冬木の街の大地主、間桐の邸宅はここ五年ほどでその姿を様変わりさせていた。
蟲を潜ませ肥えさせる為の森林のごとき雑草の山に、衰退を思わせる手つかずの温室。
『いやぁ凄かったですよ。幽霊屋敷も斯くやと言わんばかりでした。勿論、その分遣り甲斐がありましたね』
それらは業者の手によって、動物園へと姿を変えた。
地主の資金を元に
そして依頼された通りの、
「さて、ご飯ですよ貴方達」
純白の銀髪を棚引かせながら、彼女は餌を乗せたカートを押しながら温室に入る。
間桐カレン。
この温室で彼等の世話を行っている、もう一人の主だ。
彼女が現れた途端、多くの者達が足取り軽くやって来た。
様々な種類の犬に千差万別の猫たち。
挙げ句鼬や鼠等といったものまでもが一匹残らず首輪をつけ、行儀よくカレンが餌皿を並べ終えるまで待っていた。
「よく我慢できましたね。さあ、存分に貪りなさい」
主人の許可に、彼等は喜び勇んで餌皿に顔を突っ込む。
それを観ながらカレンは嗜虐の笑みを浮かべるも、直ぐ様溜め息を吐く。
人の畜生さは見て盛大に嗤えるが、本物の獣が愛想振り撒きながら餌を食べる姿では、愛らしさが溢れるだけである。
カレンが求めているのはそういうのではない。
「全く、こんな可愛い妹を締め出すとは酷い兄も居たものです。貴方達もそう思いませんか?」
彼女は動物を撫でながら、地下室で儀式を行っている姉の傍に居る困った兄を、どう困らせるか考えていた。
些か覚悟が決まりすぎている兄を本気で困らせる為に思考を巡らせる。
それこそ夜這いでも仕掛けてやれば、唯でさえもう一人の義妹から依存の如き慕情を向けられていることに苦しむ顔が、更に苦痛に歪むだろうと。
そんな思案をしながら、カレンは日課を終わらせる。
聖杯戦争勃発、その数週間前の話であった。
奇妙な光景だ─────それが、召喚されたサーヴァント、
あくまでライダーの所感でしか無いが、聖杯戦争に参加する魔術師だろう少女が、サーヴァントを召喚しておいて殆ど自分に見向きもしない、というのは驚きだった。
というか、少しショックだった。
何せ、ライダー自身召喚に応じたのは、召喚者である少女の想いに共感し、何より同情したからであったのだから。
いや彼女の想いを汲み取るならば、この状況は必定だったのかもしれない。
「クラスと、真名は?」
召喚の負荷で気絶したのか、マスターらしき少女を横抱きにした少年が此方に問い掛ける。
その容姿に、かつて己の頚を落とした英雄を思い出した。
「……」
「あぁ、自己紹介が未だだったな。僕は間桐慎二、お前のマスターであるこの桜の兄だ。そして、聖杯戦争の方針を主導するのは僕だ」
「……名を、聴きたかった訳ではありません」
ライダーが慎二の言葉に答えなかったのは、単に彼の容姿がライダーに不信感と不快感を与えるものだったからだ。
似ていたのだ。
かつて怪物と成り果てた自分を殺した英雄に、その顔立ちが余りにも。
ただ、明確に違うのはその雰囲気だった。
英雄として悲劇に遭わず何も失わないという、極めて希少な人生を送ったペルセウスでは絶対に纏える事のない、隠者のソレ。
魔力が感じられない為に魔術師ではないと理解していても、彼が魔術師でないことが不思議でならない程だった。
「取り敢えず、桜を寝室で休ませる。付いてこい」
「……」
ライダーの反応を無視して、桜を抱えたまま慎二は地下の工房を後にする。
そうされればマスターを捨て置けないライダーは、彼に付いていく他なかった。
そのまま歩きながら、慎二は再度問い掛ける。
「もう一度聴く。クラスと真名は?」
「貴方がマスターの味方だと信じた訳ではありません。まだ貴方は信用できない」
「────まぁ、当然だね」
彼女の不信を肯定する慎二に、ライダーの足が止まる。
そんなライダーを尻目に、彼は無視して地下室を出た。
「マスターが最も無防備な時は何時だと思う」
「……サーヴァントが離れた時ですか?」
「違う。サーヴァントを召喚する最中、或いは召喚する前だ」
工房の防衛機構に任せ、マスターが最も周囲に意識を向けず隙が生じる時は、英霊召喚の最中、またはそれ以前に他ならない。
事実
だがそれは、魔術師がサーヴァントを使役して戦う聖杯戦争の、根本前提を無視した発言だった。
或いは、魔術師らしくない合理的極まりない思考。
しかし慎二は、そんなものは知らんとばかりに話を続けた。
「僕が桜の兄と名乗っても、桜自身が認めなければ警戒は続けるべきだ」
「……」
「そら、さっさと僕を警戒して桜の傍に居ることだね」
「いいえ」
