が死ね」

 

後ろから振り下ろされた大斧が麹義を頭頂部から股にかけて真っ二つに両断し、勢い余って地面に打ちつけられて爆音を立てた。

 

完全に意識が外に行っていた麹義軍の隙を逃す華雄軍ではない。生じた隙に向かって猛突し、たちまちの内に柵を食い破って麹義の本陣に至ったのである。

 

「左陣は死んだ、か」

 

ならば左陣は華雄軍に任せてすぐさま中央へと向かい、右陣を轢き潰すべきだろう。

公孫瓚の決断に迷いはなかった。そもそも、軍陣において将は迷いを見せるべきではないとも言えるが。

 

「迂回して中央軍の後背を突くぞ!」

 

号令を掛けて駆け出した瞬間に三千騎が千騎にわかれ、千騎が五百騎にわかれ、またたく間に細分化される。

さらさらと流れる小川の本流が無数の支流に別れるように、白馬の一軍は地を流れるように駆けていき、公孫瓚の放った黄色の鏑矢に従って弓を引き絞り、放つ。

 

騎射。突撃に偏重している関籍軍とは違い、彼女が選び、そして磨き上げた技術はこれだった。

 

三千の矢が天に昇り、一瞬の間をおいて雨のように降り注ぐ。

 

「範!」

 

「はいよ!」

 

さらりと赤く長い髪を風に流した公孫越は、一つ頷いて弓を引き絞った。

番えるは、先と同じく黄の鏑矢。しかし、この鏑矢が奏でる音は公孫瓚の一矢とは違い、僅かに高い。

 

頭に響くような高音を聞いた配下の一兵に至るまでが指揮官の意志を察知し、理解し、馬首をめぐらす。

 

―――左反転、矢を番えてから騎射を行い、右反転。

 

五種類ある鏑矢の内、今の一矢の奏でる音はそういった命令を表していた。

 

左に反転し、中央軍の後背に回ってその陣ごと粉砕せんと猛進する華雄軍に対する援護としての騎射を行い、再反転。

蛇行するかのような機動を一騎も落とさずにやってのけた指揮能力は、やはり非凡であると言えた。

 

「さあ、華雄への援護はした。次はさっさと右陣を潰すぞ」

 

華雄の軍の破壊力は関籍軍の中では三位である。意外と低いようにも思えるが、一位が百騎で五十万に突っ込む今項羽であり、二位が一人戦術兵器兼汎用人型決戦兵器な呂布なのを考えれば、これは仕方ない。

 

つまり彼女は、人外に追い縋る人のような立場にあるのだ。

 

「………さて、援護だ」

 

弓を引き絞り、公孫瓚は前に自分が放った鏑矢と同じものを放つ。

矢による指揮に従って放たれた騎射は、柵のない後方から射撃された袁紹軍をバタバタと倒れさせていった。

 

この背後からの急襲というのは、思わぬ効果をもたらした。

張遼が張郃軍を大破させて回り込んできたと思ったのである。

 

それに追い打ちをかけるようにして背後に回り込まれて目に見えて崩れ立つ袁紹軍を矢を身体に突き立てた関籍と呂布が次々に撃殺していき、最後の柵を一息に突破。完全に遮蔽物がなくなった騎兵がこれまでの鬱憤を晴らすように暴虎の如く暴れ始めたからたまらない。

 

右陣の袁紹軍と中央の袁紹軍は、背を見せて逃げ始めた。

 

「逃さん」

 

「………逃さない」

 

ほとんど同時に二本の指を口にやって笛のように鳴らした二人の背後に、巨大な黒馬と血のような赤さを湛える馬が突っ込む。

それに対して振り向きもせず、それぞれの右脇を通り過ぎようとした刹那に鐙に脚をかけて一切の減速を許すことなくそのまま追撃に移った。

 

方天画戟が一閃するごとに三人の命が散り、倚天が紅さを纏って燦めくごとに二人の命が散る。

剣を腰の鞘に仕舞い、片手に持っていた青龍偃月刀のみに切り替えると、その殺傷能力は更に上がった。

 

最早二騎に五百人以上が屠られている現状を否応なしに見せられている袁紹の軍兵の士気低下は著しく、遂には武器すら棄てて後方へ脱兎の如く走り出す。

 

左腹を、金剛爆斧が両断し。

右からは公孫瓚が遠巻きに矢を放ちながら並走し、最早後方以外に逃げ道はないように見えたのである。

 

だが、郭嘉の戦術癖は、何か。

 

『敵を包囲し、殲滅する』

 

遥か後陣で座して待つ彼女がそう呟いた、その時。

 

 

「遼 来 来」

 

 

蒼き軍の咆哮と共に、紺碧の張旗が退路を絶った。

 

 

 


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