八幡と、恋する乙女の恋物語集   作:ぶーちゃん☆

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意外にも、一色いろはのあざと可愛さは思いのほか効いている。

 

 

 出会い頭のコントじみたやり取りを終えた俺と一色は、一体どこに向かっているのやら、駅前を離れ、中央の大通りを歩いている。

 前回のデートもどきでは、まず『行き先を決める』という目的を決めるのが大変な作業だったものだから、今回のように一色が先に行き先を決めてくれているというのは、俺のようなお一人様上級者にはとても助かるというもの。

 

『プレゼントはまた今度ということで』

 

 それもそのはず。なぜなら、今回のお出掛けは決してデートなどではなく(前回もデートって言われるまで知らなかったけどね!)、一色の欲する物品を仕入れに行くだけという、単なる買い物(カツアゲ)なのだから。

 すなわち前回のような、行き先を俺に決めさせ、都度それを小馬鹿にし、批判し反対し諦め、嫌々ながら付いてくる……という査定地獄をスルー出来るのである。やったね、ラッキーだね!

 いや、もうマッ缶以外のプレゼントも部室でのサプライズパーティーで献上してるし、今日はただのカツアゲなのだからどこにもラッキーの要素はない。なのになんだかとても幸運を感じてしまっている俺は、どうやらかなり御主人様(いろはす)に飼い馴らされてしまった忠犬のようだ。わん!

 そんなお利口な忠犬らしく、前ゆく御主人様の三歩後ろに控えて、忠誠を誓うかのように尻尾を振っていたのだけれど……

 

「で、今日はどこに連れてってくれるんですか?」

 

 不意に、愉しげにふわふわ弾む亜麻色の髪が、進む速度をほんの少し緩め、すぐ隣に並びかけてきた。

 

「え?」

 

「いやいや、え? じゃなくて」

 

 とてとて歩きながら、隣から覗き込んでくる愛らしい後輩は超笑顔。いつかと同じようにヒールの高さ分いつもより近くに感じる整った顔立ちは、きらきらに輝いている。

 恐い恐い恐い。あと一歩ではるのんかな? って構えちゃうくらい圧がマジやばい。

 え、ちょっと待ってね? だって君さぁ、待ち合わせが済んだあと『じゃ、行きましょっか』って勝手に歩き始めたよね? だから八幡、忠誠発揮してお利口に付いてきたんだよ? リード引っ張られる前に自主的に歩き始めた俺マジ忠犬。

 なのに『どこ連れてってくれる?』ってどゆこと? お散歩コースは御主人様が決めてくれないと、わがままな駄犬になっちゃうよ?

 

「……もう買いたいもんとか決まってんじゃねぇの……?」

 

「? 買いたいものとは?」

 

「は? お前の誕生日プレゼント買いに行かされるんじゃないの? 今日」

 

「は? プレゼントこないだ貰いましたけど」

 

 ……あっれー? 相互理解が足りてないみたいだぞー? 足りてないどころか、一方通行を逆走し合ってるまである。

 何言ってんだこいつと言わんばかりの胡乱気な視線を向けてくるいろはす。よし、ここは何言ってんだこいつをレンタル期限内に返却してみよう。

 

「何言ってんだこいつ。こないだ言ってたろ、『プレゼントはまた今度ということで』って。だから俺、今日連れ出されてんじゃないの?」

 

 完全論破で言ったった。あの論破王も真っ青である。

 するといろはす、それあなたの感想ですよね? と言わんばかりにやれやれと呆れ笑いを浮かべると、アメリカナイズされた大仰なジェスチャーを交えて、はぁと溜め息を吐き出した。

 

「それはサプライズパーティーの前の話じゃないですか。そのあとちゃんとプレゼント貰ったんだし、その話はもう済んでますけど。何言ってんだこいつ」

 

 返却したばかりなのにまた貰っちゃった! 論破のご返却と合わせて、ご丁寧な即日対応ありがとうございます。

 

