OLWADHIS ~現代編~   作:杉山晴彦

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第8話 雨宿り、渦巻く想い

 

 

 

 

 

「――本格的」

 

 に降ってきた雨粒たちは、あっという間に次から次へと地面に落下し、

ピシャッと弾けては拡散し、何処かへと消え去っていく。

 (いさ)ぎの良い散り際ではあるが、なにぶん数が多過ぎるため、

濡らされる方の身としては、あまり感傷に浸る気分にもならない。

 

「……」

 

 ここは、とある家の車庫の前。

 閉ざされたシャッターの奥には、灰色の乗用車が

その出番を待っていることを僕は知っている。

 

「…ふぅ」

 

 溜め息など吐いてみても、そんなものは打ち寄せる轟音(ごうおん)に掻き消される。

 雨は全てを押し流し、洗い流す…のか。

 いや、そんな言うほど凄いものでもないんだろうけど。

 

 ふと見つめた視線の先に、木の枝をのんびりと移動するカタツムリの姿がある。

 いや…彼らからすれば、決してのんびり行動しているつもりはないのであろう。

 フジツボなんて、ずっと岩肌に張り付いたまま、一切動こうとはしないのだ。

 動いてやろうって気持ちがあるだけでも、褒めてやることにしよう。

 

「…何してんの? あんた」

 

 カタツムリの観察を続ける僕に、何者かが声をかけてきた。

 振り向けば、そこには両手にビニール袋を持った少女の姿がある。

 

「雨宿り」

「ま、見れば分かるわよ」

 

 彼女の名前は、陣内飛鳥。

 僕の幼馴染であり、ちょっと暴力的な一面があり…そして何を隠そう、

この車庫と連なる家の住人でもある。

 

「飛鳥は…お買い物帰り?」

「ま、そんなところね」

 

 『お手伝い』なんて言葉はまるで似合わない雰囲気の彼女であるが、

こうして家事を(にな)っていることは、さほど珍しいことでもない。

 彼女の家は両親が共働きのため、家の管理にもそれなりの配慮(はいりょ)が必要なのだ。

 

「……」

「……」

 

 沈黙が流れた。

 降りしきる雨の音が、余計に静寂(せいじゃく)を際立たせている。

 どうも彼女といると、こういう何とも微妙な空気になることが多い。

 

「…なんなら、家に寄ってく?」

「えっ?」

「あんたみたいな怪しい奴が家の前にいたら、お客さんも寄ってこないだろうし」

 

 濡れた髪を掻き分けながら、彼女はぼやく様に言葉を紡ぐ。

 親切な心遣いに素直に感謝したいところだが、どうにも引っ掛かる部分も。

 

「怪しいって…僕の、どの辺が?」

「顔、見た目、雰囲気、言動――全部」

 

 疑問をぶつける僕に対し、飛鳥はさらりと言ってのけた。

 彼女が放つ言葉の多くには、こうしていつも沢山の(とげ)が含まれている。

 綺麗な薔薇(ばら)には…というやつだ。

 

 

 

 

 

「はい、お待ちどう様」

「ありがとう」

 

 湯気が立ったコーヒーカップが、コトリと僕の前に置かれる。

 コーヒーカップと言うだけあり、中にはコーヒーが入っている様だ。

 僕は早速、その漆黒(しっこく)の液体を味わってみる。

 

「…うん。 いつもながら、飛鳥の淹れてくれるコーヒーは美味しい」

「そりゃどうも」

 

 向かいの席で自らもコーヒーを飲み始める彼女が、

僕の賛辞に素っ気無く答えてくれる。

 彼女は色々と雑な部分も多い印象だが、コーヒーのことに関しては

結構な(こだわ)りがあるという話だ。

 

「……」

「……」

 

 2人して、黙ってその拘りのコーヒーを味わい続ける。

 実に優雅(ゆうが)で、エレガントな時間だ。

 でも、エレガントって…どういう意味だったかな。

 

「飛鳥…もう、高校には慣れた?」

「まぁね」

 

 いかに優雅でエレガントであろうとも、ずっと沈黙を守り続けるのは気が引ける。

 僕はとりあえず、無難な話題を切り出すことにした。

 