「は?」
桜の寝室に辿り着いた慎二が、怪訝そうにライダーへ振り向く。
「僕を信用してないんじゃないのかよ」
「だからこそ、貴方の動向を監視するべきだと考えました」
ライダーには様々な疑問があった。
魔力を感じない以上、慎二は魔術師ではない。
「まぁいい。その別として、今回の聖杯戦争の基本方針を話す」
「それは、マスターが決めることでは」
「生憎と、桜はすっとろいノロマだ。殺しは勿論、喧嘩一つしたこともない。そんな奴が聖杯戦争の方針なんぞ決められると思うか?」
慎二の、ライダーにとってのマスターを貶していると取れる発言には、欠片の悪意は無かった。
当たり前の事実を口にしているのだろう。
だが、それは現代の人間としては美徳である。
魔術師────それも聖杯戦争となれば、その所業は汚れ仕事と形容しても異論は出ないだろう。
「その為の貴方、という訳ですか」
「第四次聖杯戦争────前回のセイバー陣営だったアインツベルンは、マスターは矢面に立たず聖杯の器のホムンクルスをサーヴァントの傍に置き、マスターとして振る舞わせたらしい。今回僕らもソレをやる。
ま、その理由がマスターがノロマだから、ってのは情けないけどね」
「……何故」
「は?」
「何故、貴方は聖杯戦争に関わろうとするのですか。魔術師ではない、貴方が」
妹がマスターになったから、それを支えるため?
少なくとも、ライダーにはそんな風には見えない。
では聖杯が目的で、マスターを操っているのか。
あるいは───────
「─────教えない」
「ッ」
鉄仮面の様な無表情に、落胆の色が混じる。
馬鹿を観るような、そんな視線を蓄えながら溜め息を吐いた。
「お前さぁ……こっちが聞いてる事を答えない癖に、望む答えが返ってくると思うか?
それとも、まともな対人経験ないの?」
「……」
図星である。
彼女の対人経験は最愛の姉達と、そんな姉達を狙うギリシャの
後は自分達を取り込み、迫害したオリンポスの神々のみ。
彼女にコミュニケーション能力など無いし、面倒なだけだった。
「やっぱり、お前は桜の召喚したサーヴァントだよ。これは苦労しそうだ」
桜を片手で抱え直し、自分で彼女の寝室のドアを開ける。
ライダーは暫く、動けなかった。
役立たず、と言外に言われた怨敵そっくりな顔に、あろうことか────最愛の姉達の罵倒が重なったからか。
無性に、自分が恥知らずであるかの様に感じた。
「自己紹介は桜が起きてからだな。全く、これだからギリシャは」
◇
結局ライダーは慎二を見張ると言いつつも、何か抵抗があったのか桜の寝室を中心に間桐邸を中心に周囲の地形を把握を行っていた。
それは容姿が生前の大英雄に似ていたからか、あるいは視線が最愛の姉達と被ったからか────。
数時間程度で魔力パス経由で桜が目を覚ました事を知った。
『────お願いライダー。兄さんを助けてあげて』
まだ消耗が残っていたからか、そこまで話し込むことは出来なかったが──それでも、桜はライダーにとって好ましいマスターだった。
兄を想い、助けようとする姿に嘗ての自分を重ね、怪物と成り果て
彼女が再び寝静まった後、ライダーは桜から教わった慎二の部屋に訪れる。
「これは……」
霊体化を解いて彼女が足を踏み入れた慎二の部屋は、かなり奇妙だった。
魔術師でも男子高校生にも当てはまらない、幾つもの画面と電子機器に溢れたスタジオ。
それが彼の根城だった。
「ノックくらいしろよ」
その根城の主は、画面に繋がっているであろうリモコンを片手に持ち。
ソファに背中を預けつつ、チャンネルが変わり続ける画面を眺め続けている。
「貴方の指示に従えと、マスターの命令がありました。
ライダー、真名をメドゥーサ。これより貴方の指示に従います」
「……ギリシャ神話の、英雄殺しの反英雄。ゴルゴーンの怪物────その女神としての姿か」
「……!」
華々しい英雄と対極たる反英雄。
討たれるべき醜悪なる怪物だと、ライダーの正体を聞いた慎二は、しかし欠片も落胆を見せずに熟考に入った。
その事に、ライダーは少なからず驚きを見せる。
それは迫害され続け、怪物として討たれたことを負い目に持つ彼女にとってあり得ないことだからだ。
「ギリシャ神話に登場するゴルゴン三姉妹の末妹メドゥーサ。伝承から精査するに、元々在った土地神が
「……はい」
「お前の、召喚に応じた理由は? 」
その問いの意味を、ライダーは即座に理解する。
即ち、手に入れるべき聖杯を手に入れた際の、叶える願い。
根本、英霊はその願いを持つがゆえに召喚に応じ、魔術師ごときにサーヴァントとして召喚されるのだ、