「え、じゃあ俺なんのために休日に呼び出されたわけ?」

 

 プレゼント(仮)のマッ缶はい・ろ・は・すとの交換会で相殺され、その代わりという名目のプレゼント要求は当日済んでいるという。

 では今日の目的とは、一体なんなのだろうか。さっぱりわからず首を捻っていると、弛緩し切った空気から一転、彼女はふふっと艶めかしく微笑んだ。

 つい今しがたまでしょーもない漫才を繰り広げていたというのに、突如、呆れ半分ではあるものの、その中には愉しさも嬉しさも半分以上混じっているような、そんな優しくも妖艶な微笑を浮かべた一色に、俺の心臓はどきりと震え、喉からはごくりと生々しい音が響く。

 そして彼女は、身構え、緊張を隠せないでいる俺の姿にご満悦なご様子で、甘く妖しく、こう告げるのだ。

 

「……だからこの前言いましたよね。プレゼントは、……ただの言い訳だって」

 

「……っ」

 

 言い訳。

 あの日、何に対する言い訳だとうすら寒いすっとぼけを返す前に、彼女はその場からそそくさと去っていってしまった。

 何を返されるのかと腰が引けて、ちゃんと問い返すのを躊躇ってしまったツケが、まさかこんなところで回ってこようとは。

 俺との週末の予定を立てたい、しかしその機会を得るには中々骨が折れそうだから、プレゼントという言い訳を上手いこと利用して、まんまと俺を連れ出す約束を取り付けることに成功した。

 そんな、まるで俺に特別な感情があるとも取れるような言い回しの、あの日の『言い訳』という言葉選び。そんなものは、ただの都合のいい妄想でしかなく、下らない解釈にしか過ぎない。

 しかし、そんな気持ちの悪い身勝手な解釈が、もしもただの杞憂で終わるものではなかった場合、それはつまり、つい先日大切なパートナーが出来たばかりの俺にとって、とてもマズい事を意味してしまう。

 

 だから俺は、あのとき腰が引けてしまったのだ。

 そんな自意識過剰で自惚れが過ぎる理由付けが、頭の片隅に浮かんでしまったものだから、そんな己の気色悪さから逃れるために、一色を呼び止めるのを躊躇ってしまった。

 

 心の中で渦巻いているそんな葛藤を知ってか知らずか、彼女の作り出すからかいを愉しんでいるかのような、それでいて単なる照れ隠しのはにかみ笑顔のような……、いつもとは違う、とても緊張感のある朱の差した頬と真っ直ぐな瞳。

 一色の纏う揺れ動く感情から逃れるようにすっと目を逸してしまった俺の、なんと情けないことか。

 そんな俺に彼女は目を細め、とろけるように優しく……

 

「……せっかく約束取れたので、今日は単純に二人でお出掛けしたかっただけです。……わたし、先輩とまたデートするの、あの日からずっと楽しみにしてたんですよ?」

 

 そう、そっと囁いた。甘い吐息のように、耳元に艷やかな唇を寄せて。

 

 全身を擽られたかのようなその囁きに、頭も、顔も、耳も、身体も、どうしようもないほど熱くこしょばゆくなる。

 待て待て落ち着け待て。これはあれだ。いつもの弄ばれてるだけのやつだ。転がされるだけ転がされて、いざ引っ掛かるとざまぁと笑われるのがオチの、いつもの定番に決まっている。

 そんなこと解り切っているというのに、今しがた目にした、いつもとは違う一色の……緊張と期待を孕んだ、潤んだ瞳と真っ赤に染まった頬が頭から離れてくれず、鼓動が早鐘のように鳴り響き、喉の渇きが尋常ではなくなる。

 加えて、気まずさと苦しさに肺が大量の酸素を欲してしまい、つい、逸していた視線を上げてしまったのだ。

 ……そこで合ってしまった。一色いろはの、俺の目を捉えて離さない、湖畔のように澄んだ美しい瞳と。

 

「えぇ……」

 

 そこにあったのは、愛しい異性に秘めた想いを打ち明ける、覚悟を決めた儚げな少女の瞳……などでは決してなく、思わずぶっ殺したくなるくらいの、にやぁっとしたとっても邪悪な笑顔でした!

