ーーー食堂
「それじゃあ、大規模作戦の成功と、不知火の復帰を祝って......乾杯!」
『乾杯!』
隼鷹の音頭と共に、日本酒の入った杯を呷る。入渠期間中に飲めなかった数週間振りの酒が喉を通り、五臓六腑に染み渡る。
冒頭の隼鷹の音頭の通り、今日は夏の作戦の成功と俺の退院を祝い、食堂で集まって飲む事になっていた。
......まぁ、何かしら建前となる理由を付けて飲みたいだけだと思うが。
メンバーは隼鷹・加古・ビスマルク・那智・足柄・俺の6人、人呼んで『飲兵衛艦隊』。いつだったかは覚えていないが、気付けばこの面子で集まるようになっていた。
隼鷹か加古のどちらかが始めて、もう片方がそれに便乗。隼鷹が美味い酒で足柄やビスマルク、俺を釣り、足柄が「不知火とかも居るから」と言って那智を誘い、6人集まる......というのがいつものお決まりのパターンだ。他にも酒好きは居るが、こうして頻繁に飲むのは此処に居るメンバーくらいだろう。
「ふふっ、今日も私が色々とお作りしますね。試してみたい料理もありますし......」
そして、俺達の集まりに毎回のように付き合うのが『鳳翔』だ。鳳翔は元々料理好きらしく、いつも肴になる料理を作ってくれている。これは他所の鎮守府でも似たような事が起こっていて、巷では『居酒屋鳳翔』なんて呼ばれる事もあるとか。
毎度毎度、酔っては騒ぎ立てて鳳翔に迷惑を掛けている俺達だが、なんだかんだで彼女も酒の席を楽しみにしているらしい。本人曰く「楽しそうにしているのを見るのは好きですから」だとか。酔いどれ共の痴態を見ても尚“楽しそう”で済ませられる辺り、本人の懐の深さが伺える。
ちなみに鳳翔本人も酒は飲める方で、落ち着いて飲みたい時の相手には丁度良い。
「ふぅ......」
「不知火〜、お酌お酌」
「あぁ、どうも」
隼鷹が俺の空いた杯に気付き、すかさず日本酒を注ぐ。隼鷹の手に持つ酒瓶は、一杯目に飲んだ物とは違う物だった。俺が一杯目を飲んでいる間に二本目に突入していたらしい。
外見20代の女性が外見10代の少女に酒を注ぐという絵面。何も知らない人間からすれば完全にアウトだが、俺達は艦娘。何ら問題無い。
実は、艦娘の飲酒について細かくは定められていないのだ。人間ならば発育や脳への影響を考慮して未成年の飲酒は禁止されている訳だが、艦娘にはそもそも年齢という概念が存在しないから決めようがない。それに、艦娘は駆逐艦であっても成人よりも体が強いから、結局飲めるかどうかは好みによる。駆逐艦でも飲める奴は飲めるし、戦艦でも飲めない奴は飲めない。
そこで、上層部は飲酒については各提督・艦娘の判断に任せる事にした。飲みたいなら飲めばいい、という事だ。喫煙も同様に定められている。
......勿論、“業務に支障が出ないように”という条件付きだが。そういう訳で、見た目が小・中学生程度の駆逐艦であっても飲酒は可能なのだ。
残念と言うべきなのか、俺の姉妹の中で飲む奴は磯風だけ。だが、同名の艦娘でも個体差があるから、もしかしたら他所の鎮守府には酒豪の姉妹達も居るかもしれない。それはそれで見てみたいような気もする。
尚、酒が苦手な隼鷹は確認されていない。きっと今後も現れる事はないだろう。全国各地の飛鷹は強く生きて欲しい。
飲む酒はこの日の為に手当たり次第買っておいた物、それと個人で持ち寄った物だ。大抵一人一つは良い物を持ち寄る事になっていて、那智はウイスキー、足柄はワイン、ビルマルクはドイツビール、隼鷹は日本酒、加古は焼酎、そして俺はビールを用意していた。値段にバラツキはあるがどれも高級品。ウイスキーやワインなどの高い物は諭吉が二、三人は飛ぶだろうし、この中でも比較的安いビールでも樋口くらいは飛ぶ物を買ってきている。
『あの世界』の酒は質の悪い安酒ばかりで、洒落た酒はかなり貴重だった。人工物で製造された酒モドキなんてのも珍しくはない。折角こうして美味い酒が飲めるのだから、飲める時に飲みたいと思うのは変ではない......筈だ。
