霞んだ英雄譚   作:やさま

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第九話 10年の重み

 

それから、俺は幾度にもわたってダンジョンへと一人で潜り続けた。

自身の体に巡る、暴れ馬のような力を制御するために。

最初は走るという動作一つとっても中々上手く行かなかったが、繰り返していくうちに無駄な動きが少しずつ減少。

それに加え、モンスターの動きにも適応できるようになってきたら階層も進めていく。

そのような事を一週間も繰り返した頃には12階層にまで到達し、お金も大分溜まっていた。

―――――もっとも、ミアハ様やギルド職員のミィシャには危険であるとして良い顔をされなかったが。

 

そしてついに、俺は初めてオラリオで装備を買った。

バベル8階のテナントで購入した、下級鍛冶師が作ったと思われる黒い両刃の剣―――――銘は、アスタロン。

 

「ほう……」

 

すらりと伸びる、細幅の黒い刀身。

質実剛健で、飾り気は無いがシンプルでよく手になじむ柄。

刃渡りは銀の両刃剣(ブロードソード)よりやや短く、およそ50C程度といったところか。

ただその分軽量で、手に持っても何も違和感が無い。

 

思わず吐息を漏らす程、俺はその黒い両刃剣(アスタロン)に一目惚れしていた。

一つ残念な事があるとするなら、何故かこの剣だけ製作者の名が明記されていなかった事か。

このような武器を作れる人に会ってみたいが―――――名前が無い以上、それは叶いそうにもない。

 

予想以上に武器への出費が抑えられた事もあり、その後俺は茶褐色の軽装用防具とインナー用の黒の上下衣、銀の両刃剣用の鞘を購入。

そして最後に普段使い用のフード付きの麻色のローブも購入したところで、所持金は残り僅かとなった。

 

「さすがに奮発しすぎたか……?」

 

とはいえ、無駄な物を買ったつもりは一切ない。

防具は探索でやはり必要になるし、武器だって銀の両刃剣(ブロードソード)が万が一にも折れた時の為にもう一本欲しいと思っていたところだった。

丁度ベルくらいの年に購入したこの剣は、なんだかんだで5年来の付き合いなのである。

むしろ、今まで折れずにいてくれた事のほうが奇跡ではないだろうか。

ただ、愛着が湧いている事もあり手放すのも勿体なく、しばらくは二本持ち歩く事になるだろう。

 

(今までなら、絶対に二本も持とうとはしなかっただろうけどな)

 

銀の両刃剣の刃渡りは約60C、重さは1Kを僅かに超える。

常に1Kの重りを腰にぶら下げているようなものなのだ、その上もう一本両刃剣を所有するなどあり得ない。

それこそ―――――神の恩恵のような力が無ければ、考え付きはすれど実行はしないだろう。

 

「ほんとに……今までの俺の苦労はなんだったんだか」

 

剣一本構えるのに四苦八苦していた、幼き頃の自分。

ようやく構えが様になったのが、確か11歳の頃。

その一方で、ダンジョン初探索時のベルはどうだっただろうか。

ある程度体が出来ていて、短刀自体がそれほど重くないというのもあるが、中々どうして様になっていた。

成長した弟の姿を見れて嬉しかったが、それ以上に―――――

 

「―――やめよう」

 

一瞬湧いた、黒い感情。

一度考え出してしまえば、それは湯水のように湧き続け。

臭いものには蓋をするように首を振り、醜い感情を覆い隠した。

新しい地での生活にきっと疲れているのだ、自分にそう言い聞かせて。

 

(……今日はもうあがるか)

 

探索帰りにバベルへ寄った事もあり、既に陽は落ち夕暮れ時。

そうでなくとも、もう一度ダンジョンへ潜る気にはなりそうにない。

右手側に下げた黒い両刃剣の柄を握りしめ、朱く染まった空の下、どこへともなく歩き始める。

 

「たまにはいいだろ、こういうのも」

 

気が向くまま、思いがままに。

右へ左へ、直感に従ってオラリオを彷徨ってみよう。

そうすればきっと、この街の良さが分かるかもしれない。

 

 

そして……故郷を出たことへの後悔も、忘れられるかもしれない。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

東と南東の大通りに挟まれるようにして存在する、ダイダロス通り。

貧困層が多く住まうその区画は、乱立した家々によって迷路のように入り組んでいて。

そんな迷路を縫うように、小柄な人影が走り続けていた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

―――――荒い吐息が路地裏に響く。

薄暗い裏道を駆け続けて、一体どれだけの時間が経っただろうか。

走っても走っても、心臓の鼓動は落ち着く事なく激しく脈動し続ける。

今にも背後の闇から手が伸びてくるような気がして、胸中の不安は風船のように際限なく張りつめていく。

 

崩れかけた階段を、舗装が剥げた通りを、枯れ果てた花壇を越え、ただひたすらに逃げ続ける。

 

「あれは……!!」

 

壁面に描かれた矢印が眼に止まる。

アリアドネとも呼ばれているそれは、ダイダロス通りを出る際に住民が用いる出口への道筋。

さらに聞こえてきた喧騒に、小柄な人影は笑みを浮かべた。

―――――間違いない、ここを曲がれば大通りに出られる……!