 

 

 

 

 ふぇぇ……! だから自意識過剰な自惚れとか嫌なんだよぉ……! いつまで弄ばれて、いつまで黒歴史量産すれば、神は俺を許してくれるのん?

 なにが一番ぶっ殺したいって、ちょっと彼女が出来たくらいで軽く調子に乗っちゃってた自分をぶっ殺したい。誰か俺に安らかな眠りを下さい(白目)

 

 肩を小刻みに揺らし、勝ち誇ったかのように笑む一色。目が潤んでたのは笑いを堪えてたんですね!

 なろう系チョロインもかくやという程、またしてもいとも容易く弄ばれてしまったことが口惜しくて、でもそれをこの後輩に悟られるのが悔しくて、へどもどしながらも努めて冷静な態度を装って、こいつにこの訊くべき質問をぶつけて失態を誤魔化しちゃおう!

 

「……じゃあどこ向かってんだ。勝手に歩き出したから、てっきり目的地決まってんのかと思ったんだが」

 

 強気に攻める俺(震え声)を見て、一色は、へっ、と小馬鹿にしくさった笑いを浮かべたものの、勝者の余裕か器の大きさか、はたまた単純に俺の無様な狼狽ぶりに満足しただけなのか、どうやらこの血涙混じりの恥ずかしい誤魔化しに、黙って付き合ってくれるようだ。

 あらやだいろはすってば優しいじゃない。その優しさをエブリタイム向けてくれてると助かるんだよなぁ……

 一色はふふっと微笑み、なぜ目的地も決まっていないのに、なぜ迷いなく足を進めているのかの種明かしを、イタズラが成功した小悪魔のようにきゃるん☆と語る。

 

「それはですね、カフェに行こうかと思いまして」

 

「カフェ?」

 

 待ち合わせが済んだばかりで何故にカフェ?

 どうやらデートということらしい本日の外出。経験が無さすぎてよく知らないが、デートとやらにおいて、待ち合わせしたばかりの二人というのは、まずカフェに向かうものなのだろうか? どちらかと言えば、目的地を回ったあとの休息場所として使うようなイメージ。

 

 もちろん、元々の目的がカフェ巡りとかならまだわかる。女子って異様にカフェとか好きだし。

 しかし先ほど一色は言ったのだ。『どこに連れて行ってくれるのか』と。つまり今日の一色にとって、カフェは目的地ではない。にも関わらず、こいつは出会って早々迷わずカフェに向かって歩き始めた。その意図とは?

 そんな俺の疑問が顔に出ていたのだろう。一色はやれやれと溜め息に溜め息を重ね掛けして、小馬鹿にした笑み全開の悪戯めいた口調でこう答えを返してくるのだ。

 

「だって先輩ですし」

 

 どういうことだってばさ。

 

「ほら、先輩がデートプランとか考えてきてくれるわけないじゃないですか。どうせ先輩ですし」

 

 ははっ、こいつぅ、いい加減にしないとそろそろぶっ飛ばすぞぉ☆? ぶっ壊したい、その笑顔。なんならNHKより先にぶっ壊すべきである。NHKぶっ壊したがってた人と政党、先に居なくなっちゃったけども。

 そもそも本日の目的が買い物じゃなくてデートって話が初耳なんですけどね? それにそれが分かってるんなら、始めからどこに連れて行ってくれるのかとか訊かないでくれない? いじめなの?

