義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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真名占い

先陣十五万の黄巾を壊滅させ、その後も度々出撃を繰り返して黄巾の兵を削っていた董卓率いる官軍は、最初の華やかな戦果とその後の味方の被害を減らしつつ堅実に敵の首を稼いでいく―――ある時は華雄、呂布、張遼、関籍の四人で二万斬った事もあった―――戦い方は洛陽の宦官たちを喜ばせると同時に、恐れさせた。

 

これ以上功績を立てさせてはまずいのではないか、と言うものである。

 

そこですぐさま董卓軍の解散が通達され、代わりの指揮官に皇甫嵩が任命された。

 

皇甫嵩。姓は皇甫で諱は嵩。字は義真。潁川・汝南の黄巾賊を壊滅させた有能な将である。彼ならば冀州黄巾賊を壊滅させ得るであろうという納得の人選であった。

 

そして皇甫嵩が着任すると同時に、董卓軍は解散した。

 

董卓は涼州牧に。賈駆は長史に。呂布は主簿に。華雄は司馬に。

 

そして。

 

「張并州牧、この書類の決済を」

 

張遼は執金吾になった丁原の跡を継ぐ形になり、并州牧となったのである。

 

元々武人肌だった彼女は、再三辞退した。そして、その謙虚さを評価されて押し切られたのである。

 

それからはもう、凄まじかった。

 

嘗て関籍が引っ張ってきた梁習(従事)に

 

『関籍殿が無位無官の一兵卒のままというのは如何なものかと』

 

とは言われて司馬(軍事長官)にしたら、翌朝関籍が最前線の雁門に赴任しに行ったため張遼が脱走仕掛けた。

 

そして、三日後。

ついに梁習の目を掻い潜って脱走し、馬をとばして雁門へ。

あまりの事態に呆然とする関籍を馬に乗せて帰り、主簿に任命。後任の司馬は関籍の推薦によって黒騎兵の旗手こと郝昭が任命され、この一連の騒動は幕を閉じた。

 

が。

 

「…………頭が痛い」

 

「二日酔いでしょう?」

 

「籍やん。ウチ、頭が痛いんや」

 

「二日酔いでしょう」

 

疑問符が取れた断定形で言い直す関籍も、最初からこうだったわけではない。

最初は本気で心配した。

次は高名な医者を呼び、治療を頼んだ。

三度目はもう、黄帝に祈った。

 

何故治らないのかと思い、一心に黄帝に祈っていると、とある青年に出会ったのである。

 

『一心に祈っているようだけど、どうしたんだ?』

 

その青年の名は、華佗。どうやら医者であるらしく、これまで数々の難病を治療してきた彼に藁にもすがる思いで彼に治療を願い出ると、こう言われたのである。

 

『仮病の可能性が、高いんじゃないかな?』

 

関籍は、まさかと思った。

そして確かめたところ、本当に仮病だったのである。

 

張遼の名誉の為に弁解しておくと、彼女は度々仮病っぽい兆候をわざと出していた。

つまり、責任は心配のあまり視野狭窄に陥った関籍にあるわけである。

 

ただ自分で騒いで自分で終わっただけな関籍は、思った。

 

―――――働け、と。

 

「張并州牧。わかりました」

 

「おお、わかってくれたんか!

ほな梁習に全てを投げて―――」

 

「尋常な方法で諫言を聞いてもらえぬのであれば、尋常ではない方法を取ります」

 

「……………因みにその方法は?」

 

「自裁します」

 

一片の冗談すら感じさせぬ口調と目で言い切り、さっさと扉に向かって歩く関籍の手を慌てて掴む。

 

「ちょ、ちょっと待った!ちょっと待った!暫時や、暫時!」

 

掴んだ瞬間、逆に張遼の手を掴み、関籍は深々と跪いた。

 

「文遠殿が政務を嫌っていることはわかっております。その才が戦場で活かされることもわかっております。拙者が足元にも及ばぬ才をお持ちであることも、わかっております。

ですが人は戦っているだけでは生きられませぬ。世の平穏を創るために戦は在り、それを維持するために政務があります。そこらへんをどうか、今一度お考え直し下され」

 

