日の光から捨てられた街。

 見上げても空が見えない街。

 そんな場所でも、人は生きている。




1 / 1

 初のオリジナル作品。

 個人的に、この手の世界観は好きです。





For stray

 

 

「ひでぇ雨だな、クソッタレめ」

 

 流街【ストレイ】の乱雑で無数無秩序に折り重なった階層群の軒先で、男は着古したコートのフードを目深に被り直した。

 

 昨日、なけなしの金をはたいて仕入れたばかりの上層の気象時録【タイムライン】では、今日の天気は晴れの予定だったはずだが、急に予定が変更になったのか、それとも何処か途中にある階層の循環気層【ウェザーフロート】に不都合が生じたのか、この最後に全てが流れ込む底辺の層の街の天気は最悪で、口汚い悪態が無意識に口から出るほどに土砂降りの雨模様だった。

 

「巣【ネスト】の占拠契約【レンタル】を切ったばっかだってのに。これじゃあ、予定が滅茶苦茶じゃねえか」

 

 最下層の街の最底辺域で生きる者達が巣食う公共の短期居住施設は、常に入居を希望する者達で満杯だった。部屋の契約を一旦解除して外に出てしまえば、再度入るにはそれなり順番待ちを覚悟するか、コネを使っての相応の金を積むしかない。だが、男にそんなコネや懐の余裕があれば、近日の天気情報を見てわざわざ契約を切ったりはしない。どれ程悪態を吐いたところで、足元に置いていた草臥れたバックひとつ分しか所有する財産が無い男にとって、自ずと取るべき道は決まっていた。

 

「やれやれ。愚痴ってもしゃあねぇし、さっさとプラーナに行くとするか」

 

 突っ込んだポケットの中には男の全財産がある。その数枚の硬化セラミック製のコインをチャリチャリと指先で弄びながら、急に下がった気温に白んだ息を吐いて今日のこれからの方針を決める。

 

 向かう先は、男がこの街で生きていく中で盛り場を除けば最も厄介になることの多い場所。ヴァーミンの巣窟。流街【ストレイ】の中央部の少し北にある建物。

 

 そこは日々の糧を求めて人々が集まる場所であり、正式な呼称は長すぎて忘れたが、男を含めた大概の者達の間では通称の『生息所【プラーナ】』と呼ばれている、この階層の行政局と民間による運営が行われている半官営の仕事斡旋の為の施設だった。

 

「楽して儲かる仕事でもあればいいんだがな」

 

 生息所【プラーナ】では比較的まともな日雇い労働から、長期に亘る仕事まで何でも斡旋してくれるが、半官営である以上、泥沼に片足を突っ込んだようなグレーゾーンな仕事の斡旋も多い。特に、この街ではそれは日常であり、需要と供給が成り立っているのだから。

 

 何であれ、男にとっては楽で儲かりさえすれば仕事の内容なんてものは実際には何でも良かった。多少は危険でも特に問題はない。とは言え、廃棄体処理や汚染領域【アンダー】の調査くらいならまだマシだが、バウンティハントもどきの仕事を押し付けられた場合は話がまるで別になるのだが。

 

 剥き出しの配管から漏れだした様々種類の不純性の液体や、まともな処理もされずに適当に捨てられたような汚水の類が混ざりに混ざった泥雨に打たれながら、男は最も安価な移動方法で雨の街を進んでいく。

 

 激しい雨音が街を覆い尽くし、普段の喧騒と雑音に満ちた街の音をボンヤリと霞ませ、時折聞こえる何かか誰かの叫び声以外の全てが曖昧に感じる。この雨模様なら、いつもなら路地や建物の片隅から道行く人を値踏みしているケバい姿の女達や薄汚れた幼い少年少女達、街角のそこら中にいるギラついた目をした物騒な連中も何処かに引っ込んでいることだろう。

 

 凡そ心臓が五千回打つくらいの時間を黙々と歩き続け、ますます激しさを増す雨を凌げる場所にようやく辿り着いた男は、逃げ込むように建物の中に足を踏み入れる。

 

 空調の効いた建物の中、一息吐きながらフードを取って照明の光に晒された男の顔は、薄っすらと生えた不精髭の影響もあってか、若くはないが老いてもいない、美麗ではないが醜悪でもない、怠惰ではないが精悍でもない、そんな曖昧な印象を受ける容貌だった。

