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ベルザ高原。
AC・サンダイルフェザーを駆るレイヴン、プリンシバルはアライアンスより承った任務を遂行するべく、とある場所を目指していた。
つい先程コクピット内で受け取った情報によれば、バーテックスは既にその動きを察知。迎撃のためにレイヴンを雇ったらしい。
サンダイルフェザーを討ち果たすことが出来たのならば、それでよし。突破されるにしても時間を稼ぎ、守りを固める事が目的ではないかとの事だ。
雇ったのは――よりによって『あの男』だというから笑える。
恐らくは後者としての使い方だろう、正面からライウンを討てるほどの腕が、アレに備わっているはずがない。
そんな相手を使うようではバーテックスも底が見えた――と、彼女はそう考えていた。
根拠も何もない、楽観的な思考だ。
実力が伯仲している相手ならともかく、生半可な腕のレイヴンが一度や二度の機会を物にしたところで、勝敗が引っ繰り返る事はほぼ有り得ない。
ライウンはそれ程の腕を持っていた存在である。思考は単純とは言え、バーテックスの実力派と言う名に偽りはなかった。
彼女はライウンを、そしてそれを討ったレイヴンを過小評価していた。
この時点で彼女の運命は既に決していた、と言っても良い。
戦場で相手を侮る事。それがどの様な結果を生み出すかは想像に難くないだろう。
「才能はあっても、あまり賢い女ではないのだろうな」、とのエド・ワイズの推測は的を得ていたのだろう。
現に、ジャック・O、リム・ファイアー、エヴァンジェ、ケルベロス=ガルム等の切れ者たちは、ライウンを撃破した男の動向に注意を向け始めていた。
奴が真実、情報通りの取るに足らない存在であったのならば、女神が幸運の大盤振る舞いをしたところでライウンに勝てる訳がない――それが彼らの共通した認識だったのだ。
事実、この任務はバーテックスが依頼主とされているが、彼のレイヴンに依頼することを決したのはジャック・Oその人でもある。
まあ、彼女が知る由もない事ではあるが。
数分後。高速で駆けるサンダイルフェザーの光学センサーが、ついに敵の姿を捉えた。
無機質なシステム音声が、彼女に敵機の情報を告げる。
『敵ACを確認、未確認の機体です。敵はバズーカを装備。中・近距離での戦闘は――』
プリンシバルの眉間に小さく皺が寄った。
武器もフレームも一新したのであれば、情報がないのは道理ではあるが――。
しかし、機体を改めたところで、それを手足のように操る腕がなければ恐れる事はないのだと、気を持ち直した。
少し前に一度戦った事のある相手だ。その時は仕留めきれずに逃がしてしまったが、腕前は分かっている。
幾ら機体がお粗末だったとは言え、ろくな反撃もせずにケツをまくっただけの男を恐れる理由などありはしない。
高速で相手に接近していくサンダイルフェザーのFCSが、両肩の垂直ミサイルを起動する。同時にエクステンションの連動ミサイルも、また。
――発射されたミサイルは上方から、そして前面から相手を襲う。逃げられる場所は左右のどちらかだ。そこにスナイパーライフルを撃ち込んでやれば良い。それで終わり。
腕の立つレイヴンならともかく、あの程度の相手がこの連携を避けられる道理はない。
「私たちに逆らおうなんて、度胸はあったようだけど……相手が悪かった、そういうことね」
勝利を確信した笑みと共に、プリンシバルはトリガーを引いた。
だが次の瞬間、その笑みが凍りついた。
ミサイルの発射を確認するや否や、敵機がこちらへ向かって突進を開始したのだ。それも、予測していたよりも遥かに速い速度で。
一瞬の思考停止。その間にも、特有の青い噴射炎を引いたACが連動ミサイルを飛び越えて、サンダイルフェザーへと肉薄してくる。
連動して発射されたミサイルを回避された今、残るのは垂直ミサイルのみだが――この武器には欠点があった。
垂直ミサイルはその名の通り、垂直方向に発射したミサイルを急降下させる事で敵視界外からの攻撃を目的としたミサイルだが、お互いの距離が近すぎる場合は旋回が追い付かず、そのまま地面へと沈んでしまうのだ。
噴射炎から特定できる不明機のブースター、CR-B83TPが与える速度は、その欠点を突くことが十分にできる機動力をACという巨大質量に与えていた。
CR-B83TP――ACが装備できる中で最高の出力を誇るそのブースターは、莫大なエネルギーと引き換えにして、航空機が空中分解を起こすほどの異常な出力を発揮する。
短時間しか使用できないのが難点ではあるが、使いこなせばデメリットを補って余りある性能を引き出す事が可能な代物だった。
敵の接近に動揺したのか、プリンシバルは慌てて左腕部のスナイパーライフルを照準しようとした。
問題はない。これで撃ち抜いてしまえば、それで――。
しかし、敵機が不規則に揺れていることに気付くと愕然とする。
