第十六話 本当の自分
ダンジョン13階層。
視界一面を岩盤が覆うこの階層からは、出現するモンスターの様相も一変する。
強さもそうだが、何より特殊なのは魔力を用いた遠距離攻撃を行うモンスターが現れるという事。
ヘルハウンドと呼ばれる黒い狼がまさにそれで、凶悪な口から吐き出される獄炎は多くの冒険者達を葬り去ってきた。
ただ―――――
(これ、僕の出る幕殆どないんじゃ……)
13階層に足を踏み入れてからというもの、モンスターの群れに出くわす事は確かにあった。
鋭い一角を額に有するウサギのアルミラージや、前述のヘルハウンドに囲まれた事もあった。
だが、それでもテクトさんは彼らの猛攻を一人で凌ぎ切り、魔石の欠片へと化けさせてしまったのだ。
特に
今もまた、アルミラージが突き出してきた鋭利な角を一歩横に動くだけで避けつつ、すれ違い様に袈裟斬りにしていた。
―――――これが……レベル3の力?
しかし、と僕は自分で自分に疑問を投げかける。
これはきっと、レベルだけの力ではない。
あのモンスター達とこれまで戦った事が無かったテクトさんが、あんな風に初見の攻撃に対し対処できているのは、レベルだけの問題ではない。
これまで培ってきただろう多くの場数と、蓄積された戦闘経験が、彼の卓越された状況判断とそれに対する適切な対処を可能としているのだろう。
その強さに、果たしなく大きな“差”に、僕は唖然とした。
同時に、見惚れた。
群れの真っ只中だというのに―――僕は呆けて、立ち止まっていた。
「……ッ!」
その時、何かに気付いたようにテクトさんの剣戟が止まる。
そして向けられた視線の先は―――――僕の背後。
「シオンッ!!」
その声に、視線に、ハッとして後ろを振り返る。
そして視界に入ったのは、土煙を上げて轟々と迫りくる二匹の鎧鼠―――ハード・アーマード。
「くっ……!!」
―――――テクトさんの足を引っ張るわけにはいかない!!
身の丈以上もある長杖を地に突き立て、魔力を練る。
ややもすれば、自身の目の前に“二つの魔力の点”が現れた。
それは、魔力を有する者にしか見えない力の凝縮点。
いうなれば、これは―――――起爆剤。
「【来れ―――】」
吹き飛ばされるのが先か、吹き飛ばすのが先か。
徐々に大きくなる轟音に冷や汗を流しながらも、冷静に努めて詠唱を紡ぐ。
「【―――仇を貫く轟雷の槍】」
鎧鼠の名の通り、ハード・アーマードは硬い鎧に覆われてはいるが、一点集中型の僕の魔法なら貫く事も出来るはず。
今か今かと待ち受ける“起爆剤”を手に、眼前へと迫るハードアーマード目掛け―――僕は引き金を引いた。
「【ヴォルト・スピア】!!」
起爆剤から放たれた、迸る二つの白い閃光。
文字通り光速のそれは、一直線に二匹の鎧鼠へと突き刺さる。
雷が落ちたかのような轟音とともに、閃光は鎧を砕いて柔肉を焼き、二匹の鎧鼠を灰塵と散らせた。
「……ふぅ」
比喩無しに、死ぬかと思った。
危機を前に切迫した胸へ手をあて、落ち着かせるように深呼吸する。
―――――この時ばかりは、短かった詠唱文に感謝しよう。
(上手くいってよかった……)
二つの魔力の点―――――
その正体は、僕のスキルである《
これは、発動魔法に対し余剰の魔力を注ぐ事によって、魔法を多重発動させる事が出来るスキル。
例を挙げると、以前使用したフロスト・ランス、そして今回のヴォルト・スピア、そのどれもが元々は一発の閃光を射出する魔法。
しかし僕の場合、魔力の点を出現させる事によって閃光を二本射出させる事が可能で、つまり一度の詠唱で二発の魔法を撃てる。
ただ、やはり余剰の魔力を使用するからいつもより疲労が激しい。
“魔力の点”の数に事実上制限は無いが、二つで既に精一杯な僕ではこれ以上魔力の点を増やす事は出来ないだろう。
特に最初の頃は一つの魔法を当てようとすればもう片方が外れ、酷い時にはパーティ仲間に当たりそうになった事もある。
最近はそういう事もあまりなくなったが、フレンドリー・ファイアの危険性は常に潜在し続けている。
だから《
そういった意味では、《
万が一集中が途切れて、外れたりすれば大惨事が待ち受けているなんて―――――そんなプレッシャーに何度も打ち勝てる程、僕は図太くなどないのだから。