 

 コートの雨水を掃いながら周囲を軽く見回せば、いつもと何ら変わらない光景。男同様に仕事を求め、もしくはこの雨から避難してきた連中がそこらにたむろっている。

 

 一瞬だけ濁った視線を男に向け、すぐさま興味を失って視線を外す彼等。そんな彼等同様に男もここにいる連中に興味はなく、視界の端に収める程度の注意しか向けずにさっさと建物の奥へと足を向ける。

 

「あら、久しぶりじゃない。最近はずっとサボってたみたいなのに、どういう風の吹き回し?」

 

 幾つかある受付窓口の内、一番奥まった場所にある席。その受付席に座った、職員のネームプレートを制服の左胸に付けた受付係の女が軽い口調で声を掛けてくる。

 

「金欠になったんだよ。言わなくても分かるだろ」

 

「あれ? 前に会った時は、ラットレースで一山当てたって言ってなかったけ? もう使い果たしたの?」

 

 頭の後ろで束ねて右肩から胸元へと垂らした天然のウェーブが入った栗色の癖毛の一房を指に巻きつけながら、ラズベリー色の大きめの瞳が納まった目を細め、女はからかうような視線を男へと向ける。顔立ちは際立って美人と呼べるものでもないが、尖った部分を下に向けた卵を連想させるような形の良い顔のラインと薄手の化粧でも映える童顔気味な容貌に愛嬌のある笑みを浮かべる様は、下手すれば学生の身分だと吹聴してみても通用するかもしれない雰囲気を持っている。

 

 わざわざ尋ねるのも野暮と思い、女の実際の年齢について知る機会など無かったが、男が最初にこの場所で新たな受付係として女を見た3年程前から殆どその容姿に変化の兆しが見られないのは事実だった。

 

「そんな金、もうとっくの昔にスッカラカンさ。俺がそのことを自慢したその晩に、散々強請って来た張本人なら知ってるだろうが」

 

 ちょっとした関係があるにもかかわらず、男の懐事情などまるで知らぬ存ぜぬな態度の女の様子には内心で苦笑を禁じ得なかった。いつの時代も女という生き物は逞しいと言うことなのだろう。この街で生きる女ならば尚更にだ。

 

「あの晩のブルーネ・レヴェのお店での食事は美味しかったわ。調成工場製【フェイキー】じゃない本物の食材はやっぱり違うって感じ。また連れて行ってちょうだいね」

 

 魅惑の笑顔でウィンクを放つ女。

 

 その笑顔に踊らされて、数階層も上の街にある高級レストランで食事を奢らされる嵌めになったのは迂闊だったが、その後に見返りもあったのだから、今更あまり強く文句を言うこともできない。巣【ネスト】や場末のモーテル以上の部屋で一夜を過ごすなど、分不相応な体験だったと思わなくもないが、一時の甘い夢と思えばそれもまだ諦めがつくかもしれない。

 

「あぁ、まぁ、またそのうちにな。……その為にも、なるべくいい仕事を紹介してくれ」

 

 正直、金輪際勘弁願いたいお願いに対して色よい返事など出来るはずもないが、その辺は男の持つなけなしのプライドが邪魔をしてか、言葉を濁す程度で答えるしかない。

 

「ふふふ、楽しみにしてる」

 

 男にとっては不吉の予兆にも聞こえる上機嫌な声と目配せしつつ、女は手元の情報端末を素早く操作する。数世代は前であろう旧式のディスプレイ機に文字と数字の羅列が高速で流れるように表示され、幾つか目星をつけた項目が素早くピックアップされてゆく。

 

(相変わらず、生身とは思えないくらいに速いな……)

 

 何度見ても驚嘆せざるおえない光景。目にも止まらぬ速さのタイピング。その程度のことならば、生身を捨て、血の代わりに循環液が流れる身体を手に入れた人間の多いこの街では然程珍しいものではないが、この女はそれを人工繊維の筋肉や反応促進物質などを擁せずに可能としている。過去に何をしていたかなど知る由もないが、もしかしたら男があまり関わり合いになりたくないような荒事を血肉にする組織や機関に属していたのかもしれない。

