義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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皆さん待望(多分)の呂布回です。


拠点 一

「活気がありますな」

 

「……うん」

 

二万の軍に十三回にわたる追撃を仕掛けて粉砕した後も更に中間地点たる中牟へ進軍を続け、途上にある陳留郡尉氏を通過し開封へ至っていた。

白馬まではまだまだだが、中牟まではあと少しである。

 

そこで目ざとく兵たちの疲労を感じ取った関籍は、言った。

 

「休息をとれ」

 

既に夕刻であるし、二万人ぶんもの兵糧を引きずって行くのは些か辛い。

攻城兵器も一応とばかりに引きずってきているが、行軍速度が鈍ったことは否めなかった。

耶律底機に統率を任せると、呂布と関籍は余剰分の兵糧を持って開封に向かい、曹操軍の守将である史渙に兵糧を押し付け、その城下に来ていたのである。

 

「……ん」

 

くいっ、と。一張羅をまたもや血に汚してしまったばっかりに残り枚数が一枚きり―――即ち、正真正銘の一張羅となった白装束の袖が引かれた。

 

目の前には、様々な点心物を扱っている屋台。

 

「ああ、なるほど」

 

道中でも何やら食べていたとはいえ、呂布は一日中働いたり馬を飛ばしたり戦ったりと、様々なことをこなしていた。

 

腹が減っていてもおかしくはないだろう。

 

「店主、点心を二十程貰おうか」

 

「はいよ」

 

手際よく用意された焼売やら何やらの点心を呂布が受け取り、懐から五銭を出して代金を払う。

 

その銭は無論、荊州のものであった。

 

「お客さんは、荊州の人か」

 

「よくわかるものだな」

 

「まあ、銭の厚さでわかるさ」

 

これについては、少し説明が必要であろう。

まず、董卓の治世下で安定していた統治法と貨幣を、李傕と郭汜は何を思ったか大幅に変えた。

統治法に関しては、ここでは触れない。問題は貨幣のことである。

 

彼らは当時広く流通していた五銖銭を改鋳し、李傕五銖銭と称される粗悪銅銭を発行した。これは各種銅銭を打ち抜き、外側を削り小型化させたもので、水に浮いてしまうほど薄く軽いものだったのである。

ちょうどその頃、通貨の原料である銅の最大の供給基地漢中と中原を結ぶ桟道を、劉焉が焼いて遮断してしまっていたので、それも影響しているのかもしれないが、いずれにせよ、この改鋳――――と言うよりは改悪――――によって、貨幣としての信用は地に落ち、私鋳銭が広く流通することになる。

また、後漢末は寒冷化が進み、食料基地である農村の生産力がどんどん落ちていく時代でもあった。

そんななか戦いにあけくるう各地の群雄は、自衛のために、取り立てた穀物は我が城の倉庫に溜め込もうする。

こんなことをしていたら、市中に出回る穀物の量はうんと減ってしまうのだ。

こんな状態の市場に、水に浮き、打刻も満足にされていない冗談のような通貨が、どっと流れ込んだらどうなるのか?

 

どうにもならないことになる。

それは正しい。では、実際にはどうなるのか。

 

物価が馬鹿みたいに上がったのである。子供でもわかる理屈であった。

この馬鹿みたいな政策で、穀物の値段は1石50余万銭まで跳ね上がった。

 

曹操はこの凄まじい物価の向上に対し、穀物の生産力を養っていくことしか有効な手立てを持たなかった。

鉱山がないことにはどうしようもない問題だったし、曹操が力の源とした青州兵と、彼らを養う為の屯田制―――考案者を召し抱えている関籍もまたこの制度を使ってはいるが―――はいわば管理経済であり、これらを乱す可能性のある盛んな商取引は寧ろ邪魔だったのである。

 

が、荊州には豊富な鉱脈が腐る程にあった。そこで魯粛と劉巴と費禕と董允が連名で献策した。

 

『逆賊の発行した五銖銭で、天下万民は苦しんでおります。我ら誠の漢帝国の臣民はこれに従わず、政道を糺すべきではありませんか?』

 

ぐぅの音も出ない正論を叩きつけられた関籍は、あっさり了承する。

 

そして、この三日後にすぐさま荊州五銖銭と呼ばれる正統なる漢帝国の通貨が再発行された。

この献策を受け入れた結果、彼の統治する荊州には極めて品質の高い、更には荊楚の高い治金技術を以って造られた―――即ち、個人的に造るには敷居が高すぎる貨幣が流通することになる。

 

金を喜んで落としていく商人から税を取り、農民の暮らしを安定させ、安定した農民が商人から物を買う。

関籍統治下の荊州では、一種の流れが完成していた。

 

「あそこはいいところだからね」

 

「そうか」

 

