OLWADHIS ~現代編~   作:杉山晴彦

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第6話 定期健診

 

 

 

 

 

「…うん。 特に異常は無いみたいだね」

 

 白い壁と白い内装の部屋で、白衣を着た男性は

様々な写真や資料を見ながら呟いた。

 彼の名前は、山路(やまじ)拓人(たくと)

 ここは病院であり、彼は医者であり――そして、僕の担当医でもある。

 

「あぁ。 勿論、脳の腫瘍(しゅよう)を除いてのことだけどね」

 

 彼は小さく微笑んで、言葉を付け足す。

 歳の方は、もう50は越えているだろうか。

 威厳(いげん)があるというよりは、穏やかさを前面に出した感じの人だ。

 

「君はどう? 自分で何か、気付いたことはある?」

「そうですね…」

 

 脳の腫瘍が発見されたのは、僕が生まれてすぐのこと。

 それからずっとなので、彼とはもう10年以上の付き合いとなっている。

 僕の人生において、良き相談相手を務めてくれた人間の1人だ。

 

「時々、手足にちょっとした痺れが出ることもありますけど…

まぁでも、それ程気になるものではありません」

「そっか」

 

 腫瘍が原因と思われる数々の症状については、今現在においては

ほとんどが回復しているという状況だ。

 まぁ、まるで回復する気配のない症状も1つ存在するのだが…。

 

「――やっぱりまだ、顔の表情は変えられない?」

「…みたいですね」

 

 先生の問い掛けに、僕は自分の頬を触りながら答える。

 この症状だけは、意識が芽生え始めた頃から、何一つ変わってない。

 僕にとっては、もはや当たり前過ぎることのため、『症状』という言葉は

どうにもピンと来ないというのが、正直な気持ちである。

 

「他の症状は、これだけ回復が見られるんだからね…。

何か切っ掛けがあれば、ふとした拍子に治るかもしれないんだけど」

「切っ掛け、ですか」

 

 今更、治らなくても別に問題は無い気もするが…。

 その一方で、やっぱりみんなと同じ様に、笑ったり泣いたり――

みたいな、有り触れた感情表現に憧れる気持ちもある。

 色々と、複雑な年頃なのだ。

 

「医者としては、あまり無責任なことは言えないけどね。 でも君だったら、

いつか表情を取り戻せるんじゃないか…って。 僕は、そう思ってる」

「……」

 

 先生の眼差しに、嘘は感じられない。

 いや、そもそも彼が僕に嘘を吐いたことなど…一度でもあっただろうか?

 ならば、信じてみる価値はあるってものだろう。

 

「ところで、高校生活の方はどう? もう慣れた?」

「そうですね…」

 

 違った角度からの質問を受け、僕は思案する。

 ここには2週間に1度の定期で診察を受けに来ているので、

前回来た時は、僕が高校に入ってすぐの頃であった。

 

「秀輝くんとも同じクラスになれたし、新しく出来た友達も結構いますし…

順調な滑り出しと言えるんじゃないでしょうか」

「そっか。 それは良かった」

 

 先生との間では、こうした他愛ない雑談が行われることもしょっちゅうである。

 昔はともかく、今は話し相手にそう困ることもない身の上だが…

それでもついつい、彼の前ではお喋りになってしまう自分がいる。

 いわゆる『聞き上手』と呼ばれるタイプなんだろう。 この人は。

 

 

 

「こんにちは」

 

 診察が終わった僕は、いつも通りこの場所へとやって来る。

 部屋番号306。 高津(たかつ)寛太(かんた)

 僕の幼い頃からの友人がいる場所だ。

 

「どうかな…調子の方は」

 

 問い掛けてみたが、返事が返ってくる様子は無い。

 どうやらまだ、深い眠りの中にいるようだ。

 

「……」

 

 あの取り付けられた酸素マスクさえなければ、本当にただ

眠っているだけの様にも見えるだろう。

 しかし、あれが無ければ、彼が命を(つな)ぎ止められはしないことも事実だ。

 

「……」

 

 幼い頃の僕は、よくこの病院に出入りしていた。

 彼と知り合ったのは…いつのことであったか。

 気が付けば、彼は近くにいた。

 

 訳の分からない大人たちの話をボーッと聞き、

訳の分からない検査や治療を受けて、時が過ぎる。

 それだけの場所であったこの病院が、彼と出会ってからは変わった。

 