 

「はいはいは~い。取り敢えず幾つかピックアップしたから、好きなのを選んで。オススメは上から四番目の簡単な上に高額報酬なお仕事かしら」

 

「どれどれ……俺に脳味噌以外を全部売れってか? 何なんだこれ?」

 

 男へと画面の向きを変えられたディスプレイを覗きこみ、女の言葉通りの箇所の仕事内容をザッと流し読みした男は、そのあまりにもふざけた内容に声を上げる。確かに、報酬面だけは破格とも呼べる金額だったが。

 

「食材でも何でも、天然モノが一番って人間は上層にも下層にも多いからね。かと言って、クローニングは素体培養に法規制と時間やら何やらの問題もあるから、それまでの繋ぎってことみたい。拒否反応抑制剤の効果時間からして、数週間ごとの交換が必要らしいけど」

 

「そりゃまた、随分と楽しい感性をしてるな。ほんとに」

 

 今日も世の中は相も変わらず、どこか故障したままのようだ。

 

「しかしこれ、いくらなんでもグレーすぎないか? 仕事の斡旋として扱うには、流石にヤバくないか?」

 

「さあ? でも、それこそナチュラリストや教会の清徒派とかじゃなければ、こういうのもアリかもってね。献血や骨髄提供の延長みたいなものって考えてるんじゃない?」

 

「そんなもんかねぇ」

 

「大事なのは見栄えと中身のバランスでしょ?」

 

 含みのある物言いを男に向け、背を預けていた椅子の上で軽く伸びをする女。逸らしたことで制服の下の膨らみのある胸部が強調されるが、それがパットの嵩増しで作った偽物であることを知っている身としては、何の感慨も情動も湧いてこない。受付コーナーの奥にある事務室。三つほど向こうの席からこちらを覗き見てしていた影の薄い中年太り気味の事務員の男の、食い入るような視線には憐憫を感じるが。

 

「それで、どうするの?」

 

「……運び屋モドキでいい。それが一番無難そうだ」

 

 報酬額には心惹かれるものが多分にあったが、現状ではそこまで困窮していない。何より、こんな不摂生ばかりで時折ガタもくる身体ではあっても、それなりに愛着もある。おいそれと手放すのはやはり気が引けた。

 

「はい、了解。それじゃあ、毎度お馴染のソロヴ・コルのところね。受諾の連絡はしておくから、あとはいつも通りに向こうからの指示を受けて仕事して」

 

 差し出されたデータピックを受け取り、コートの内ポケットから取り出した旧式を通り越して骨董品に近いUD【汎用情報端末機】のスロットに差し込む。

 

 前回は同業の密輸業者に絡まれて危うく撃ち合いに巻き込まれるところだったが、今回は穏便な仕事の方であることを心底願う。

 

「ガンバってね~」

 

 受付窓口の向こうでもう仕事は終わりっといった感じでゆったりと寛ぎ、ひらひらと手を振りながら随分と適当な感じで男を送り出す女。何故か出てくる溜息の中、そんな女の姿を横目に見ながら男はその場をあとにする。

 

 ポケットの中のUDが振動し、取り出して見てみれば早速仕事に関するメールが着ていた。

 

「落ち合い場所はテリオンのバーか。ってことは、まだまともな仕事っぽいな」

 

 仕事開始は数時間後。それまではどこかで時間を潰さなければならない。

 

 建物の中のベンチや待合室は常に人で埋まっている。とりあえず建物の玄関まではやってきたが、どうしたもんかと結局は途方に暮れる。

 

 外は相変わらずの土砂降り状態。

 

「やれやれ、仕事開始までに降り止めばいいんだが……無理かねぇ」

 

 滅入る気分を紛らわせようと、肩に担いでいたバックから金属のボトルを取り出し、中に残っていた分を一気に呷る。金属臭い混合アルコールが脳細胞を一斉掃射で破壊するのを感じながら、閃光の様に爆ぜる強烈な陶酔感が視界を明るく不明瞭に染める。

 

 吐き気を伴う高揚感。

 

 降り止みそうにない灰色の雨雫が落ちてくるのを視界に掠めながら、男は見たこともない遥か上空の蒼穹を見た気がした。

 

 

 

 



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。