 

人の多い大通りに出てしまえばこっちのもの。

森の中に木を隠すように、人混みに紛れて追手から逃げ切る事だってできるはず。

最後の力を振り絞り、疲れ切った足に力を込める。

闇に捕まるまえに。

 

早く、ハヤク―――――

 

「―――――見つけたぞ」

「ッ!?」

 

突如、目の前に現れた大柄な男。

丸太程の太さがある大きな腕が、気付けば目の前にまで迫っていて。

蜘蛛の糸(アリアドネ)へと飛んだ私の体は、呆気なく打ち落とされた。

 

「ぅあ……!!」

「やっと見つけたぞ盗人め!さあ、盗んだものを返してもらおうか」

 

―――――迂闊だった。

“こういう事”には疎そうに見えたのに、まさか気付かれてしまうなんて。

怒りに燃える男の眼光に、足が竦み体が震える。

 

立ち上がることすら忘れ、私は男を……背丈以上もある大剣を、懇願するように凝視する事しか出来なかった。

 

「さあ、もう観念しな」

 

もう逃がさないとばかりに、男は大きな剣を構え。

そして――――― 一気に、振りぬいた。

 

「―――ッ!!」

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

身を縮こませ、迫る衝撃に目を瞑る。

……けど、それだけだった。

振り抜かれた筈の大きな剣は、いつまでたっても私に直撃する事はなく。

張り裂けそうな程の心臓の音ばかりが、煩く耳に響いている。

 

「……誰だ?」

 

困惑しているような、男の声。

明らかに私へ向けられているものではないそれに、私は恐る恐る顔を上げた。

 

「英雄の兄、かな……予定だが」

 

さっきまでは居なかった、第三者……あるいは、部外者。

麻のローブを身に纏う男が、私の前に立っていて。

白い両刃剣を携え、大柄な男の大きな剣を片手で抑え込んでいた。

 

「ふざけてるのか?そこを退いてくれ、君には関係無いだろう」

「あぁ、そうだな。けど、きっとアイツは関係なくても女の子を守ろうとするだろう……だから」

 

甲高い音を立て、大剣が白い両刃剣によって弾かれる。

その呆気なさに、私だけでなく大柄な男も驚きに眼を見開く。

 

「なっ……レベル2だぞ、俺は!?それがどうして……」

「俺は、アイツの気持ちが知りたい。何故そこまで英雄に恋い焦がれるのか……」

「い、意味の分からない事を!!お前は何なんだ!?一体どこのファミリアの……っ!!」

 

若い男が一歩近づくたびに、男も一歩退く。

男の眼は、化け物でも見たかのように恐怖一色に染まっていた。

 

「なぁ……英雄ってのはそんなに凄いのか?」

「ひっ……」

「アイツを守るという俺の意思は……そんなものに劣る程、弱くてみすぼらしかったのか?」

「く……来るなぁぁぁぁ!!」

 

恐怖。

あるいは、畏れ。

抑揚のない彼の言葉は、まるで幽霊のように覇気がなく虚ろで。

落とした剣も拾わず走り去っていった男を、私は笑う事など出来なかった。

 

「なぁ、小人(パルゥム)さん。アンタはどう思う?」

「ッ……」

 

くるりと、若い男は麻のローブを翻し踵を返す。

白い両刃剣を抜いたまま、男は私を冷たく見下ろした。

―――――いや、これは冷たいというより……

 

「ま、他人に聞いてもどうしようもないよな」

「……?」

 

この時初めて、目の前の男の声に覇気が宿る。

苦笑しながら剣を納め、私に背を向けた。

 

「何があったか知らないけど、気を付けて帰れよ。盗人さん」

 

先ほどとは別人のような笑みを湛え、先ほど逃げた男の道筋を辿るように歩き出す。

ただ……その背中は、あの大剣を弾き飛ばした者とは思えない程に弱々しく見えた。

 

「……変な人」

 

なんで、盗人だと分かっていて助けたのか。

なんで―――――あんな、悲しそうな目をしていたのか。

あの男の真意が、私にはよく分からなかった。

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

結局、オラリオをぶらついていたテクトが青の薬舗に帰ったのは、月も昇りきった深夜であった。

 

「テクト、今日は遅かったじゃない」

「まぁな……」

 

返事もそこそこに、テクトは麻のローブを脱ぎ捨ててそのままベッドへとダイブする。

全身で疲れていますと主張する青年に、ナァーザは苦笑する。

 

「明日もまたダンジョン?」

「……明日は行かない」

 

億劫そうに答えたテクト。

本当に疲れているのだと察したナァーザは、それ以上の言葉を交わそうとはしなかった。

 

 

 

 

 

―――――そして翌日。

調子に乗って5階層まで降りたベルは、ロキ・ファミリアが取り逃したミノタウロスに襲われる事となる。


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