「シオンッ!!何を呆けていたんだ、危ないだろう!!」
「ひっ……!!」
耳をつんざく怒声に、思わず体が硬直する。
壊れたロボットのように恐る恐る後ろを振り向くと、目と鼻の先には般若の如く眉を吊り上げ激怒しているテクトさんの顔。
その様相に驚いて後ずさると、呆れたように溜息を吐かれた。
「……やはり、お前にはまだ冒険者は早いか」
「えっ?」
「戻るぞ、シオン。パーティ解散だ、お前とはもうやっていけん」
「ッ!?」
言うが早いか、テクトさんはそそくさとこれまで来た道を戻ろうとし始める。
遠ざかり始めた背中に、“パーティ解散”という言葉に、思考が停止し―――――気付いた時には、僕の体はその背に縋っていた。
「ごめんなさいごめんなさいッ!!次から気を付けますから……!!」
「……」
「見捨てないでください……お願いしますッ!!」
我ながら、なんと女々しい言葉だろう。
可愛らしい少女に言われれば心躍るだろう言葉も、男の僕が言えばただ惨めなだけ。
―――――それでも、僕はそうするしかない。
以前のように、女々しくも惨めに縋るしかなかった。
この人にだけは見限られたくなかった。
見捨てられたく、無かった。
「……」
それでも、テクトさんは無言のまま。
何か答えるわけでもなく、じっと背を向けたまま立ち止まっていた。
その怖い程の静けさに、最悪の結果を想像し身が震えたが―――――不意に、テクトさんの大きな肩が震えている事に気付いた。
「テクト、さん……?」
「くくっ……」
洩れる吐息。
小刻みに震える肩。
何事かとその顔を覗き見ると―――笑っていた。
「ははッ、“見捨てないで”だって?お前は捨て猫かよ」
「へ?……へ!?」
「俺を見くびるな、たった一度の失敗で見捨てなどしないさ。こうすれば次からは気を付けるだろうと思ったんだが……どうやら、お前には刺激が強すぎたようだな?」
にやりと、嫌らしい笑みを浮かべながら告げられて。
青ざめていた顔が、羞恥で急激に熱を持ち始めた。
「テ、テクトさ……ッ!!」
「―――――とはいえ、だ」
非難を口にしようとするも、それを遮るようにぐいっと顔を近づけられ。
先ほどの笑みからは一転、テクトさんの真剣な眼差しに息が止まる。
「二度と群れの中で呆けるような真似はするな。次は本当に解散しかねないぞ―――お前が命を落とす事によってな」
「ッ……」
僕達は二人一組。
三人で組むパーティと比べれば、各々の負担も役割に対する責任も各段に大きい。
特に、テクトさんは完全な前衛型で、対して僕は後衛型だ。
テクトさんが群れに対処している時に僕が襲われでもすれば、先のように前衛のフォローが後衛へ間に合わない事もある。
だから僕は、自分の身は自分である程度守るか、あるいはそういった危険に陥らないよう立ち回らなければならない。
それを怠りなどすれば―――――僕だけでなく、テクトさんすらも危険に陥りかねない。
「……ごめんなさい。次からは、気を付けます」
「分かればいい。それと、泣き顔ご馳走様」
「はい……って、泣き顔!?」
慌てて頬に触れると、確かに濡れた跡のように湿っていた。
気付かぬうちに泣いていたのかと、頬が熱く火照りはじめる。
「それはそれとして、もう暫くモンスターを狩ったら一度戻るぞ」
「魔石の換金、ですか?」
「あぁ。二人じゃ、持てる量にも限りがあるからな。頻繁に往復しなければならないのは面倒だが……まぁ、いつものことだろ」
今日は群れに遭遇する事が多く、確かにテクトさんのバッグはもうパンパンだった。
僕も一応持ってはいるが、非力な為テクトさんほどあまり多くは持てない。
だいたいテクトさんの量の4分の一程度を持つと、歩くだけで疲れだすくらいには力が無い。
「すみません……」
「適材適所という奴だ。その分、お前が魔法でフォローしてくれ」
「はい、分かりました!!」
「っ……くく」
テクトさんから頼まれて、悪い気はしない。
その言葉に、僕はこれでもかと何度も頷いた。
必死さがツボに入ったのか、テクトさんはやがて笑いながら先を進み始める。
(あれ……テクトさんって、こんな人だったっけ?)