 

「どうせそんなこったろうと思ってたんで、だったらせっかくの誕生日デートですし、デートプランを二人で決めるのもイベントにしちゃおうかなと思いまして」

 

「……イ、イベント?」

 

「ですです。ほら、旅行とかって、パンフとか雑誌とか見ながら目的地決めてる時とかが一番楽しかったりしません? だから、先輩にどこ連れてってもらおうかなーとか、先輩はどこか行きたいとこないんですかー? とかとかを、お気に入りのカフェでまったりブランチでもしながらわいわい決めるのも、楽しい思い出になるかなー、と」

 

「……ほ、ほーん」

 

 ほう、旅行前日まではすげぇわくわくしてたのに、当日になるとなぜかめんどくさくなっちゃって家から出たくなくなる例の謎現象ね。

 確かに一理ある。一理どころか二理三理を遥かに越えて、母を訪ねちゃう勢いで三千里くらいは確実にある。あるのだが……、しかしそういうことを、あざとさとか邪悪さとかをおくびにも出さず、心底楽しそうに言ってくるのは心臓に悪いからやめてほしい。また自惚れがちらちらと顔を覗かせちゃうから!

 ダメだぞ八幡! また転がされるだけだゾ!

 

 ──そう強く己に言い聞かせ、俺は自身の奥底にまだ残っている根性を残さず捻り出せるよう、蒼き瞳の侍の如く、心のペッパーミルをごりごり回すのだった。ごりごり、ごりごり。

 

 

 

 

 

「あ、カフェに着いたらプラン立てだけじゃなくて、ついでに第一回点数発表とかもしちゃいます?」

 

「……て、点数発表、とは……?」

 

「待ち合わせ遅れに女の子の服装ノーコメント、あと当然のようにプラン無し、と。あとはまぁ、その他もろもろってとこで、百点満点中、今どれくらい点数残ってるか聞きたくないですか?」

 

「」

 

 やめてェェ! おイタする子は爆殺だぞっ☆ とか言い出しそうな素敵いろはすスマイルで、俺のおイタを指折り数えるのやめてよお!

 てかその減点方式デートって今回のにもまだ生きてるんですね。その他もろもろがまだ残ってるらしいのに、第一回って辺りが超恐い。

 

「……そういうの間に合ってるんで」

 

「はは、つまんない男ですねー」

 

「」

 

 ……ごめんねミル、ちょっとごりごりが激しくなっちゃいそうだけど、もうちょっとだけ頑張れる? ガンバルヨ! よかった。まだ頑張ってくれるみたい。

 

 

× × ×

 

 

「ほら、ここです。いい感じじゃないですかー?」

 

 リードを引っ張られるまま連れ回されて、回しすぎてボロボロに刃こぼれしたミルで削った根性がPM2.5くらいにまで粒子が細かくなってしまったころ、ようやく本日の第一目的地に到着したようだ。

 なんか思ってたよりかなり歩いてない? なんて思っていたら、一色はとても弾む声音で、ご自慢のカフェをじゃん! とご紹介。

 

「……あれ?」

 

 駅前での合流から結構な距離を歩き、ちらほらと住宅地が広がり始めたころ、不意に視界に飛び込んできた緑豊かな公園。

 休日ということもあり、園内では芝生の上にシートを拡げはしゃぐ家族、池でゆらゆら揺らぐ水鳥(みずどり)や岩の上で気持ち良さそうに甲羅干ししている亀の姿をのんびり眺め、談笑する恋人たち、などなど。少なくはない公園利用者たちが、それぞれ思い思いに自分たちの時間を楽しんでいる。ほんの半月ほど前までは、あの生い茂る木々の中の一体どれほどの緑色が、まだ華やかな桜色を保ったまま、この季節と園内を春色に彩っていたのだろうか、と、ふと過ぎし日の情景を思い浮かばせた。

 そんな心地の良い公園を臨むかのように、公道を一本隔てた場所にそのカフェは佇んでいた。

 外目からぱっと見ただけでも女子好きしそうなことが窺えるお洒落カフェ。蔦を茂らせた、あえてDYI風にムラっぽく白に塗装された外壁。そんな外壁の前に立て掛けてある、本日のおすすめのイラストがカラフルなチョークで描かれた黒板の前で、テイクアウトドリンクなんかと共に自撮りでもしたら、さぞや映えるのだろう。

 大丈夫? 千葉なのにこんなに頑張っちゃって。あんまり身の丈に合わないことして張り切りすぎると息切れしちゃわない? 千葉らしく、もっとマイペースでもいいんだからね!

