義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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飛槍

「子龍!」

 

「なんだ雲長!」

 

一進一退の攻防を繰り返す孤立した趙雲を囲う包囲を貫き、袁術軍の敗兵と趙雲軍の残兵を何とか纏め終えた関羽は遂に最前線に立った。

 

趙雲と、黒髪と金髪の混じった騎馬武者が防御主体で打ち合っている光景は、正しく武人の一騎打ち。

されど、武人の一騎打ちでしかなかった。

 

「……雲長?」

 

片手に持った偃月刀で捌き、いなし、時を見ては突いて掛かる。武器に衝撃や斬撃などが蓄積しないように工夫され尽くした柔の攻め。

 

柔剛巧みに使い分ける魏延は疑問を確信に変え、叫んだ。

 

「関雲長か!」

 

偃月刀を持たぬ片手が素早く動き、あっという間に八百騎が包囲に動く。

小包囲・大包囲の繰り返しによる殲滅。これこそが現在使われている関籍の戦術の要諦といえた。

 

目の前に強敵二人を見つけてなお将に徹するその姿は、敵の人材の優秀さを関羽にひしひしと実感させる。

 

層も厚ければ進化もする。嘗ては関籍ありきの戦いぶりだったが、凄まじい速度で幹部たちが老成してきていた。

 

「延」

 

「ハイッ!?」

 

そんな獰猛ながら冷静であった魏延が、僅かに乱れる。

白い頭巾に返り血に染まった白装束。鎧を着けず、対応の速さを求めた装備。

 

「関籍か……!」

 

趙雲もまた、僅かに乱れた。

場を圧す、と言うのだろう。そこにただいるだけで他者を圧倒する、その存在感は。

 

「延、励め」

 

「ハイッ!!」

 

仄かな疲れを見抜いたのか、すかさず檄を飛ばして疲労の念を飛ばす。

実際には消えなくとも、何かがこびりついたようなあの不快感が無くなるだけで明暗をわけることもあることを、この男は知っていた。

 

「ちと早くはあるが、貸してやろう」

 

間に割って入り、放たれた龍牙の一閃を怪我していない方の手に持った偃月刀で無造作に打ち払ったあと、別な偃月刀を魏延に渡す。

 

黒い刃に白い龍。魏延の服に合わせた色彩と、意匠。

 

「手に馴染みます」

 

武器の限界を無くしてしまえば、魏延が趙雲に負けることは殆どない。むしろ、劣る武器で競り合えている時点でその力は推して知るべし、と言ったものであった。

勝つ為の技術よりも生き残る為の技術を教え込んだ所為で、彼女の攻めは防御と比べて僅かに精彩を欠く。

 

しかし、背後に控えた兵は飾りでも観客でもないことを考えればそれでも充分に役割をこなせると言えた。

 

「当たり前だ」

 

今回の戦いの褒美用に作らせたのだから。

 

口には出さずにそう言い、関籍は痛む左腕をだらりと垂らす。

 

「延、戦線の維持は任せたぞ」

 

「お任せ下さい御館様!」

 

挑発に乗らず、防御主体ならば敵の関張二人を敵に回しても魏延は二刻は稼げるほどの技量があった。

趙雲は並の将ではないが張飛には劣る。

即ち今の戦線の維持程度ならば、確実にやってのけるであろう将だった。

 

が。

 

「―――い!」

 

百足の旗指し物に、黒鎧。

黒騎兵から更に精鋭が選びぬかれた伝騎組、百足衆が遥か背後――――新野の方面からやってきた。

 

慌てた様子のその姿を見えるものの包囲を脱しようと組織的退却によって後方に退こうとしている八割の袁術軍・孫策軍の怒声と喚声、剣戟の幕に遮られる。

 

「何だ!もっと大声で言え!」

 

兵を纏めているが為に打ちかかってこない関羽を視界に捉え、まだなお趙雲と斬り結ぶ魏延が怒鳴った。

 

伝わらない伝令ほど無為であり、心に引っかかるものはないからである。

 

「新野の城が諸葛亮の手に落ち、更に白波の楊奉が我が軍の糧道を遮断しました!」

 

「糧道だと?」

 

如何なる戦況においても特に動じぬ関籍も、流石にこの報告には揺らいだ。

糧道が絶たれれば即ち、如何なる戦勝を積み重ねようが軍が飢え、四散する。戦って勝とうが、兵糧がなければ戦略的には負けなのだ。

 

「聞け、兵どもよ!!」

 

関籍が百足衆の報告に気を取られ、隙を作ったその瞬間。

 

「死にたくなくば、退くな!」

 

関羽が、激を放った。

 

死にたくなくば、退くな。その一見矛盾する激に、遮二無二退路を後方に求めようとする兵の動きが鈍くなる。

 

「考えてもみるがいい!我らの行動を読み切っていた関籍が、尋常な退路を我らに与えると思うか!?

