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『依頼を受諾する』
送られてきたメールを確認したズベン・L・ゲヌビはほくそ笑んだ。
準備は万全、こちらにはリム・ファイアーという奥の手も存在する。
これで奴にかけられた賞金は自分の物――。
笑みが溢れ出して、止まらない。
ライウン、プリンシバルを屠ったという事からあのレイヴンに掛けられた賞金額はグッと上がった。
20000cでしかなかった賞金額は50000c――実に2倍以上の額に膨れ上がっている。
だが、奴は実力でその賞金額に達したのではない。単なる偶然の賜物だ。これを放って置けば、近い内にその賞金は他のレイヴンに掻っ攫われてしまうだろう。
放っておけるはずがない。50000cもの金が労せず手に入る機会を。
そう考えて策士を気取るレイヴン、ズベンは一層笑みを深くしながら振り向き、暗がりに座っている一人の男へと声を掛けた
「頼むぜ、高い金払って雇ったんだからな」
返ってくる言葉はなかったが、ますます上機嫌でズベンは笑っていた。
向けられる眼差しに含まれていた侮蔑の色に、気付く事もなく。
その様子が、男――リム・ファイアーの心中にあった、ズベンに対する評価を更に下げさせた。
この期に及んでこんな勘違いをしている様では、この男も長くはない。他者の実力を見極める目は、レイヴンにとって最も必要とされる要素の一つだ。
プリンシバルはともかくとしても、ライウンは歴戦の男。正面から立ち向かっては己でも梃子摺るだろう。
そんな存在を含んだ二機のACを立て続けに撃破した時点で、既に奴の危険性は疑いようもないものだ。
そんな事も解らず、相手を侮りきり、「自分はあんな野郎にやられた間抜け共とは違う」などと思い込んでいる。
これを嘲笑せずにどうしろというのか。
端からズベンを相手の戦力を見極めるための捨て駒にするつもりであるだけに、リム・ファイアーの視線は、氷の様にと言っても足りないほど冷たく、厳しい。
どう転んでもこの男はここで終わる。
捨て駒としての役目を全うして死ぬか、あるいは――ないとは思うが、奴を討ち果たしてから己の愛機、バレットライフの凶弾に倒れるか。
どちらにせよ、後少しすればこの世からレイヴンが更に二人減る事になる。喜ばしい事だ。
ようやく、リム・ファイアーが笑った。どことなく獣を思わせる笑みではあったが。
三十分ほど後。レーダーが一機のクランウェルの接近を捉えた。
「おっと、来たようだ……俺一人で十分だろうが、危なくなったら加勢してくれよ」
ズベンが軽口と共に立ち上がり、己の乗機に向かっていく。
その背中に小さな笑み――嘲笑を浴びせたリム・ファイアーもまた、自らも父の形見とも言える愛機、バレットライフへと歩を進めていった。
輸送ヘリ、クランウェルからACが投下される。
きっと、依頼の内容に反して攻撃を受けている様子が全くないのに面食らっているのだろうな。
敵の慌てぶりを想像し、にやけた表情でズベンはガレージの扉を開放した。
鮮やかな紫色をした愛機――サウスネイルを、白日の下に晒す。
これもまた、愚かな選択だったというべきだろう。
誘き出しておいて不意を討たないというズベンの行動は、この男の愚かさを知悉していたつもりでいたリム・ファイアーすらも呆れ返らせていた。
「まんまと騙されてくれたな。お前に作戦を依頼したのは、この俺さ……そうとも知らずにおめでたい野郎だ」
おまけにいつ戦闘が始まるか解りもしない状況で無駄口を叩くという暴挙。
戦場においてあるまじき行動。その隙を、見逃してもらえる筈がない。
レーザーライフルとバズーカの銃口がサウスネイルを指す。
その危険な状態に気付かず、まだ回避行動を取らないサウスネイル。あろう事か、敵から目を離しているらしい。
ロックオン警告が出てしまわないよう、マニュアル操作でそれを行っているのかも知れないが――それにしても、あまりにも暢気が過ぎるというものだろう。
