綺麗に磨かれたガラスの二重自動ドアをくぐり、
たっぷりと採光されたエントランスに踏み込む。
どこか懐かしい消毒薬の匂いがかすかに漂い初め、心地よい暖気が冷えきった体を包んだ。
「はぁ~.....」
安堵のため息が漏れる。
二〇二六年十一月七日、あの歴史的犯罪とも言える大事件が解決してから、ちょうど二年の月日が経った。
俺、桐ヶ谷和人はまだまだ新築感の残るこの横浜港北総合病院を訪れていた。
カウンターで受付を済ませ、リノリウムの床を目的の部屋まで歩いていく。
現代の日本人、とりわけネットゲーマーにとって十一月七日という日は一種の記念日になりつつある。
およそ6000人が囚われの身から解放された日、狂気の事件が終息した日、逆に3000人以上が助からなかったことを哀れむ日と捉え方は人それぞれである。
実際にテレビでもとりあげられ、祝福と黙祷を促す放送局もあった。
当事者である俺もどこか気恥ずかしい思いを感じながらも、これから出不精の患者を引きずってエギルの店で行われるクリア記念日オフ会に参加する予定である。
もちろん、すでに外出許可は貰っている。
もちろん、本人は知らない。
............倉橋先生ありがとうございます☆
歩きながら俺はふとこれから会う『あいつ』についての記憶を掘り起こす。
水無瀬 悠《みなせ はるか》
あの囚われの二年間で誰よりも前に進み、未開のエリアを開拓し続けた《ユウ》というプレイヤー。
怠惰で、皮肉屋で、卑怯。
そんなのが服着て歩いているようなヤツのくせに、誰よりも人の命を大事にし、
誰よりも現実的な思考をするくせに何処までも型破りな行動をする少年......
ようやく、目的の部屋の前まで来た。
ノックを1回..................反応が無い。
更に、もう1回..................反応が無い。
..................居留守だな。
こういう時、不在であると思わないあたり、桐ヶ谷和人は水無瀬悠をよく理解していると言える。
一応、3回目のノックをして声を出しながら扉をあける。
「おーい、入る「もうっ!ユウ読むの早いよ!戻って戻って!」ぞ.........」
突然の少女の声に遮られた。
「うるせぇな、オレの毎週の楽しみなんだ。邪魔すんじゃねぇよ」
「そう言いながらも戻ってくれるのがユウだよね~やっさしい♪ でもねーボク、マガ●ンよりもジャ●プのほうがよかったなー」
「人の肩使って雑誌読んでおいて、文句言うとか...........
っていうか、良いだろマ●ジン、面白いのいっぱいあるし」
「えぇー、ジ●ンプのほうが絶対いいって、わくわくするじゃん!」
「はいはい、熱血大好きジャ●プ娘の紺野ちゃんにはマガ●ンの良さは理解できないんですねー。
友情!(笑)努力!(笑)勝利!(笑)ってかぁー?」
「あーっ!今、ジャン●読んでる人全てをバカにしたからねっ! だいたい、月曜日にユウもジャ●プ読んでたくせに!」
「ふっ、当然だろ?月曜日は誰もが少年の心を甦らせる日なんだよ!」
「............なにいってるの?」
「おいこら、なんでそこでガチ引きしてんの?オレがテンション上げんのってそんなにダメなの?泣いていい?」
「いいよ♪ボクに抱きついて存分にお泣き?」
「............無い胸をはってそんなコト言われても(笑)」
「なっ!?、ひどっ!っていうか、そっちからじゃボクの姿わかんないじゃん!」
「声でわかるわ(笑)」
「むぅ~ ボクだってまだまだこれからなんだもん!!」
「おい、いい加減に気づけよ」
このままじゃ、ずっと気づかなさそうだったので、和人は今度は遮られないようなタイミングで声をかけることにした。
つーか、ユウのほうは絶対気づいてただろ......