 

 言うまでもなく、別にこの小洒落たカフェに不満はない。不安ならたっぷりあるけれど。こんなお洒落な店入っちゃって、俺、浮いちゃわない? とか、俺、退店求められちゃわない? 的な不安が。なんなら『大変申し訳ありません……、ドレスコードの関係で……』とか言われて入店そのものを断られちゃうまである。あれ? 他のお客さん、入店時に服装のチェックとかされてました?

 では、なぜ俺はこのカフェを見て疑問符を口にしたのか。その答えは実に単純である。

 

「前来たとこじゃないんだな」

 

 そう。お気に入りのカフェとか言うから、てっきり前に連れて行かれた店に行くものだとばかり思っていたのだ。

 確かに連れ回されている間、あれ? こんなに距離歩いたっけ? とか、こんな道通ったっけ? とは思っていたのだけれど、それもそのはず。だって全然違う店なのだから。

 すると、待ちきれずに先にカフェへ向けて歩き始めていた一色が、もう一度俺の側にとてとて寄ってきた。

 彼女は、こしょこしょと内緒話でもするかのように、ぷるぷるつやつやな唇を耳元に寄せて──

 

「……だって、前に約束したじゃないですか。今度はもうちょっと知り合いが少ないところにしましょうね、って」

 

「っ……」

 

 やめてェェ! だから耳は弱いんだってば! もう八幡を転がさないで……っ! ミルさん、酷使しすぎてさっきからもう息してないのぉ……!

 耳を擽る甘い吐息と甘い刺激にびくんびくんしていると、もう一度二人の距離を元に戻し、満足気に表情を綻ばせる一色。

 

「それじゃ入りましょっか」

 

 弾んだ声音でそう口にした彼女は、お気に入りのお店──一色にとってのベストプレイスに向けてくるり回る。その顔に浮かんだ微笑みと同じように、愉しげにふわりと舞った亜麻色の髪に連れて、春色ワンピースの裾もひらり軽やかに舞った。

 

 

「──そういやそんなこともあったな」

 

 ステップでも踏むかのような足取りで、軽やかに先をゆく後輩の背中を見つめていると、とある記憶が頭を過ぎり、誰に語るでもなく、そうぽしょり独りごちたのだった。

 

 いつかのデートもどき。あのときも、今日と同じように一色お気に入りのカフェへと連れられて、そこで思わぬ知り合いと遭遇した。

 副会長と書記ちゃんである。

 ニアミスだったため、顔を合わさずに済んだのが幸いだったあの日、確かにカフェ内で一色とそんな会話を交わした記憶がある。

 そのときの言葉通り、一色は自分のお気に入りの中でも、特に知り合いが少なそうな穴場のお店をチョイスしてくれたのだろう。

 その一色の心遣いには平身低頭感謝している。してはいるところなのだが、それとはまた別に、頭の中に浮かんだあの日の記憶、そしてその記憶に対する思いは、今のシチュエーションにはあまり似つかわしくない、また別のものだった。

 

 

 ──そういや書記ちゃん、あのときはまだ地味だったなぁ。

 

 

 これが、そのとき真っ先に浮かんだ思考である。

 あのとき初めて知った、副会長と書記ちゃんの仲。もっともあの時点ではまだ二人が付き合っているという確証があったわけではないのだが、今やあの二人は、立派な生徒会公認のカップルである。公認といっても、生徒会室でいちゃいちゃされていろはすキレ気味になってるから、決して歓迎されてるわけではないからね! そこんとこ副会長は勘違いしないでよね! 全然公認されてなかった。