「……」

 

 自由な時間があれば、病院の中を探検したり、2人でずっとテレビを見てたり…。

 あの頃の僕にとっては、それが一番楽しい時間だったように思える。

 しかし、そんな時間は長くは続かなかった。

 

 あの時、自分はどんなことを思い――それから、どんな風に生きてきたか。

 正直、あんまり覚えていない。

 そこから、秀輝くんと初めて言葉を交わしたあの瞬間まで、

記憶がビュンッと飛んでしまっている感じなのだ。

 

「……」

 

 由奈やまりやさんも、あの頃の僕についてはあまり触れないようにしているのが

なんとなく、日々の生活の中で感じ取れる。

 記憶には無いが、きっと抜け殻みたいな状態だったのだろうと推測される。

 

「……」

 

 そういった部分の記憶は、別に無理に思い出す必要もない。

 みんなはそう言ってくれるため、僕も別に、無理に思い出そうとはしない。

 ただ、なんか…それはそれで無責任なのかもなぁ、と。

 そんな風に感じることも、あったり無かったりする。

 

 ……

 

 ……

 

 

 

「…お~い、榛名くん」

 

 誰かが、僕の名前を呼んでいる。

 意識は割とはっきりしているのだが、その声に応じることが出来ない。

 なんか、体が自由に動かない感じ。

 

「起きろ、榛名くん」

「…起きてるよ」

 

 どうにか唇と声帯を動かし、何者かの声に返事をしてみせる。

 周囲は、凄まじく真っ暗闇である。

 声の主の姿を確認することが出来ない。

 

「久し振り。 元気そうだね」

「……」

 

 なんだか、聞き覚えのある声だ。

 ――と同時に、初めて聞く声でもある。

 矛盾してるけど、事実そう思ったんだから仕方がない。

 

「…寛太くん?」

「正解。 よく分かったね」

 

 顔は見えないが、彼が面白そうに笑う顔が自然と脳裏に映し出される。

 こうした暗闇の中では、想像力も人一倍働くというものだ。

 暗闇の先にいる彼の全身像さえ、僕にはぼんやりと見え始めている。

 

「ここは一体、何処なの?」

「う~ん…それがまだ、俺にもよく分かってないんだ」

 

 果てしなく続く闇、闇、闇…。

 しかし、よくよく目を凝らせば、何か『流れ』みたいなものも見えてくる。

 水というか、空気というか…説明しにくいが、とにかくそんなものがあるのだ。

 

「でも、少し見えてきた気がする。 こうして、こっちで君と出会えたからね」

「『こっち』…って?」

「君なら、もう分かってるんじゃない?」

 

 彼にそう言われると、何だかそんな気もしてくる。

 と――そう思った途端、彼の姿がありありと眼前に出現したのだった。

 

 ……

 

 しかし、その姿を見た僕は、感想に困る。

 その理由は、彼がしているその格好にあった。

 

「寛太くん、その格好…」

「どう? 似合ってる?」

 

 赤く、そして鮮やかな光沢を放つ鎧と兜。

 左手に持つのは、ビッシリと鱗の様なものが張り付けられた盾。

 腰には、剣の鞘のような物が差してあるのが見受けられる。

 

「似合ってるけど…なんか、違和感」

 

 またしても矛盾した意見であるが、そう感じたんだから仕方がない。

 何しろ彼といえば、病院に用意されている患者用の服のイメージしかない。

 それが突然、こんな格好をされると…。

 

「これでも一応、レディンゴのカルデラナイトって呼ばれてるんだけどね。

まぁでも、ほとんど成り行きでなっちゃったもんだしなぁ…」

「……」

 

 彼は困ったように苦笑を浮かべるが、僕はそれ以上に困っていた。

 レディンゴの、カルデラナイト…?

