やはり俺の魔王攻略は間違っている。   作:harusame

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最終話 やはり俺の魔王攻略は間違っている。

さっきから背中がムズムズする。

顔がかなり熱いような気もする。

汗ばんでいる手を一度洗いたい。

 

いつか紅茶の香りを取り戻すために走った廊下を歩きながら、もう3月だと、あの頃より暖かくなったせいだと自分に言い聞かせて屋上に向かう階段を駆け上がる。

 

 

屋上のドアを開けた瞬間、わずかに潮風を含んだ風が俺の頬をかすめる。

 

なぜかいつもよりとても鮮明に見える空は、まばらな雲と共に赤みを帯び始めていた。

 

階段を駆け上がったせいか、肩で息をしている自分に気が付く。

 

 

ドアを開けて真正面を見る。

色が抜け落ち始めた空を背に、屋上の手すりにもたれかかりながら、その表情は何故かこちらから見通せず、たった数メートルの距離をとても遠いものだと思わせるかのように。

 

黒のカーディガンに白のカッターシャツ。深い緑色のロングスカートに茶色のブーツ。

 

 

 

 

 

 

そんな姿をした魔王が君臨していた。

 

 

 

 

思わず唾を飲み込む。

下校時刻を過ぎているせいか校内から聞こえるはずの喧騒はなぜか遠く、ここだけが別世界かのよう。

 

 

一度だけ空を見上げ、目を閉じてから大きく息を吸い込み、目の前にいる魔王を改めて見据える。

 

 

そこに見えるのは始めて会ったときのように、強化外骨格をまとった万人に見せる笑顔。ふと聖者の行進の眩しさと路地裏のコンクリートの冷たさを思い出し、そのまま後ろに下がりそうになったのを何とかその場に踏みとどまった。

 

なんだよ…。

まだ、これからだろうが。

しっかりしろよ俺。

 

 

 

 

ほんの少しの時間がたっただろうか。

魔王は何の前置きもなく語り掛ける。

 

 

 

 

「男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情」

 

 

呟いたようなその声はとても鮮明で。

 

 

「人を好きになって、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち」

 

 

日の陰りを背負ったその笑顔は見るものを離さず。

 

 

「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」

 

 

底が見通せない深いその瞳は。

 

 

 

「なんのことだと思う?比企谷くん」

 

 

 

圧倒的に俺を不安にさせる。

 

 

 

いきなり魔王からの痛恨の一撃を受けながら、単なる村人でしかない俺がどこまでやれるか...。屋上の肌寒い風に触れたせいか震え出す足に力を入れなおす。

 

ここからだろう。

 

これからが比企谷八幡の真骨頂だろう。

村人ならではの意地があるはずだ。

 

 

 

 

「それらは全て勘違いであり、やはり間違いでもある」

 

 

そう言った魔王は何かを憐れむように憂いある瞳を空へ向ける。

俺はただ真っ直ぐに魔王を見据える。魔王が見上げた先にあるものは、もはや俺が見るべきものではないのだから。

 

 

以前の俺なら何の躊躇もせず、やはり間違いですねと全面的に同意しただろう。

 

 

青春とは嘘であり、悪である、と言った俺からすれば、青春の代名詞とも呼ばれる「それ」は常に自己と周囲を欺き自らを取り巻く環境を肯定的にとらえ、どんな一般的な解釈も社会通念も捻じ曲げて、嘘も秘密も罪科も失敗さえも、すべてはご都合主義にしてしまう。

 

「それ」もまた俺が手を伸ばすことを否定したものであった。

 

しかし、全てが勘違いで間違いなら。

ただ完全に否定して終わるものなら。

とても簡単で簡潔で簡素で簡易で。

決して感嘆に値しないもので済まされるなら。

 

 

 

その不確かさに誰も怯えることはないだろう。

 

 

 

 

いつか運河の街で水の魔法を唱えたかのように魔王は語りかける。

 

 

 

