義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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呂蒙仕官

「籍様、推挙したい者が居ります」

 

天井裏からではなく、扉から甘寧が現れたことに、まず驚く。

 

「興覇が推挙するということは、武辺者か?」

 

「いえ。武辺者ではありますが、私は彼女を軍師殿に準ずる軍略・政略の士の器と見込んでおります」

 

「……………郭嘉が居るだろう」

 

軍師は、その名の通り師である。

師を幾人も抱えるは、不実である。

 

古典的な礼の意識が、関籍の不興となっていた。

 

「ですが、軍師殿は数ヶ月前に『人傑を集めに行ってまいります。その間に私の後任をお探しください』と言って旅立たれたではありませんか」

 

「……むむむ」

 

椅子から立ち上がり、円を描くようにして少し歩く。

礼か、信任する軍師の言葉か。

 

ある意味いつも通りの板挟みになっている関籍は、迷っていた。

 

即断即決を目指している関籍にしては、珍しいほどに迷っていたのである。

 

「どうかなされたのですか?」

 

あまりの優柔不断っぷりに驚いたのか。鋭いまなじりを緩めながら、甘寧は問うた。

 

関籍にしては、凄まじく長い思案である。

これまで臣下が何かを言えば、やるかやらぬかをバッサリとナタで割ったように大振りに決めてきた男だけに、その思案の長さは際立った。

 

「いや、嫌な予感がする」

 

「予感で躊躇っては人を逃すことになります。確たる理由もなしに人を逃せば、後々までの禍根になりましょう」

 

まっとうな意見である。

 

これまでの関籍は人材に丁重であったし、礼を尽くし、信を置いてその能力を存分に発揮させることに定評がある男であった。

甘寧もその度量を敬愛していたし、その甲斐もあって荊州はたちまち大都会となっている。

 

配下の者も強固な信を置かれた上に、決して疑われないのだから、果断な改革を次々に打ち出すことができた。この度量の広さと配下を信じることの篤さが、関籍の強みだったのである。

 

「むむむむむ」

 

一方で関籍はと言えば、自分の勘に戸惑っていた。

 

嫌な予感。背中に刃を突きつけられたかのような、背筋が寒くなるような感覚。

 

「…………会おう。出自はどこだ?」

 

「柴桑で虜にした者です。一般兵にしては見所があるので説き伏せ、我が配下に加えたところ、軍師になれるのではないか、と」

 

「柴桑か」

 

甘寧初の陸上戦となった、柴桑攻防戦。この戦いは兵站を破壊し、早期に再起するための芽を摘むということで戦略的に多分な意味を持った戦いだったのだが、何分戦略的思考を持った人間が全くと言っていいほどに居ない関籍軍からしてみれば『空き城同然の城を落としただけ』となっており、あまり甘寧は陸上戦の勇としては見られていなかった。

 

関籍はその勇武に報いたが、配下の殆どは水軍を率いて勇戦したことに対するものだとしか思われていなかったりする。

 

「敵国の俘虜ですら人傑と見れば重く用いたとあらば、更に人も集まるであろうと愚考致します」

 

「……それもそうだな」

 

謀叛人の兵を用いるのはどうなのだろうかと考えていたのを知ってか知らずか、甘寧が駄目押しの一手を打った。

 

「よし、会おう」

 

「英断で御座います」

 

一拝し、扉から出る。

連れてきたのは、まだ幼さを残した少女であった。

 

特徴的なものと言えば、手の甲を過ぎるまでに伸びた長い袖だろう。

後の特徴と言えば、どうにも目が悪いのか、よく見ようと目を凝らしているかのような目つきであった。

 

「は、拝謁叶い光栄です!」

 

「……なるほどな」

 

嫌な予感の発生源である勘を切り離し、関籍はただただ目を凝らす。

 

人物眼には定評のある関籍である。好悪の情―――と言うより、纏わりつく不安を何とかすれば、その秀でたところが手に取るようにわかった。

 

