霞んだ英雄譚   作:やさま

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第三話 守る意味と、破滅の恐怖

 

 

「おはよう、テクト……」

 

翌朝。

冷たい朝日の光の中、俺の名を呼ぶのんびりとした声に、意識がゆっくりと覚醒する。

 

(……まさか、寝坊するとは)

 

これでも十分早いほうではあるが、しかし農民生活をしていた頃に比べれば大分遅い。

それだけ自分の中で疲労が溜まっていたのか。

改めて、休息の場をくれたミアハ様に感謝しなければ。

 

今しがた起きたばかりの俺を見下ろすナァーザの半眼は、酷く眠そうであった。

 

「私はこれから店番だけど……テクトはどうする?」

「店番?」

「そ。客はあんまり来ないけど、仮にも道具屋だからね……」

 

気怠そうで、抑揚のない声。

そんな彼女を唯一の構成員とする、ミアハ・ファミリア……道具屋を営んでいる、ミアハ様を主神とするファミリア。

ぐるりと部屋を見渡すと、天井には雨漏りのような黒いシミ。

客が少ないというのだから、困窮しているのだろう―――昨日の彼らにそこまで切迫した雰囲気は見受けられなかったが。

 

部屋を観察した後、最後に俺はナァーザの服を見た。

 

「……?」

 

小首をかしげるナァーザの、両腕。

具体的には、右腕の裾が長く、左腕の裾が短いという不思議な服に俺の眼は釘づけとなった。

 

「あぁ、これね……ホラ」

「ッ!?」

 

そんな俺の思惑を察したのか。

おもむろに彼女は右腕の袖を捲り……俺は、目を見開いた。

そこに暖かな肌色は無く、あったのは冷たい銀の色。

どこまでも精巧に作られた銀の義手(アガートラム)が、俺の視線を捉えて離さない。

 

「昔モンスターにやられてね。その時にこうなったの……」

「わ、悪い……」

「謝らないで。テクトにはいずれ見せようとも思ってたし……」

 

モンスターにやられて……か。

確かオラリオには、ダンジョンと呼ばれる地下迷宮が存在していた。

そこには数多くのモンスターが棲み、その数と強さは地上の比ではないという。

 

「ナァーザは、神の恩恵を受けているんだよな」

「……どうして?」

「あぁ、いや。気を悪くしたら申し訳ないんだが……神の恩恵を受けても、そういった被害を受けてしまうのかと不思議に思ってしまって」

 

神の恩恵について、俺は何も詳しくはない。

昨日教えてはもらったが、やはりただ聞いただけではその実態は把握しきれないのだ。

神の恩恵の能力上昇は、一体どういうレベルで作用するのか。

それを授けさえしてもらえれば、誰でもすぐに一線級の力を手にすることが出来るのか。

経験による能力成長のスピード、スキルの効力、魔法の力……数え上げればキリが無い。

 

ただ、きっと……神の恩恵はそれほど万能なモノでもないのだろうと、俺は再度彼女の右腕を見る。

もし万能で、誰でもすぐに強くなれるものなら、きっと彼女はこのような腕をしていない。

 

「……勿論、経験をたくさん積んで熟練度を上げて、途方もない力を手に入れている人も居る。けど、そんな人は一握り」

「そうなのか?」

「昨日、レベルの話はしたよね。レベルは1からで、現在の最高値は7だけど、オラリオの冒険者の半数はレベル1のままで停滞している……」

 

つまり、力が増すにしても多くの時間と努力を要する。

歴史のあるオラリオでレベル1の冒険者が多数を占めているという事は、レベル2へと上がるだけでも非常に苦労するのだろう。

 

「まぁ、レベル1でも恩恵の効果は馬鹿にできない。逆に言えば、そんな彼らでも苦戦する迷宮に、神の恩恵を受けてない人間が迷宮に潜るのは自殺行為……死ににいくようなものだよ」

「……」

 

―――彼女は察している……俺が何をしようとしているのか。

見下ろすナァーザの眼と見つめ合う事、数秒。

ふぅと嘆息し、俺は彼女から視線を逸らした。

 

「ファミリア……か」

 