この諫言が張遼をどう変えたかはわからない。

彼女は所謂戦闘狂であったし、太平の世になれば居場所がないことも理解していた。

 

その彼女が、政務をする。

 

州牧としては普通だったが、それは彼女が太平の世に馴染むための大きな一歩だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………張并州牧。本日の仕事はこれまでです」

 

「…………………――――さよか」

 

ぐったりと机に投げ出された身体を軽く按摩してほぐしてやりながら、関籍は深く深くため息をつく。

 

「あー…………ちょっち下……そこ……」

 

「何故拙者が按摩を覚えなければならないのですか?」

 

「そりゃあ、力が強いからや……」

 

何回目かの按摩の末、虚脱しきっていた張遼が身体をバキバキ鳴らして立ち上がる。

因みに彼女は比較的まともな―――つまり、サラシ・袴・羽織・下駄な格好ではなく、質のいい紺の着物らしき何かを着ていた。

 

流石に并州牧があれでは格好がつかないのである。

 

「鮮卑の動向はどうなんや?」

 

「拙者が雁門へ司馬として赴いた時、獣の皮四千匹を和連の跡を継いだ王が直々に貢ぎに参りました。無論丁重に断り、懇ろにもてなしましたら泣いて帰っていきましたところを見るに、漢の威光がその身に染みたのだと思われます」

 

「いや、それはない。天地ひっくり返っても、空から人が降ってきてもそれだけは有り得へんわ」

 

誇らしげな表情が一瞬にしていつものものへと戻り、按摩の手を止めて定位置に立つ。

 

「文遠殿。拙者はすべての人民が漢を信奉しているとは考えておりもうさん。しかしながら、涙を流しながら帰っていった彼らには漢帝国の威光が―――」

 

「怖かっただけやろ」

 

「ぬ?」

 

「王を二人もぶった斬られて、百騎で二万騎が潰走させられて。あと、籍やんって『漢に歯向かい、我が道を阻む逆賊ども。いつしか裁きの神雷が下されようぞ』とか何とか言ってたやん」

 

「……あれは天文で雷が落ちそうだと言う卦が出ました故に少しは使い申したが、それがどうかいたしましたか?」

 

ガサゴソと積まれた竹簡から一本の竹簡をうまく抜き出し、張遼は丁寧に卓上にそれを広げた。

 

間者が持ってくる報告を集計したものであり、関籍が魔除け代わりにされていることも、彼女はこれで知ったりしている。

 

謂わばこの竹簡は、張遼の異民族関連の知識の元であった。

 

「あんな。今の王はウチらに歯向かわんみたいやけど、今の王と対立する候補がいたんよ。

内乱で混乱しているのだから、并州でも略奪を、っちゅー奴らやな」

 

「はぁ」

 

「そいつ一派の幕舎にな、作戦練る時に要人が集まった瞬間、雷落ちて全員死んどんねん。その作戦っちゅーのはウチらを宴会に呼び出して殺すって感じなものやったらしいんやけど―――大事なことは、この作戦を対立していた今の王も知ってたこと。

で、籍やんの馬鹿でかい声を聞いてたってことや」

 

つまり。

関籍に仇なした偉大な王は、死んだ。

死ぬはずがないと半ば信仰されていた王が、死んだ。

 

跡を継いだ和連も、一合保たずに叩き斬られた。

 

そして今、敵対しようとしていた連中は関籍の予言?通り、雷に打たれて死んだ。

タネは天文だが、鮮卑にはそんなことはわからない。

 

道を阻んだら本当に雷落としてきた、ということになるのである。

 

「怖いものですな」

 

「あんたが言うなや」

 

そしてこの落雷事件から一気に魔除けとしての関籍が簡易な絵として描かれた札は流行した。

 

槍に貼ってもいいし、彼らの住居であるゲルに貼ってもいい。

貼ってれば何とかなる、みたいな風潮が彼らにはあったのである。

 