そして台詞が終わる前に、十分過ぎる程に時間を掛け、狙いすまされた一撃がサウスネイルを襲っていた。
「だが安心しな。すぐに――うおっ!?」
着弾の衝撃にサウスネイルの機体が揺れ、バランスが崩れる。
ズベンも流石に不意打ちを受けてまで会話を続けることは出来ないようで、慌てて機体の状態をチェックした。
距離があったことが幸を奏したのか、致命の一撃を受ける事は免れていたが、だがしかし――
『右腕部破損』
CPUの機械的な声が、右腕が鉄屑に成り下がったという事実を無情に告げる。
恐るべきはノーロックでの狙撃を成功させた、敵の技量か。
レーザーは虚空を穿つに留まったが、バズーカの弾体はサウスネイルの右腕を付け根からもぎ取っていた。
右腕を失った事に焦り、慌てて回避運動を始めるサウスネイル。
コクピットに座するズベンの目には有り余る推力の全てを前進に回し、距離を詰める敵機の姿が写っている。
それでも未だ、彼の顔には笑みが浮かんでいた。そう、こちらには切り札があるのだから――。
リム・ファイアーは、敵機が降下した直後から周囲の警戒を始めた事に気付いていた。
依頼にあった物とは違う環境だという事に無闇な疑問を差し挟む事もない辺り、かなり場慣れしているらしい。
騙し騙され、と言う修羅場を幾つか抜けてきているように思える。
自らの実力を誤魔化していたのではないかという推測は、確信に変わった。このレイヴンは間違いなく手練れだ。
それに引き換え――…
冷めた目で雇い主であるズベンが、防戦一方で逃げ回る様子を見詰める。
無様にも程があるというものだ。何をするでもなく腕を一本失うとは。
大体、機体の構成からしておかしいのだ。何故、両腕に射撃兵器を搭載しながら並列射撃処理を苦手とするFCSを使用するのか。
遠距離戦に特化した装備なのは見れば分かる。ならば、いっそのこと長距離FCSを使えば良いものを。
サウスネイルが敵機が放つ弾丸に追われ、散発的な反撃をくり返す。だが、FCSがそもそも機体に不向きなのだ。そこそこの腕があれば当たる訳がない。
逆に、敵機は的確な射撃、そして吸着地雷によりサウスネイルの逃げ場を限定し、崖へと追い詰めていく。
サウスネイルは機動力に秀でた構成である。だが、代償として装甲はお粗末なものだ。退路を立たれてしまえばその運命は決するだろう。
近い内に、サウスネイルが鉄塊と化すのは九分九厘、間違いないと言える。
自分は奴がズベンを殺し、安堵した瞬間を逃さず奇襲、そのまま弾丸の雨を浴びせかけてやれば良い。
よしんば撃破されずに逃れたとしても、機体の損傷は避けられまい。少なくとも戦闘を有利に運ぶ事は出来る。
レイヴンを根絶する。それが自分の――リム・ファイアーの目的。
この世にレイヴンなどというものは不要な存在。誰一人として逃がす訳には行かない。虎視眈々と、リム・ファイアーは時を待つ。
――おかしい。
必死に攻撃をかわしながら、ズベンは思う。
これ程までに自分が追い詰められているというのに、リム・ファイアーは動く素振りを見せていない。
時間稼ぎとしてミサイルを放ち距離を取ろうとするが、敵機の速度はサウスネイルの後退速度を上回り、徐々に詰まる間合いが更なる焦りを喚起する。悪循環だ。
ズベンはその事に気を取られて気付いていないが、サウスネイルの直ぐ後ろには崖が迫っていた。
もう少し周囲に目を遣っていれば、彼の寿命も若干ではあるが延びたかもしれない。
だが、ズベンの頭は疑心暗鬼と焦りに覆い尽くされている。そんな事が出来る筈もなかった。
一人で十分だと思っていたのが、とんだ思い違いだったという事は分かる。
自分が相手の実力を見切れなかったのも、百歩譲って認めよう。
しかし、そういった場合の事も考えてリム・ファイアーを雇ったのだ。それが何故、まだ動かない?
まさか見捨てるつもりじゃ――…ッ!?
