リアルが半端なく忙しく、ちくちくを私の執筆時間を削っていったせいか、投稿予約の一日前にも関わらず、3000文字程度しかかけていない有様……。
自分で作った締切にすら間に合わないks作者であった……。
さて、前回までのお話ですが、コーヒーカップと、チノの淹れたコーヒーの代価として、喫茶店「rabbit house」でバイトとして働く事になった雄二。
でも、あの雄二だ。
いかんせん、雄二だ。
無難に終わるはずもない。だって、雄二だから・・・・・・。
お待たせいたしました。
それでは、どうぞ!!
「……ああ、俺はもう、自分の事は自分で決めなければいけないんだったな」
「…………」
私は、彼の事を何も知らない。
知っているのは、彼が、私の護衛であり、天才的な才を持つスナイパーである。そして、何故か生き物の命を奪うことが出来ない。例えそれが、虫一匹だったとしてもだ。
言葉にしてしまえば、たった二行で完結してしまう。その程度しか、私は彼の事を知らない。
否、これ以外、何も知らない。
彼が発した言葉。その言葉に秘められた思いを、そんな私は伺い知るすべはない。
当然だ。また彼との付き合いは、ファーストコンタクトを含め二日しかないのだから。
だが、そんな私でも、今の彼の精神状態が平常でないことぐらいは彼の態度と発言から察することがかろうじてできた。
何故だか、彼にはそんな顔をしてほしくない。そんな気がする。
だから、私には、こんなことしか、出来ない。
「ほ、ほら、もたもたしてないで、働くならさっさと着替えるぞ。そ、それとも、パパ、パンツ一丁で働く気か?お前は。とんだ露出狂だな!?」
冗談でその場の空気を弛緩させる。
それぐらいしか、私は現状を抜け出す方法を思いつく事ができなかった。
しかしながら、本来これは私の役目ではない。この役目は、その辺でまだいじけているココアの役目だ。
いつもなら、ココアが天然発言でその場をかき回し、それを私が元の流れに戻す、とこんなところだ。
ああ、人は、慣れないことはするもんじゃない。そのことを、私は深く痛感した。
何故ならば、場を和ませるために咄嗟に思いついた言葉が、最低最悪の下ネタ発言だったのだから。空気を弛緩させるどころか、その場を凍り付かせてしまった。
あまりの羞恥に悶えた私は、心の中で大理石の柱に何度も何度もヘッドバッドをかまし、柱の周りを転げまわる。
(あああああああ!!!何を言っているんだ私はっ!!今手元にMK3手榴弾があったら、私は迷いなく安全ピンを抜く自信があるぞ……!!)
私が下ネタを言うなんて思いもしなかったのだろう。
一瞬、訝しげに首を傾げた彼だったが、何かを悟り、私を見てフッ、っと小さく
いけない、と私はさっさとこの場から去ろうとするが、彼が行く手を塞いでしまう。
「ああ、すまない。少しぼーっとしていたようだ。すまんが、もう一度言って聞かせてくれないか?」
「な!?」
「今度はそちらが聞き逃しか?では、再度尋ねよう。もう一度いってきかs」
「聞こえなかったわけじゃないわ!!」
「なんだ、聞こえていたのか。なら、話は早い。さあ、プリーズ、ワンモア」
「できるか、そんなはしたない真似!!」
「ほう、つまりは自分の発言がはしたなかったと自認し、更に自分がはしたない淫乱ビッチであると、そう認めるのだな?」
「はしたない発言は認めるが、それ以下は全面的に否定する!」
「認めちまえよ、そうすれば、楽になる」
「たちの悪い取り調べの刑事さんかお前は!?」
「いや、尋問は専門外だ。本職には敵わんさ」
「物の例えだよ!解れよ!!」