「……それは────」
そして、ライダーは己が望みを告げる。
「桜を護る。それが私の望みです」
「─────」
慎二の、絶え間無く動き続けていたリモコンのボタンを打つ手が、思わず止まった。
桜が召喚の際に触媒とした遺物は、しかしメドゥーサと特別強い縁を持っているわけではなかった。
ならばこの怪物に変貌する前の、辛うじて女神としての側面を残す姿で召喚されたのは、きっと桜自身の縁なのだとメドゥーサは考えた。
桜とメドゥーサとの共通点は、余りに多い。
なら、在る筈なのだ。
メドゥーサと同じく────怪物に成り果てる可能性が。
それだけは、何としても防がねばならない。
その果てに護るべき最愛の姉達を喰らった、自分の様にしないために。
その為に、ライダーは此処に居るのだ。
「そう、か」
静かに、慎二はリモコンを持つ手を机に落とした。
顔に手を当て、少しした後に手を下ろす。
小さな言葉と共に吐かれた安堵の息は、しかし────ライダーの背筋に嫌な予感を走らせた。
何かを失敗した、と。
それは怪物としてではなく、地母神としての直感。
そして、形の無い島で襲来する勇士達の中に同じ顔をした者がいたのを思い出した。
ライダーの答えを聞いた慎二の様子を、彼女は知っている。
それはまるで、長年背負い続けていた荷物を下ろせることに、ホッとしている様な。
「────なら、僕はもう必要無いな」
あるいは、死に場所を見付けた勇士が見せる────安堵の顔。
◆
──────夢を観た。
サーヴァントとマスターは、魔力的なパスで繋がっている。
その影響は、召喚されたマスターの人柄にサーヴァントの人格が僅かながら変化するほど。
そんなサーヴァントとマスターとの影響の一つとして、夢があった。
サーヴァントはエーテルでできた仮初めの躯であるため、水や食物、睡眠を必要とはしない。
それ故に、サーヴァントは決して夢を観ることは無い。
観るのは、マスターの夢である。
つまり、サーヴァントはマスターの。マスターはサーヴァントの、過去の夢を観る。
即ちライダーは、間桐桜の一生を垣間見ることになった。
家族との別れに、醜悪な悪意に苛まれた幼少期。
地獄と形容して不足の無いそれは、少年によって救われた。
その後を彩っていたのは、兄である慎二への愛と献身。
そしてその光景は、ライダーに酷く共感と憧憬を懐かせる物だった。
似ていたのだ。
生前に、最愛の姉達と過ごした穏やかな頃の一時と。
いや、それは決して偶然ではない。きっとどんな兄妹も、こうなのかもしれない。
その夢の光景を、自分に重ねない訳にはいかなかった。
自分達にあり得たかもしれないイフを、夢想せずにはいられない。
不器用ながらも妹達を護ってきた姿に、
ぶっきらぼうながら、妹達を愛する姿に最愛の姉達を。
元よりその記憶は、桜というフィルター越しである。
好感を持ちやすく、何よりその人格の影響を受けているのだ。
そしてライダーは元来、地母神に属する。
感情移入せざるを得ないのだ。
だからこそ、強く思う。
この兄妹達を、護り抜こうと。
その感情を指す言葉は、きっと慈愛と呼ぶのだろう。
───それはそれとして、つまみ食いは許されるのでしょうか?
そんな彼女は、実にギリシャ神話的ではあった。
◆
深夜、沢山の画面の前でリモコンを押し続けていた慎二。
彼が絶えず見続けていた映像は、冬木市に備え付けられている監視カメラ。
加えて、街中に放たれた
慎二に魔術は使えない。
だがそれでも、
使い魔と云うには余りに魔力の乏しい術は、しかしとある神父を除いた
そんな移り変わっていた画面が、ある映像にリモコンを押す動きが止まる。
慎二はその光景を食い入るように見つつ、手元のノートパソコンのキーボードを手早く打ち出す。
「アトラム・ガリアスタ……。それとコイツは、
映像には、とあるサーヴァントとそのマスターの言い争いでさえない、不和の芽。
その発芽を映していた。
「────コルキスの王女、メディアか」
ライダー視点。
桜視点で過去を観ちゃったんで、盛大に感情委移入。元地母神としてはまぁそうなる。
でもギリシャはギリシャ。
一応ポセイドンとの愛人関係は型月だと改造or機械的なナノマシン注射になるのかな?
という訳で、正月のお年玉企画的な連続投稿もこれにて終了。
実は設定に関してはHF二章上映直後に書き殴ったものであったり。
次話以降はアポssみたいに書き上がったら投稿する感じです。
誤字修正指摘兄貴姉貴には、いつも感謝を。
ではまた。