霞んだ英雄譚   作:やさま

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この話目より、ご指摘のあった「地文における人称の統一」を図ります。
一人称にしろ、三人称にしろ、同一の話目中では人称を変えずに進めていきます。
ただ、話目が変わるとこれまで同様に人称が変化する事もございます、予めご理解ください。


第十五話 蝕む毒

―――――声が聞こえた。

幼い少年の慟哭。

助けを求める叫び声。

嗚咽交じりの泣哭(きゅうこく)が、必死に誰かを呼んでいた。

 

『おにいちゃん!!』

 

叫んでいたのは童子だった。

薄汚れている白髪。

涙で濡れている真っ赤な頬。

童子(幼いベル)は、必死に小さな兄(幼いテクト)を呼んでいた。

―――――そういえばアイツは、昔はこんな風に俺を呼んでいた。

 

「バカ、さっさと逃げろって言ってんだろ!」

『できない!できないよ!いっしょに逃げよう、おにいちゃ……!!』

「いいから逃げろよ!邪魔なんだよ、お前!!」

 

背後で泣き喚くばかりの幼いベル。

目と鼻の先まで迫ってきているモンスター達を前に、幼きテクトは苛立っていた。

恐怖で動けず、いつまでも逃げない弟に。

そして誰よりも、自分自身が一番恐怖している事に。

 

『でも、それじゃおにいちゃんがっ!!』

「オレは……いいんだよッ!!」

 

言う事を聞かぬ弟。

迫りくるモンスター達。

背後は断崖絶壁、逃げ場無し。

辛うじて右手側に獣道があったが、既にモンスター達が立ち塞がっている。

一点突破で無理やり道を開いたとして、肝心の弟が今この状況で逃げ切れる可能性は無きにひとしい。

 

「くそっ……」

 

絶対絶命、四面楚歌。

この状況を、“今の”テクトは記憶として覚えていた。

これは昔、弟と裏山へ遊びに行った帰りに起きた出来事。

小さな兄が見ている懐かしい世界と同じ光景を、テクトはどこか他人事のように眺めていた。

 

「ベル!!見えるか、あのでっかい木」

『木……?』

「そう、あの木だ。俺が合図したら、一気にそこまで走れ。その先に道があるから、あとは道なりに進めば家に着く」

 

―――――そしてその後、俺が奴らをひきつけていれば全て上手くいく。

 

そう、あの時のテクトはそうした。

そうするしかなかった。

己を囮にする方法しか、あの時は良い方法が思い浮かばなかったのだ。

 

だが、それを幼き弟が良しとする筈も無い事を、当時の小さな兄は理解してなかった。

 

『ダメ!ダメだよそれは!!』

「なんでだよ!!お前が助かるにはそれしかないんだ!!」

『それでもダメ!独りなんてイヤだよ!!』

「ッ……この分からず屋!!バカ!!アホ!!お前なんかもう知らねぇよ!!」

 

ベルへの稚拙な罵倒が、小さな口から吐き出される。

だが、テクトはそんな小さな兄を責める事など出来やしない。

必死だった事を、誰よりも自分自身がよく知っていたから。

モンスター達を前に恐怖と戦い続け、挫けそうな心を奮い立たせ。

無様を見せないために、震えながらも剣を握り続けていた事を―――憶えているから。

 

あの時の小さな兄は、自分の事で精一杯だったのだ。

 

「こうなったら……」

 

動こうとしない弟に業を煮やし、小さな兄は一歩踏み出す。

嫌らしい笑みを浮かべるゴブリンを前に、短刀を構えて腰を落とした。

 

「っ……」

 

焦燥が、不安が、恐怖が、第三者のテクトにまで伝わってくる。

ともすれば短刀を取り落としてしまいそうになりながらも、必死に握り締めて。

弟の為、自分の為、駆けようとした―――――その時。

 

『兄さんッ!!』

 

幼き弟の頼りなさげな声は、一転。

凛々しく、どこまでも頼もしい怒声が、兄を呼ぶ。

 

『下がってて!!』

「え……?」

 