もきゅもきゅと傍らで点心を食べている呂布を優しげな眼差しで一瞥し、商人の賛辞を受け止める。

自分の土地が他領の者から褒められる。

それが曹操が積極的に保護していない商人だとしても、その嬉しさを陰らせる要因にはならなかった。関籍は別段人と比べて優っているのが嬉しいのではなく、民が喜んでいることが嬉しかったからである。

 

「……荊州の統治に対しての不満などは聞いてないのか?」

 

「大声じゃ言えないけど、このご時世に戦いを好まないのが不安だって言ってたよ。安定してるところが荊州だけじゃ、あんまり商売の幅が広がらないしね。

まあ最近は豫州も統治下に組み込んだから、俺の商売仲間も積極的に金を流してるらしいけど」

 

「……ふむ」

 

女が羨むほどに艶やかで癖のない髯に阻まれながらも顎に手を当て、関籍は一つ頷いた。

この、民が戦争と領土拡大を望んでいる状況はよろしくない。何かしらの手を打たねばならないだろう。

 

「いや、店主。よい話を聞かせてもらった」

 

「いいってことよ。こっちにもいい話しの種ができた」

 

幾ばくかの謝礼を払った後に点心を食べ終わった呂布に追加の点心を買い、その場を後にする。

 

「……あれが美髯公か」

 

儒教も老荘も笑って取り合わない商人たちからも神の如く崇められており、農民たちからも守護神の如く慕われている、今時珍しい男の群雄。

神だなんだと言われているにしては、思いの外話しやすいのが彼の抱いた印象であった。

 

「……待っておいてよかった、と言うべきかね」

 

点心屋―――蘇双は、静かに一人頷く。

その目は、投資に値する人間を見つけた時に彼が見せる妖しい輝きを見せていた。

 

そしてまた、関籍も。

 

(只者ではないな、あの店主)

 

呂布からぐいっと押し付けられた点心を頬張りつつ、蘇双の器量を読み切っていていたのである。

一目でその人物の内面にある経験値を読む技能は、騙される割りには人を見る目がある彼らしいと言えた。

 

「……おやかたさま、おいしい?」

 

「うむ」

 

「…………ん」

 

あっという間に追加注文した分までもが呂布の頬の中へとその身を隠し、胃の中に消える。

両手が空いたことを示すように何回か握ったり開いたりを繰り返すと、腰元の剣に手を当て、離した。

 

方天画戟は、ない。

関籍もまた、青龍偃月刀はない。ただ、腰に佩いた剣があるのみである。

 

「おやかたさま、どこ行くの?」

 

「服屋だ」

 

何故戦の前だというのに服屋に行くのか。

そんな疑問を頭に浮かばせながらも後ろをとことこと着いてくる呂布の内心を察したのか、或いは言葉が足らなかったことを改めて理解したのか。

関籍は、ただ一言を付け加えた。

 

「北に行くからな」

 

自分が并州の原野を駆けていた頃よりも、肌身に感じる寒さがひどい。

 

張遼という薄着の権化のような存在がいる為に呂布の薄着っぷりはあまり気にならなかったが、これでも呂布は腹が剥き出しである。

腕や脚を布で覆っているから大丈夫だと思っていたが、首と腹が剥き出しだというのは拙い。

 

「……服は、変えない」

 

「なら首だけでも覆ったほうが良いでしょう」

 

黒騎兵も急所は黒一色に、急所から注意を逸らすために急所の僅かにズレた箇所に白い布で装飾してある。

即ち、急所を狙った矢に対して僅かに狙いを外させる為の苦肉の策だった。

 

急場において狙うのは、目立つところ。即ち、黒一色の箇所よりも白い箇所の方が急所に見えるのだ。

 

「…………これとかは、どうでしょうか?」

 

「……紅?」

 

髪に映える、血を固めたのような紅の襟巻き。

 

剥き出しの肩までをも覆える、急所幻惑も防寒もできる一品。

 

「………………」

 

「似合いますね」

 

「欲しい」

 

やけにあっさりと沈黙を破った呂布を見て少し笑い、関籍は五銖銭を払う。

 

無いよりはマシな防寒具だが、あるとないとでは随分と違ったはずだった。あくまで、なんの根拠もない経験則だが。

 

「……巻いて」

 

「わかりました、わかりました」

 

手のかかる妹の世話を焼くように、関籍は一つ笑う。

彼が苦笑が多分に混じっているとはいえ、ここまで多く笑顔を見せるのは関羽と呂布の二人くらいなものだけであった。

 

「……ん」

 

「お気に召しましたか」

 

いつになく力強い『ん』を見せる呂布の触覚のような二本の特徴的な髪の毛がピコピコと動き、喜びを示す。

 

再び白い袖が黒白揃った呂布の長袖に引かれ、関籍は点心の屋台へと歩きだした。

 

 

 

 


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