美味い酒も揃い、鳳翔の料理もあれば更に酒が進むというもの。徐々に酔いが回って少しずつタガが外れ、いよいよ酒の席らしい雰囲気に。この段階になると、徐々に個人の酔い方がハッキリと表れてくる。
「なぁなぁ那智〜、もっと飲みなよ〜。あ、グラス空いてんじゃん!ほれほれ〜」
「ペースが速すぎるんだお前は......これでも一人で飲んでいろ」
「お、これアタシの地元の酒じゃん!なんだよ〜、言ってくれればすぐ飲むのに〜」
「全く、それで何本目だお前は......ハァ」
「二人共、揚げ出し豆腐が出来ましたよ」
「おっ、鳳翔さん流石〜」
隼鷹は他人によく絡むようになり、那智はため息が多くなる。
「ねぇビスマルク、聞いて?最近私、肌のノリが悪い気がするのよー」
「艦娘に肌のノリとかあったかしら?......もしかして歳なんじゃない?」
「......今、何か言ったかしら?」
「別に何も?ただ、1939年進水の私には、1928年進水で“11歳も”年上な足柄の事はよく分からないわー、って思っただけよ」
「へぇー、それは残念ね......えぇ、本当に......!」
「まぁまぁ、二人共落ち着きなって。アタシくらい寝ればきっと肌も......」
「「貴女は寝過ぎよ!」」
「えぇ〜......?此処にも味方居ないの〜......?」
足柄は愚痴が多くなり、ビスマルクは若干不機嫌に。加古は変わらずマイペースだ。
本当に騒がしい。騒がしいが、これ以上なく落ち着く。矛盾しているようだが事実だ。
酒を飲んだらどうなるか?と聞けば、酔っ払うと誰もが答えるだろう。まぁ個人差はあるし、俺は相当飲まなければ酔っ払わないのだが、それはともかく。酒を飲むという事はイコール酔う事であり、それは即ち自ら無防備になる行為と言える。
この世界では特に気にする事ではないが、戦争で経済が成り立っているような『あの世界』では、何の警戒もせず無防備になるのは致命的だ。だから、安全が確保されてしばらく戦闘する予定も無い時でなければ酒を飲む事は出来ない。だから俺は酒を飲んでいる時が一番落ち着けて、生きている事を実感出来る。
鎮守府で行われた作戦成功祝いのパーティーには参加したし、姉妹や親しい友人とも祝った。だが、こうしていつものメンバーと集まって飲む事で、初めて日常に戻ったと実感出来るのだ。自分でも変な習慣だと思うが、そうなってしまったのだから仕方ない。
「鳳翔、邪魔するでー......って、げぇっ!?」
飲み始めてから数時間後、食堂に意外な来客が来た。『龍驤』だ。鳳翔を呼び捨てで呼べる数少ない艦娘でもある。
「お、龍驤じゃん!こっちおいでよ、色々あるよー!」
「嫌や!隼鷹の隣は絶対に座らへんで!」
「何それ、フリ?」
「フリな訳あるかいな!あんなん二度とゴメンや!」
「まぁまぁ、そんな事言わずに〜。ほら、こんなのもあるよ〜?」
「おー!ウチ、丁度それ飲みたかったんよー」
「はい確保〜」
「あっ」
哀れ龍驤、既に出来上がっている酔っ払い共に絡まれてしまった。複数人に囲まれてもみくちゃにされているが、その目からはハイライトが消えていた。
暫く酔っ払い共に絡まれた龍驤だが、包囲を抜けると俺を見つけ、隣に座ってきた。
「そんなに大きいのがええんか?大きいのがええんか?」
「さぁ......」
龍驤の目線は酔っ払い達のある一部分に集中していた。山だ。
「不知火しか味方が居らんとか......」
「そんなに嫌なら何故来たんですか」
「久々にゆっくり飲むつもりで来たんやけど、今日は飲兵衛達が居るって事を忘れててなぁ。でも今日は飲むつもりで居ったし、飲まずに帰るのもなんだかなぁ、って」
まぁ、龍驤の気持ちも分かる。きっと今日一日、この夜を楽しみに待っていたのだろう。多少の邪魔があったとしても、飲まずにはいられない。邪魔が多少で済むレベルではないが。
「でも、ホンマになんでアイツらあんなに大きいんやろ...... 」