「友達、出来た?」

「…あんたねぇ、小学生じゃないんだから」

「小学生でも高校生でも、友達の存在は極めて重要だと思う」

 

 僕の発言に、相も変わらずつまらなさそうな顔をする飛鳥。

 とはいえ、いつものことだから、気にせず話を続けさせてもらう。

 

「一応、確認しておくけど…僕と飛鳥は、友達だよね?」

 

 一応とは言いつつも、若干ドキドキしながらの質問だった。

 日和とは明らかに友好的な関係が築けているという自信がある反面、

彼女とは、なんと言うか…その、決定的なものが無い気が、しなくもない。

 

「違う…って言ったら?」

「ちょっと悲しむ。 ――でも、今日から友達になる」

 

 コーヒーカップを受け皿に置き、彼女はフーッと大きく溜め息を吐いた。

 何かが起こりそうな予感に、僕は緊張を高まらせながら次の言葉を待つ。

 

「何でそういうことが、真顔で言えるもんかねぇ…あんたって奴は」

「……」

 

 質問の答えとは違う発言に、僕はちょっと戸惑った。

 しかし、こう見えても切り替えの早い男だ。

 複雑な人間社会を生き抜くには、臨機応変(りんきおうへん)さが肝要(かんよう)である。

 

「僕は、この顔しか出来ないから」

「…あぁ。 そういや、そうだったわね」

 

 雨の勢いは、未だ一向に(おとろ)える気配は無い。

 もうしばらく、ここで雨宿りをする必要がありそうだった。

 

 

 

「飛鳥は最近、恋とかしてるの?」

「はぁ? …何よ、急に」

 

 2杯目のコーヒーも尽きかけた頃、僕は新しい話題を切り出した。

 その内容を聞き、飛鳥は鳩が水鉄砲を喰らったような顔をしている。

 豆鉄砲…だったかな。

 

「女の子はそういう話題で盛り上がるもんだって、世間的に定着している」

「まぁ…うん。 そのイメージ自体は、別に間違っちゃいないと思うけど」

 

 とはいえ、彼女にそんな話題がどうにもしっくりこないことは、

僕としても重々承知している。

 今回は、そこを()えて…という気持ちだ。

 まぁ、他に適当な話題が浮かばなかったからということもある。

 

「飛鳥も一応、女の子だよね?」

「…男に見える?」

「ほんの少し」

 

 その瞬間、左足に鋭い痛みが走った。

 どうやら、人体の急所の1つ…(すね)を的確に狙われたらしい。

 敵も中々、容赦が無いものだ。

 

「…いつも殴る」

「今のは蹴りよ」

「…足で殴ったとも言える」

「屁理屈言わないの」

 

 飛鳥はまた大きな溜め息を1つ吐いてから、ズズッとコーヒーを口に含んだ。

 その不機嫌ぶりを見る限り、どうやら僕の発言が、思ったより気に障ったらしい。

 それ程、女としての自覚がある人には見えないんだが…。

 

「……」

「…どうかしたの?」

 

 唐突な出来事だった。

 何気なく目をやった窓の外。

 長い黒髪の人影らしきものが、スウッと横切っていくのを目撃した。

 

「……」

「――ちょっと、ハル?」

 

 僕は反射的に席を立っていた。

 抑えきれない何かが、僕の頭の中で溢れ出している。

 その衝動に導かれるまま、僕は家の裏口へと向かった。

 

 

 

 裏口のドアを開け、靴も履かずに外に飛び出す。

 『彼女』の姿が、雨粒のカーテン越し、遠くに見える。

 白装束(しろしょうぞく)。 黒い髪。

 

「……」

 

 遠目から見ても、その異様な気配が充分に感じ取れる。

 理性より前に、本能が警鐘(けいしょう)を鳴らしている感覚。

 だが…危険であるからといって興味を削がれるかどうかと言えば、

それはまた、別の問題である。

 

 僕は彼女の姿をしっかりと捉えつつ、標的に向かって歩みを進めた。

 立ち止まっているのか、標的が動いている様子はない。

 そして、長い黒髪と大量の雨粒のせいで、彼女がどちらに

顔を向けているのかさえもよく分からない。

 