素っ頓狂な声を上げたのは、果たしてテクトか、小さな兄か。

どこから取り出したかも分からない黒い短刀を手に、白髪の少年は誰よりも早く駆けだす。

断末魔すら上げさせる事なく、瞬く間に全てのモンスターを切り裂いた彼を、小さな兄は―――テクトは唖然と見つめていた。

 

「ベル……?」

 

小さな兄にとっては、見知らぬ少年。

けれど今のテクトにとっては、かけがえのない弟で。

“ヘスティア・ファミリアのベル”は、これまで見たことの無いような笑みでテクトを見た。

その笑みは、いつものものと違っていて―――どこか、嘲笑を秘めているような。

 

『ねぇ、兄さん』

 

その声が、テクトの心を揺さぶり。

その笑顔が、テクトの瞳を揺さぶる。

 

『僕、もう大丈夫だから』

 

その先を聞きたくない。

その先を知りたくない。

なぜならそれは、他ならぬ自分自身が知っている事だから。

 

呼吸をする事も忘れ、テクトはベルを凝視した。

祈るように―――懇願するように、見つめた。

 

『だから―――――もう、いいよ』

「ッ……!!」

 

一笑と共に告げられた“戦力外通告”。

ナイフの如き鋭い言葉が、胸へ深く突き刺さる。

失意と絶望の中、テクトは静かに瞼を下ろした。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

「ぁあッ!!」

 

未だ誰も目覚めていない早朝。

テクトは目覚めるや否や、毛布を蹴飛ばしながら勢いよく上半身を起こした。

額には脂汗が滲み、寝起きだというのに心臓は酷く高鳴っている。

息苦しささえ感じるそれに思わず胸を押さえ、周囲を見渡す。

 

「ゆ、め?」

 

己を包囲していた筈のモンスター達はどこにも居ない。

幼いベルも、ヘスティア・ファミリアのベルの姿も見当たらない。

あるのは簡素な机と、天井で揺れている魔石灯。

そして、もう一つのベッドで寝ている同居者(ナァーザ)

 

(―――まさか、ここまで滅入っていたとは)

 

脳裏に鮮明に浮かぶ、ベルの嘲笑。

振り払うようにベッドを叩き、乱暴に音を立てながら立ち上がった。

 

早朝の静寂には不釣合いな騒音が、部屋に響き渡る。

 

「ん……」

「あ、やば」

 

不快そうにみじろぎした同居者。

だが起きる事はなく、再び緩やかに呼吸を繰り返しだした。

テクトは安堵したように息を吐き、今度は静かに足を進める。

 

(少し、頭冷やしてくるか)

 

夢は夢。

そんなものを気にしていては、ダンジョン探索に支障が出る。

一度気分を入れ替えようと、戸の取っ手を掴み外へ出ようとした―――その時。

 

「―――っ!?」

 

突如襲った、焼けるような胸の痛み。

呼吸すらできなくなるようなそれに、再び胸を抑えてしゃがみこむ。

 

「は……っ」

 

体中から汗がドッと溢れ、顔色はいつも以上に白い。

波のように押し寄せる嗚咽を堪え、取っ手に寄りかかるようにしがみつく。

が、ややもして耐えられなくなり、その手は取っ手からするりと抜け落ちた。

 

「ぐっ……!」

 

床に崩れ落ちる音が静寂を打ち破る。

その音に、不穏な気配に、動き出した影が一人。

 

「ん……?」

 

目を覚ましたナァーザが、虚な眼で部屋の戸を見る。

そして―――手足を投げ出すように横たわる青年を、見た。

 

「テクト……?」

 

寝間着のまま今なお苦しげに肩を上下させ、手が白くなるほど胸を押さえている灰髪の青年。

その明らかに異常な様に、ナァーザの虚ろな眼は驚愕に染まる。

やがて寝起きの半眼が、みるみるうちに丸くなっていった。

 

「……テクトッ!?」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

その後、テクトは完全に意識を喪失。

ナァーザは慌ててミアハを呼び出し、事の自体を知らせた。

 

「……うーむ」

 

顔色を白くさせてベッドに横たわる青年を前に、ミアハは唸る。

 