「比企谷くんはいつも余計な事を言わないよね」

 

 

いい加減ー。

 

 

「比企谷くんはいつも怯えているね」

 

 

いつまでもー。

 

 

「比企谷くんはいつも面白いね」

 

 

その場に踏みとどまっている訳には。

 

 

「比企谷くんのそんなところが……」

 

 

 

 

いつの間にか俺は歩み始めていた。

 

 

 

 

「比企谷くんはいつも本当のことを言わないよね」

 

 

少しだけ魔王の表情が窺えるようになる。

 

 

「比企谷くんはいつも余計な事を知っているよね」

 

 

その瞳はわずかに潤んでいて。

 

 

「比企谷くんはいつも誰を見ていたの?」

 

 

もはや魔王の威厳はなく。

 

 

「比企谷くんのそんなところが大嫌い」

 

 

そう言って俺に微笑みかける。

 

 

 

「どうして…あげようか?」

 

彼女はつぶやくような声で続けるが。

俺は無視して一歩踏み出す。

 

 

 

 

「どうして欲しいのかな…?」

 

俺はさらに一歩踏み出す。

 

 

「どうしたらいいのかな…?」

 

俺はさらに一歩前へ出る。

 

 

 

 

「私はどうしたいんだろう…」

 

 

 

 

 

ここに来て、初めて彼女の顔をまともに見た気がする。

その表情はもはや目と鼻の先だ。大がかりな攻撃魔法もこの近距離なら放つことは出来やしないだろう。

 

 

「かつてあなたは一瞬だって言いましたね。得たという実感があれば人はそれを糧にできると」

 

 

 

「そうだね」

 

 

「それは俺たちの間にあったものだと」

 

 

「…そうだね」

 

 

「確かにそれは一瞬で、儚いもので、手から零れ落ちるだけのものかもしれません」

 

 

「……だから」

 

 

彼女は…雪ノ下陽乃は消え入りそうな声で言った。

 

 

「君を傷つけるのが怖くなったの…」

 

 

 

それは誰もが正解だと思うことだろう。

 

圧倒的に正しく、

もはや世の中の摂理であって真理かもしれない。

自らその身を痛めることをするはずがない。

誰だって間違うはずがない…と。

 

 

だが、それがどうした。

 

 

 

 

「いい加減…人を舐めすぎですね」

 

「俺は…あなたの妹に…雪ノ下雪乃に見送られた男ですよ」

 

 

 

少し、自分の言葉の語尾が熱くなったのを感じた。怒りに近い衝動だったのかもしれない。それが何に対するものなのかは今更どうでもいい。

 

今はただー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私はー」

 

 

陽乃さんは俺の言葉に反応したかのように、とめどなく語り始める。

 

 

 

 

「ずっと雪乃ちゃんの目標でなければならないと思っていた」

 

「お母さんからそう振る舞うように言われてたからね」

 

「でも私も雪ノ下家によっているだけで雪乃ちゃんとは大差ないのかもしれない」

 

「お母さんにお父さんに甘えることができる雪乃ちゃんをどこかで私は妬んでたのかもね」

 

「だから私はずっと姉として雪乃ちゃんの上に立っているつもりだった」

 

「私を慕う可愛い妹なのにね」

 

 

「……」

 

 

「家のことでね、いろいろあって全てが嫌な気分になってたんだよ」

 

「いつも通りひとり旅でぱーっとしようかなと思ってたんだ」

 

「そしたらその前に君を見つけてね」

 

「ついでにちょっかいかけて雪乃ちゃんの反応見ようかと思ったんだよ」

 

「始めは軽い気持ちだったんだ」

 

「そしたら雪乃ちゃんに似てるって言われるんだよね」

 

「なんか腹が立ってさ」

 

「でもなんで腹を立ててるか分からなくて」

 

 

「……」

 

 

「映画も見たよね」

 

「あれは昔、家族みんなで見たんだよ」

 

「なんだかとても懐かしくて」

 

「旅行も行ったよね」

 