 色ボケした副会長全然仕事しなくなっちゃったから、そろそろブラック企(生徒会)業でパワハラ上(いろはす)司に酷使されすぎて、過労とストレスでハゲればいいのに。

 

 そんなハゲでお馴染みの副会長の彼女たる恋する書記ちゃん。つい先日生徒会室に赴いたとき、彼女のあまりの変貌ぶりに「あれ書記ちゃんなのか?」と驚かされたものだ。

 

 ──恋は女の子を綺麗にする。

 

 遥か昔から語り継がれてきたあまりに有名な格言ではあるが、あの地味目で引っ込み思案だった書記ちゃんが、三つ編みを解き眼鏡を外し、あそこまではっきりと、あそこまで物理的に『綺麗』に変貌してしまったという事実を目の当たりにして、俺は副会長の冴えない彼女(ヒロイン)を育てるプロデュース力に驚愕したと共に、書記ちゃん自身の恋する乙女のパワーというやつにも驚嘆したものだ。

 本当に、恋する女の子というものは、捻くれているだけのどうしようもない俺などの乏しい想像の埒外に住んでいる異世界の生き物なのだと、心から思い知らされる衝撃的な出来事だった。

 

「……」

 

 そんな思考が頭を過ぎったとき、同時にはてと考えてしまったのだ。いや、むしろその考えが強く過ぎってしまったからこそ、このタイミング──一色の楽しそうな背中をぼんやり眺めていたときに、書記ちゃんの綺麗に育ったあの姿が思い出されてしまったのかもしれない。

 あの地味目で引っ込み思案だった書記ちゃんが、恋をしてあんなにも素敵な美少女と化したあの経緯を、目の前のこの後輩にも当て嵌めてみたらどうだろうか、と。

 

 いや、一色いろはは書記ちゃんと違い、出会った頃から今と変わらずとても可愛かった。可愛くいようと自分に磨きをかけていた。

 故に、一色を書記ちゃんの例に当て嵌めるのは些かナンセンスとも言えよう。

 しかし、確かに最初から可愛かった一色ではあるが、それでも彼女に対する俺の初期評価は『地雷』だった。

 

 確かに可愛い。その可憐さ、その仕草、その笑顔。男子からモテるという一点においては、全方位塩対応バリアの雪ノ下や、そのガードの硬さからあーしさんバリアを張ってナンパな男子を蹴散らす由比ヶ浜よりも、むしろ上なのかもしれない。

 しかしその可愛さとは裏腹に、中身なくぺらぺらに見えた地雷臭漂うアレな性格ゆえに、俺の目には一切魅力的には映らなかったのだ。

 

 ──いつからだろうか。こんなにも、こいつを臆面なく可愛いと認められるようになったのは。

 彼女と出会ってから過ごしてきた日々。会長選挙から始まり、クリスマスでの奉仕部崩壊の危機、年明けの一騒動にバレンタインやらプロムやら。その間あまりにも色々ありすぎたから、そこ(・・)がいつなのかはいまいち判然としない。

 しかし、どうしてもそこ(・・)に境界線を引けと言われれば、俺にはあの日の光景が思い浮かぶのだ。

 

 

『……わたしも、本物が欲しくなったんです』

 

 

 いつかのディスティニー帰り、二人きりのモノレール車内。いつもとは違う真剣な表情で、真っ直ぐ俺の目を見て力強く宣言した、あの日の後輩の格好良い姿が。

 書記ちゃんの例に例えるならば、まさにあのとき、一色は本当の意味で恋する強く綺麗な女の子になったのだと思う。

 葉山に振られ、故に本物を心から欲し、そしてまた初めての本気の恋をした。

 だからあの日以降、徐々になんだこいつ可愛いなと認められるようになったのでは、なんて思う。

 

「なにしてるんですか先輩、ほら、早く入りますよ」

 

