義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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涼州二将

「夜襲ぅ!?」

 

馬超は驚いたように目を白黒させ、叫んだ。

 

「あんなに手酷くやられたばっかなんだ。ここは城に引きこもって持久戦を……」

 

「翠。兵たちの士気が下がっているのがわからんか。

このままでは再び刃を交える前に逃亡者が出よう」

 

義兄弟の韓遂を討たれてやけ糞になったと思いきや、至極正しい意見を話す父に圧倒され、押し黙る。

 

確かに兵たちの士気が下がっているのは事実だ。電撃的に攻められ、一戦にして二ヶ月間かけて作った陣地と主将の片割れの首を奪われたのだから。

 

「関籍率いる騎兵は黄巾や異民族相手に精強を謳われた黒騎兵だ。儂も一筋縄ではいかないことは理解している。

しかし、騎兵が攻めと逃げにしか向いてないこともまた、理解しているのだ」

 

「むむむ」

 

理屈は正しい。だが、嫌な予感がする。

 

「何がむむむだ。行くぞ、翠」

 

真名を呼ばれ、しぶしぶ頷く。

 

理屈は正しい。理屈は正しいのだ。わかっているし、理解している。

 

(何でこんなに嫌な予感がするんだ……?)

 

闇に煌めく長槍を持ち、馬超は愛馬に乗って敵陣へと駆ける。

 

元々あの陣地はこちらがやってくる敵軍を防ぐために作ったもの。

つまり、関籍の退路に当たる方向は頑丈だが、こちらの進行方向に当たる部分は脆い。

夜襲が尋常に成功すれば、これは確実に敵を殲滅できるはずであった。

 

雄叫びと馬蹄を響かせ、馬甲を纏った先手の騎兵が敵陣とかした元自陣の柵を打ち倒し、突入する。

 

「何?」

 

そのまま勢いに任せて進んだ騎兵が、突如として消えた。

 

目を凝らす。わからない。ただ、闇に溶けただけかも知れない。

 

続く二陣も悲鳴と共に地に沈むようにその姿を消し、やっと馬騰はそれに気づいた。

 

「落とし穴かッ!」

 

進行方向を予測し、堀を廻らすかのように穴を掘る。

 

掘った後に適当に隠蔽すれば、この闇夜が完全にそれを隠してくれた。

 

そして、そんな罠が用意されているということは。

 

ジャーン、ジャーン、ジャーン。

銅羅が鳴り響き、闇から黒い鎧が姿を現す。

 

「げぇ!関籍!」

 

その数は、わからない。

またもや闇をたたえる天が、完全に向こうに味方をしていた。

 

「馬騰。こう足元が暗くては何があるかがわかるまい」

 

そう言った関籍の背後で、無数の鬼火の如く火が揺らぐ。

 

―――火矢。

 

「それ、奴らに灯りをくれてやれ!」

 

号令と共に火矢が放たれ、あるものは地面に、またある物は魚油を染み込ませた木を詰め込んだ袋に突き刺さり、引火した。

 

「自陣で火計だと!?」

 

有り得ない。自陣ごと敵を焼き払うなど。

しかし、現実として今、自分たちは敵陣ごと焼き払われようとしているのだ。

 

「突撃だ」

 

攻守は、逆転した。

 

攻め込んだはずの西涼軍は火と騎馬に追い立てられ、もはやまともな隊列すら組めぬ混乱っぷりであった。

 

「漢に叛旗を向ける逆賊馬騰、大人しくこの青龍偃月刀の錆びとなれ!」

 

「させるか!」

 

横に薙がれた青龍偃月刀をからくも弾き、軍馬と一体になった疾風の如き刺突が関籍を襲う。

 

「名は?」

 

「馬猛起!」

 

一合、二合、三合。

未だ嘗てない程長く刃を交えさせる関籍に、黒騎兵の兵たちの顔が驚きにそまった。

 

いつもは一合打ち合い、二合に達する前に両断される敵が、十合を越えても健在なのである。

 

「なるほど、少しはやるようだ」

 

鋭く研ぎ澄まされた突きを偃月刀の漆黒の柄で弾き、振りかぶる。

 

「だがこの関籍からすればまだ未熟だ」

 

一気に振り下ろされた偃月刀が、空を切り裂き唸りを上げた。

 

その激烈な一撃は慌てて防いだ馬超の槍ごと両断するかと思われた、が。

 

バキ、と。

骨の折れる異様な音のみが闇に響いた。

 