「私は一人旅が基本だから二人旅は初めてだった」

 

「そうして君と関わっていれば分かるかなって」

 

「このよく分からないものに見切りをつけようと」

 

「ついでに雪乃ちゃんも焦るかなって」

 

 

「……」

 

 

 

「でも…それが間違いだった…」

 

 

 

 

「雪乃ちゃんに言われちゃった」

 

「姉さんらしくないって」

 

「結局、私らしさって何なんだろうね」

 

「みんなから期待されてる私って何だろうね?」

 

「それが…君と話す度に、益々分からなくなってしまって」

 

「君の見る目が私を見ているのか不安になってきて」

 

「自分でもどうしようもなくて」

 

「今まで築き上げてきた雪ノ下陽乃が無くなってしまうんじゃないかって」

 

「みんなが期待している私じゃなくなってしまうんじゃないかって」

 

 

「……」

 

 

「だから…もう止めにしようと思ったんだ」

 

「後は雪乃ちゃんにお願いしようかって」

 

「都合のいいときだけ頼る悪い姉だって分かっているんだけど」

 

「雪乃ちゃんにしか頼めなくて」

 

「だからもう…私は私をとり戻さないと」

 

「なんだか…いろいろごめんね…」

 

 

 

 

 

「だから…私に期待しないで」

 

 

 

 

その肩はとてもか弱く震えていて。

外骨格は、もはや体を成しておらず。

見るものを溺れさせるような深い瞳は。

涙を浮かべながら強がっている子供のようで。

 

 

そう言ってうつ向いたままの彼女に俺は何と応えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…。

 

……。

 

 

 

 

 

今までの俺なら、

以前の比企谷八幡なら、

 

 

その培った経験と鍛え抜かれたぼっち力で、自分がこの場面でどうすべきか察しただろう。

 

そのまま何も言えず回れ右をしていたかもしれない。そうやってその場の空気を読んで無難に過ごしてきたのだから。

 

 

だが今の俺には退路が無い。

もはや前に進むことしかできない。

いまさらそんな空気なんか読んだところで。

 

もう十分に間違えてきたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「まっ、まえに言いましたよね。『人と人の間には不確かなものしかない』って」

 

「…そうね。君はそれが怖いのでしょう?」

 

 

彼女はうつむいたまま応える。

 

 

様々な回答が頭に浮かんでは消え、でもその全ては俺の答え。

 

間違うことを恐れては踏み出すことができなかった。だからいつもその場しのぎの最善を取り繕うことで誤魔化していた。

 

もう一度だけ深い息をして呼吸を整える。

 

落ち着くんだ…。

よく考えろ…。

目の前にいるのは…。

 

眉目秀麗で蠱惑的で魔王的で強化外骨格を身にまといその中身を見通すことができない。

 

けれど、

 

少し妹にかまいすぎるところがあって、余りある行動力で周りを振り回すところがあって、準備万端な、しっかりしたお姉さんを装いながら、好きな事には夢中になる子どもっぽいところもある。

 

時折、見せる何かを求めているような深い深い目は俺をとても不安にさせる。

 

 

彼女はー

 

 

ただのー

 

 

 

 

「確かにそうです。だから俺は」

 

 

俺は一歩前に出て彼女の手を取る。

俺の手はまだ震えたままだ。

 

 

陽乃さんはこんなに小さくて華奢だったのだろうか?握った手の暖かさと柔らかさを外に逃さないように両手で握りしめる。

 

 

 

 

「その不確かなものを認めてみたいと思いましたが」

 

 

 

血液が沸騰しそうだ。

自分の五感が全てバラバラになりそうで

かろうじて意識だけをつなぎとめている。

 

恐ろしくて仕方ない。

またその毒に、衝動に、その身が侵されるのが。

 

どうすればいいか分からない。

何を言えばいいか分からない。

何が正解なのかも分からない。

 

正直に言えば不安で仕方ない。

 

 

 

けれど俺は、

 

