OLWADHIS ~現代編~   作:杉山晴彦

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第26話 夢と現実の境目

 

 

 

 

 

 幸いにも、『悪魔』の意識は完全に僕に集中しているようで、

怪我をした子供には目をくれる様子もない。

 逃げるのも1つの手かもしれないが…逃げ切れるとも限らないし、

他の人へも被害が拡散(かくさん)する恐れがある。

 

 ……

 

 悪魔は甲高(かんだか)い雄叫びを上げながら、再びこちらへと迫り来る。

 僕はバックステップをして、安全な距離を保つ。

 何しろ、未知なる生物が相手だ。

 迂闊(うかつ)に攻撃を仕掛ける気にはなれない。

 

 とはいえ…子供の出血の度合いを考えれば、勝負を長引かせるわけにもいかない。

 出来得る限り、短期決戦での終着を想定しないと。

 

「……」

 

 バックステップやサイドステップを繰り返し、悪魔の攻撃から身をかわしつつ、

相手の洞察を続けていく。

 二足歩行…。 しかし、移動は翼の駆動による飛行が主軸。

 両手に生え揃った鋭い爪による襲撃が、基本的な攻撃手段のようだ。

 

 ……

 

 何度目とも知れないバックステップの際、着地した足裏から地面と違う

サラリと柔らかい感触が伝わる。

 どうやら、公園の砂場に足を踏み入れてしまったらしい。

 

「……」

 

 ――よし。

 どの道、いつまでも守勢に回っているわけにもいかない。

 僕は接近する悪魔を凝視(ぎょうし)しながら、その時が来るのを待ち侘びた。

 

 ……

 

 『ザパッ』と重たい水が飛沫を上げたかのような音がすると同時に、

大量の砂が虚空へと舞い上げられた。

 目くらまし…。 古典的だが、相手の隙を作り出すのにはもってこいの手法。

 

 無数の砂粒が宙を漂う、数秒にも満たない時間。

 僕はその中で迅速に体を動かし、敵の背後へと回り込むことに成功した。

 

 隙だらけとなった悪魔に対し、まずは左からの足払い。

 体勢が崩れたところで、グーに固めた拳を思い切り後頭部へと振り下ろした。

 一般人であれば、気絶確定なレベルの力加減。

 

 ……

 

 ビクリと僅かに身体の硬直が見られたものの、ダウンする気配は無い。

 やはり、人間とは勝手が違うようだ。

 こちらへ振り返り、悪魔はギョロリと瞳を剥き出しにする。

 が――その刹那、間髪入れずに僕の回し蹴りが頭部へと叩き込まれる。

 

 いずれにせよ、物体の機能を低下させるためには、

強い衝撃を与えることが有効なことに変わりはない。

 体勢が整う間を与えぬよう、僕は素早く、的確な打撃を悪魔へと加えていった。

 

 

 

 

 

 

 

「そうですか…。 とにかく、無事で何よりです」

 

 一夜明けた金曜日。

 朝一番で掛かってきた電話の主は、あの怪我をした少年のお兄さんであった。

 電話の内容は、2週間程の入院が必要なものの、弟が大事には至らなかったこと。

 そして、ありったけの感謝の言葉で溢れていた。

 

「…はい。 それでは、またの機会に」

 

 会話を終えた僕は、ガチャリと受話器を置く。

 胸の奥には、何とも言えない、ほんわかした安堵の気持ち。

 ――と同時に頭を過ぎるのは、昨夜のあの『悪魔』との出会い。

 

 ……

 

 ここ最近においては、非日常的なことに遭遇するのにも慣れてきているが…。

 あそこまでありありと、生々しく『非日常』を体感することになるとは。

 未知ゆえにもたらされる恐怖とは全く別物の、限りなく刺激的な恐怖。

 

「……」

 

 だが刺激とは、捉え方次第で良い方にも悪い方にも受け取れる。

 一般的にはご遠慮願いたいような刺激を受けることにより、

思わぬ収穫が得られることも珍しくない。

 個人個人が持つ個性の原形は、案外そういう経験を核としている場合も多い。

 

 ……

 

「――おはようございます」

「…うん。 おはよう」

 

 いつからそこにいたのか、振り返った先に芳賀さんがいる。

 雰囲気から察すると、しばらくその場に立ち尽くし、僕の方を

気にしていたという感じが窺い知れる。

 

「先輩っていっつも、難しそうな顔してますよね」

「…そうかな。 っていうか、僕は「――『この顔しか出来ない』、って言うんでしょ。

でも、よく見れば分かるんですよ」

 