 ……

 

 5メートル程の距離まで接近した時だった。

 彼女の視線が、こちらを捉えたのが分かった。

 黒髪の間から覗くその目は――なるほど。 確かに、普通ではない。

 

 敵意とも殺意とも呼べる、強烈な負の感情。

 しかしそれは、僕へと真っ直ぐに向かってくる感じではない。

 『それ』は彼女の周囲を渦巻くように発生し、やがて彼女の内側へと収束する。

 

「……」

 

 僕のことを見ているようで、見ていない。

 その(うつ)ろな目から発せられるものは、僕の理解を超えるものがある。

 さて、どうしたものか…。

 

「――えっ?」

 

 不意に、彼女の唇が動いた。

 僕に向けて何かを言ったのか、それとも単なる独り言か。

 いずれにせよ、その言葉が何だったかを聞き取ることは出来なかった。

 

 

 

「ったく、あんたってば…何のつもり!? 急に飛び出したりして…!」

 

 駆け寄ってきた飛鳥が、苛立たしげに僕を(にら)んだ。

 彼女もまた、傘も差さず、靴も履いていない状態だ。

 

「ごめん。 ちょっと、気になることがあったから…」

「昔っからそう! 振り回されるこっちの身にもなってよね!」

「…うん。 ごめん」

 

 かなりご機嫌斜めな様子だし、僕の方に非があることは否めないので

ここは素直に謝罪をしておく。

 彼女のヒステリックさは、早く消し止めておかないと危険極まりないものだし。

 

「…いいから、さっさと戻るわよ」

「…うん」

 

 まだ多少の心残りがあったが、これ以上この場に留まり続ければ、

彼女の身を危険に(さら)すことにもなりかねない。

 ひとまずは撤退し、態勢を整えることにしよう。

 

 

 

 

 

 いつの間にやら雨は止み、ちぎれた灰色の雲の間から

お日様が光を降り注いでいた。

 僕は飛鳥に別れを告げ、自らの愛車の元へとやって来たのだが。

 

「…あれ?」

 

 そこで僕は、とある異変に気付いた。

 自転車のカゴに入れておいた筈のあの石版が、見当たらないのだ。

 

「……」

 

 あんな物を盗んでいく(やから)もいないと思い、放置してしまったのだが…

どうやら、考えが甘かったらしい。

 世の中には、物好きと呼ばれる人種がいくらでも存在するものだ。

 

「……」

 

 ふと見上げた木の枝からは、あのカタツムリの姿も無い。

 まさか、彼までも盗まれてしまったのだろうか…?

 僕の脳裏に、石版の上を移動するあのカタツムリの姿が浮かぶ。

 …何ともシュールな光景だ。

 

 ……

 

 そのシュールな光景から、まるでテレビのチャンネルを変えるかのように

脳裏に別の画面が映し出された。

 それはつい先程に見た、あの『彼女』の姿である。

 

 鮮明に映し出された画面の中、あの時と同じく、彼女の唇が動く。

 僕は意識を集中させ、どうにか唇をアップにしてみた。

 更に頑張って、スロー再生も試みてみる。

 

「……」

 

 人は喉から声を発するものだが、特に意識しない限り、それと連動して

口を動かさずにはいられないものだ。

 その特性を考慮して編み出されたのが、読唇術(どくしんじゅつ)と呼ばれるものである。

 

「ワ…タ、シ…」

 

 昔、気まぐれでそんな術を覚えてみたこともあった。

 勿論、その手のプロに匹敵するレベルのものではないだろう。

 しかし、あの時の彼女の言葉を読み取ることなら、何とか出来るかもしれない。

 

「ワタシ、ヲ…カエ…シテ?」

 

 解読が完了した途端、彼女のあの虚ろな目が脳裏を過ぎった。

 その目を思い出し、僕の回答が正解であることをなんとなく確信する。

 

「……」

 

 『私を返して』…か。

 普段の生活で飛び交う台詞としては、どうも文法的に不自然な言葉だ。

 言葉の意味をありのままに受け止めれば、つまり『私』が自分の意思によって

コントロール出来ない状態にあると推測出来るが…。

 

 

 

 

 