「どうしたんだ?そんなに興奮して。コーヒーの飲み過ぎか?カフェインは弱性ではあるが、アッパー系のドラッグの一種だ。飲み過ぎは体を壊すぞ?」
「その前にお前との会話で精神が壊れるわ!!」
ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ。
機銃掃射のようなトークを繰り広げ、精神的な疲労と心肺的な疲労で、私は訓練されて以来、滅多に起こさない息切れを起こしていた。
だから、なぜ対象に安心感を与える護衛にSAN値をごっそりと持っていかれなければならないのか。
「やっぱり仲良しだよねー」
「……そうですね」
と、微妙に頬を膨らませたチノが言う。
「チノちゃんが、お兄ちゃんを恋人にとられた妹みたいに膨れてる!?大丈夫だよチノちゃん!!そんな時こそ姉である私の胸に飛び込んできてっ!!さあ!」
「ココアさん……」
「チノちゃん……」
見つめ合う二人。
「ちょっと裏で事務処理して来てください」
「窓際族!?」
と、私が息切れをしている間に、ココアとチノが二人仲良く姉妹漫才をしているのを見た私は、もうどうでもよくなり、さっさと着替えることにする。
「はぁ、もういい。とっとと着替えて仕事に入るぞ」
「了解した」
私は制服に着替えるため、店の裏、所謂バックヤードへと歩いていく。
そして彼も、そんな私の三歩後ろに続く。まるで、護衛のように。……いや、形式上、正真正銘私の護衛なんだが。
任務開始から今まで、一番
と、地味に致命的な問題を感じはじめていた間に、更衣室前に到着し、私はいつものように一応ノックをして、更衣室に入室した。
「ふう。さて、着替えるか」
私は、自分にあてがわれたロッカーを開くと、ハンガーを一つ手に取り、着ていたブレザーを脱ぎ、ハンガーでレールにかけた。
「それで、俺はどれに着替えればいいんだ?まさかとは思うが、本当にパンツ一丁でやるのか?それは些か時間帯が早いと俺は懸念するのだが」
「確かに夜はバーだが、当店ではそのようなサービスは扱っていない。ちゃんと一番右端のロッカーに、男性用のバーテンダースーツがあるから、今日はそれを着るといい」
「確認した。……ふむ、サイズが少し小さいな。今日一日ならともかく、長期でやるとなると、少し尺増しをしなければならないな」
「そうか、それは災難だな…………………ん?」
と、私はここで違和感に気づき、周囲を見渡し、私は確信する。
「どうした?敵影か?」
「ああ……いるな」
「なに?どこだ、どこにいる?敵意や殺気など全く感じられない……もし、それが本当なら、そいつは相当のヤリ手だ。警戒を怠るな」
「ああ、心配ない。それなら視界にとらえてる。お前っていう女の敵をなあぁあぁぁあああああ!!!!!!」
私は半分脱ぎかけていたワイシャツのショルダーホルスターから、愛用の護身銃をクイックドロー。
彼はローリングで回避、その動きで衣装を持ったまま、部屋に転がり出ていった。
「……はぁああああ!!!見られた見られた見られたああッ~~~~!!!中学に入ってから今まで、親父にも見せたことなかったのにいぃいいーーーーー!!!!」
バイトを始める前に、体力とは別に精神力をすり減らしてしまった。
「……はぁ」
「どうしたのリゼちゃん?さっきなんかすごい音がしてたけど、なにかあった?」
「何、気にするな。少し私の女の価値が暴落しただけだ。リーマンショック並にな」
「それはシャレになってないよリゼちゃん!?」
仕事の開始直後、ココアに本日何度目も知れない深い溜息を目撃されてしまった。
取り敢えず、適当な冗談を言ったのだが、全く和みはしなかったらしい。
私には、お笑いの才はないのだろうか?