 僕の言葉を(さえぎ)って言葉を被せてきた彼女は、得意満面な顔をしている。

 最近まではごく(まれ)にしか見られなかった顔だが、最近ではよく見せてくれる顔。

 彼女によく似合ったものだと思う。

 

「…自分だと、判別が付かない」

「だったら、これから自分がどんな顔してるか気になったら…私を呼んでくださいよ。

きっちり、鑑定させてもらいます」

 

 彼女はどこから取り出したのか、虫眼鏡を構えながらニッと笑う。

 虫眼鏡って、あんまり生活の必需品(ひつじゅひん)というか…一家に一台みたいな印象はないけど。

 まぁ何しろここは、あの八兵衛おじさんの家だしね。

 珍品奇品を探すには、苦労しない物件と言えよう。

 

 ……

 

「にしても…大変なことになりましたね」

 

 しばしの沈黙を挟み、真顔に戻った彼女が言う。

 確かに、色々と大変なことにはなっている。

 あの『悪魔』は、とりあえずこの町の自治体の人が引き取っていったようだけど…

無論のこと、上の方への報告は必須だろう。

 

 ……

 

 改めて、あの『悪魔』の姿と動向を思い出す。

 単にちょっと奇怪な姿をした、ちょっと凶暴な性格の新しい生き物が、

偶然にこの町で見つかった――というだけの話では済まないだろう。

 そもそもアレは、生物学的に有り得る生き物なのだろうか…?

 

「……」

 

 まぁ、事実として出てきてしまっている以上、そこは現実を受け止める必要がある。

 しかも恐らくは、1匹や2匹の話ではない。

 世界各地から報告されている、同様の生き物の存在を裏付けるような証拠の数々。

 それらが全て本物だとしたら…。

 

「…まぁ、なるようにしかならないか」

「はい。 『急がば焦るな』、ですよね」

 

 限られた情報の中では、限られた推測しかすることが出来ない。

 無理に明確な答えを見出そうとすれば、かえって自分をミスリードしてしまうもの…。

 肝心なのは、予測不可能な事態にさえ対応出来る、心身の確保だ。

 

 ……

 

「あっ…お客さん?」

 

 インターフォンの音にピクリと反応した芳賀さんが、パタパタと玄関に向かう。

 僕も一旦気持ちを切り替えて、彼女の後を追うことにした。

 

 

 

「きゃッ…!」

 

 玄関のドアが開け放たれた次の瞬間、彼女の短い悲鳴。

 僕は慌てて駆け寄ると、彼女の視線の先を辿った。

 

 ……

 

 そこには、犬と狐がいた。

 いや、正確には――犬と狐の仮面を被った、何者かだ。

 そして犬の方は、恐らくブルドックと呼ばれる種類のものだ。

 

「杉山榛名くんだね?」

「…はい」

 

 犬の方の仮面を被った人物が声を発し、僕は反射的にそれに答える。

 えらくしゃがれた声。

 服装や体型などから察すると、50は過ぎた男性だろうか。

 

「我々は暴走助っ人団、ば~さ~きゃ~ず。 遅ればせながら、参上しました」

 

 続いて、狐の方の仮面を被った人物がしゃべり出す。

 さっきの犬の仮面以上にしゃがれた声で、その他の外観的な面からみても、

かなりのお歳を召した御方のような印象を受ける。

 

「…ご苦労様です」

 

 僕はとりあえず、ペコリと軽くお辞儀をする。

 どうやらあの手紙が、きちんと彼らの元に届いたということらしい。

 

「ここで話していては目立つ。 とりあえず、中へ」

「お邪魔します。 しますよ、お邪魔」

 

 事態を呑み込めていない芳賀さんは、両手で口を押さえたまま立ち尽くす。

 そんな彼女の脇をすり抜け、彼らは家の中へと上がっていく。

 

 ……

 

 僕はどちらの対応を先にしていくかで、しばし迷った。

 とりあえず、真っ先に思ったことは…。

 目立つのが嫌なら、そんな仮面を付けなければいいのに――ということだった。

 

 

 

 

 

「それじゃ先輩! お先です」

「うん。 行ってらっしゃい」

 

 元気良く校舎に向けて駆け出していく彼女の姿を、いつものように見送る。

 やがて、彼女の姿は視界から消える。

 さて、これから僕も、学務に(いそ)しもうというというところなのだが…。

 

 ……

 

 そこに立ち尽くしたまま、右往左往に視線が動く。

 制服姿の中学生たちを自然と目が追ってしまい、足が地面から離れない。

 

「……」

 

 どうして、そんなことをしているか。

 何故、そんな状態に(おちい)ってしまうのか。

 答えはきっと、考えるまでもないことなのだろう。

 