恐らく……いや、確実にベルはこの街で神の恩恵を授かり、ダンジョンへと潜るだろう。

それが彼の目的であり、夢であったのだから。

そしてそんな彼を守るのであれば、俺もダンジョンへ潜るのは必然で。

だが地上のモンスターと、ダンジョンのモンスターの能力はけた違いだという。

そんな奴らに対抗するには、ウルフの群れ程度で苦戦する今の俺では確実に力不足だろう。

 

やはり、入らなければならない。

神に従わなければならないとしても……己の行動に制約が発生するとしても。

 

ベルも手間のかかる夢を持ってくれたものだと、心の中で愚痴をこぼす。

 

「あ、私そろそろ店番しなきゃ」

「あぁ、ごめん。引き留めてしまって」

「いいよ別に。君には、私も興味あるしね……」

 

部屋―――プライベートルームを出て行ったナァーザを見送り、俺はふと窓の外を眺めた。

 

「……」

 

あんなに朝日が見えていた空は、薄暗く淀んでいて。

すぐにでも雨が降りだしそうなほど、暗雲が立ち込めている。

―――天候は最悪……ベルを探すには不向き、か。

 

だが、何もせずには居られない。

そんな俺が思い浮かべるのは、助けてくれた神様と女性の顔。

 

「……よしっ」

 

恩義には報いるべきだ。

おれは立ち上がり、今しがたナァーザが出て行った部屋の戸へ振り向いた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「……別に、そこまで気を遣わなくてもいいのに」

 

カウンターで突っ伏しながら、ナァーザは棚を見ていた。

具体的には、棚を整理しているテクトの姿を見つめていた。

 

「ナァーザ、そしてミアハ様には助けてくれた恩がある。それを返したいんだ」

 

黙々と棚の整理と掃除をする青年。

そんな彼にナァーザは暫く視線を注いでいたが、やがて飽きたように目線を下ろした。

体だけでなく、ついには視線すらもカウンターへと突っ伏した彼女の姿勢は、完全に寝に入っている。

 

「ナァーザ」

「何……」

 

突っ伏したまま答えたせいか、ナァーザの声はややくぐもっていた。

 

「もしよければ、ファミリアについて教えてくれないか」

「……」

 

顔を上げ、ナァーザはテクトを見つめる。

彼は未だ棚の整理に没頭しており、大きな背中がナァーザの視界に入った。

 

「ファミリアは、神の眷属……神が私達に神の恩恵を授け、私達は神に尽くす。多分これくらいは、テクトも知ってるだろうけど」

「俺が知りたいのは、その”“神に尽くす”という部分だ。具体的に、どういった事をしなければならなくて、俺達にはどういった制約が発生する?」

「……それは、ファミリア―――神様によって様々。たとえば、ファミリアには探索系や商業系、鍛治系とか色々あるけど、基本的にはそのファミリアの主神の方針に私達は従わなければならない」

 

授かった恩恵によって、神へ尽くす。

時に、ダンジョンへ潜り。

時に、武具を製作し。

神の為に眷属は働き、行動する。

 

「あと、中には神同士で対立しているファミリアもあってね……そんなファミリア同士の眷属は、あまり表だって協力し合えなくなったりする」

「神同士の、対立……」

「対立してなくても、違うファミリアだと色々と気を遣う事になるね。何か問題を起こしてしまったら、自分だけでなくファミリア全体、更に言えば神様にだって迷惑が掛かるし」

 

―――そしてこれが、ミアハ様がテクトをファミリアに誘わなかった理由。

推測ではあるが、しかしナァーザは確信していた。

例えば、弟を守りたいというテクトがミアハ・ファミリアに入ったとしよう。

だがその一方で、弟は別のファミリアに入ったとする。

ともすれば、彼らの行動には少なくとも何かしらの制限が入ってしまう可能性が高い。

 

……ましてや、そのファミリア同士が対立し合っていたとすれば、状況はもっと最悪だ。

テクトの“弟を守る”という目的すら達成できなくなる恐れがある。

―――もっとも、ミアハ様に対立しているような神様が居るなんて、聞いた事は無いけれど。

 

「大きいファミリアだけど、探索系ならロキ・ファミリアやフレイヤ・ファミリア。鍛治系はヘファイストス・ファミリアが有名だし、あとは―――」

「それくらいでいい、ナァーザ。数も多そうだし、あとは自分で調べるさ。教えてくれてありがとう」

「……ん」

 