「姓は、呂。名は、蒙。字は、子明です……」

 

気弱そうな気性が仇になるかもしれないが、大成させれば漢朝にとって得難い臣となる。

それが関籍の見立てであった。

 

「呂子明」

 

「は、はいっ!?」

 

「漢に仕える気はあるか」

 

「はいっ!」

 

明らかに怯えている。

 

そう察した関籍は、隣に侍る甘寧に視線をやった。

 

何とかしてくれ、という事である。

 

「……子明はいつもこのような感じなので、一応は返答に違いはないと存じます」

 

「…………そうなのか?」

 

「はいっ!?」

 

視線をやれば即ち竦み、声をかければただちに怯え。

 

最早勘に惑っていた自分が馬鹿らしくなるほどの臆病さであった。

 

野心もない。詐略もない。虚偽もなければ粉飾もない。

 

「嘗ての友と戦うは苦しかろう。新野の張任のところへ行き、副官として才を磨け」

 

「……お心遣い、ありがとうございます」

 

ほう、と。

関籍は僅かに感心した。

 

礼は知っているし、臆病さを収めるべきところも知っている。

磨けば玉になるだろうと言う目利きが、真実味を帯びた瞬間だった。

 

「関籍様」

 

「うん?」

 

「……ご身辺に、お気をつけ下さい」

 

ぺこりと頭を下げて去っていく呂蒙を見送り、関籍は少し頭を傾げる。

 

ご身辺に、お気をつけ下さい。即ちこれは、身の回りでなにかあるということであろう。

 

「興覇、先入観で決めずによかったと思うぞ」

 

「…………はっ」

 

顎に手をやりながらまなじりを尖らせる甘寧が鋭くそう答え、一拝して消える。

 

天井裏に。

 

「……見事な隠業」

 

張任へ向けて竹簡に呂蒙を受け入れる旨をしたため、早馬を発たせる。

 

その後もやるべきことをこなしてほっと一息ついた関籍のところに、またもや来訪者が現れた。

 

「籍やーん」

 

張遼である。

 

酒瓶を片手に、襄陽の関籍の執務室に突っ込んできた彼女は、疲れていた。

 

調練と書類仕事を、午前のうちに終わらせる。これを為すまでにどれほど苦心し、綿密に計画を練ったことか。

江夏の時にはなかった苦手な書類仕事までもが、軍務の総責任者であるところの彼女にはのしかかってきていたのであったのである。

 

調練は何とかなるが、こればっかりはどうしようもない。

張遼は苦心した結果、決めた。

 

本気を出す、と。

 

「文遠殿。仕事はどうなされたのですか?」

 

「いややなぁ、籍やん。そりゃ終わらせとるに決まっとるやんか」

 

「では、どうなされたのですか?軍務の齟齬が発生したならば費禕に通して下さい」

 

張遼は、はしった怒りを飲み込んだ。

こいつが鈍感であり、生真面目にすぎることは最早この荊州の高官全てが知ることとなっている。

 

つまり、一番長く側に居る自分は一番、一番知っているわけで。

 

「……………今、暇なん?」

 

「そういう文遠殿はどうなのですか?」

 

反問。

もしや自分と同じことを考えていたのではないかと言う思いが去来し、健康的な小麦色の肌が朱に染まった。

 

「ウチはまぁ、暇やなーて思っててんけど――――」

 

「なら、馬謖に用兵を見せてやってはくれないでしょうか。まだまだ馬謖は伸びると拙者は思っているのです」

 

僅かな期待を粉砕され、遂に張遼は諦めた。

こいつからの誘いを待っていても無駄だ、と。

 

「おい、関籍」

 

背後に修羅を背負いながら、張遼は親指をクイッと扉に向ける。

 

「外、行かへん?」

 

「民情調査ですか……良いかもしれませんな」

 

普段は噛み合いすぎるほどに噛み合う二人も、この一事に関してはとことん噛み合わない。

 

そんな思惑を違えた、名目上の民情調査が幕を開けた。

 

 

 


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