始まりの話
天使だ。
一目見た瞬間、虜になった。
一度見たその時から視線は釘付けで。
最初の邂逅、俺の頭は真っ白に塗りつぶされた。
黄金に輝いているのだと錯覚するような金糸の髪を短くサイドテールにし。
そして背から生え出た宝石の成った木のような羽。
さきほどまで自分の部屋にいたのに、とか、ここはどこだ、とか。
そんなことを考えていた脳内が、彼女を見た瞬間、その全ての思考が吹き飛んだ。
そして代わりに思うことは一つだけ。
天使だ。
口にしたような、しなかったような。けれど目の前の彼女に変わりないことから、きっと口にしなかったのだろう。
俺の存在に気づき、目を丸くしているその様子がどうしようもなく愛おしくて。
「一目見た瞬間から好きでした!! 交際を前提に、結婚してください!!!」
気づけば、ほとんど無意識的にそんなことを口走っていた。
「………………え? あ、はい」
きょとん、と意味も分からず俺の勢いにただ咄嗟に彼女が頷いて。
同時に部屋に満ちた光。それが、結局、契約完了のサインだった。
どうして…………どうしてこうなった?
私の腕の中で静かに横たわる主人を見つめながら、私は自身に問いかける。
どうしてお嬢様が倒れている? どうしてパチュリー様は首を振っている? どうして美鈴はそんな悲しそうな顔をしている? どうして? どうして? どうして?
少しばかり時間を遡って思い出す。
今日も私はいつも通り、屋敷内の掃除を終え、お嬢様に頼まれた紅茶にお出ししていた。
吸血鬼であられる私の主レミリア・スカーレット様は、いつも朝遅く起きて夜遅く寝る変わった吸血鬼だ。
いつも退屈そうに過ごしておられ、吸血鬼にも関わらず日傘まで差して外を散策したり、館のテラスでお茶にしたり、と変わった過ごし方をしておられる。
「暇ねえ、何か面白いことは無いかしら? 咲夜」
今日も今日とて暇を持て余したお嬢様からの問いに、数瞬考え、返事を返す。
「では、博麗神社にでも行って見てはいかがでしょう?」
博麗神社は私たちの住む地、幻想郷の東にある古びた神社だ。
そこには幻想郷唯一の巫女、博麗霊夢と言う少女が住んでいる。
以前とある事件をきっかけとしてお嬢様はこの霊夢と懇意にしており(と言ってもお嬢様からのやや一方的なものだが)、時たま単身博麗神社へ遊びに行くことがある。
そう考えての提言だったが、お嬢様の今一ぱっとしない表情を見るに、どうやらあまり乗り気でも無いらしい。
さて、では次は何を言うべきだろう…………そんなことを考えた時。
「ちょっと言いかしら?」
そんな声に振り返ると、非常に珍しい方がそこにいた。
「あら、パチェ…………こんなところまで来るなんて珍しいわね」
そこにおられたのは、お嬢様のご友人でこの館の地下にある図書館を管理しておられる魔法使い、パチュリー・ノーレッジ様だった。
魔法使いと言うのは、種族名であり、魔法使いとなった存在は半永久的な寿命を得るし、食事を魔力で代替できるようになる、とはパチュリー様の弁であり、実際パチュリー様は一日中図書館に篭りっぱなしで、食事も取ろうとなさらない。お嬢様も好きにさせろ、と仰るのでご本人に言われたまま時折図書館の手伝いをするだけに留めている。
さきほども言ったがパチュリー様はいつも図書館に篭りっきりであり、たしかにお嬢様の言う通り、館の地上部分に出てくることは滅多に無い。私も長年この館に仕えてきたが、三度か四度あるかないか、と言った程度の頻度である。
そんな私たちの視線を気にもかけず、パチュリー様がお嬢様と対面するように椅子に腰掛けられたので、すぐに紅茶をお出しする。
「あら、ありがとう」
そう言って出された紅茶に一口口つけると、カップを置く。食事は必要ないが、嗜好品程度にはなるらしく、こうしてお茶をお出しした時はちゃんと飲んでいただけるし、美味しいと言ってもらえるのは出した側としても嬉しくなる。
「それで? 何か用かしら?」
パチュリー様がカップを置くのを待って、お嬢様がそう切り出す。
それに対しパチュリー様が少し躊躇うような様子でおずおずと切り出す。
「レミィ、あなたには少しばかり言い難い話なのだけれど、聞いてくれるかしら?」
「あら何かしら?」
何か面白いことでも起きたのか? そんなお嬢様の軽い気持ちの問いに、パチュリー様がそっと呟く。
「妹様が結婚したわ」
一秒。
言葉の意味が理解できず思考が停止する私とお嬢様。
二秒。
言葉の意味を頭の中で租借しながらカップを口に持っていくお嬢様とそれを呆けながら見る私。
三秒。
そして私たちはその意味を理解し。
ぶふううううううううううううううううううううううううううう
含んでいた紅茶全てがお嬢様の口から吹き出され、空中に綺麗な虹を描く。
「あら、虹…………綺麗」
どこか現実逃避のようにそんなことを呟く私。
「…………………………レミィ……?」
そして対面して座っていたせいで、見事に全身にお嬢様の噴出した紅茶を被ったパチュリー様。
「けほっ、けほっ、あ、ごめんパチェ…………ってそうじゃないわよ!!? フランがけけけけ結婚したってどういう意味よ!!?!」
「どういうもこういうも、そういう意味よ」
はぐらかしているようなパチュリー様の答えにお嬢様が「うがー」と怒る。
「ていうか、結婚って…………相手は誰よ!?」
そう言われればそうだ、結婚と言うからには相手がいるはず。
「さあ、私も見たことが無いわね。とにかく今二人とも妹様の部屋にいるわ」
そう言うと疾風のごとき速さで飛び出そうとするお嬢様。っと日傘から出られると危ないので、自身の能力を発動する。
時間を操る程度の能力。それが私だけが持つ力。
と言っても止めることと加速することだけで、戻すことはできないのだが。
それでも十分過ぎる力を持つその能力を使って、時を止める。
と言っても今のお嬢様に日傘を持たせても吹き飛ばしてしまうだけだろう勢いなので、代わりに部屋からフード付きのローブを持ってきてお嬢様に着せる。時間停止中は体勢が固定されて動かせないが、まあ幸い小柄なお嬢様には大きめのローブだったのですっぽりと入った。
それから前で紐が解けないように結び、時間停止を解除すると同時にお嬢様の姿が見えなくなる。
「お疲れ様、咲夜」
お嬢様の服装が一瞬変わっていたのを見て、そう言うパチュリー様に「いえいえ」とだけ言って頭を下げる。
「私も妹様の部屋に行って来るわ。咲夜はそれ片付けたらついでだからあなたも来なさい」
指さされたそれ、紅茶のセットを見て了解しました、と頷いた。
そう、そこまでがついさきほどまでのことだ。
紅茶セットを片付け、そして地下の図書館のさらに下にある妹様の部屋に来てみれば。
そこには倒れ付したお嬢様とパチュリー様、それから何故かいる美鈴と部屋の主である妹様。
それから…………見知らぬ少年がそこにいた。