 そんなことを考え、ほんの数瞬惚けていると、一色はもう一度こちらを振り向いた。カフェブランチでの楽しいひと時が待ちきれないのだろう、わくわくと輝く笑顔で俺の袖をちょこんと摘んでくる、この可愛い後輩を見て思う。

 

 

 この後輩は、ひとつ大きな勘違いをしているのかもしれない。なぜこの程度の男に、なぜ自分のあざと可愛さが通じないのだろう、と。

 

 あまりにも靡かないから。

 あまりにも落ちないから。

 

 自分の魅力への疑いを晴らしたいがために、この女の子はこうして俺などに甘ったるいあざとさを駆使して、容赦なく攻め続けているのかもしれない。

 

 だが、それは大きなまちがいである。なぜなら俺はとっくのとうに、一色いろはのあざと可愛さに陥落しているのだから。

 だって俺、いろはす大好きだからね。このクズいところも。このあざといところも。この、自分を貫く格好良いところも。

 なんなら来月辺りに、小町と二人で『一色いろはの好きなところ発表合戦』を、第三回くらいまで執り行ってしまいそうなレベル。この子意外とストレートに攻められるの弱そうだから、真っ赤な顔して身を捩ってマジ照れしちゃいそう。フヘヘ、いつものお返しにめっちゃ照れ照れさせちゃうぞぉ? 変態まっしぐらである。

 

 

 ──もしも先に出会ったのが、雪ノ下や由比ヶ浜ではなく一色だったなら。もしも今と同じような関係性を先に築けたのがこの後輩だったなら。

 俺はとっくのとうにこいつに惚れ抜いて、とっくのとうに全身全霊告白して、そしてとっくのとうにボロ雑巾のようにゴミ箱に投げ棄てられていたことだろう。

 

 人生の出会いの順番を替えてしまったら、同じ工程同じ結果は有り得ない。奉仕部でのあの出会いが無かったら、当然一色と知り合うことは無かっただろうと断言できる。

 

 人間関係を無意味と断じ、完全に切り捨てていた過去の自分。その考えに否を唱えることが出来たのは、雪ノ下たちとの奉仕部での出会い・経験があったればこそ。

 他人と関わることで、多くの面倒臭さを味わわされ、たくさん恥をかいて、それなりに苦い感情とも同居した。そう。確かに嫌な思いはたくさんしてきたのだ、他人と関わることによって。

 でも、それだけではないのだ。他人との関わりは、そんなネガティブなことばかりではない。場合によってはそれらを犠牲にしても構わないと思える程に、それ以上の価値があることだってある。それを認められるようになったからこその現在(いま)の俺なのだ。

 

 対して、興味の無い人はガン無視するアレな性格の後輩様。この後輩が俺に興味を持ったのは、自身の失態で大恥かきかけて、藁にも縋る思いで助けを求めたその先で、あの雪ノ下雪乃や由比ヶ浜結衣と特異な関係性を築けていた変な人、という部分が大きいのだと思う。

 それが無ければ、人間関係を諦めて誰とも関わろうとしなかった誰の目から見てもつまらないであろう俺に、はたしてこの後輩は興味を持つことがあっただろうか。

 答えは当然否である。俺などは一色いろはの視界に入らない、記憶にも残らない、路傍の石ころ同然の存在だったろう。

 

 つまり、人生の出会いの順番を替えた仮定の世界で、もしもどこかで顔を合わせる機会や出会う機会があったとしても、俺と一色は、決して知り合うことはなかっただろう。

 

『うわ……地雷臭せぇ』『え? そんな人いたっけ』

 

 あの場所でなければ、あの時でなければ、お互いにこんな印象を持ってして、言葉を交わすことも心を通わすこともなく、二人の関係はこれにてお仕舞い。失敗と後悔を繰り返し、恥の多い生涯を送ってきたからこその、現在(いま)の二人の関係性なのだ。