それに、テクトにとってファミリアの大きさなどどうでもよかった。

テクトにとっては、弟を守れるか守れないかが肝要なのであり、規模は二の次。

規模が大きくなろうが神の恩恵に差は無い以上、そんな事を気にする必要はどこにもなかった。

 

話も終え、再び突っ伏したナァーザ。

その隣に、整理を終えたテクトが着席した。

 

「……ナァーザ」

「何」

 

「もし、貴方のファミリアに入れてください言ったら……ミアハ様は、それを許してくれるだろうか」

 

バッ、と。

再びナァーザは起き上がり、驚愕に満ちた目でテクトを見据えた。

 

「……駄目、だろうか」

 

―――そんなわけがない。

むしろ、諸手を挙げて喜ぶだろう。

ミアハも、ナァーザも、二つ返事で彼を歓迎するだろう。

 

だが、ナァーザは……喜びから紅潮しかけた頬を隠し、告げた。

 

「……恩義に報いる、とかいう理由でそう言ってるのなら、やめたほうがいいよ」

 

―――私が言えた義理でもないけれど。

右腕の銀の義手を眺めつつ、ナァーザはテクトへ忠告する。

ファミリアに入るという事の意味……そしてそれが、己の目的への障害となる可能性を。

 

「テクトは考えているの?ファミリアに入ったら、弟君は……」

「分かってるさ。アイツが俺と違うファミリアに入ってしまっていたら、きっと今までのようにはいかないだろう」

 

……けれど、とテクトは続ける。

 

「それもいいかな、と思ってしまっている自分がいるんだ」

「……え?」

 

それは決して、諦めからの言葉などではなく。

むしろテクトは、楽しそうに笑っていた。

 

「こうして弟と別れて、ナァーザやミアハ様と話していたら気付いたんだ……俺は弟に依存しすぎているって」

「……だから一度、距離を取るの?」

「アイツは俺の弟だし、俺はアイツを守る。それは変わらない。けど、離れていたって俺とアイツが兄弟である事は変わらないだろ」

 

どこまでも子供のように純粋な夢を抱いているベルは、テクトに近くで守られてばかりでいる事を望まないだろう。

英雄は守られる者ではなく、守る者、救う者であるのだから。

そしてそんなベルの夢を、テクトもまた応援したいと考えている。

彼の夢を阻害せず、且つ守り続ける手段。

それこそが、テクトにとってのミアハ・ファミリアであった。

 

「俺は影からアイツを支える。アイツは余計な事を考えず夢へ突き進み、ひた進む。それでいいんだ」

 

常に一緒に居てしまえば、何からも、どんな事からもテクトはベルを守ろうとするだろう。

しかしそれで、果たしてベルの為になるのか。

英雄に……誰かに好かれたいというベルを、ダメにしてしまわないだろうか。

 

己の行動によって、ベルを堕落させる事への不安。

“成長する機会”、それを兄である自分が潰す事への恐怖。

それを払拭する為、あえてテクトは自分に縛りをつけた。

常に一緒には居ないという、守る上で大きな弊害となる縛りを。

そうでもしなければ、自分は―――身を粉にし行動してしまうだろうから。

 

どこか寂しげに語るテクトだったが、不意に大きな影が差した。

 

「―――よく言った、テクト。そんな君を、私は歓迎しよう」

 

聞こえてきた声に、テクトは思い切り振り向く。

そこには、このファミリアの主神であるミアハが、調合した薬品を片手に穏やかな笑みを浮かべていた。

全て聞かれていた事を悟り、テクトの顔が羞恥で赤くなる。

 

「ミ、ミアハ様……まさか、聞いて……?」

「すまない。盗み聞きするつもりは無かったのだがな」

「ミアハ様もお人が悪い。私に全部任せるなんて……」

「ふははっ。だがナァーザ、助かった。きっと私が聞いても、彼はあのようには答えてくれなかっただろう」

 

―――さて。

未だ硬直しているテクトに、ミアハは今一度向き直った。

 

「テクト。今一度聞くが……君は本当に、“それで”良いのだな?」

「……」

 

瞼を閉じれば、思い出すのは幼いベルと、祖父との日々。

今はもう、手の届かない美しい思い出。

決別するかのようにテクトは目を開き、力強く告げる。

 

 

「はい。貴方のファミリアの一員とさせてください……ミアハ様」

 

 

 


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