「大丈夫、リゼちゃんは存在そのものがギャグだから!」
「フォローになってない上に、心を読むなっ!!」
大事な場面では、ラブコメの主人公並に鈍いくせに、どうでもいいところで鋭いやつだ。
「……そうやって漫才をやってればいいのか?」
「……話しかけないでくれるか、この除き魔」
「……」
と、私が睨みを利かせると、彼は、流石に反省したようで、黙って壁際に寄って行った。
そして、なにやら壁を叩き始めた。
「…………」とん、とん、とん、とん。とんとん。
壁を規則的に叩く彼、不審に思い、それを聞いていくと、
「……」とんとん。とん、とん、
「……モールス信号?」
そう、それは軍の暗号や通信に使われ重宝された由緒正しき、モールス信号。その日本語版であった。
因みに、解読すると、「ソウヤッテ、マンザイヲシテイレバイイノカ?」となった。
「話しかけるなとは言ったが、誰がモールス信号で伝えろといった」
「……」とんとん
「もうモールス信号はいいから普通に喋れ!」
「で?そうやって漫才をしていれば良いのか?変わった喫茶店だな。どこに需要があるんだ?」
「変わっているのはお前の思考回路だからな?そこんところわきまえてくれるか?ああ?」
「それで何だが、ココア先輩、俺はこれから何をすればいいんだ?」
「私を無視するなぁあぁあーーー!!」
「先輩、ココア先輩かぁ。あはは。私、ココア先輩!」
(ダメだコイツ、早く何とかしないと。いや、もう手遅れか。だって、ココアだし)
彼の口車にまんまと乗せられたココアは、満面の笑みで仕事の内容を説明する。
ただし、それはココアが理解している範疇での説明だ。
少し耳を傾けていればわかる。
「まずは、元気よく、挨拶!いらっしゃいませ~!!」
「いらっしゃいませ」
「違う違う!もっとこう、コブシを利かせて!!いらっしゃいませ~!!」
「いらっしゃいませぇえ~」
「そうじゃなくて、もっとビブラートに!いらっしゃいませ~!!」
「いらっしゃいませ~~!!」
と、何故か演歌の練習かなにかのような間違った来店の挨拶を練習している。
だが、それをいちいち真面目に聞いて、試行錯誤している彼を見るのは、先程の除き事件のことも相まって、相当に気味がいい。
だが、そんな陰湿な私の趣味に気づいたのかどうかは知らないが、見かねたチノが、ストップをかけた。
「ココアさん、発声練習はもういいので、テーブルを拭いてください。リゼさんも雄二さんも、お願いします」
「でも、私先輩として雄二君にいらっしゃいませの何たるかを教えてあげないと!このままじゃ、恥ずかしくてお店に出せないよ」
(恥ずかしいのは、ココアの発声練習の方だと思うのだが……)
「いいからさっさとテーブルを拭いてください。さもないと、ココアさんの髪を雑巾代わりに床をモップ掛けしますよ?」
「そんなことされたら、髪が傷んじゃうよ!?」
いや、気にするのはそこじゃない。
チノに雑巾扱いされているこの現状をどうにかした方がいいと思うのは、私だけだろうか?
そこのところを、私はどうしてもチノの姉(自称)に尋ねてみたかったが、このままでは店が開く前にラストオーダーを迎えそうなので、私は店の厨房から布巾を一枚手にすると、水に浸してギュッと絞る。
それを目にした彼が、
「なるほど、まずはその布を絞ればいいんだな?」
「ああ、そうだ。その絞った布で、テーブルを拭いて回るんだ。ていうか、そんなことも知らないのか?」
「店で店員がやっているのを見かけるが、俺は家の掃除すらままならんからな。そんな高度な真似は出来ん」
「胸を張って言うべきことではないし、布巾でテーブルを拭くという行為のどこに難易度を感じるのか、私は理解できない」
「ふむ、それはだな」
彼は発言を途中で切ると、彼は私と同じように布巾を一枚手に取り、同じように水に浸し、布の水分を落とすため、ギュッと絞り、更にギュッと絞り、更に更にギュッと絞り――――そのまま布巾をねじ切った。
「おい!?」
「まずこの布巾を絞るというのがどうも苦手でな。どうやったらそんなにいい水の含み具合で仕上がるんだ?……これが、職人の技という事なのか」
「これが職人の技だとしたら、全国の飲食店には仙人が住んでいることになる」
それにしても、見事にねじ切られている。
断面を見てみるが、あまりの力にねじ切られた先端が少し焦げていた。
コイツ本当に私たちと同じ人間なのだろうか?