そこまで考えたところで、不意に後退を続けていたサウスネイルを衝撃が襲った。
被弾とは違う揺れ方に慌てながらも、機体状況をチェックする手際は意外なほど速く、迷いも無い。
この男はこれでも強化人間の端くれだ。この程度の処理なら時間など不要とも言える。
一瞬と言っても差し支えない短時間でチェックを終え、何が起こったかに気付いた直後、彼は全身の血の気が音を立てて引いていくのを、ハッキリと感じていた。
――メインブースターの出力が低下している。
距離を取る事ばかりを考えながら行っていた起動は、かなりの速度でサウスネイルを背中から壁面に衝突させていた。
その事により、コア後部に装着されたブースターは壁に叩きつけられ、損傷してしまったらしい。
申し訳程度には稼動しているが、回避運動を行うことは――いや、長時間の滞空をすることすら難しいだろう。
「じょ、冗談じゃ……」
無いと言う声を発する前に放たれたレーザーが、左腕に着弾し、メインシャフトを破壊する。
だらりと垂れ下がった左腕は、もうただの重りでしかない。
我知らず、ズベンは助けを求める叫び声を上げていた。
「終わり、か……」
リム・ファイアーは呟いた。
元より結果の見えていた勝負ではあったが、よもや、崖にぶつかって終わり等と言う下らない結末を迎えるとは。
ブースターが破損していては、ロックサイトの内側に敵機の影を捉える事すら出来まい。まさに俎板の鯉だ。
まあ、それはそれとして。緩やかに、視線を蒼灰の機体へと向ける。
奴がサウスネイルを始末するのに後何秒掛かる? 十秒か、二十秒か――。
その直後に、仕掛ける。
低い、獣の唸り声にも似た呟きが密やかにコックピットの空気を揺らした。
「さあ、無防備な姿を晒せ……!」
サウスネイルを鉄塊に変えた瞬間から、秒読みをする暇すら与えるつもりはない。一息にあの世へ送ってやる。
ゆっくりとリム・ファイアーが操縦桿を握り直す。
だが、その瞬間。左腕を貫かれたサウスネイルが発した通信が、ズベンの裏返った声が、その目論見を完膚なきまでに破壊してのけた。
『お、おい何をやってんだ! 早く加勢――』
――黙って死んでおけば良いものを!!
愚か者が皆まで言う前に、リム・ファイアーは動き出した。ガレージの扉に弾丸の雨を浴びせ、破壊を試みる。
片一方は間髪入れずに弾け飛んだものの、右側の扉は無数のへこみを作りながらもしぶとく生き長らえていた。
このままでは機体の一部が引っかかり、抜け出す事は難しい。だが、その扉が見えていないかのようにバレットライフは出口へと突貫する。
半死半生というのが相応しい状態の扉が、バレットライフの前足に蹴り破られて役目を終え、単なる鉄板に成り下がった瞬間。
バレットライフの潜んでいたガレージにバズーカの弾頭が着弾、天井を崩落させた。
リム・ファイアーが一瞬でも躊躇していれば、バレットライフは半生き埋めの様相を呈していたに違いない。
そして、二射、三射と浴びせかけられる砲撃がそう時間も置かずにコアを射ち貫いていただろう。
扉を蹴り破った勢いを殺さないまま、バレットライフは二機のACへと肉薄していく。
『言われなきゃ出てこないのかこの無能が! 何のために高い金払って――』
ズベンの安堵と怒りがない交ぜになった声。
何を勘違いしているのか。援護するために出てきたとでも?
こいつ自身の言葉を借りるならば、つくづくおめでたい人間だといったところか。
自分があえてレイヴンになったのは、レイヴンと言う存在を否定するため。決して、その手伝いをするためではない。
「助けるつもりなど元よりない……!」
ズベンの辞世の句となるその言葉を最後まで聞かぬまま、リム・ファイアーはトリガーを引いた。
バレットライフの両腕を飾ったWH03M-FINGERは、複数の砲身から弾丸を拡散させるようにして発射するマシンガンだ。
遠距離から発射すれば相手を包み込むような弾幕を張る事が可能ではあるが、単発の威力の低さから、有効な使用方法ではない。
限界まで接近しての射撃。それこそがFINGERの本来の使用法といっても良い。
それを両腕に保持したバレットライフは近距離射撃ならば中量級ACを、零距離ならば重量級ACですら、瞬時に鉄屑へと変え得る。
間合いを詰めていったバレットライフが銃声を轟かせたのは比較的近距離ではあるが、砲火はふわりと広がり、二機のACを飲み込もうとその勢力を増している
。いち早くその動きを察したのか、始めから警戒していたのか。一機はブースターを噴射して、当然のように弾丸が埋める空間から脱していた。
だが、ブースターを使用できない上に不意打ちを食らった格好になるサウスネイルはどうなるか。
マシンガンが連射されていたのは僅かな時間であり、弾の密度もそれ程濃くはない。
しかし、元々装甲が厚くないサウスネイルに止めを刺すには十分すぎた。
頭部を、脚部を、コアを。放たれた弾丸が叩き、数多くの穴が穿れる。
