霞んだ英雄譚   作:やさま

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第十四話 失くした蓋

ややあって、ベルとヘスティア様は離れた位置にある壁の背後へと退避。

そんな彼らを尻目に、今なお憤怒の表情で佇むシルバーバックに視線を向けた。

その二つの赤い眼は、獲物を前に妨害された事への苛立ちに塗れている。

 

「ふぅ……」

 

白い巨猿を前に、自身を落ち着かせるように息を吐く。

というのも、二人に恰好良い事を言いはしたが―――その実、今の俺には不安要素しか無かった。

 

『ガァッ!!』

「っと」

 

体を少し左へと逸らしたその瞬間、先ほどまで居た場所へ巨大な拳が振り下ろされる。

硬く舗装された地面が砕け、舞う破片が頬を掠る。

しかしそれにも構わず、隙だらけな腕を銀の刃で真一文字に斬り付けた。

 

『ッ!?』

 

打撃音と共に強靭な腕が打ち払われ、巨大な体躯が僅かに怯む。

自身の右腕を庇うように退くも、腕が無事だと分かるや否や再度咆哮。

激昂し、がむしゃらに振り回された鉄鎖が縦横無尽に乱雑な軌跡を描く。

 

そう―――銀の両刃剣(ブロードソード)では有効打となりえないのだ。

特に大型モンスターの出現する10階層以降は、黒の両刃剣(アスタロン)でなければモンスターには切り傷一つ入れられない。

これはブロードソードが、劣化したモンスター(地上の子孫)に向けて作られた武器であるがゆえに、地下迷宮に存在する強力なモンスター(地下の祖先)を相手にするには力不足であるためで。

特に11階層に現れるようなこのシルバーバックが相手では、精々白毛を刈り取る程度の事しか出来ない。

鉄鎖を、時に避け、時に払い――――自身へ向かってくる何度目かの鉄鎖を剣で払った、その時。

 

銀の両刃剣(ブロードソード)が、いつもより重い悲鳴を上げた。

 

「んなッ……!?」

 

感じた異変。

白い刀身上に走る黒い線。

限界に達しかけた相棒を前に、一瞬思考が止まった。

 

『グオアァァァッ!!』

 

その隙を見逃さんとばかりに、一際大きく横へ振り抜かれた鉄鎖が眼前へと迫る。

避ける事も出来ず左脇腹へと直撃する直前、衝撃を緩和するように自ら跳躍。

そして勢いに乗っている鉄鎖を、そのまま腕の中へ引き込んだ。

 

「こんのッ!!」

 

歯を食いしばり、足に力を込め、腰を回して鉄鎖を曳く。

弛む事なく極限まで伸びきった鉄鎖は、綱引きのようにシルバーバックを前方へと曳き倒す。

 

『ガッ!?』

 

鉄鎖の繋がれている左腕は不自然に前へと伸び、前のめりになった事で顔は地面間近まで降下。

―――――やるなら、今しかないッ!!

 

「ッ……!!」

 

温存した力の全てを使い、全力でシルバーバックの顔へ接近。

傷だらけの銀の相棒を手に、だらしなく開けられている白い巨猿の赤い口腔へそれを突き立てた。

 

「喰らえ――ッ!!」

 

硬い外皮は貫けない。

だが、柔らかい口腔ならまだ可能性がある。

両顎の隙間を縫い、差し込むように放たれた銀の一撃。

―――――だが、それは他ならぬ両顎によって阻止された。

 

「っ!?」

 

刃が喉に触れるか触れないかといった所で、強靭な顎が刃を捕捉。

既に限界を迎えかけていたブロードソードは呆気なく“咀嚼”され、砕け散った。

折れた刃の断面が閉じられた歯と衝突し、情けない音を立てる。

 

―――やはり、地上の武器では駄目なのか?

―――俺が培ってきた経験は、共に歩んできた相棒は……この程度の存在だったというのか?

 

「くっ……!!」

 

いや、今は絶望している時ではない。

次の攻撃に備え、即座にその場を離れようとするが――――

 

「―――兄さんッ!!」

「え……?」

 

不意に差した不可解な影。

突如として耳に届いた声。

頭上を覆うシルバーバックの背後を覗き見ると、そこにはいつの間にか跳躍していたベルの影。

頂点まで跳びきったベルの体は、今にも降下を始めようとしていて。

手には、黒い短刀が握り締められていた。

 

「そこから―――離れてッ!!」

 

初めて聞いた、ベルの叫び。

強い覚悟と信念に彩られたそれが、心に痛い程沁みわたる。

太陽の光を受け煌めく黒の短刀が、そしてそれを携えるベルが――――酷く、眩しい。

 