今までのテクトさんには、もっと違う印象を抱いていた。
寡黙で厳しい事も言うけど、時折安心させるように笑い、一歩離れた所から優しげに見守る人。
そんな風に思っていたが―――――
「心、開いてくれたのかな」
先ほどの“冗談”といい、案外冗談好きなのだろうか。
未だ肩を震わせ笑っているテクトさんだったが、それでも僕は咎める事も無く共に笑った。
―――――
それから、これ以上ないくらい魔石を集めた後。
今僕達は復路を歩き、上を目指していた。
持ってきていた地図の写しを手に、階層を上へ上へと昇っていく。
時折出現するモンスターはテクトさんが斬り捨てつつ、上層の半ばまで上がった頃。
僕達は、とある二人組の冒険者に遭遇した。
「あれ……兄さん?」
そう口にしたのは、その二人組の冒険者の一人である白髪の少年。
親しげにテクトさんへ向けて告げられたその言葉から察するに、彼とテクトさんは兄弟なのだろう。
実際、彼ら二人は背丈は違えど髪色も雰囲気もどこか似ていた。
「……ベルか」
白髪の少年に、テクトさんは優しげに応える。
なんとなくその声と彼の纏う雰囲気に違和感を感じたが、僕にはそんな事を考える余裕などとうに消え失せていた。
その原因は―――――少年の背後に居た少女。
「ベル様っ!この方が、ベル様がおっしゃっていたお兄様ですか?」
「あぁ、そうだよリリ。僕の尊敬する兄さんだ」
(リリっ……!?)
フードで頭を覆い隠しているが、ふんわりとした朱い前髪も、小柄な体躯も、見覚えがあった。
それに、唯一無二の幼馴染で友人の声を、この僕が忘れるはずもない。
(けど、なぜリリがここに!?あの大きなカバンは、まるでサポーターの……)
僕の幼馴染―――リリルカ・アーデ。
冒険者達に今まで痛い目を見てきたらしいリリは、冒険者が嫌いなはずだ。
そんなリリが、何故冒険者のサポーターなんてものをやっているんだ。
大体、今の時間は花屋でアルバイトをしているってリリが僕に言って―――――
「兄さん、紹介するよ。この子は、リリルカ・アーデ。僕のサポーターをやってくれているんだ」
「リリルカ・アーデ……」
その名を反芻するテクトさんの声には、どこか懐疑の色が宿っていた。
それもそうだ、確かテクトさんはリリに似た誰かに嫌悪を抱いている。
その誰かに似たリリに、フードから覗く朱い髪と丸い瞳に、疑惑の視線を向けるのも無理はないのかもしれない。
―――――大体、僕もそれで痛い目を見たし。
「初めまして、テクト様!お話は常々ベル様より伺っております」
「……」
「テクト、様……?」
テクトさんは、何か考え込んでいるようだった。
同時に、逡巡しているようにも見えたが―――やがて迷いを断ち切るかのように、つかつかと足早に歩みを進める。
そしてそのまま、ベルと呼んだ白髪の少年の横を通り過ぎ。
テクトさんは、リリの前で立ち止まった。
「あ、あの……?」
不審そうに見上げるリリ。
だがそれにも構わず、テクトさんは腕を振り上げ。
―――――そして次の瞬間、思いっきり彼女の被っていたフードを剥ぎ取った。
「きゃあ!?」
「に、兄さん!?いきなり何を……!!」
少年は慌てていたが、しかしテクトさんは―――――そして僕も、驚きで言葉を失った。
フードが取り払われた少女の頭に生えていた、二つの獣耳。
本来なら在る筈の無いそれに、僕の眼は釘付けになっていた。
「犬人……?」
「は、はい。リリは犬人ですが……どうかされましたか?」
恐る恐るといった様子の彼女に、テクトさんは無言。
ただ、フードをはぎ取った手は固まっており、傍から見ると困惑しているようにも見えた。
「……いや。突然悪かったな」
「本当だよ兄さん!女の子相手にそんな事を……」
「ベルも、悪かった。リリルカが、俺の知る人の特徴と似ていたものでな」
違うようで安心したよ、とテクトさんは再び僕の目の前に戻ってきた。
そんな兄の様子に少年は不審そうな目を向けていたが、その言葉に一応納得したようだった。
―――――どうやら、兄に対する信頼度はとても大きいらしい。
「ところで、兄さん。そこの人は、もしかしてパーティの仲間?」
「あぁ。こいつは……」
突き刺さる視線。
どうやら、挨拶をしろという事らしい。
三つ分の視線を前に、僕は今一度大きな帽子を目深に被り直し、口を開いた。
「……私はクレイ・シオ。よろしく」
声はいつもよりやや高めに。
顔は帽子で隠し、一人称は“僕”から“私”へ。
“僕”の行動にテクトさんからの疑念が痛いほど向けられたが、それでも“私”は“少女”を演じた。
こういう時、変声期を迎えていなくてよかったと常々思う。
「僕はベル・クラネル。多分察しがついてると思うけど、兄さん……テクト・クラネルの弟なんだ。よろしく、クレイさん!」
「リリルカ・アーデです。よろしくお願いします、クレイ様」
「……」
応える事が出来なかった。
まるで幼馴染にしか見えない犬人のリリルカ・アーデに、僕の頭は混乱していた。
―――――リリって実は、犬人だった?