「ああもう、私が絞ったのをやるから、お前は取り敢えず、フロアのテーブルを一通り拭いておけ。いいな?」
「了解した。……それで、ドライバーはどこにあるんだ?」
「何故、テーブルを拭くのにドライバーが必要なのか、聞かせてくれないか?」
「一通りと言われたからには、螺子とねじ穴まで綺麗にしなくてはな」
「なんでそんなところだけ几帳面なんだお前は!!テーブルの天板だけ拭いてくれればいいから、お願いだからそれ以上の事はしないでくれ」
「なんだ、だったら最初からそう言えばいいじゃないか」
「今のは私が悪いのか?そうなのか?」
おかしい、コイツは、いろいろとおかしい。
コイツには常識ってものは、おしゃぶりと一緒にどこかに置き忘れてきてしまったらしい。
そのことを改めて痛感させられた私は、思わず頭を抱えてうずくまる。
私はまだ一日目だが、コイツが会社勤めって、上司は大変だったろうな。毎回毎回始末書と格闘することまでが仕事の一部と化してしまっているのが目に見えている。
そして、私は一瞬コイツの上司になっているのを想像し、頭を抱えたまま顔を顰める。
そんな事になれば、私は今より体重が10キロは痩せるに違いない。素敵なダイエットには違いないが、もはや話すこともままならない精神状態まで追い込まれるのは間違いない。
コイツの元上司に直接お目に掛かれたならば、私は思わず『サー』又は『マダム』と会話の語尾に付け足してしまうことだろう。
「すみませんが、真面目にやってもらえないと、夜までに店を開ける事すらできないのですが?」
「す、すまん。さっさと済ませる」
「ああ、それなら、今終わらせた」
そんな馬鹿な、と私はフロアを見渡すが、天板はまるでどれも新品のような光沢と艶で、天井を鏡のように映しこんでいた。
いつの間に、というのはもしかしなくても、先程私が頭を抱えていた僅かな時間であろう。
しかし、このくらいはもう驚かない。
だって、彼だ。風見雄二だ。それくらいやりかねない。
何故ならば、彼が風見雄二だからであり、それが風見雄二である
まあ、仕事が遅いのなら文句の一つも言えたのだが、仕事が早くて正確なら、特に口をはさむこともあるまい。
だが、個人的にいびりの一つも言えないのでは、面白くない、とも正直思ったが、口には出さない。
「見てましたが、人間業とは思えない手際の良さでした。どこかの飲食店で働いていたのですか?」
「……いや、前に働いていたのは飲食店ではなく、清掃業の会社だったからな。昔取ったなんとやらというやつだ。それで、次は何をすればいい?」
「あとは、お店の看板を開けてお客さんを待つだけだよ」
と、ここで復活したココアが、先輩面で得意げに語りだす。
「ふむ、取り敢えずはこれで下準備は完了という事でいいんだな?」
「そうですね。あとは、お客さんが来てから説明します。……それでは私は、学校の宿題をやりたいと思います」
いつもながら、ココアの発言は完全スルーだ。
チノの心に引っかかることなく、ココアの発言はそのまま境界の彼方まで滑って行った。
今日もrabbit houseは一部を除いて平和だ。
チノが宿題をし始めると、ココアが店員らしく、表の看板を裏返しcloseからopenに変えた。
これで、喫茶店rabbit houseが昼から夕方のシフトへチェンジしたことをお客さんに示す、というわけだ。
因みに、朝と昼は休日以外は私たちは学校があるので、タカヒロさんに全てお任せ状態になってしまう。
だが、幸いなことにここ、rabbit house平日のピーク時間帯は昼ではなく、夕方からバーにチェンジして朝の喫茶店にまた戻るところまでだ。
その為、タカヒロさん一人でも、昼間はさして問題はない。
だが、流石に喫茶店からバーにシフトする準備をする時間帯は、タカヒロさんも一度バックに戻らなければならない。
よって、ここで放課後の学生の出番というわけだ。
まあ、この喫茶店のピーク時間帯と言えば聞こえはいいが、その実態は昼間より客足が少し多くなる、といったものでしかなく、お手伝い三人でも十二分事足りる。
であるので、昼から夕方にシフトしてから、数十分はお客さんがこない状態が続く。そして、お客さんが来て、そのお客さんがお帰りになられると、また時間が空く。
そしてチノは、その空き時間の合間を縫って、学校の課題を終わらせている。
実に時間の活用がうまい。
これならば、実家の手伝いと学業の両立は容易いだろう。
「ううん……。この問題がわかりません」
「どれどれ?こんな時こそ、お姉ちゃんである私の出番だよ!!さあさあ、チノちゃん、どこの問題?」
チノが問題に苦戦していると、ココアが「ここだ!」(駄洒落ではない)とばかりに、年上の利を活かして、お姉ちゃんアピールを試みる。
「えっと、これは一次方程式の応用だから、こっちのxの値を、こっちのyの式に代入して、それを座標に当てはめれば、ほら!」
「相変わらず、理数科目だけは敵なしですね」