 故に、この『もしも』というタラレバな仮定には、何一つ意味も価値もないことは重々理解している。しているのだけれど、そんな無意味な仮定に思わず思惟を巡らせてしまうくらいには、俺は一色いろはという素敵な女の子に、すっかり参っているのである。

 

「やば、パンケーキにしちゃおっかなー♡ 超楽しみじゃないですかー? ね、せんぱいっ」

 

 俺の袖をぐいぐい引っ張り、大切なベストプレイスへお招きしようとする、とても可愛い世界の後輩の笑顔を見て思う。

 

 

 だから、そのあざと可愛さをあんまり俺に向けてくるのは、少しだけご勘弁願いたい。なにせ俺には免疫がないのだ。

 女の子に対しての免疫、という意味ではない。恋愛感情という、俺のような捻くれ者には、まだ難易度が高すぎる難解な感情に対しての免疫、である。

 ただでさえ彼女という存在が出来たばかりで免疫のキャパシティが大幅にオーバーしているというのに、この、いつまでも抵抗していられる気がしない、一色いろはの暴力的なまでに魅力的なあざと可愛さに、もしなにかのまちがいで一色に可愛い後輩という以上の感情を抱いてしまったら、たぶん俺、母のんとはるのんに秒で察知されて、雪ノ下建設プレゼンツでコンクリ詰め→東京湾行きになっちゃうからね?(白目)

 ……だからお前の絶対無敵な抗いがたいあざと可愛さは、是非とも本命の相手だけに全力でぶつけて欲しいんだよなぁ……

 

 

 

 

 

 

 新たな春、新たな季節。桜も散り落つ四月も半ばを過ぎた休日の、何気ない日常系の物語。

 人間失格の大先輩に倣って、もし今日の日の一色いろは生誕祭という物語を短編小説として世に出す日が来るとしたのなら、そのタイトルは……、そうだな、うん、そう。正にこんな感じだろう。

 

 

 よせ、その一色いろはのあざと可愛さは俺に効く

 

 

 と。

 

「……っ」

 

 ──我ながら酷すぎるセンスに思わず苦笑を溢してしまう、どうやら、同じく恥の多い生涯を送ってきた太宰と違って、小説家には絶望的に向いていないらしい俺と、そんな俺をどこまでも震え上がらせる恐怖の後輩一色いろはとの誕生日デートという物語は、まだまだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、なに突然にやにやしてんですか普通に気持ち悪くて無理なんですけど。……はっ!? もしかして今、めちゃ楽しそうなわたし見て、あれ? これもしかしてもう一押しすればこいつ落ちるんじゃね? とか思っちゃいましたか確かにその可能性もなくはないかもしれませんけど生憎わたし二番目三番目で満足出来るお手軽な女の子じゃないんで最低でも今のめんどくさい関係性を色々清算してきてから顔洗って出直してきて下さいごめんなさい」

 

「えぇ……」

 

 

  了




本当に久しぶりの投稿でしたが、最後までありがとうございました!ずっと放置してて、このまま筆置くんだろうなって思ってたんですが、先日発売された俺ガイル結2巻を読んでたら無性に書きたくなってしまい、丁度のタイミングで愛するいろはす生誕祭が近かったので、今回のまさかまさかのプチ復活と相成りました!

今さら見てくれる人いんのかなぁ、と思ってたら、意外にもたくさんの昔馴染みな読者様方から多くのコメントいただいてしまい、本当に嬉しかったです!マジで感想の名前を見る度に「おぉぉ…」と声出ちゃいました笑
評価下さった読者様もホント嬉しいコメント付けて下さったので、危うく泣いちゃうとこですよ。もう、泣かせてどうするつもり!?


というわけで、今回久しぶりに書いてみた感想としては「やっぱ2次執筆超楽しい!」だったので、さすがに昔ほどは書けませんが、気が向いたらたま〜に投稿しちゃおっかな☆なんて思っちゃいました!
それではまた3年後にお会いしましょう!おい。

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