 

俺達の間には不確かなものしかないと。

名もなき毒にその身が蝕まれるからと。

お互いに傷つけ合うことになるからと。

やはりそれが間違っていると知りつつ。

 

 

 

またも手を伸ばしてしまった。

 

 

 

もちろん現実は理解している。

彼女が魔王で自分がしがない村人であることも。

 

過去から学ぶこともできず。賢者はおろか、愚者にすらなれない。以前の俺なら自分の醜態ぶりにその場で頭を打ち付けていただろう。

 

しかし、別に我を見失った訳でもなく、かといって悟りを開いた訳でもない。正直、勝算は何も無い。ここまで徒手空拳で挑むなんて愚の骨頂だろう。

 

そんなことはずっと分かりきっていた。

分かっているからこそ。

 

 

 

 

「…ちょっと俺一人では荷が重そうで…」

 

 

 

 

 

解り合えないからこそ通じる、儚い矛盾を抱く覚悟があるだろうか。

 

聖者の行進とうす暗い路地裏は決して交わらないかもしれない。

 

お互いが夜空を見上げたとしても、果たして何を想うかまでは分からない。

 

 

それでも。

 

 

この不確かな想いをお互いが抱いたであろうということを。

 

この矛盾した、問いも回答も無いかもしれない難問に立ち向かわなければならないことを。

 

目的地が見いだせない旅路に途方に暮れようとも、いずれ歩み続ける意味が見出せることを。

 

例え間違えてしまっても、間違えることでしか手に入らない何かがあるということを。

 

 

 

俺はもう、あきらめたくないんだ。

 

 

 

だからー

 

 

 

 

「それを確かめるのを手伝って下さい」

 

 

そう俺ははっきり言い切った。

 

 

 

 

 

怖くないのは嘘かもしれない。

足はすくんでいるし、顔から蒸気が出そうだし、さっきから打ち付ける胸の鼓動はかなりヤバいことになっている。この場から逃げ出したい気持ちも正直ある。

 

 

それでも…その一歩を…。

俺は歩めるはずなんだ。

 

 

 

なぜなら、

 

 

 

あの紅茶の香りのする暖かい部屋で、

かつて俺が憧れた気高い彼女に、

 

 

ーあなた自身を助けなさいー

 

 

魔王を倒せる何かになれる

 

 

ーいってらっしゃいー

 

 

勇気をもらったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女はうつむいたまま、その小さな肩はわずかに震えているようだった。

 

そうして俺が声をかけようとするとー

 

 

 

 

「あのね?」

 

彼女はかすかな声を発する。

 

 

 

「家のこととか、たくさん愚痴を言うと思う」

 

「わ、分かりました。ちゃんと聞きます」

 

俺はどうにか返事を返す。

 

 

 

「八幡のお父さんにもお礼を言いたい」

 

「分かりました。殴っておきます」

 

反射的に握っている手に力が入る。

 

 

 

「そのうち八幡のお母様にも挨拶したい」

 

「ど、どうぞいつでも…」

 

ほんのわずかに彼女の声が。

 

 

 

「八幡をいろんな人に自慢したい」

 

「そ、そうですか…」

 

その場に通るようになってきて。

 

 

 

「小町ちゃんにも嫉妬するかも」

 

「それは困ります」

 

少し蠱惑的になって。

 

 

 

「戸塚くんは男友達だよね?」

 

「戸塚は戸塚です」

 

少し子どもっぽくもあり。

 

 

 

「サキサキちゃん、妹さんも可愛いね」

 

「小さい子はみんな可愛いですよ」

 

少しお姉さんのようでもあって。

 

 

 

「折本さんはゲーセン好きみたいだね」

 

「なんで知ってるんですか?」

 

少し迫力もあって。

 

 

 

「めぐりにも気に入られたみたいだね」

 

「…先輩ですからね」

 

少し嬉しそうで。

 

 

 

「生徒会長ちゃんを助けすぎだと思う」

 