 これでもかってぐらい、心当たりの無い言葉である。

 

「――ははっ、その内分かるって。 とりあえず、そん時までは

死なないように頑張らないとなぁ…」

「……」

 

 いまいち納得しかねる気分ではあったが、まぁ…うん。

 死なないように頑張るのは、悪いことじゃない。

 僕も何とか、その時が来るまで生き延びてみせることにしよう。

 

「っと…そろそろ、限界かな」

 

 目に映る鎧姿の彼が、まるで受信状態が乱れたかのようにグニャリと歪み始める。

 いや…どうやら彼だけでなく、この空間自体が歪んでいるようだ。

 身動き出来ない状況の中、僕はこの事態にどう対応すればいいのか迷う。

 

「それじゃ、またね」

「うん。 …また」

 

 たちまち意識がブラックアウトしていく寸前、どうにか別れの挨拶を交わす。

 最後の瞬間、空間の中に1本の大きな木と、澄み渡る様な

青い空が、ぽっかりと映し出されるのが見えた。

 それがどんな意味を持っているか、今の僕にはまだ知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 昼食を済ませてから約1時間後、僕は龍頭公園を訪れていた。

 隣に居るのは、他でもないこの男。

 読書家の相棒こと、黒沢秀輝くんだ。

 

「なんか最近、身の回りで変なことばっかり起きてるような気がする」

 

 一通り話を終えた後、僕はそんなぼやきで()(くく)った。

 幽霊騒動、ミステリーハント部…。

 昨日拾った星のペンダントに、病室での奇妙な出来事。

 本当に、次から次へと――って感じだ。

 

「いずれにせよ、あなたがそう感じたのであれば、それは全て真実です」

 

 開いたページに視線を落としたまま、彼は言葉を紡ぐ。

 いつもの光景なのだが、読むのと話すのを同時にやっていて

頭が混乱したりはしないのだろうか。 …などと、たまに思う。

 

「しかし、その全てを理解する必要はありませんし、

その全てを受け入れる必要もありません」

 

 冷静に、流暢(りゅうちょう)に、淡々と話す秀輝くん。

 まるで本に書かれたことをそのまま読み上げているのかと思うほどだが、

どうやらそういう訳でもないらしい。

 相も変わらず、尊敬に値する人だ。

 

「…ふ~む」

「あなたが感じるままに動いてください。 それが最良の結果を生み出す

一番の近道だと、私は思います」

 

 色々と思考を巡らす僕の頭に、彼の言葉が隙間を()うように入り込んで来る。

 つまりは、あまり考えずに行動しろということだろうか…?

 いや、考えることもまた、僕が考えようと思ったからやっていることで、

だからそれもまた、僕が感じたままにやっていることで…。

 

「そんな風に悩むことも、また大事なステップだということですよ。

答えが出るにせよ、出ないにせよ、ね」

「…そういうもんか」

 

 秀輝くんの言葉は、相変わらず理解出来そうで、でもやっぱりよく分からない。

 それでも、彼から聞いた言葉は、確実に僕の力の源となっている。

 不思議なもんだな…彼も、僕も。

 

 ……

 

 何か心がスッキリしたところで、僕は公園に植えられた桜の木に目をやった。

 少し強めの春風に煽られて、花びらはヒラヒラと次々に舞い落ちていく。

 桜の季節も、そろそろ終わりを迎えようとしているようだ。

 

 

 

 

 

「待っていたぞ! ハルちゃん」

 

 玄関のドアを開ければ、出迎えてくれたのは小さな女の子であった。

 彼女の名は、神田保奈美(ほなみ)。 小学3年生。

 この神田家の次女であり、日和の妹にあたる人物だ。

 

「決戦の舞台は、すでに整っている! 早く上がってくるがよい!」

「……」

 

 言いたいことだけ言うと、彼女は廊下の奥へと姿を消す。

 その威風堂々とした後ろ姿は、小学生にしておくには勿体無いレベルに思えた。

 

「アハハ…いらっしゃい、ハルちゃん」

「お邪魔します」

 

 続いて、おかしそうに笑いながら、日和が玄関に登場する。

 僕はペコッと小さく会釈をし、靴を脱ぎ始めた。

 

「ごめんね。 いつものことだけど」

「うん。 …まぁ、いつものことだから」

 

 僕が日和の家にやって来て、そして、そこに保奈美ちゃんがいる。

 これらの条件が揃った時、確実に発生するイベントがある。

 それが『いつものこと』と呼ばれるものなのだ。

 

 

 

 トランプとは、実に画期的な発明品だ。

 それ1つだけで、無数の遊び方が存在する。

 カードゲームと呼ばれる物は他にも多々あるが、そのほとんどは

限定的な遊び方しか出来ないものばかり。

 これを超える発明が生まれるのは、あとどれくらい先のことになるだろう。

 

「ん~と、あれが7でしょ。 でもって、あれがキング…」

 