ACのFCSは敵機の移動方向を予測し、装備された武装は未来に敵が存在するであろう座標を狙って発射される。
それを利用し、左右に細かく揺れることでFCSの予測を狂わせる技術、レイヴンには俗に踊りと呼ばれる回避テクニックを敵手は行っていた。
ある程度の連射が利く武装に対してはこの回避方法では対応が追い付かず、時間と共に被弾は増えていくばかりである。
だが、サンダイルフェザーの左腕部武装はスナイパーライフル。一応連射も可能ではあるが、その数は二発までだ。当たる見込みは限りなく小さい。
ならば右腕のマシンガンはどうかと思うが、ミサイルを発射した直後なのが仇になった。
ACのFCSには、ミサイルやレールガンなどの発射間隔の長い武器を使用した直後、とある不具合が発生する。
ACの武装は右腕、背部のメインウェポン、左腕のサブウェポンに区分されている。問題があるのは、この内のメインウェポンの管制だ。
武装を切り替えても直前に発射した武器の次射が可能になるまでのインターバルはリセットされず、短時間ではあるものの他の武装すらも使用が不可能になるのである。
迎撃不可能。その事実がプリンシバルを恐怖させた。
このまま接近されてしまえば、敵の高火力武装の餌食になる――。
悪寒が背筋を這い上がる。
安定性能が低いサンダイルフェザーがバズーカの直撃を受ければ、まず間違いなく足が止まる。
当たり所が悪ければそれだけでも終わるが、そうでなくともその後に待っているのは確実な死。無抵抗のまま雨あられと攻撃を受け、瞬く間に爆散するしかない。
反撃の手を完全に封じられ、目前に危機が迫っている事に気付いたプリンシバルは、反射的にペダルを踏み込んだ。
ブースターを噴かして機体が右へとスライドした刹那、そのまま行けばサンダイルフェザーが存在したであろう軌跡に、レーザーとバズーカが相次いで撃ち込まれていた。
目前の危機を脱しても息を付く暇は無い。
逃げた相手を追って旋回した不明機が続けざまにレーザーを、バズーカを、サンダイルフェザーへと放つ。
当のサンダイルフェザーはと言えば、ブーストをやめれば蜂の巣になる事は確実であろう火線を避けながら、漸く発射出来る様になったマシンガンとスナイパーライフルで応戦する。
嵐のような攻撃を只管に回避し、おざなりな反撃を繰り返しながら、プリンシバルは勝機を待ち続けていた。
あれだけレーザーライフルを連射し、あのブースターを使用し続けていれば、いつか必ずチャージングに陥る。そこを叩けば――。
高出力ブースターと、エネルギー兵器。機体に掛かる負荷は馬鹿にならない筈である。
ならば敵の攻撃はいつか必ず途切れるはずだと、近距離では重りにしかならないミサイルとエクステンションを、弾が切れたスナイパーライフルを、それぞれパージして機動力を高め、ECMメーカーを放出しながらプリンシバルは耐え忍んだ。
熱が危険領域に達し、エネルギーが減少していく警告音を聞きながら、尚も。
そして、耐えに耐え、今にもエネルギーが切れようかというその時。ついに不明機のブースターが停止した。レーザーライフルも――放たれない。
実弾武装でありエネルギーを必要としないバズーカのみが、ただおざなりに放たれるだけだ。
――勝機!
認識した瞬間、プリンシバルは打って出た。
エネルギーはこちらも空だが、サンダイルフェザーはフロートタイプ。ブースターを吹かさずとも機動性は十分だ。発射間隔の長いバズーカだけなら余裕を持って回避できる。
右腕のマシンガンとコアに格納していたハンドガンを構え、不明機へと接近したサンダイルフェザーが今までの鬱憤を晴らすように弾丸をぶちまけた。無数の弾丸が不明機へと襲い掛かる。
その刹那、不明機は上へ跳んだ。
先刻のようにブースターを使用したのではない。ジャンプしたのだ。
それを追って機体を上に向けさせたプリンシバルの目が捉えたのは――
バズーカとレーザーライフルを捨て、格納されていた携行プラズマライフルを此方へと向けている敵機。
撃てる筈が無いのに、何を悪あがきをしようとしているのだろう。そうプリンシバルが思った瞬間、不明機のプラズマライフルが発射された。
頭に浮かんだのは「フェイク」という単語のみ。
それ以外の何を思うことも無く、プラズマの直撃を受けたプリンシバルはその命を終え、中枢を射抜かれたサンダイルフェザーもまた、主を追うように爆散して潰えた。
チャージングに見せかけた歩行も、その前から徐々に弱めていた火線も、全てはサンダイルフェザーに接近を促すため。
余剰エネルギーが残り少なくなってきたところでブースターを停止させた事で、ジェネレーターは不用意に近付いてきた相手に引導を渡すには十分な量のエネルギーを蓄えていた。
――目論見通りに。
サンダイルフェザーの撃破を確認したのだろう。ややあって、ACを回収する為、クランウェルが姿を見せる。
戦いの終わったベルザ高原に、夜が訪れようとしていた。