「これまでの疲労が祟ったのか?ただの風邪にしては様子が変なのは確かだが……ここ(ミアハ・ファミリア)では無理そうだ」

「そんな、ミアハ様……!」

 

懇願するような眷属の眼。

しかしミアハは、どこか考え込むようにして、苦しげに呻く青年を見守り続けていた。

 

「そのための設備もなければノウハウも私達にはない。だから、そんな私達がしてやれる事は……」

 

告げるミアハの視線の先には、ナァーザの右腕。

銀の義手に注がれる視線に、事を察したナァーザはあからさまに眼をいからせた。

 

「だ、駄目!それだけは……ディアンケヒトの手を借りるのだけは!!」

「だが、テクトを放って置いていいわけでもあるまい?」

「それ、は……」

「お前が意地を張った結果、テクトに万が一の事が起きたらどうする?その時、誰よりも後悔するのはお前だろう」

 

それを言われてはナァーザも弱かった。

テクトに対して“ただの仲間”以上の感情が己の中に芽生えつつあることを、他ならぬナァーザ自身が自覚しているのだから。

それに、例えそうでなくとも―――――これまでファミリアの為にダンジョンに潜り続けていた彼を見捨てることなど、出来やしない。

 

(助けてくれた恩返しだ、とか言ってたけど……)

 

ファミリアの一員であるとはいえ、何故そこまでテクトはダンジョン探索に熱心になれるのだろうか。

いつか、ナァーザはテクトに聞いてみた事があった。

テクトにだって、自分のしたい事、守りたい人が居る筈で。

それを放ってまで、何故毎日のように朝早くから夜遅くまでダンジョン探索に明け暮れる事が出来るのか、と。

 

そんなナァーザの問いに、テクトは当然のように返した。

受けた恩を返すのは、人として当たり前の事だろう―――と。

 

 

実際問題、テクトの働きはミアハ・ファミリアに多大な影響を与えている。

その際たるものが、借金の取り立てである。

ダンジョン探索による利益を銀の義手の借金に充てることで、あの男神(ディアンケヒト)の悪どい顔がこのホームに乗り込んでくる機会が格段に減ったのだ。

そして借金に対する余裕が生まれたことで、道具の販売に対する姿勢がナァーザの中で変わった事もまた事実。

 

ただ―――――

 

「ほんと……馬鹿だよ、テクトは」

 

ベッドの上で静かに寝息を立て始めていた青年。

その手に、ナァーザの掌がそっと重なる。

汗ばんでいるのだろう、彼の皮膚は少し湿っていた。

 

 

―――――自分を犠牲にしてまで返されても、ちっとも嬉しくなんかないのに。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

澄み渡る青い空も、すっかり夕焼けに染まった頃。

穏やかな時が流れる寝室に、可愛らしい寝息が一つ。

 

「すぅ……」

 

今日一日、テクトの看病につきっきりだった為だろう。

病人の眠るベッドに寄りかかるように、犬人(ナァーザ)はすっかり寝入ってしまっていた。

頭から生える耳はすっかり平伏し、呼吸に合わせて肩がゆっくりと上下している。

 

そんな少女を、ミアハは―――そしてついさっき目覚めたテクトも、優しげに見守っていた。

 

「心配……かけたようですね」

「うむ。あんな早朝に私を叩き起こすくらいだ、相当心配していたのだろう」

 

おかげで今日は寝不足だ、と笑うミアハに、テクトもつられて苦笑する。

 

「勿論、私も心配したんだぞ。これからは、体の不調を覚えたらすぐに伝えるようにな」

「はい……すみません」

「分かれば良い」

 

ミアハは満足げに頷き、やがて先ほどまで読んでいた本を片手に立ち上がった。

そのまま部屋を出ていこうとする主神に、テクトはベッド上で座ったまま頭を下げる。

 

「ご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」

「……迷惑?」

 

テクトの言葉に、くるりとミアハが振り返る。

 

「心配はしたが、迷惑を掛けられた覚えは無い。それはナァーザも同じだろう」

「しかし……」

「テクト」

 

その先は言わせないとばかりの、ミアハの声。

それはどこか寂しげで―――――テクトは思わず息を呑み、言葉を失った。

 

「どんなに世話を焼こうと、どんなに気に掛けようと、それは決して迷惑などではないんだよ―――――なぜか分かるか?」

「っ……いえ」

 

絞り出すように、青年は答える。

まるで叱られている子供のように俯いて。

ミアハの視線から逃れるように、背を縮こませて。

 

「“家族”、だからだ。もっとも、お前はそうは思っていないのかもしれないがね」

「ッ!!」

 

―――そんな事は……!!

