義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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奇襲

「兄上は、如何なる思惑なのでしょうか?」

 

ほとほと途方に暮れた顔で、関羽はそう呟いた。

 

「ふらふらとどこかへ行き、河賊なり山賊なりと酒を酌み交わして帰ってきたこともありました。無頼者にやけに好かれる兄でしたが、それでも交わるのは心根の素直なものに限られていました。彼らは時々押しかけてくることもありましたが、私は彼らに邪なものを感じませんでした。兄は曲がった性根を洗い流す気風があったのです」

 

「そうらしいよな、どうも」

 

相槌を打ったのは、時の御使い。輝くような白い衣装と、目鼻の通った涼やかな面貌。

空から落下してきた、未来人である。

 

「洛陽に行って変わってしまったのではないかと危ぶみましたが、昨日会った際には何も変わっていませんでした。その兄が何故…………」

 

「何かされた、とか?」

 

「何かされたくらいで変わる兄ではありません。漢に背くならば自刎を選ぶでしょう」

 

時の御使いの当てずっぽうな意見に謹直な反応を返すあたり、血である。

 

両腕を組み、忙しなく動き回る関羽に、常日頃の冷静さはない。放っておいたならば、汜水関へ単騎で押しかけそうな気配すらあった。

 

「御使い殿。あなたの知識では兄上はこの時何をしていたのですか?」

 

「……牢に入ってたって言われてる」

 

「牢?」

 

「董卓を真っ向から批判して、牢に叩き込まれてたらしい。この間珍しく関籍さんに動きがないから、あんまり知らないんだよ……」

 

時の御使い―――北郷一刀は関羽には劣るが、凄まじく悩んでいた。

 

『その武勇は西楚の覇王に匹敵し、その義理堅さは季布にも勝っていた。正しきを好み、虚飾を嫌う。その信義は日の如く明確であり、主の為に小義を捨てることはあったが、大義に背くことは一度もなかった。呉の陸遜、魏の張遼に並ぶ名将であり、統治の才をも兼ね備えていた。

その雷名と真義の名は他国にも鳴り響いていた。

呂布によって牢から出されたことを恩に感じ入り、その滅亡まで張遼・陳宮と共に屋台骨として支え続けた』

 

西楚の覇王は、項羽。言わずと知れた中華最強の男に比肩すると謳われた武勇と、呂布軍中にありながらも張遼と共に主の背信を直言で諌め続けながらも『義理は果たした。されど落ち目になって主を見捨てるは人に非ず』と言って見捨てることなく付き従った『黄金百斤を得るは、季布の一諾を得るに如かず』と評された季布の如き義理堅さで多くの諸侯から招かれた、関籍。

 

うろ覚えではあるが、だいたいそんな感じだった関籍が権力に屈するとは思っていなかったのである。

 

「その後再び張遼の元で戦って、呂布軍配下の名将として名を馳せるってこと。で、呂布が滅んだ際に張遼は曹操に降って、関籍は野に下ったってこと。そこから何かがあって、長坂橋の頃には桃香の配下になってたんだ。正史では」

 

「正史では?」

 

「今はどうなるかわからない。それどころか、勝てるかどうかもわからない」

 

だってさ、と。

頬を引きつらせ、強張った顔で御使いは笑った。

 

―――魏軍五十万と呉二十万の侵攻を受けて、張遼が来来するまでの二年間無援で、たった五万で荊州の土地に失陥を出さなかった男だよ?

 

しかもその最期まで、まともに戦って死んだわけじゃない。味方に裏切られて死んだんだ。

 

実質的な敗北は意外と多いが、劣勢時には気違いじみた強さを発揮する。

 

「そんな奴に勝てるかなってのが、未来を知る俺の正直なところなんだけど……朱里はどう思う?」

 

「董仲穎に義があると判断し、向こうに参加したのでしょう。

しかし、大義と小義を履き違えて逆賊に与する者など問題になりません。真に漢を思うならば、彼はこちらにつくべきでした。

そもそも、史実におけるその最期においても『防ぎ切った』ならばともかく、『敗死した』ならば直接的な勝ち目は充分にあります」

 

関羽の纏う空気が憤怒のそれに変わり、嘗てぬるかった劉備軍の空気に緊迫が宿る。

確かに刹那の信、正しき小義に殉じた兄は間違ったかもしれない。大義からはそれたかもしれない。

 

しかし、その生き様こそ武人としての関羽の理想だった。

 

「御使い様の知識から敵将を過大に評価し、兵の将たる者が恐れを抱いては戦う前から負けたことになります。それに、勝つ目も見えました。

局所戦では負けるかもしれません。ですが、勝ちます。

この戦いは、関籍さんを倒さなければならない戦いではありません」

 

「内通者を出させて、瓦解させるってことか?」

 

「はい。もう雛里ちゃんが取り掛かっています」

 

師である司馬徽を越えると言われた智略は、伊達ではない。

朱里こと孔明と、雛里こと鳳統。

神算鬼謀の軍師二人は打てる手を、敵を前にしてすぐさま打ったのだ。

 

「忠誠心だけの華雄さんも、何も考えていない呂布さんも、名誉欲も領土欲もなく、異常に義理堅い張・関の組み合わせも、欲には転びません。ですが、世の中はそんな人が全てなわけではありません」

 

「裏切りは関籍さんの死亡フラグだし、有効だと思うよ。たぶん。

でも、その前に――」

 

何かを言い掛けた時の御使いの言葉を遮るように馬蹄の音が鳴り響き、幕舎の中に急使が走り込む。

 

「申し上げます!」

 

「何だ、荘暉」

 

兵の名を覚えることに定評のある関羽が急使の名を言い当て、恐縮させる。

この関兄妹、配下の兵を大事にし、その名前を必ず覚えるように努力していた。妹の方は名前だけで止まっているが、兄の方は長所・短所までをも網羅していた。

 

故に、関兄妹の率いる兵は逃げることを知らずによく戦うのである。

 

「長沙太守孫堅殿、陽人に駐屯中に華雄率いる騎馬隊と関籍率いる黒騎兵に急襲され、敗走!

配下の兵を多数失い、華雄隊による追撃を受けながらこちらに撤退してきている模様です!」

 

「兄う―――関籍隊は、どうした!」

 

「三々五々に分かれて孫堅へ追撃しているものと思われますが、どこに居るかすらわかりません」

 

関羽と孔明は、戦慄した。

 

孔明は、局所戦では勝てるとは思っていない。

関羽もまた、そうだった。局所戦では到底かなわないと、兄の様子を見に行くために従軍した涼州の乱で理解していた。

 

「どこに居るか、わからない?」

 

「正面から勢い凄まじく突っ込んでくる華雄隊に目を取られていたら、いつの間にか散り散りになっていたと……」

 

どこに来る。関籍。

 

陽人方面―――左翼からは、華雄が来る。

 

では、お前はどこから来るのだ。

 

そう思った瞬間に、左翼に突如激震が走った。

 

 

 

 

 


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