まさに蜂の巣というのが相応しい状態で崩れ落ちた機体は、なんとか爆発だけは免れていた。
だがしかし、搭乗者の肉体は既に真っ赤な血煙と化している。運悪く破損箇所からコクピットに飛び込んできた弾頭が、コクピット狭しと跳ね回った結果だった。
屑鉄と化したサウスネイルを一顧だにせず、バレットライフと蒼灰のACは向かい合う。
あの程度の小物が死んだからと言って気にしていられるはずもない。重要なのは――この相手がどう出るか。
奇しくも同じ事を思い、それを見極めるように睨み合う二機からは、濃密な殺気が漂い始めている。思いついたように、リム・ファイアーが言葉を紡いだ。
「……最初から伏兵を警戒していたのか? 随分、反応が早かったな」
『奴がお前を勢力に引き入れたと言う話は情報屋から聞いていた。更に、此処を襲ったとされるACの武装は全てエネルギー兵器だと言う話だったが、該当するレイヴン――ライウンは既に俺が始末した。……これ以上、説明は必要ないだろう』
言葉を交わしながら、一歩踏み出すバレットライフ。
あわせるように一歩、対手が退いた。
「……その情報屋の腕を誉めるべきか。それとも……秘匿するべき情報を掴まれた、奴の愚鈍さを笑ってやるべきか。どちらが正解だ?」
『両方だ。ついでに、目論見を潰されたお前の事も笑ってやる』
相手の言葉の途中で、バレットライフが跳んだ。
リム・ファイアーの暗い愉悦と殺意を宿した狂おしい程の瞳の輝きが見据えているのは、討ち果たすべき敵――レイヴンのみ。
「結果的には目論見どおりになる。ここでお前を始末すればな!」
言い終わる前に放たれたのはFINGERの同時射撃。言葉を紡いでいる最中というのは、意識していてもいくらか注意力が削がれるもの。
そこを狙った一撃ではあったが、群雲の如き銃弾は虚空を穿つ。
そして、反撃に放たれた一条の光もまた、バレットライフを打つ事無く、空しく消えた。
追い縋るバレットライフと、逃げるように距離を離す蒼灰のAC。
双方が自らが優位に立てる間合いを維持しようと動き出した。
ブースターの生み出す速度の面で勝る蒼灰の機体と、強化人間故のエネルギー効率の良さにより持久力で勝るバレットライフ。
戦闘が長引けばどちらかが必ず息切れを起こす。
それは恐らく蒼灰のACが先だ。となれば、持久戦に持ち込めばバレットライフが勝利する可能性は色濃くなるだろう。
故に、蒼灰の機体としては短時間で決着をつけるのが望ましいが、接近戦などしよう物ならば雨霰と降り注ぐ弾丸の前にサウスネイルと同じ無様な屍を晒すことになる。
状況はバレットライフに有利だった。
両腕のマシンガンを温存し、バレットライフはミサイルとチェーンガンによる攻撃を続ける。FINGERの火力は絶大だが、その分だけ弾切れも速い。使い所を誤って良い武器ではないのだ。
未だ双方被弾は無し。レーザーライフル、バズーカといった単発武器ならば回避する事はそんなに難しい事ではない。そもそも、相手がレーザーライフルを撃てば撃つほど逃げ回っていられる時間は少なくなるのだから、下手にレーザーを放つ事は有り得ない。
それもあって、バレットライフへの砲火はインサイドの吸着地雷とその合間を埋めるバズーカのみであり、おざなりな物だった。
逆に、バレットライフから放たれる砲火は熾烈を極めている。
乱射されるチェーンガン、襲い来る多数のミサイル。足を止めよう物なら、その瞬間に鉄屑となるのが目に見えるようだ。
しかしそれを避け、あるいは遮蔽物を利用し、時にはミサイルの追尾機能を逆手にとって地面へと衝突させ、悉く凌いでいるレイヴンもまた並みの腕ではない。
リム・ファイアーの作戦はシンプルな物だ。
有効射程に捉え続け、決して相手を休ませない。それを行うためにはこちらも休みなど無いに等しいが、息切れを起こすのは向こうが先だ。そこを叩く。
本来ならバレットライフも短期決戦用のACではあるが、必要とあればこういった戦い方も出来る。
ただ、気になるのはジェネレータとブースターが生み出す熱。
強化人間の処理能力でも抑えきれない高発熱量。それはバレットライフの抱える欠点の一つ。
常人が扱おうとすれば、即座に機体温度は限界を超え、満足に行動する事すらできなくなる程の凄まじい高熱をバレットライフは発する。
そして、今もジワジワと上昇を続ける機体温度がレッドゾーンに突入すれば、窮地に立たされるのは自分の方だ。
食い扶持の多い蒼灰が息切れするか、熱に負けて弾丸が堕ちるかのチキンレース。
通常の人間ならば命あってこそ、とばかりに追撃を打ち切るだろう。
だが、この場にいるのは余人では持ち得ぬ執念をその身に宿した男である。
「観念しろ……レイヴンなど不要な存在なのだ……!」
低く呟いたリム・ファイアーの顔を埋めるのは、目の前の獲物を何処までも追う、飢えた獣の表情であった。
ここまでです。
続きを書く予定は、とりあえずはありません。