「そうかな?普通だと思うよ」
と、言葉は冷静だが、頬は上気し、顔は犬が「誉めて撫でて!」と尻尾を振らんばかりのドヤ顔である。
そう、このココアだが、やっていることは天然で、どうしょうもないトラブルメイカー。
頭の中は常にチノとコーヒーとお菓子の事でいっぱいだが、理系科目に関しては、一つ学年が上である私をも唸らせるような才を持つ。
本人は、そのことに最近気づいたらしく、おかげでチノが宿題をしていると、執拗に「どこかわからないところある?ねえねえ?」と、迫ってくる。
理数系の場合、それでよいのだが、チノはだんだんうざくなると、決まって、これを口にする。
「じゃあ、この英語の問題を教えてください」
「うぐ!?」
「There is a doll under the tree. but, I don't go to there. bacause The big dog is barking now」
「えっと、えっと、えっと??」
そう、英語の問題である。
ココアは先程述べた通り、理数系の科目ならば敵なしなのだが、一旦そこに文系科目がからんでしまうと、もう駄目だ。
そう、典型的な理数人間なのだ。ココアは。
「えっと、あそこの人形が、釣りをしているけど、私は行けない。何故なら、大きなホットドッグがバッキンガムなうだから?」
見事にカオスな回答だ。
全く意味が解らない。
「ココア、人形が釣り、というのはtree、木を勘違いしたとして、なんでいきなりジャンクフードがバッキンガム宮殿に現在進行形で出現しなきゃならないんだよ……」
ココアを半目で見てもって呆れつつ、私は解説を入れる。
「この回答は、There構文で、人形がunder the treeつまりは木の下にある。だけど、私はそこに行かない。because、何故ならThe big dog is barking now、あの大きい犬が吠えているから、となる」
「おー!さっすがリゼちゃん!!」
「いや、中学の内容だからな?高校生は皆出来て当たり前の問題だからな?」
「自分の基準を他人に押し付けたらいけないんだよ。人はみんな違ってみんないい、なんだから!」
「それは確かに正論だが、これは私個人の基準ではなく、世間一般、全国の高校生の基準だ!」
人はそれを、常識と呼ぶ。
「流石リゼさんですね」
「いや、これは流石に高校生なら誰でもわかる」
「その誰でもに当てはまらない人もいるようですけど」
ジト、と擬音が付きそうな半目を、チノがココアに向ける。
「やめて!私をそんな目で見ないでーー!!」
いつも通り、ココアが泣き崩れる。
と、ここでいつもならチノの愛のある(本人は否定するだろうが)放置プレイに緩やかに移行するのだが、今回はこの一連のお約束を知らない奴が約一名いることを、私は失念していた。
「そう気を落とすことはない。人間誰でも、得て不得手があるものだ。ココアにはそれが文系科目だったというだけだ」
「雄二君……」
彼が、打ちひしがれているココアに手を差し伸べている。
しかも、私にはかけたこともない優しい言葉つきで。
人間、傷心の際の優しさが、一番心に響く。
それを計算しているかのように、彼がふんわりと笑みを浮かべる。
すると、人一倍感受性が強いココアは、この手口にあっさりと引っかかった。
「そうだよね!人間、不得意分野の一つや二つ、あるものだよね!!」
「ああ、その通りだ」
「ずいぶんと優しいじゃないか」
「当たり前だろ?目の前で女が落ち込んでいるのに、放っておくような奴は男じゃない」
「お前、それ本気で言ってるのか?」
「? 何かおかしなことを言ったか?」
呆れたことに、先程のアクションとキザッたらしい言葉は計算などではなく、天然らしい。
コイツは、更衣室に侵入してきたのとは別の意味でも女の敵だ。
「お、女……。私が、女……」
生々しい言い回しに照れたのか、さっきまで元気だったココアが、頬を朱に染めて俯く。
やばい、さっそく女の敵の毒牙にかかった被害者が出現した。
それとは正反対に、カウンターで英語のテキストから目だけ出す形で、チノが先程とは違う意味でジトッとした目を向けた。
「ココアさん、暇だったら、裏で在庫確認してきてください。そこで何もしていないのでしたら、置物と変わりませんし、むしろ邪魔です」
「へ、あ……う、うん?」
と、ここで我に返ったココアがこの場から逃げ出すかのようにして裏へ下がっていく。割と酷いことを言われていたのだが、それは本人の耳には届いていないらしい。我に返ったといったが、まだ夢幻状態らしい。
チノはチノで、最近は毒舌を控えていたので、どうかしたのだろうか、と裏に回ってみると、教科書に隠れた顔、というか頬がフグのようにぷっくりと膨らんでいた。ヤキモチを妬いているらしい。
まだ初対面から一時間も経っていないというのに、すごい懐きっぷりだ。
懐き?これは本当に懐きで済まされるのだろうか?