「俺もそう思います」

 

少しいじけているようで。

 

 

 

「ガハマちゃんの胸見過ぎだから」

 

「ど、どうにかします」

 

少し怒っているようで。

 

 

 

「雪乃ちゃんとは仲良くしてね。でも仲良くしすぎないでね」

 

「禅問答ですか…」

 

少し甘えているようであったが。

 

 

 

 

「いろいろ無理言うと思う」

 

「…いいですよ」

 

落ち着いたような声で。

 

 

 

「とても大変な目にも遭うと思う」

 

「それは遠慮したいですね…」

 

なんだか楽しそうな声で。

 

 

 

「きっと迷惑かけるから」

 

「もうかけてますよ…」

 

ただ当たり前のことを確認するかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それからね…」

 

 

見上げたその美しい瞳は。

 

不安げで。

遠慮がちで。

でも期待に満ちたもので。

見るものを離すことが決してない。

 

 

 

その時間は俺の人生の中で一番密度の高い時間。

一瞬なのか永遠なのか、

そんなことさえも分からなくなるような。

 

 

 

 

 

 

 

そしてー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私...面倒だけど...いいかな?」

 

 

 

 

 

 

 

ー面倒じゃないやつなんていませんよー

という、いつもの返しが口から発せられことはなかった。

 

 

 

 

頭の髪の毛の先から足のつま先を雷のような衝撃が突き抜ける。いつか車に撥ねられたよりも何十倍も強い威力だった。ただ、その衝撃が頭の中の陰ったものも吹き飛ばしたようで、からみついていた何がが全て無くなり、そのまま宙に浮けそうなくらい身体が軽くなった気さえする。急に視界が鮮明になり、さっきまで寂しいモノトーンだった世界が極彩色に、まるで今まで白黒テレビしか見たことなかった人間が初めてカラーテレビを見たような。そうして視界が360度に開けて、この場がこの空間の全てが手に取るように把握できるような不思議な感覚。

 

 

そんな、

 

外骨格でもない。

蠱惑的なものでもない。

無邪気な子供的なものでもない。

思考を刈り取る圧倒的なものでもない。

 

 

俺なんかが言葉で表すことが到底できない。

 

 

 

雪ノ下陽乃の笑顔。

 

 

 

 

 

…。

……。

………。

 

 

多分、ほんの少しの間だろう。

意識がはっきりとしない。

というか飛んでいた。確実に飛んでいた。

 

慌てて焦点を目の前に戻すと、

 

じっと俺を見つめる目。

吸い込まれそうでとても見つめていられない。

 

 

…。

 

……。

 

これはあれだ。

もしかして…そうですよね…。

 

 

その…催促ですよね…。

 

 

何だろう…セリエAじゃなくても十分に分かるアイコンタクト。観客席からいきなりフィールドでハットトリックを要求されるような無茶ブリ。それを分かった上でやっておられますよこの方は。

 

 

やはり魔王だ。村人の俺には太刀打ちできない。

 

 

焦る俺の内心を察してか、魔王様は嬉しそうにさらに俺に近づかれる。

 

 

目と鼻の先というか、もはや密着しているまでである。

 

 

しかしその目は。

今から起こることが絶対であることを疑わない。

全てを悟っているように。

全てを信じているように。

まっすぐに俺を捉えて離さない。

 

 

それからとても自然に。

 

当たり前のように。

 

軽く出掛けるような簡単な仕草で。

 

 

 

 

 

 

目を閉じてわずかに顔を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

…。

 

……いや。

 

 

……いやいやいや。

 

あれだ、…勘違いしていた。

 

少しでもどうにかなったと思ってはいけない。

既に魔王の掌の中のようだ。

村人の俺がかなうはずがない。

 

だって、絶対に逆らえないじゃないですか!

ほんの少しの間でも、自分が魔王を倒せる何かになったと勘違いしていた!