「はあぁぁぁぁッ!!」

 

俺がその場から離れると同時に、空を舞い、風を纏ったベルの一撃がシルバーバックへと直撃。

体勢を崩していたシルバーバックは避ける事も出来ず、ついに魔石は砕かれる。

消え去ったモンスターの黒い灰は、撃破したベルを祝福するように宙を踊り、彼方へと消え去った。

 

 

 

「ベル……」

 

そこに、今まで俺が守ってきた“弱い弟”は居なかった。

今目の前に居るのは、たった一人の神様を守るため戦った“一人の男”。

俺が守るべき存在は、すでに大きく成長していた事を思い知らされた。

 

「本当に……強くなったな」

 

きっと届くはないだろう、小さな呟き。

事を終え、やがて神様のもとへと駆けだしたベルを目だけで見送り。

俺は、守るべき存在を守り切った彼に背を向けて、静かにその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

テクト達の居る袋小路から伸びる、唯一の道。

昼も過ぎ仄暗くなりはじめた一本道には、いつから居たのか二人の女性が佇んでいた。

 

「ほぇ~。なんや、アイツらも中々やるやん。ま、アイズたんには敵わんけど」

「ロキ……」

 

茶化すようなその物言いに、装備を身に纏う金髪の少女―――アイズ・ヴァレンシュタインが眉を顰める。

ただその変化自体は非常に僅かで、見る者が見なければ気付く事も無いだろう。

 

「そう怒るな、アイズたん。これでも褒めてるんや―――特に、あの灰髪の男にはな」

「……気になるんですか?」

 

小首を傾げ、問うた少女。

燃えるような赤い髪の女性―――ロキは、快活に笑って大きく頷いた。

 

「勿論や!これまでファミリアに所属した事が無かったにも関わらず、初期レベルが3という桁外れのバケモノ!気にならん方がおかしいやろ。ま、アイズたんの方が上やけどな」

 

一々己を引き合いに出す我が主神。

少女の眼は完全に呆れ返っていた。

 

「けど―――惜しいな。アレは良いモノを持ってるが、周りに縛られ過ぎてるわ」

「縛られてる……?」

「せやせや。変に周りに振り回されて、満足に成長しきれとらん……あぁ、惜しい!ミアハんとこにもう居るのが本当悔しいわぁ」

 

初期レベル3のテクト・クラネルは、オラリオでも一時期大きな噂になった。

特に神達の間では、既にファミリアに所属しているにも関わらず誰しもがこぞって勧誘しようとした程に有名だった。

ただ、テクト本人はミアハ・ファミリア以外考えられないようで、そのことごとくを振り切ったという。

 

「……てゆーか、アレはまだミアハんとこのファミリアに入って一年も経っとらん。誘うだけ無駄なんやけど、まぁそれほど神達も喉から手が出るほど欲しい奴ってこっちゃな」

「所属してから一年は改宗が行えない……」

「そゆこと。ミアハにとっちゃあ奪われる心配が無いわけやけど、レベル3を抱えるとなるとこれから大変やろなぁ」

 

今までは、弱小ファミリアとして眼も向けられていなかったミアハ・ファミリア。

だがレベル3のテクト・クラネルを見事眷属として迎えて見せたことで、目立つ存在となった事は間違いない。

 

そうやってロキと密談をしていた時、ふとアイズは気配が増えている事に気付いた。

モンスターが倒されたからであろう、隠れていた住民達が一挙に姿を現しはじめたのだ。

徐々に人がベル達のもとへと集まっていく中、何故かテクトの姿だけが見当たらず周囲を見渡す。

 

何となく気になって懸命に探っていたアイズだったが、テクトの姿は予想外にもすぐに見つける事が出来た。

 

「あ……」

「……」

 

思ったよりもテクトはすぐ近くに居た。

どうやら彼は、住民達の流れに逆らうように歩いてきたらしい。

アイズ達に気付き一目見るも、やがて何事もなかったかのようにその横を通り過ぎ去っていく。

腰から下げられた刃先の無い柄が、彼の動きとともに寂しげに揺れていた。

 

「……ロキ」

「あぁ、アイズたん。言わんでもええ」

 

通り過ぎる瞬間、かちあった視線。

何かを察したアイズに、ロキはテクトの背に視線を向けたまま頷いた。

 

 

「ほんと―――うちならあんな眼、させんのにな」

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

弟は―――いや、ベルはもう俺の助けなど必要としていない。

俺が守るべき存在は、既にこの世界には居ない。

俺の兄としての存在意義は、もはや消えたも同然だった。

本当は喜ぶべきなのに、どこか寂しくもあるのは―――きっと、俺がアイツに依存し過ぎていたのだろう。

 