「おーキリトだー ヤッホー」
「こんにちはユウキ リハビリは順調みたいだな」
「おい桐ヶ谷 なに勝手に入ってきてんの?ノックって知ってる?」
「知ってるよ!さっき3回もやったぞ!」
気づいてなかったのかよ......
目の前には少年が1人ベットに腰掛け(少年といっても見た目だけで実年齢は20歳を越えてはいる)、肩にはドーム型の機械《視聴覚双方向通信プローブ》がつけられている。
このプローブは本来、『娘』であるユイのために俺が開発したのだが、今となってはこのユウキという女の子が使用しており、肩に載せてる頻度ではユウが一番多い、それだけなら直接、不満を伝えられるのだが、このおかげで《メディキュボイド》開発者の高橋医師と関わりができたというプローブの作製者としては喜ばしいことがあったりもしたため、妙にモヤモヤした思いが胸のうちに残っている。
まぁ、それがなくともアスナに上目遣い+涙目でお願いされて断れる人間がいるはずがないのでこれに関してはなにも言うまい。
「ねぇ、キリト!キリトはもちろんジャ●プ派だよね!マ●ジンなんて邪道だよね? あ、ちょっとユウ今のとこもっかい見せて」
「現在進行形でマ●ジン読んでるヤツのセリフじゃねぇだろ...... だいたい、この熱血バカにそんなわかりきったコト聞くんじゃねーよ」
「いや、まぁ確かにジャ●プは好きだけど、君たちサ●デーって知ってる?それともさっきから意図的に省いてんの?」
「「サンデー?今日は水曜日だけど??」」
「......聞いた俺が悪かった」
時刻は14時21分
時間もあるし少しお喋りでもしてから連れだそうと考え俺は隣の空いているベットに腰をおろした。
俺、桐ヶ谷和人とこの水無瀬悠はSAOサバイバーである。
二〇二二年 茅場晶彦によって引き起こされたSAO事件。
プレイヤー1万人を仮想世界に閉じこめ、ゲームクリアを目指させる。ゲームオーバーは本当の死を意味する正真正銘のデスゲーム。
その中で俺はたくさんの仲間と出会った。ユウもその中の一人だ。
俺たちが囚われのプレイヤーになってからおよそ1年、浮遊城アインクラッドではある噂が流れ初めた。
その噂は到底真実味が無い内容なのに消える気配はなく、あまりに突拍子な話のため一種のお伽噺のように扱われた。
さらに、あの情報屋《鼠》がそれに関する情報をただ1つも『売らなかった』という真偽不明の噂。
曰く、『SAO でのトップランカーである攻略組。その攻略組の誰よりも早く先に進んでいるプレイヤーがいるらしい。そのプレイヤーは迷宮区の宝箱には一切触れず、危険なトラップは解除して、先に進む。 攻略組はそのプレイヤーが歩いて馴らした安全な道を進んでいるに過ぎない。』と色んな意味でありえないと思える噂である。
これから紡ぐのはその噂話の原点。
《英雄》キリトが《魔王》ヒースクリフを倒すまで、おそらく誰よりも『攻略』をし続けてきた影の功労者「おい」......
「.....なんだよ?」
「その言い方だとまるでオレが労働厨に聞こえるだろーが、つーか、何が《英雄》と《魔王》だよ、《ビーター》と《チーター》にしとけ。」
「頭の中でくらい何て言ったって別にいいだろ!っていうか、ナレーションに口出ししてくんなよ!!」
これは《黒の剣士》キリトが《神聖剣》ヒースクリフを倒すまでの裏側で行われる「言い直しやがった(笑)」「うるさい」......
怠惰で、皮肉屋で、卑怯。
そんなのが服着て歩いているようなヤツのくせに、誰よりも人の命を大事にし、
誰よりも現実的な思考をするくせに何処までも型破りな行動をする少年ユウ。
後に《先駆者》という噂としてアインクラッド中に広まるプレイヤーの物語
さしあたっては、この文言で始めよう。
『オレ』はふとあの日のことを思い出していた。
全てが終わり、そして始まった、あの瞬間を......