Croce World―君に呼ばれて―   作:紅 奈々

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第4話

「”悲哀(かなしみ)”を教えて……」

 

 

琉歌は、心に溜めたものを吐き出す様に歌い始めた。

どうしようもない時に歌うと心なしか心が空っぽになって、楽になる様な気がした。

自分では気付いてはいないが、琉歌の歌声はいつもの歌声とは違って、悲しげに夜空に響く。

 

 

「瞳を閉じていれば哀しみも見えないと 温もり知らずに居れば傷つく事もないと

思い出せない優しい声も 弔う胸の海原ーーーー」

 

 

 

 

あれからマーモンは、ベル達が寄り道して帰ると言うのでじゃあ先に帰ってるよ、と別れた。

蒼星川に架かる、街と過疎地域を繋げる大橋を通った時に、微かに歌声が聴こえてきた。

その歌声は、時々聞こえていた上手くもなく下手でもない特徴的な琉歌の歌声。

その声は、割と近くで聞こえた。

声のする方へ目を向ければ蒼星川に架かる小さな橋に座り込み、水面を見詰めながら歌っている琉歌の姿が見えた。

 

 

「消え失せた過去から誰かが呼んでいるの」

 

「琉歌……」

 

 

マーモンは哀しげに歌う琉歌の歌声に耳を傾けながら、名前を呟いた。

何かを訴える様な歌声は、その内に募らせている悲しい感情をそのまま吐き出しているのだろうか。

以前、琉歌は「感情は歌で表現することしかできない」と言っていた。

それは本当の様で、日によって歌声に変化がある様に聞こえるのだ。

 

 

悲哀(かなしみ)をこの手に取り戻す時は何時と

二度とは来ない現在(いま) あなたの事しか見えない……」

 

 

「やっぱりさっきのは本心じゃなかったんだ」

 

 

呟くと、マーモンは河川敷に降りる為、橋を越えて土手に出て行った。

 

 

 

「遠くで静かに光る優しい船がひとつ

逆巻く嘆きを乗せて胸の波間に消える

知らない筈の温もりを何故 探して惑う海原ーーーー

 

漣揺らめいて命の船は行くよ

星ひとつ視えない 波間を越えて進むよ

暗闇の向こうにあなたの事しか見えない……」

 

 

「歌、上手いね」

 

 

琉歌は不意に聞こえた声に振り返る。

そこには、いつの間にいたのかマーモンが立っていた。

声を掛けるだけでなく、マーモンは琉歌に近づいて行く。

 

 

「でも、悲しそうなのは何故だい?」

 

 

マーモンは琉歌の心の奥を見透かす様な目で問う。

真っ直ぐにマーモンの目が見られない。

琉歌は目を逸らした。

 

 

「別に悲しくはない。

それよりも、私は関わるなと言ったはず。

ああまで言われて、それでもここへ来た理由を教えて」

 

 

「嘘だ」とマーモンは静かに言った。

 

 

「だって君、泣いているじゃないか」

 

 

「はぁ?私が泣いているわけ……」

 

 

「泣いているわけがないじゃないか」そう言おうとした琉歌は、目元に違和感を感じた。頬がスーッとする。

さっきまで歌うことに集中して気付かなかったが、視界がぼやけて、前が見えにくい。

自分の目元に触れれば、指先が濡れた。

琉歌の色素の薄い目からは、涙が頬を伝って零れ落ちていた。

次から次にへとそれは、地面に吸い込まれるように落ちていく。

 

 

「……っ、なんでっ……!」

 

 

琉歌は、目から止めどなく溢れでてくる涙を無闇矢鱈に手で拭う。だけれども、涙は止まることを知らないとでも言うように次から次にへと流れ、地面を濡らした。

 

 

「わた……しは、私は強いんだ……。

私は強い!強いんだ!

だから、泣くわけがない……泣くわけが……っ!

悲しくもない、辛くもない!どうとでもない!

だから……大丈夫、大丈夫だ……私は……っ!」

 

 

自分に言い聞かせるうように琉歌は涙を拭う。

拭いても拭いても止まらない涙に苛立ちながらそれでも強がっているのは、自分が弱いからだ。

それでも強がらなくては。私は弱い部分を他人に見せてはいけない。弱音を吐いてはいけない。

弱い部分を見せれば足元を掬われる。それなら、孤独でも強くありたい。

それが、人間嫌いの自分が他人とやっていける為の最善策だ。

 

 

「私は……私は……っ!」

 

 

「もういいよ、琉歌」

 

 

涙を止めようと必死の琉歌の手首を掴んで、マーモンは声を掛けた。その手を引き寄せて琉歌を抱きしめれば、琉歌は驚きに目を開く。

抱き締めた琉歌の体は細く、力の加減を誤ってしまえば壊れそうだった。

何がそこまで琉歌を縛り付けてきたのか解らない。琉歌のことだから、恐らく群れることを拒絶するプライドだろうか。

 

 

「弱くたって良いじゃないか。強がらなくて良いんだよ。

琉歌が気を許すならせめて、僕の前でだけでも本当の君を見せてくれないかい?

僕は琉歌がどんな人間なのか、とても興味がある。

どんな琉歌でも、君だろう?」

 

 

琉歌の中で、何かが崩れ落ちる様なそんな音が聞こえた。今まで張り続けてた虚勢が崩れていく。

どうして?涙が止まらない。

琉歌は自分を抱き締めているマーモンの服を握って、泣きじゃくった。

 

 

「みっ……水田っ、に……っ!彼奴に言われたんだ……っ!

本当はマーモンもベルもフランも……っ、迷惑してるって……だから、マーモン達には関わるなって……!」

 

 

いつの間にか琉歌はマーモンに、数日前の水田との出来事を話していた。

マーモンは口を挟もうとはせず、琉歌の話を真剣に聞く。

 

 

「初めはそんな話、信じてなかった!だって私は、マーモン達の事はあの学校にいる誰よりも知ってる!

だから、マーモン達に限って思っている事を言わないなんてあり得ないから、水田のでっち上げだって!

でも……でも、でっち上げって解ってても怖いんだよ、本当は!

群れるのが嫌いなのは、私は相手を傷つける事しか知らない、自分が傷付けられるのが怖いから!

人を気にしない様に自分は自分だって言っても、自分と仲が良いと思っている人間の感情にはとても敏感になってて、怖くて、怖くて……っ!

でも、訊けなくて、避けるしかなくて……っ!うぅ……」

 

 

ここまで息ひとつせずに、琉歌は今まで内に溜めていた思いを吐き出す。

途中から嗚咽も混じっていたが、マーモンは一字一句聞き漏らす事なく、すべてを聞いて受け入れる。

言い終えた琉歌の涙で震えている背中を撫でながら、マーモンは頷いた。

 

 

「馬鹿だね、君は。

ベル達は知らないけど、僕は琉歌の事を迷惑だなんて思った事は今までで1秒たりともないよ。

寧ろ、君には感謝してもし足りないと思ってる。

君が居てくれたから今こうして、こっちでも支障なく暮らせているんだ。

君と会えなかったら、今頃は何をしているのか解らなかったよ」

 

 

琉歌の頬に手を当て、マーモンは 琉歌の涙で濡れた茶色の目をじっと見つめた。

月明かりに映し出された琉歌の目はとても綺麗で、まるで宝石を連想させる。

そう見えるのは恐らく、涙と月明かりの所為だけではないのだと思うが、マーモンにはまだ、何故琉歌の目が綺麗に見えたのかは解らない。

それを知るのは、もう少し後の事だった。


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