ベルは俺の気付かぬうちに成長していた。

オラリオに来て、ヘスティア・ファミリアに所属したことで、ベルはすっかり変わっていた。

この一ヶ月にも満たない期間で―――ベルは、あんなにも巨大なモンスターを倒す事が出来るようになっていた。

 

「一ヶ月……か」

 

自嘲するように、その短すぎる年月を反芻する。

再び首をもたげたあの感情(黒い感情)は、いつにも増す大きな勢いで俺を呑み込んでいく。

 

―――――俺がモンスターを足止めしたから、なんていう言い訳をするつもりはない。

ベルの武器がブロードソードよりも優秀だったから、なんて言い訳もするつもりはない。

俺の振るった相棒(ブロードソード)は砕け、ベルの振るった武器(黒い短刀)はモンスターを貫き、撃破した。

事実は非常にシンプルで―――目を背けたくなるほどに過酷だった。

 

「……」

 

長年連れ添った相棒が砕け散った、あの時……きっと俺の心も、一緒に砕け散ったのだろう。

地上で費やしてきた長い年月が、まったく無碍なものであったかのように感じて。

地上での経験が、全て無駄で意味の無いものであったのだと、シルバーバックに宣告されたような気がして。

 

「ベル……」

 

―――――よく頑張った。

―――――俺はお前を誇りに思う。

―――――おめでとう、お前はもう一人前の男だ。

 

胸中での彼への賛辞を、俺は口にしなかった。

強くなったという、事実を改めて確認するような言葉しか出なかった。

俺はベルを、素直に褒める事が出来なかった。

 

だから俺は、アイツの前から逃げたんだ。

 

(ほんとに、心の狭い奴だよ俺は……)

 

天才的な成長速度。

無様な姿を晒した自分とは対照的に、眩しく見えたベルの姿。

―――――神様を守れて喜んでいたベルが、どこまでも憎らしくて。

 

「ごめんな、こんな兄貴で」

 

弟に嫉妬して。

才能に嫉妬して。

別行動を選んだ過去の俺の選択を悔やんで。

これまでの覚悟が、実体の伴わない半端なものだった事に気付かされて。

 

こんな俺が、英雄になるというお前に相応しいわけがない。

 

 

 

そうして思考に耽っていると、気付けば自身の足はバベルに辿り着いていて。

果てなく高い神の住む塔を、果てなく深い地下迷宮への入り口を、俺は無感情に眺めていた。

 

「ダンジョン、か」

 

きっとベルのような強さを持っていたなら、無我夢中でダンジョンの奥深くへと潜ろうとするのだろう。

弟の強さに叱咤され、激励され、モンスター相手に危険を冒してまで力を付けようとするのだろう。

―――――ここで踵を返してしまうのが、俺とアイツの決定的な差なのだろう。

 

「あれ……テクトさんじゃないですか」

 

そのまま帰ろうとするも、名を呼ぶ声に足が止まる。

振り返ると、そこにはいつもの青いローブに身を包んだシオンが長杖を手に立っていた。

 

「シオン?お前、なんで―――」

「あぁ、よかった。モンスターが暴れてたんですが、テクトさん無事だったんですね。心配したんですよ」

「……そうか。俺も、お前が無事でひとまず安心―――――」

「ところでテクトさん、これからお時間ありますか?」

 

こちらの言葉をことごとく遮り、嬉しそうに聞いてくるシオン。

その遠慮の無さに口端が引き攣るも、平常に努めてその意味を聞き返した。

 

「時間?あるにはあるが……」

「それなら、これから一緒にダンジョンに潜りませんか?僕、もっと強くなりたいんです!」

「はぁ……?」

 

いわく、先ほどシオンは街中で暴れていたモンスターを瞬殺した冒険者を見たらしい。

その強さに当てられ、もっと自分も強くなりたいと思ったのだ、とシオンは熱のこもった視線を向けて語ってきた。

 

「そんなの明日でも」

「今じゃなきゃ駄目なんです!ダメ、ですか……?」

「うっ……」

 

―――――そんな潤んだ目で切なげに訴えかけるのは卑怯だろうっ!

 

「……分かった。けどホームから武器を持ってくるから、それまで待っててくれるか?」

「はい!ありがとうございます」

 

潤んだ目はどこへやら、シオンは楽しげにそう告げた。

その純粋な笑顔に、俺は救われて。

まだ必要とされている事が、俺は嬉しくて。

 

 

―――けれど、やっぱりそれでは結局根本的な解決には至らないのだ。

逃げはどこまでいっても逃げでしかなくて。

生まれた黒い感情は、未だくすぶり続けている。

 

それを抑えるための“いつもの蓋”を、俺はすっかり失くしていた。

 


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