「――んっ?」

 

 少し物憂げな気分に浸りかけた、その刹那の出来事。

 突如として、目に映る景色が一変した。

 

 断崖絶壁(だんがいぜっぺき)に囲まれた、大きな湖。

 僕はそれを空中から見下ろしていた。

 幸いなことに、僕の体は地球の重力に逆らい、宙に浮き続けている。

 

 ……

 

 人間、あまりに唐突過ぎる事態に遭遇すると、驚く気も失せるものだ。

 僕の周囲にあるものは、瞬きをする前と後とで、完全に入れ替わってしまった。

 

「……」

 

 自分にとっての『当たり前』が、あっさりと崩壊するこの感覚…。

 ごく最近にもあったことなのだが、何だか妙に懐かしくもある。

 

 と――次の瞬間。

 僕の体は湖を目掛け、急速に落下した。

 いや、『落下』という表現は正しくない。

 

 確かに、落ちていることは落ちているのだが…。

 何故か心の中は、妙な安心感に包まれている。

 まるで、エレベーターで下の階を目指しているかのような…。

 そんな感じの、何かに心を預けられるような心境。

 

 ……

 

 僕はやがて、湖へと突入した。

 水に触れた感触が無いとか、普通に呼吸が出来るとか。

 そんなことを考えてる間にも、僕の体はどんどん奥底へと沈んでいく。

 

「……」

 

 段々と光が届かなくなり、薄暗くなり始めた地点。

 巨大な何かが、水を掻き分けた。

 何か物凄く大きなものが、僕の周りを泳いでいる。

 

 それは――巨大な(くじら)であった。

 いや…そもそも鯨は他の生き物と比べると、比類なき巨体を所持しているもの。

 だから、僕らにとっては巨大でも、鯨にとっては標準サイズという可能性も…。

 ――いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 

 ……

 

 鯨の大きく丸い瞳が、僕を捉えた。

 敵意のようなものは含まれていないが、その威圧感に体が萎縮(いしゅく)する。

 状況を踏まえれば、例え向こうに他意は無くとも、こちらに致命的な傷を

負わせてくる可能性が考慮(こうりょ)できる。

 

“若者よ…”

 

「……」

 

 声が聞こえた。

 まるで水を伝わり、心に届いているかのような、不思議な声。

 どうやら、その主は…目の前にいる鯨と考えるのが妥当らしい。

 

 

 

「――先輩。 おはようございます!」

「…おはよう、大地くん」

 

 背後からかけられた声に、首だけ振り向いて言葉を返す。

 声だけでも誰かは分かるし、それ以前に、足音でも判断が付く。

 これぞ、日々の修行の賜物(たまもの)である。

 

「どうかしたんっすか? さっきから、ボーッと突っ立ってたみたいですけど」

「…うん。 ちょっと、夢を見てた」

 

 ついさっき起きた筈の出来事。

 それが夢と呼べるものかどうかにはいささかの疑問があったが、

他に例える言葉もない以上、そう呼ばざるを得ない。

 

「夢って…先輩、立ったまま寝てたんですか?」

「人生には、そんな瞬間もある」

 

 事実、キリンは立ったまま寝る。

 僕はキリンじゃないけど。

 

 魚は、目を開いたまま寝る。

 まぁ彼らの場合、(まぶた)が無いから仕方ないんだけど…。

 ともかく、そういうことだ。

 

「そういや最近、俺も変な夢をよく見るんですよね」

「…どんな夢?」

 

 ズキッと、胸の奥にむず(がゆ)いような感覚がした。

 頭の中に浮かぶ不鮮明な映像には、彼女の顔が映っている。

 

「いや、えっと…。 ん~っと…やっぱ、止めときます」

「…?」

「あんまし、良い内容じゃないんで」

 

 僕の顔を複雑そうな表情で見つめた彼は、やがて目を伏せて口をつぐんだ。

 良い内容じゃないということは、つまり悪い内容だったということらしい。

 

「そう言われると、余計に気になるんだけど…」

「いや、すいません。 たかが夢の話なんですけど…聞いたら先輩、

きっと嫌な気持ちになると思うんで…。 ――そいじゃ、また!」

 

 よっぽど話したくないことだったのか、彼は焦ったように会話を終わらせると、

足早に校舎の方へと走り去っていった。

 僕は黙って、それを見送ることしか出来ない。

 

 ……

 

 あんまり深く物事を考えるタイプでない彼が見せたその態度に、

僕は言い知れぬ不安を覚えた。

 僕が聞いたら、嫌な気持ちになるような内容…?

 それは果たして、如何なるものなのだろうか。

 

 

 

 

 


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