「……そう言えば籍やんは天文に通じとるんやったか?」

 

「はっ。他にも色々と浅く知っております」

 

「例えば?」

 

宦官に見られないよう見事に伸ばした鬚をしごきながら、関籍は考えた。

 

天文以外に今披露できる知識。

広く浅く知っているとは言っても、それは殆どが戦陣で役に立つであろう知識に過ぎず、この場では使いようのないものでしかなかった。

 

「……真名を予想することができ申す」

 

「ほぉ……どうやってするんや?」

 

「古来、真名は諱と同義でした。言うには憚れる、その者の本質を表す名。この真名と諱が分裂したのは遥か昔、光武帝の御世。帝が親愛の情を表す為に雲台の将らに与えた呼び名こそが真名の元です。

史書で記載するとき諱は尊ばれ、その諱に含まれる文字は使うことができません。恐れ多いからです」

 

時々は、こんな難しい話を聞くのも面白い。毎日聞いていたら肩が凝るが、張遼はこのぬるま湯のような時間が好きだった。

 

「そして真名は―――作られた当時は、ですが―――諱と絡めた一字が当てられました。今は何の関係もない一字、或いは二字が当てられますが、つまりは諱さえわかれば古来如何なる真名が付けられていたかがわかるのです」

 

「字は関係ないんか?」

 

「成人の儀につけられるのが字です。真名は生まれた時、即ち諱と時を同じくして付けられるものですから、諱との関係の方が深いと考えられています」

 

だから関籍は字がない。成人する前に親が死に、姓、諱、真名だけの中途半端な漢人になったのだ。

 

一方、妹の関羽は性は関、諱は羽、字は雲長、真名は愛紗。字は洛陽兵士時代の関籍が付けたものである。

 

見ればわかるが、真名は二字。即ち諱と絡めたわけではない。

 

「故に文遠殿の真名が一字であり、古き慣習を守って付けられたものであるならば、ある程度の予想はつきます」

 

「一字や。古き慣習に則ってるかまではよう知らんけど……当てられるんか?」

 

「はっ」

 

竹簡の一片に『張遼文遠』と書き、一礼。

 

「これより真名を言わぬ為に竹簡に書いて話します故、そこをご承知下さい」

 

「気にせんでええって。ま、気を使われて嫌な気はせんけどな」

 

許可を取り、一つ頷く。

并州は流行に疎い、昔ながらの伝統を守る修羅の州。そこに生まれた張遼ならば、真名を当てられる自信はあった。

 

「では、文遠殿の諱は『遼』。これは『とおい』とか、『はなれた』とか、『とどかぬ』などと言う意味を持ちます。つまりそこから転じ、真名は」

 

『星』『雲』『霧』『霞』『霰』『天』『光』『遥』と書き、止まる。

 

「このような、手に触れることの出来ない、或いは遠く霞んで朧気なものを表す文字だと考えられます。

ですが、」

 

『天』と『光』と『遥』が墨で消され、後にはそれ以外の『星』『雲』『霧』『霞』『霰』が残される。

 

「『天』と『光』は帝を現したもう一字。使われることはまずありません。無教養なもの、或いは叛の志を持つ者に限られます。

『遥』は『遼』の代わりにも用いられ、表現としては詩的ではありません。

故にこの五候補に絞られるわけでござる」

 

「へぇ……」

 

地味に真名が候補に入っている張遼は、少し驚きに顔を引きつらせながら先を促す。

 

「で、また諱に戻ります。

この『遼』は『とおい』と言うような意味を持つので、これを原則的に考えていくならば―――」

 

『霰』と『霧』が消え、『星』『雲』『霞』の三字が残る。

まだ、張遼の真名は残っていた。

 

「これらが残ります。ですが、『雲』も真名では使われ難い一字。即ち残るはこの二字です。

で、このどちらが『遼』に相応しいかと考えますれば―――」

 

『星』が墨にばってんで消され、『霞』だけが竹簡に残った。

 

「こんなあたりだろうと、予想いたします」


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