「まぁ、重巡に戦艦、空母ですから」
「ウチもその空母ってやつなんやけどなー」
「空母にだって同じ境遇の仲間が何人か居るでしょうに」
「そういう問題じゃないやんか......誰かが改装したらデカくなる言うてたけど、結局ウチは改装しても大きくならへんかったし......」
「1は2乗しても1ですからね」
「不知火も中々酷い事言うなぁ!?ウチ今ので結構傷付いたで!?」
エセ関西人の龍驤だが、こうして表情がコロコロ変わるのは見ていて面白い。RDの奴を酔い潰して弄っていた事を思い出すな。
「......なんや不知火、ニヤニヤして」
「笑ってましたか?」
「少しな」
どうやら顔に出ていたようだ。少し気をつけるべきか。
「何か面白い事でも思い出したんか?」
「そうですね......昔の知り合いですよ」
まぁ、これは鎮守府の面々に話すような事じゃないだろう。俺の雰囲気を察してくれたのか、龍驤はそれ以上何も訊いてこなかった。
◇
それから更に数時間後。食堂は先程までの騒がしさから一変、静寂に包まれていた。
「明日に響くといけない」との理由で那智と龍驤が離脱。更に唯一の良心である鳳翔もいつの間にか酔い潰されていた。ストッパーが居なくなった酔っ払い達の飲酒は加速し、そして今の状況に至る。
隼鷹と加古は床に転がって酒瓶に囲まれながら爆睡。ビスマルクはテーブルに突っ伏して爆睡。足柄は椅子を複数使って横になり爆睡。四人共衣服が肌蹴ているが、正直色気は無い。いくら鎮守府が女だらけだからといって、これは開放的すぎやしないか?女の尊厳とやらは何処へ行ってしまったんだろうな。
尚、鳳翔は御丁寧にソファに寝かされていた。どうやら鳳翔は丁寧に扱わなければいけない事だけは本能に刷り込まれていたらしい。鳳翔に何かあったら空母達、特に一航戦が黙ってないからな。
そんな事を冷静に考えている俺だが、何とも無い訳ではない。前世の頃から酒には相当強く、今世は艦娘となった事で更に強くなり、かなりの量のアルコールを摂取しなければ酔えないようになっているが、それでも限度はある。夕飯後から飲み始めて、今は深夜2時頃だから......7時間はぶっ続けで飲んでいる事になる。酔い特有の高揚した気分になっているし、恐らく口調も『私』から『俺』に変わっているだろう。
さて、酔っ払い共をどうしようか。片付けもやらなきゃならないな。面倒臭いとは思いつつ、これから何をするべきか案を考えーーー
「フフ......皆さん、寝てしまったのね」
ーーー突如聞こえてきた声に身構えた。
それが知り合いの声だと判断するのに、俺は数瞬の時間を要した。声が聞こえるまで一切気配を感じなかったのは、酔いの影響だと思いたい。
食堂の入り口の方を見てみれば、そこには夕雲型の制服を着た、非常に長い黒髪の少女が居た。どこか幽霊のような雰囲気を感じる彼女は夕雲型駆逐艦『早霜』だ。俺が嚮導艦を務めた艦で、教え子か後輩のような関係になる。
「......心臓に悪いのは止めてくれ」
「あら、普通に入ってきたつもりだったのですけど......ごめんなさいね。やっぱり、霊圧が弱いのかしら......」
「霊圧?」
「この前に秋雲さんと見たアニメの中で、登場人物達は霊圧というのを感じられるそうですよ」
霊圧......存在感とか気配みたいなものか?もしくはファンタジー物の魔力のような......って、何でこんなに詳しくなってるんだ俺は。
「霊圧が......消えた......フフッ......フフフフフッ......!」
そして彼女の笑いのツボがいまいちよく分からない。この笑い方はかなりツボに嵌った時のものだが......幽霊か何かがモチーフだったんだろうか。自分が幽霊のようなイメージだと分かっているのか、その類いのネタには弱いらしい。
俺の周りに癖のある女ばかり集まるのは何故なんだろうな。別にまともな奴が居ない訳じゃないが、比率が高いのは確かだ。