 現在行われているのは、神経衰弱(しんけいすいじゃく)と呼ばれるゲームだ。

 ジョーカーを抜いた52枚を裏向きの状態で1枚ずつ配置し、

勘と記憶力を駆使し、同じ数字のペアを狙う。

 シンプルといえば、シンプル極まりないゲームである。

 

「……」

 

 彼女と初めてこのゲームをしたのは、いつのことだっただろうか。

 確か結果は、僕の圧勝で終わった記憶がある。

 

 記憶力には昔から問題あり、と指摘されている僕であるが…

何故かこのゲームとなると、めっぽう強い。

 秀輝くんいわく、僕は短期的な記憶力に関しては、

常人離れしたものを持っているんだとか。

 

「やばい、混乱してきた…。 頭の中が、大洪水だ」

 

 彼女は頭を抱え、ガタガタと全身を奮わせ始める。

 道行く人が見れば、間違いなく危ない人に思われるだろう。

 しかし、僕も日和も見慣れている光景なため、動じることはない。

 

「こういう時は、勘に頼ろう。 神様、仏様、マーマレード様…我に力を」

 

 覚悟を決めた彼女が、バシッとカードを裏返す。

 しかし、残念ながら、期待した数字ではなかったようだ。

 彼女はガックリと肩を落とし、2枚のカードを裏向きに戻す。

 

「…じゃ、僕の番だね」

 

 残るカードは、24枚。

 その内、正体の判明しているカードは10枚。

 既にもう、雌雄は決している状態と言えた。

 

 

 

「…負けた」

 

 大の字に寝っ転がった保奈美ちゃんが、掠れるような声で呟いた。

 僕は敗者に言葉をかけることもなく、そそくさとトランプを片付ける。

 

「これで通算、167連敗だ~…」

 

 彼女の独り言を聞き、そんなに記録を更新していたのか、と率直に感じた。

 ――というか、よく覚えているものだ。

 その記憶力があるなら、勝利を手中に収める日も遠くはないだろう。 …多分。

 

「はい、お疲れ様。 大丈夫、保奈美もよく頑張ってたよ」

「お姉ちゃん…なぐさめなんていらないよ。 どうせ、私なんか…」

 

 すっかり落ち込んだ様子の妹に、姉が労いの言葉をかける。

 これもまた、いつもの微笑ましい光景だ。

 彼女は随分と感情の浮き沈みが激しいタイプのようだが、

その辺りは僕よりも日和の方がよく熟知しているだろう。

 

「……」

 

 しかし、ふと疑問に思うのだが…。

 どうして彼女は、そこまでしてこのゲームの勝ちに拘るのだろう。

 その執着ぶりからすると、単に負けず嫌いなだけという

理由ではないのかもしれない。

 

 そういえば、彼女と初めてこのゲームで対決した時…

何かがあったような気がする。

 何があったのかは、深い記憶の谷の底に埋まっているが。

 

「…んっ?」

 

 気配を察し、僕はドアの方へと視線をやる。

 すると、その隙間から何者かが部屋を覗いているではないか。

 僕と目が合った瞬間、何者かはトコトコとこちらに駆け寄って来た。

 

 ……

 

 彼女の名前は、ニャンニャン。

 その名前から想像出来るかもしれないが、この家の飼い猫だ。

 もし犬にこの名前を付けてしまったとしたら、きっと凄く、変な感じになるだろう。

 

「お久し振り。 って…昨日の朝にも会ったっけ」

 

 話しかけると、ニャンニャンは『ニャー』と猫語で言葉を返してくれる。

 猫は基本、気まぐれな性格であり、人に懐いてるように見えても

懐いていないことがかなり多い動物だと聞く。

 しかし彼女の場合、他の猫とはどうも違う。

 

 ……

 

 本当に、人間に興味を抱いているようにしか見えない。

 そんな風に思えることが、多々あるのだ。

 それは勿論、僕の勘違いである可能性もあるのだが…。

 

「…う~ん」

 

 彼女のクリッとした瞳を、ジッと見つめてみる。

 彼女は目を逸らすこともなく、まっすぐに視線を受け返す。

 

 もしかすると、彼女は想像以上に凄い存在で…。

 それを隠すために、僕らには敢えて猫っぽい振る舞いを見せているのではないか。

 そんな風にさえ思うのは、ちょっと行き過ぎた感覚であろうか。

 

 

 

 

 


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