(いや、というか、これ、不味くないか?早くも被害者二人目じゃないのか!?)
私が焦っている内に、ココアが裏へ行ってしまったので、彼はチノのところへ歩み寄っていき、
「それと、さっきの英文だがな、場面的には、I don't ではなく、I can'tの方が適切だ」
「そうなのですか?」
「え?……あ、そうか。確かに」
と、ここで私は初歩的な文法ミスを犯している問題文に気づいた。
確かに、この場合なら、いかなかった、というdon'tよりも、行けなかったというcan'tの方が適切だ。
私としたことが、とんだケアレスミスだった。
「確かに、この英文のままでも、日常会話であれば問題はないだろうが、手紙などのキチンとしたものにするならば、こちらの方がより良いものだろう。だから、先程のリゼの回答も、正解だ。気に病む必要はない」
「た、確かにその方がしっくりきますね。……雄二さんは、英語が得意なんですか?」
「いや、職業柄、日常会話程度のものだ。あとはまあ、本を読むからな。それなりに知識はあるつもりだ」
「すごいですっ!コーヒーに詳しいだけでなく、英語も得意で、更に読書家でもあるなんて……!!私なんて、学校の勉強はいつも平均点か、その少し下ですから」
先程膨れていたのことなど忘れ、チノは微妙に自虐を混ぜつつ、彼を褒めちぎる。
その目は、やはり年の離れた兄に、恋心に似た憧憬を抱く、妹の様だった。
「先程、ココアにも言ったが、人間、不得手なことの一つや二つあるものだ。ただ――――」
「ただ、何ですか?」
「その不得手を努力で覆すこともできる。勉強など、いい例だ。あれは、努力すれば、努力するだけ結果が出る。テストの点数という形でな。考え方を学ばせる、という観点からも学校の教科は有効だ。そしてさらに努力の仕方を教える、という観点でも学校の教育制度というのよくできたものであるといえるな」
「確かに、そうですね」
「だから、苦手である、という事をそのままにしておくというのは、些か勿体ない。……そうは思わないか?」
「そ、そうですね!……私も、頑張ってみようと思います!!」
「ああ、それがいいと思うぞ」
彼はそう締めくくると、カウンターにある器具を指さし、
「貸してもらっていいだろうか?」
「あ、はい。どうぞ」
そして、コーヒー豆の瓶を一つ手に取ると、蓋を僅かに開け、匂いを確認するかのように嗅ぎ、やがて満足したかのように瓶の蓋を閉じ、その他の瓶も同じようにして一つ一つ確認していく。
そして、おもむろに先程嗅いだ豆の中から、豆を選び取り、スプーンを使って分量を量っていく。
その様は熟年のバリスタを彷彿させた。チノの祖父が存命であったなら、このような光景が日常となっていたことだろう。
チノは、どこか懐かしそうにその作業を横目で観ながら宿題を黙々と片づけている。
量った豆を、ミル―――コーヒー豆を粉砕し、挽くための器具に投入し、蓋を閉めると、上部についているハンドルを回し始める。
ごり、ごり、と規則的にコーヒー豆を挽く音がお客のいない静かなフロアに響く。やがてそれが終わると、挽きたての豆をエスプレッソマシーンに投入していく。慣れた手つきでマシーンを操作し、豆を高圧、高温で抽出していく。
その作業が終わると、彼がカップを用意し始めた。そこで、チノがパタンとノートを閉じ、「ふう」と文字通り一息ついた。
その動作を見る限り、どうやら今日の分は終わったらしい。
手持ちぶさになっていた私は、適当に箒と塵取りでフロアの掃除をしていたが、教材を片づけたチノが、カップにコーヒーを注ごうとマシンに手をかけた彼に、制止を求めるように声をかけた。
「待ってください。その配分、カフェ・ラテですよね?」
「ああ、確かにその通りだが。……何かマズかったか?」