「よっ、杉山くん」

 

 1限目の終わり、チャイムが鳴ってから間も無くのことだった。

 突然、背後から何者かに呼びかけられた僕は、慌てて後ろを振り返る。

 

「…彰浩さん」

「昨日は大変だったみたいだな」

 

 そこにいたのは、壁に背を預けながらこちらを見る彰浩さんの姿であった。

 まるで気配がしなかった…というか、チャイムが鳴ってから

まだ1分と経過していない筈だ。

 3年生の教室にいる彼がここまで辿り着くには、実に心許ない時間である。

 

「大変、と言いますと…?」

「隠さなくてもいい。 九重っていう一家の失踪(しっそう)事件のことさ」

 

 その名前を聞き、頭の中に昨日見た様々な光景が思い浮かぶ。

 乾いた靴跡、壁の銃痕(じゅうこん)…そして、やって来た警察関係者たち。

 無論、事情聴取というものを受ける羽目にもなってしまった。

 

「…耳が早いですね」

「――ま、それだけが取り柄みたいなもんだからな」

 

 フフッといつもの不適な笑みを浮かべ、自嘲(じちょう)気味に答える彰浩さん。

 どうもこの人は、そう簡単に本心を他人に晒け出さないタイプらしい。

 

「なんでも、その家の一人娘の沙羅って子が、君の妹のクラスメイトなんだって?」

「あっ…はい」

 

 続けて解き放たれる言葉に、僕は若干の困惑を覚える。

 そんな情報まで、さも当然の様に仕入れているとは…。

 やはりこの人、只者ではないな。

 

「僕があの家を訪ねたのも、そういった経緯があってのことでして…」

「なるほどね。 その行動力は、評価するよ」

 

 ふと見れば、少し離れた場所から、松下くんがこちらの様子を窺っている。

 恐らくは、初めて見る彰浩さんのこの奇妙なオーラを感じ、

何者かと(いぶか)しんでいるのだろう。 …そんな顔をしている。

 

「しかし、分かっているかもしれないけど――その事件については、

あまり下手に首を突っ込まない方がいいぞ」

 

 彼の顔から笑みが消え、語調も真剣なものに変化する。

 聞き手側の僕としても、真剣にならざるを得ない。

 

「事件の概要(がいよう)を見る限り、どうもそこらの行きずり的な犯行には思えない。

複数犯の可能性が高いし、明らかに計画的なものを感じる」

「……」

 

 …ふむ。

 確かに、一家を丸ごとどうにかしようなんて、あまりそこらの犯罪者が

考えそうなことではないだろう。

 そして、あの銃痕も踏まえてみれば…。

 

「ま…とりあえずは、警察の調査を待ってればいいさ。

俺もまぁ、無理ない程度に探り入れてみるがな」

「了解です」

 

 何にせよ、僕はその辺りのことについては、素人同然である。

 いくら腕っ節に自信があろうとも、下手に動かない方がいいだろう。

 僕自身は勿論、周りの人に何かあっては困るし。

 

「それと、お前…今日の夜、予定空いてるか?」

「はい?」

 

 唐突に話の内容が変化し、僕は素っ頓狂な声を出す。

 しかも、昼休みとか放課後ならともかく、夜の予定なんて訊かれても…。

 

「正確には、午後8時から10時ぐらいの間かな。

その時間帯、この学校に来れるかい?」

「…まぁ、来ようと思えば来れますけど」

 

 僕の保護者を務めるまりやさんは、基本的に放任主義な人だ。

 好奇心旺盛な僕は、たびたび夜に家を抜け出したりすることもあるが、

そういったことで叱られた記憶は、まるで無い。

 信頼――されているのかな、一応。

 

「そうか、だったら…。 っと、詳しい話はまた、放課後にするよ」

 

 チラリと時計に目をやった彰浩さんが、そこで話を区切った。

 休み時間というのは、かくも短いものである。

 

「じゃ、またな」

「はい。 また…」

 

 軽いステップで僕の元を離れていく彰浩さんを見送る。

 なんというか、独特な走り方をする人だ。

 その走り方のお陰か、足音が全然聞こえないっていうのが凄い。

 

 

 

 

 


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