 

どこか皮肉が込められているミアハの言葉に、テクトは再び顔を上げる。

向けられた視線を真正面から受け止め、否定の言葉を口にしようとした―――――が、出来なかった。

ミアハの“神としての威厳”が、それをさせなかった。

 

“嘘”を、許さなかった。

 

「ふはは、少々意地悪だったかな。だがなテクト、お前が私と同じ想いを今すぐに抱く必要は無い。ただ、私の想いを―――願いを、知っておいて欲しかっただけなのだ」

 

ミアハは怒らなかった。

悲しみもせず、ただ笑っていた。

肯定もしなければ否定もしない子供(テクト)を、優しげに見下ろしていた。

 

「悩みがあるなら相談しなさい。どんな些細な事でもいい。それがお前を蝕む毒であるなら尚更、な」

「あ……」

 

言うだけ言って、今度こそミアハは部屋を退出した。

寝息しか聞こえない静かな部屋に、戸の閉まる音が響く。

主神へ伸びかけた青年の手は、何を掴むわけでもなくベッドへ降ろされた。

 

「蝕む毒、か……」

 

意識を失う直前に感じた、胸が焼かれるような痛み。

あの痛みに、テクトは覚えがあった。

あの“胸が焼かれる感覚”を、テクトは知っていた。

ただそれが、今までは“痛み”というはっきりとしたものでは無かっただけで。

 

未だ眠りこけているナァーザの頭に手を乗せつつ、テクトは自嘲気味に笑った。

 

「俺はお前が羨ましいよ……ナァーザ」

 

兄弟の居ないお前が。

誰にも縛られる事の無いお前が。

縛る必要のないお前が。

羨ましくて、妬ましくて。

眼を瞑っているナァーザの前で、テクトは初めて弱音を吐露した。

 

―――もう俺は、“良い兄”を続けられそうにない。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

その翌日。

すっかり本調子を取り戻したテクトは、いつもの茶褐色の装備を身に纏い、青の薬舗の玄関口に立っていた。

その腰には黒い両刃剣が携えられ、黒い鞘の光沢が朝日で黒光りしている。

 

「本当に行くの?今日くらい休んでも……」

「昨日休んでしまったしな。今日は昨日の分も取り返さないと」

 

ダンジョンへと向かおうとするテクトに、どこか不満げなナァーザ。

原因不明の病で倒れた人間が、昨日の今日で早速戦闘に向かうというのだ。

当然、快く送り出せるわけもない。

 

「私も行けたら良かったんだけど……」

 

あの日(怪物祭の日)、モンスターの叫び声にすら震え上がった体。

口にはすれど、行ける筈も無い事をナァーザは理解していた。

 

「お前はお前でやるべき事があるだろ。俺の居ない間、ミアハ様と店を頼んだぞ」

「うん……」

 

背中越しに手を振り、やがてバベルへと向かっていった青年。

その背がいつもより小さく見えて、ナァーザは昨晩の事を思い出した。

 

「……続けなくて、いいよ」

 

実はあの時、眼を瞑ってはいたもののナァーザは起きていた。

だからテクトが口にした弱音も、しっかり聞いて覚えている。

 

「何もかも完璧な人なんて……居ないんだから」

 

それは、人間としての弱みを初めて見せた青年への激励。

もはやそんな呟きなど聞こえない所まで、テクトは行ってしまったが。

それでもナァーザは、そう口にせざるを得なくて。

 

誰ともなしに呟かれたそれは、誰の耳にも届く事なく虚空へと掻き消えた。

 


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