そういえばいつか聞いた挨拶の返し文句だったような気がする。
「相席いいかしら?」
そう言って雪ノ下は俺の向かいの席を取る。淡いピンクのカーディガンに白いスカート、春色のコートを手に持っている。長い髪はいつもと違い後ろで結ばれている。髪をまとめているシュシュは見覚えのあるものだった。
「…ああ。どうぞ」
「小町さんに無理言って悪かったわね。せっかくの家族の時間なのに」
俺を見据えながらやや遠慮がちに言う。小町…そういうことか。お兄ちゃんをハメたんだな。いつもなら憤るところだが。悪かったな面倒かけちまって。
「その顔は何も聞いてないみたいね。でもその方が良かったのかも」
「まあ、小町のこれはいつものことだから別にかまわない。妹に騙されるのも兄の務めだ」
毅然と言い放ったつもりだ。千葉の兄貴としてはつい強気になってしまう。
「そうね。兄妹ならそうなのかもしれないわね」
てっきり「あなたの偏った思想に今後の小町さんの身が心配ね」だとか言われるのかと思った。いつもと違う雪ノ下の返答にどうも会話のテンポが掴めない。
ーお前んところはどうなんだよー
そう聞くべきなのだろうか。
「……」
「……」
それから雪ノ下が紅茶を注文してしばらく静寂が続く。
そんな沈黙の中俺はこいつと初めて会った部室での出来事を思い出す。あのときは張り詰めた空気でお互いに警戒していた。今はどうだろうか。
紅茶を一口飲んで小さな吐息を漏らした後に雪ノ下は話し出す。
「姉さんが私のマンションに引っ越してきたわ。元々母さんの命令でそうするつもりだったみたいだけど」
「二人でいろいろと話したの。あんなに話したのは本当に久しぶりだった」
懐かしむようにわずかに微笑む雪ノ下。紅茶の入ったカップを包むように持ち、その水面に何かを思い浮かべているようだった。
「私はとても醜い人間なのかもしれないわ。困っている人が、寄るべきものを失った人がいるから私は立てるのかもしれない」
「奉仕部で私は私のための理由にすがっていただけなのでしょうね」
「雪ノ下…何を?」
自嘲に満ちた彼女らしくないその言葉の意図を図りかねる。
雪ノ下は次の言葉を発しようとして一旦止めてから目を伏せて言う。
「はじめて…頼られたの」
ふり絞るような微かな声が俺を芯から捉える。
「姉さんが…雪ノ下陽乃が私を頼ったのよ」
××××
「あなたに対して私は嫉妬をしているのかもしれない」
「……」
「ただこの問題はとても難しくて私一人ではどうにもならない」
「でも解決できないとは思わないの」
「……どうしてだ?」
「複雑でやっかいでひねくれていて…どこかの誰かのようだけど」
「俺を見るなよ…」
「私がどうにかしたいと、解決したいと心の底から思ったから」
「そういう気持ちが不思議と心の底から沸いて来て私を突き動かしてくれる」
「……そうか」
その言葉は次第にいつもの毅然とした彼女らしさを取り戻していく。
そうだ。これが俺がいる奉仕部の部長、雪ノ下雪乃だ。こいつは俺と違っていつもこうだった。だからこそ俺は奉仕部で依頼のために動けたのだと思う。
こほんと軽い咳払いをして、やや言いづらそうに雪ノ下は言う。
「聞いてもいいかしら?」
「…ああ」
「あなたと姉さんは…比企谷くんと雪ノ下陽乃はどういう関係なの?」
「……分からない」
俺はただ頭に思い浮かんだことを答える。
「あの人は『友達』だと言ったが…」
「友達ね…。いつかあなたにその定義を問おうとしたわね」
「ああ、友達がいないやつのセリフだと返したな」
「なら私達の関係は何なのかしらね…」
雪ノ下は髪を結んだシュシュを触りながら言う、
「真に遺憾ながら知り合いじゃねえのかよ」
いつものように口から出た言葉にどこか力の無さを感じる。
「あら、そうだったわね」
雪ノ下は軽く笑った後に紅茶を飲み直す。
「いずれにせよ、いい頃合いなのかもしれないわね」
「……なんのだ」
「……私とあなたとの決着を付けるのに」
「そして」
雪ノ下は部室で初めて会ったときのように鋭い視線を俺に向ける。
「あなたの依頼を解決するのに」
「雪ノ下。俺は…」
「あなたには周りの人を変える力がある」
「買いかぶりだ…。俺は何もやり遂げてない」
解決せずに解消と以前の俺は偉そうに言った。結局、問題の先送りをしただけでそのツケは誰かが背負わないといけない。
「周りの人間や、あなた自身はそう思っているかもしれないわね」
「けど、少なくとも私はそうは思っていないわ」
「なぜならあなたは…」
雪ノ下は席を立ち去ろうとして、こちらを振り返らずに言った。
「私達を変えたのだから」
雪ノ下姉妹の間でどんな会話があったかは分からない。
ただ雪ノ下はどこまでも雪ノ下らしくあろうとしている。
なら俺は
比企谷八幡らしくあるためには。
俺が認める
俺になるにはー