「どうして今来たんだ。那智が居る時か、なんなら最初からでも良いだろう」
「騒がしいのは苦手ですし......夜遅くの方が」
「それなら最初から別の日に誘ってくれ」
「もしかして、お邪魔でしたか......?」
「いや、そういう訳じゃないんだが......」
涙目になるのは止めてくれ。俺も流石に罪悪感が湧く。先程は“癖のある女”とは言ったものの、中身自体は至って普通の少女だ。ただ、理解されずに誤解されたままの事が多い。
しかし......謙遜というのか、臆病というのか。俺に対するこの控えめな態度がどうも直らない。少し言葉を間違えただけで泣かれるのは正直困る。まぁ、原因は分かっているのだが。
「......また夢でも見たのか?」
「はい......気にしないようにはしているんです。でも、私が貴女に近付いたら、貴女にまた何かが起きるんじゃないかって不安で......」
「くだらないな。前にも言ったが『俺』は『私』とは違って、簡単には死ねない宿命だからな。あとついでに言っておくが、この話はこれで8回目だ」
「分かっています、分かっているのですが......」
不知火と早霜の史実上の関わりは、座礁した早霜を不知火が発見、早霜が近寄るなと信号を送るも不知火は救助しようとし、そこに米軍機の攻撃を受けて早霜の目の前で沈んだ、というものだ。あまり良い出会いと呼べるものではない。それに加え、不知火以外にも助けようとして目の前で沈んだ艦が居たらしい。
彼女は助けに来た味方が立て続けに沈んでいくのを見てしまった。恐らくその記憶やトラウマが、今の人格に大きく影響しているんだろう。
艦娘はかつての艦艇の記憶から呼び出され、記憶によって形成されている存在。それ故に、記憶が魂の奥深くまで根付いている。だから彼女達は自分達の誇りをいつまでも忘れられずに居られるし、辛く苦しいトラウマに縛られ続ける。
過去を乗り越えるのは簡単な事ではない。しかし、それを乗り越えなければ艦娘は強くなれない。
「そんなに不安なのによく会いに来るな。俺にはよく分からん」
「不安でたまらないのは確かですけど......でも......」
俺の指導を受けたのだから俺が恐ろしい存在だと分かっている筈だが、遠ざかるどころか俺を理解しようと近づく。そういうところに、どこかフランの面影を感じていた。それが彼女を突き放せない理由だろう。俺はまだ、無意識にフランの影を追っているらしい。キッパリ別れた筈なんだがな。
......最近はどうも余計な事ばかり考える。主任が現れてからこの調子だ。今度、主任を艦娘状態の試運転という名目で演習に呼び出してやろう。あの野郎をサンドバッグにしないと気が済まない。
むしゃくしゃする時は、まずは飲むに限る。近くに置いてあった二つのグラスに氷を入れ、那智の持ってきたウイスキーを注ぎ、一つを早霜に渡す。
「話があるなら付き合ってやる」
「あら、珍しいですね......」
「今はそういう気分だ」
その後は彼女とゆっくり酒を飲みながら、他愛のない話に付き合った。
「フフッ、今日はありがとうございました......」
早霜がこれからトラウマとどう向き合っていくかは俺にも分からない。だが、こうして逃げずに居るのなら、そのうち何とかなるだろう。
さて、俺もそろそろ寝るとしよう。今日は良い気分で寝れそうだ。だが、そこに早霜から声が掛かる。
「......あ、あの......どうしましょうか......?」
不安気に早霜が指差した先は、爆睡している酔っ払い共。そういえば、酔い潰れた奴らの存在をすっかり忘れていた。まぁいいか。早霜と話しているうちにどうでもよくなってきた。
「放っておけ」
「で、でも......」
「自業自得だろう」
翌朝、気分が悪そうな酒飲み四人と、それを呆れた様子で見ている那智が目撃されたという。
「お前達、鳳翔さんまで酔い潰して......何か言い残す事は?」
「「「「無い(わ)!」」」」
「ハァ......」