「いえ、マズイということではないのですが……リゼさん」
「ああ、そういうことか」
私はチノのその言葉、そして場の状況で大体の察しをつけた。
要はアレをやろう、という事なのだろう。
「できたら、ミルクを入れないで私に回してくれ」
「ああ、分かった」
彼は止めていた手を再び動かし、マシンからコーヒーをカップの半分だけ注ぎ、私に回してきた。
彼が注いでいる間に、手洗いを済ませた私は、ミルクピッチャー(ミルクを温め、ミルクを注ぐ道具)を手に取り、それでミルクを注いでいく。
注いだ後に、マドラーを手に取りカップの中を手順に沿ってかき回す。
すると、
「ほう、ラテアートか」
「ああ、ここでこうしてっと。よし、出来上がりだ」
私がマドラーをカップから引き抜くと、そこには自分で言うのもなんだが、見事なリーフが出来上がっている。
「うまいものだな」
「はい。リゼさんは、このお店で一番のラテアート職人ですから」
「そ、そうか?いやいや、それほどでもないが」
などと私は謙遜するが、頬は緩んでしまっているのを自覚していた。
「そして、このお店ではラテアートをお客さんにサービスでお出ししているんです」
「なるほど。それを俺にもやってほしいというわけか」
「はい」
「やったことはないが、全力を尽くそう」
「全力を尽くすのは結構だが、道具を壊すなよ?」
と、意気込む彼に一応釘をさしておく。
ここで私が釘をささなければ、きっとというか確実に彼はミルクピッチャーの取っ手を彼の手の形に変形させていただろう。
「ところで、これは何を書けばいいんだ?」
「何でもいいんじゃないか?私もさっきのは適当に思いついたのを書いただけだしな」
「そうですね。特に何か縛りがあるわけではないので」
「そうか。了解した」
彼は頷くと、そっとミルクピッチャーを手に取り、コーヒーカップにミルクを注いでいき、素人とは思えない動きで、マドラーでカップ内をかき混ぜる。
すると、そこに出来ていたのは、
「犬ですね」
「ああ、犬だな」
「普通ですね」
「ああ、普通だな」
「ふむ、自分ではよく出来たと思ったのだが、どうやら失敗してしまったらしい」
私たちは素人とは思えないほどよくできた普通の犬の絵だと舌を巻いていたのだが、どうやら彼は出来が気に入らないらしく、首を横に振っていた。
一体、どういうことなのだろうか?
どこからどう見ても、これは犬である。それ以上でも、それ以下でもない。
「別にどこも失敗してないじゃないか?」
「いや、失敗してしまった。なかなか難しいな。……後方前方を見据えながら全力疾走している犬を書く、というのは」
「お前の頭の中で何が起こった!?」
後方に向けて前を見据えて全力ダッシュしている犬をリアルに想像し、私はその過程に何があったのかと彼に突っ込んだ。
「知らないのか?ヤブイヌは前を向きながら、後方に全力で走ることが出来る犬だ」
「知るかそんなもん!!」
「え?リゼさん知らないんですか?」
「ええ!?チノ知ってるのか!?」
「はい?」
不思議そうな顔でうなずくチノ。
あれ、ヤブイヌって有名な動物だったのか?
私が世間の常識について、一人苦悩し始めた、その時だった。
カランカラーン
ドアベルが鳴り、三人組の男の人が店に入って来た。
「いらっしゃいませ。三名様でしょうか?」
私は瞬時に頭を切り替え、接客に向かった。
だが、その三人組は、異様な格好をしていた。
「おお、すっげえ美人!!」
「マジだ!すっげえ上玉じゃん」
「寂れた街だと思ってたら、いい店に来たぜ」
その三人組は、全員が黒い革ジャンとジーパンを履き、目や鼻にピアスをしており、ポケットからは用途不明なチェーンがジャラジャラと音を立てていた。