いや、それでも確かに彼女の頭にはあんな耳は無かった筈だ。
考えれば考える程、僕の思考は袋小路へと陥り、泥沼へと沈んでいく。
「ベル、お前は先へ進むのか?」
「うん。兄さんは帰り?」
「一度換金にな。俺達はもう行くが、くれぐれも油断するなよ」
「大丈夫です、テクト様!ベル様は私が責任を持ってサポート致します!」
「っとまぁ、こんな感じに頼もしい仲間も居るから。大丈夫だよ、兄さん」
“大丈夫”。
その言葉に、一瞬テクトさんが反応したような気がした。
「……そうだな。行くぞ、“クレイ”」
「ハイ……」
どこか冷徹さを帯びた言葉に首を傾げつつも、歩き出したテクトさんの後を追う。
途中、リリの横を通り過ぎ―――懐かしい匂いが、僕の鼻腔を擽った。
(やっぱり……リリだ)
何故、あんな耳をしているのかは知らないけれど。
でも幼馴染のリリルカ・アーデである以上、僕の事を知られるわけにはいかない。
僕が、リリの嫌いな冒険者である事を―――悟られるわけにはいかないのだ。
―――――
「……クレイ・シオ、か。咄嗟に思いついた割には、良い名前だな」
「やめてください。僕の名前をちょっともじっただけです」
その後、バベルの換金所へとやってきた僕達は、部屋の一角にあった座椅子に仲良く並んで座っていた。
ダンジョンに戻ることもなく、そうしていたわけは―――勿論、先ほどの件である。
「あの子は、僕の幼馴染なんです。けど、僕が冒険者をやっている事は伝えてなくて……」
「……だから、名前を偽ったわけか。ついでに、あの様子だと性別も女だと思われてるだろうな」
どこか楽しげに語るテクトさんを見て、僕はようやく理解した。
先ほどテクトさんがベルさんと話していた時に感じた、違和感の正体を。
「テクトさんって、いつも“ああ”なんですか?」
温和で、真面目で、頼もしい兄。
どこまでも弟一筋で、あんな兄を持つベルさんはとても恵まれている。
思わずそう思ってしまう程、あの時のテクトさんは―――僕にとっても、理想の兄だった。
人間味が感じられない程に、理想すぎていた。
「さて、な。果たして、どれが本当の“俺”なのやら……」
困ったように笑うテクトさんに、僕は何も言えなかった。
なんだか長い期間ずっと一緒に居たような気もしているけれど、実際は出会ってからそう長くもない。
お互い知らない事も多いし、むしろその点ではベルさんの方がテクトさんの事をよく知っているだろう。
僕の前だけで見せたテクトさんが、果たして“本当”なのかは分からない。
けれど―――――
「僕は、僕の前で見せてくれたテクトさんが好きです」
「……」
何を言うでもなく、テクトさんは黙って僕の話を聞いていた。
「僕に冗談を言って笑っていたテクトさんは、楽しそうでした。少なくとも――――ベルさんと話していた時よりは、ずっと人間らしかったです」
非常に失礼な事を言っている自覚はある。
僕は今、テクトさんだけでなくベルさんにも無礼な事を言ったのだ。
だってこれでは、ベルさんと居てテクトさんは楽しくないと言っているようなモノで。
「……そうか」
それでもテクトさんは、僕の言葉に頷くだけだった。
怒る事も悲しむ事もせず、無表情でただただ聞いていた。
―――――その無表情の裏で、一体何を考えているのだろう。
「テ、テクトさん……?」
「……」
返事は無い。
何となく居心地が悪くてみじろぎしていると、不意にテクトさんの眼が僕へと向けられた。
「ダンジョンに戻るか」
「え?」
―――――話は終わりなのだろうか。
テクトさんは何事も無かったかのように立ち上がり、僕を見下ろす。
ただ、その眼はベルさんに向けていたようなものではない。
優しさなんてものは鳴りを潜め、意地が悪そうで楽しげな眼をしていた。
「……はいっ」
―――もしかすると、だけど。
それが、テクトさんの答えなのかもしれない。
差し伸べられた大きな手を、僕は喜んで受け入れた。