 

村人でしかない俺には荷が重い。

 

 

こんな状況は間違っている。

どう考えても間違っている。

かつ圧倒的に間違っている。

 

 

 

 

 

やはり…、

 

 

 

やはり…、

 

 

 

 

 

 

やはり俺の魔王攻略は間違っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………………………………………が、

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は

 

 

-あと一歩だけ前へ踏み出し-

 

 

魔王の

 

 

-彼女の肩にそっと手をかけ-

 

 

無言の命に

 

 

-なんとか意識を保ちながら-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり逆らうことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 

 

 

 

「この公式をあてはめなさい」

 

「こ、これか…。なるほど」

 

雪ノ下の冷気をはらんだ命令にビクつきながらも何とか応える。

 

 

「ここの問題のパターンを覚えてしまえば後の派生する問題は難なく解けるはずよ?」

 

「それはできるやつのセリフだな」

 

「私が教師をしているのよ?できないはずがないわ」

 

「出来の悪い生徒で悪うございました」

 

「大丈夫よ。会話さえ出来ればどうにかできるのよ。由比ヶ浜さんで立証済だから」

 

「はい!先生!」

 

 

そう言ってビシッと敬礼をする由比ヶ浜。なんか最近こんな調子なんだが、一体どうしたんだよ?なんか体育会的というのを通り越して軍隊的なものを感じてしまう。

 

「あら。誰かさんと違っていい返事ね」

 

3年生始めの実力テストで散々だった由比ヶ浜は雪ノ下に勉強を教えてほしいと真剣に泣きついた。その結果、雪ノ下の勝負魂に火がついて総武高校七不思議と言われた由比ヶ浜の学力は驚くほど伸びているのだった。数学にいたっては抜かれそうなのでさすがの俺も焦って勉強しているまでである。

 

「そんな頑張っている子にはご褒美が必要かもね。由比ヶ浜さん。今日も泊っていく?」

 

そう言って蠱惑的な笑みを受かべる雪ノ下。

 

「そんな、ゆきのん。この間だって…」

 

そう言って顔をわずかに赤らめ、もじもじする由比ヶ浜。

 

 

だーかーら!マジで!一体!どうしたんだよ?

 

 

窓を揺らす強い風は初夏の陽気を感じさせる。

柑橘系の香りに揺れながら黙々と数学の問題に集中する。

 

 

休日の雪ノ下のマンション。

 

最近はこうしてこいつの家で勉強会をよく行っている。というか家庭教師みたいなもんだ。

 

 

「おかげさんで以前より点数が伸びたみたいだ」

 

先日の数学の小テストの結果を思い出す。以前は赤点スレスレだった数学が、最近平均点以上になった。

 

 

「何を言っているのかしら?あんな点数なら全く、全然、ほんの少しも、話にならないわ。むしろ教えている立場からしたら申し訳ないのを通り越して自信を失いそうよ」

 

すごーい!君はスパルタ教育が得意なフレンズなんだね!って…そんなやつ、パークにいらねえよ。

 

きっと満点以外は認められないのだろうな。さすが雪ノ下。それはもはや人の領域では無い気がする。ゆとり教育の打破として雪ノ下式教育を取り入れてみてはどうだろうか?圧倒的に打ちのめされるか、人間止めるかのどちらかになるが…。

 

まあ仕方ない。

 

そういう方向性でお願いしたのは残念ながら当の本人である俺であって、苦情も契約破棄も逃げ出すことも叶わないのであった。

 

まあそうしなければならない事情がある訳で…。

 

 

 

 

 

「ところで」

 

 

雪ノ下はやれやれと額に手をあてながら言う

 

 

「学校や図書館の自習室を追い出されることになったというのに…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉さんはいつまで彼にひっついてるのかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり俺の魔王攻略は間違っている。」 終

 

 

 

 

 






この話を読んで頂いた全てのみなさんに感謝申し上げます。雪ノ下陽乃を好きな方が一人でも増えれば幸いです。



また挿絵、推敲を担当していただいたGrookiさん圧倒的感謝を。

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