後方に山があり、間道があり、伏兵には最適な地形であることを忘れたか!」

 

「ならどうすんだよ!?」

 

どこに行っても死ぬという悲痛な叫びの答えとばかりに、関羽は偃月刀を天に掲げた。

 

「退くな!臆すな!生きたければ前へ進め!道は私が切り拓く!」

 

魏延の白騎兵と関籍の黒騎兵を同時に斬り捨て、関羽は地を震わすような大声で高らかに吼える。

 

「活路は前だ!」

 

切り拓いた道に掌握していた兵卒がなだれ込み、それに続くようにして洪水の如く人の奔流が関羽の作ったほんの僅かな穴に突き進んだ。

 

正面の兵は、二千までに減少している。関籍は負傷し、先程までの武勇はない。

 

「続け―――ッ!」

 

金と、橙と、緑。三色からなる人の濁流を束ね、一気に攻勢に転じる。

 

動く隙間もない濁流の中、黒騎兵すらも圧倒的な勢いに呑み込まれた。

関籍の負傷が痛かったし、何よりも諸葛亮の作った一瞬の判断の遅れを活かし切った関羽の判断が巧妙だったのである。

 

斬り、矢を受け、避ける間もなく斬り捨てる。勝つまで止まれぬ吶喊の中、関羽は御使いを自分の馬の後ろに乗せ、趙雲を半ば引きずるようにして戦線から離脱させ、更なる錐とする。

 

縦に断ち切られ、堰を切った水のように袁術軍・孫策軍の将士が死地以外の何物でもない虎口から逃れた。

 

だが。

 

(………速いッ!)

 

完全に切り崩したはずなのに、脱出口が二刻と保たない。

馬謖によって絶たれた前軍十三万と、後軍七万。

 

前軍で確実に脱出できたのは、十万。

後軍に関しては、わからない。

 

(負けた)

 

最後に勝ちを拾ったが、負けでしかない。

飛び道具を使ってこなかったからこそ、三万程度で済んだ。しかし、使われていればとうに全滅している。

 

強行軍をする為に弩を携帯せず、弩兵部隊である張任を間道に伏せた。これが兄の唯一の失態だろうと、関羽は思った。

 

(失態――――と言うか、敵にある程度捨てなければならない部分を作ってそこ突いたことになるのか)

 

戦略的な有位で辛くも死なずに済んだというのが、本音であった。

 

唯一気炎を吐いた関羽の存在によって、逃亡兵が出るほどには落ちぶれてはいない。

されど早く休まなければ、兵が倒れる。

しかし、新野に入らなければ奇襲を喰らう恐れがある。

 

(ままならないな……)

 

中軍に帰り、あまりの凄惨な光景に泣いている袁術を慰めている紀霊と張勲を見て、ため息をついた。

 

兄ならばどんな傷でも敗戦の後は自ら兵を慰撫し、労い、率いるだろうに。

 

関羽の胃が、他軍といえども置き去りにしてしまった後陣の兵たちへの大将への苦心とで、再び痛くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

取り残された後陣の兵は、一路間道へと逃れる。

見捨てられたとは知らなかったが、彼らは半ば本能的に本隊との意思疎通が不可能に近くなったと悟っていた。

 

「やっ、た!」

 

間道へ、間道へ。

馬謖の横撃で潰乱した兵たちの脳裏に去来するのは、それだけだった。

 

「……あ?」

 

山並に翻る、張旗。

晴れているのに降る、雨。

 

蝗のように矢が降り注ぎ、盾なき無防備な彼らの身体を貫く。

それでも、彼らは駆けた。

 

馬上にあった指揮官が討たれようと、前に居る戦友がハリネズミのような惨状を晒そうと。

 

そして遂に、間道を、抜ける。

 

「や、やった!」

 

生き残った。

七万の大軍は四万にまで減ったが、生き残った。

 

思わず崩れ落ちそうになった膝を支え、彼らは駆け出す。

 

一里。必死の思いで駆けてきた彼らの目に入ったのは。

 

「……遅い」

 

真紅の、呂旗。

 

荒野に佇む、二千の騎兵。赤い鎧は精鋭の証。秘匿され続けてきた、関籍の飛槍。

 

「あ、あ……」

 

最早何も、言えなかった。

ただ、全員が絶望をその身に浸していたのである。

 

「往く」

 

二千の騎兵が、四万の命を踏み躙った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

交戦勢力は、袁家連合と荊州軍。

 

二十五万と関籍率いる五千と張遼・張任の二千ずつ、魏延の千、馬謖の千、呂布の二千。計一万三千。

 

袁家連合は荊州軍に五千の損害を与えた物の、包囲されて捕虜を含めて十五万を失い、敗走。

 

荊州の動員兵力が水軍を含み、八万九万で、孫呉の押さえに三万、遊撃に一万、江陵ら南部戦線に二万、蜀に一万、城に込めていて一万。

 

集められる最大の遊撃兵力を以って敵を粉砕した荊州軍の戦術的完勝であった。

 

そうして勝利を得た荊州軍はあることに気づかずに突き進む。

 

最早彼らの自由に動かせる兵力は、一万に満たない。


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