「―――く、は……!?」

 

槍は驚異的な耐久力を以って関籍の一撃を防いだものの、馬超の骨がその異常とも言える膂力から繰り出された一撃に耐えられなかったのである。

 

「勝負は……預けた!」

 

苦しげに呻きながらも落馬せず、あまつさえは負け惜しみを行って去っていく驚きの耐久力に僅かに驚嘆しながら、関籍は黙って見逃した。

 

馬超が配下を引き連れて逃げたのは、東。

 

(獣の如き嗅覚だな……)

 

咄嗟に一番安全な箇所を嗅ぎ分ける本能は、関籍にはないものだった。

 

「馬騰を追撃する。続け」

 

声なき声で命令に応じ、関籍を先頭にした錘行の陣で馬騰が篭っていた城へ向かう。

 

手はず通りに行けば、今頃は関羽が入っているはずであった。

 

 

一方の馬騰は、娘を囮にして一路城へと逃走していた。

儒教的に言うならば、親が幹で子が枝葉。馬騰の胸に罪悪感はあったが、悔やむ気持ちは一片もなかった。

 

「馬騰だ!夜襲が失敗し、戻って参った!」

 

相変わらずの、闇夜。城にはためく旗が見えるが、なにが書かれているかまではわからなかった。

 

「おお、馬騰か」

 

そしてこの呼び捨てである。

この兄妹、漢に背いた者には礼儀を払う気などはサラサラなかった。寧ろ殺す、と思うほどの超タカ派だったのである。

 

「この城関羽がいただいた。兄上の謀にまんまと嵌ったな、馬騰」

 

「関羽……韓遂を討った関雲長か!」

 

雲にかくれていた月が顔を出し、優しげな月光が城壁を照らす。

 

照らされた城壁にはためく旗の一字は、『関』。兄の崩した『関』ではなく、その性格を表しているかのような真面目さを持った、『関』であった。

 

「如何にも。韓遂と同じくこの関羽が切り捨ててくれる!」

 

そして関羽が城門から出たまさにこのとき、馬超を撃破した関籍率いる黒騎兵が馬騰率いる西涼軍の後ろに喰らいついたのである。

 

西涼軍は完全に挟み撃ちにされ、再び大混乱に陥った。

 

(西だ)

 

馬騰は、馬首を西へと巡らせた。

 

西には義兄弟の韓遂の城があり、盟友の辺章の城もある。そこまで逃げ切ればまだ勝機はあると、馬騰の理性が囁いたのである。

 

娘は本能で動き、父は理性で動いた。この差が父娘の命運を決定的に分けた。

 

「はぁ、はぁ、ハァ……」

 

当初三万いた居た西涼軍は、五百騎にまで減少していた。

 

もはや兵たちも馬騰もしばらく黒などは見たくもないと言うあんばいであり、心身ともに疲れ切っていた。

 

そして、隘路に差し掛かったその時。

 

ジャーン、ジャーン、ジャーン、と。

そこに、涼州軍の凋落を齎した恐怖の銅羅の音が鳴り響く。

 

「伏兵か、また伏兵か!」

 

血を吐くように、馬騰は叫んだ。

目の前には、千五百騎の黒騎兵。

 

漆黒の張旗に、人を喰った笑み。張繍率いる伏兵部隊であった。

 

背後から、関籍率いる黒騎兵五百騎と関羽率いる歩兵千。

正面に、張繍率いる黒騎兵千五百騎。

 

もはや馬騰に勝機はなかった。

 

「関籍!」

 

「何だ、謀叛人」

 

一騎で駆け出す。

勝ち目はない。ならばせめて、一太刀なりとも浴びせたから死にたかった。

 

疲労で鈍くしか動かない身体に鞭打ち、身体など壊れよとばかりに槍を繰り出す。

 

神速。その凄まじい槍のキレは、普段の状態の張遼に勝るとも劣らなかった。

 

それは馬騰の身体が引き裂かれる代わりに、関籍の左腕の肉を僅かに抉る。

 

黒い戦炮を己の血に染め、関籍は静かに呟いた。

 

「叛の気は済んだか、馬寿成」

 

 

185年2月。関籍率いる二千の騎兵が涼州反乱軍を攻撃。夜襲を以って韓遂を討ち、策を以って馬寿成を討つと共に、金城を奪還。

 

ただの二日で、鮮やかすぎる勝利を挙げた関籍の名は天下に轟いた。


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