Re:DOD   作:佐塚 藤四郎

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八雲紫登場回


3.「静謐」-2

     2

 

 

 

「教授、お疲れさま」

 

 ちゆりの声を背に受ける。背後にあるその顔は見えないが、少しばかり気疲れした色が窺えた。

 黒い巨腕で壁に拘束されていた男、その黒い身体は風化するかのように崩壊し、後に握りこぶし大程の大きさで単結晶型の赤結晶だけを残して塵も残さず消えた。白塗りの独房は流血や破壊で彩られること無く、何事も無かったかのように無機質な白さが照明に映えていた。

 実験の本目的であった赤結晶を拾い上げる。

 手の内で光に照らした赤水晶は、その表面に私の姿を赤々と映した。

 

 被検体の最期の表情、諦念に支配され力無く笑うかのような顔が思い起こされる。

 この者は私達が今いる圏内の裏側で捕食者として生きてきた人間だった。今まで慈悲を請うた被食者達の末路を知らない訳ないでしょうに。わざわざ見逃さない事を宣言し、死地に追い込まれていることを自覚までさせたのに、他の被検体たちと同様にあっさり諦めてしまうとは。それとも逆か。裏で生き、生死を身近に感じる人種であったが故に、絶対に助からない状況と理解して諦念に身を(もた)げたのか。

 

 期待していたものにならなかったことにか、はたまた別の要因か、内心で溜息をつく。

 私は嗜虐嗜好ではないし、愛情をもって接したモルモットは良い結果を返してくれるなんて研究者オカルトを信じている程度には、被検体には好意的に接したいと思っている。モルモットと人間を同列に扱うなという声は尤もだけれど、人体実験を敢行している人間にかける言葉ではないし、人体実験を行っている当人が発するべき言葉でもないだろう。人体実験をしておいて、優しくすることの理由に人間の情や心を根拠にするよりかは、まだまともな理由足り得ると信じている。

 わざわざ被験者の精神を逆撫でにして心的負荷をかけて追い込んだのは、精神活動がゲシュタルトの形態維持限界に及ぼす影響の検証の一環、つまりは、どの程度で生身の人間に於ける死亡に相当する状態に至るかの検証であった。

 本目的のDOD結晶確保ついでの副次目的で、死亡を前提にした実験であることは事前に把握していたし、そうなっても構わない被験者を選定したつもりだ。

 

「諦めるなら、最初から壊れていればよかったのにね」

「悪役めいてますねぇ、教授。誰だって死にたくはねぇでしょ」

「の割に、最期は完全に心折れていたけどね」

「誰だって不屈の精神持ってる訳じゃねぇですから」

「儘ならないものね」

 

 私と助手は覇気の無い会話を交わす。

 お互い、この場にあって思う所があるのだろう。

 それが同じものだなんて烏滸がましいことは思わないけれど。

 

 この被検体の男に語りかけた内容に偽りは無い。

 事実、この男は私達の存在に感付いた結果、襲撃をかけるに至った。現実的な脅威となったから排除したに過ぎない。排除は確定、その排除の過程で拘束し、検体に転用する手段と目的があったからそうしただけ。

 

 この地を拠点に据え活動してからは、分かり易い利益の授受は避けて、傍目には目立つことを避けてきた。それでも、私達がこの地の有力なコミュニティと異常に早く、異常に深く接近し侵食していたことに頭目の男は隠れた利益と脅威を感じ取ったようで、私達の周囲を嗅ぎ回っっていた。

 手も足りず、嗅ぎ回るだけならと放置していたけれど、結果、頭目らの行動で芋づる式に政府系に発覚。頭目を中心とした半グレ達は政府系の差し金で表裏共に逃げ場を潰され、噛ませ犬のように私達に嗾けられることになり、あえなく全滅に至った。

 頭目の男は慎重な気質と知っての放置だったが、政府系が敏感に反応し積極的に仕掛けてきたのは正直意外だった。とはいえ、地域の支持と情報網、『黒の魔法』という戦力、準備は万全にして万端であり、被害は僅かにも出させなかった。正面衝突で叩きのめした、なんて映えるものでなく、襲撃決行の前夜、襲撃主幹構成員の拉致という形で呆気無く収束。襲撃方の被害も最小に抑えつつ、事件沙汰にしないことで政府系が万が一に介入してくる隙も潰した。私達の意思表示としては充分だろう。

 

 政府系については、いつまでも接触を避けられる訳も無く、いずれは再接触を図る気でいたので然したる問題ではない。半グレを嗾けたのは、彼らの、私達に対する試金石だろう。私達がどういった存在か、人類側なのか、変異感染者に連なる存在なのか、戦力的脅威の程度は、交渉は出来るのか。1年前、研究所騒動での被害を思えばまともな判断だろう。嗾けた事よりも、その積極的な判断を下したことこそ気掛かりだった。意思決定機関の内部で変化でもあったのかもしれない。私達、というよりはより具体的にこの岡崎夢美(わたし)の事を知り、信用した上での行動に思えた。近々、相手方から再度の接触があるでしょうね。

 

 確保した構成員の身柄は実験に回し、先の男を最後に抱えてる可処分検体も処理し終わった。頭目の関係者、繋がりは広かったけれど、今回はその全てに対応の必要は無いと判断。社会的はぐれ者グループかつ、マフィアやヤクザのような権威的、組織的な勢力と異なり、繋がりの薄い個人主義的な集団であったことから、報復を企てられる者は殆どおらず、その芽がありそうな者は既に頭目と仲良く検体処理されている。検体の短期的な運用は勿体無くもあるが、腰を据えて研究に没頭できる立場に無いので、痕跡を絶ち、いつでも逃げ隠れ出来よう身軽でいる為にも被検体は抱えてはいられない事情もある。

 そんな都合も相まって、研究の主軸はゲシュタルトの性質やDODの解析等の基礎研究は優先度を下げ、実用的な薬や『魔法』の応用研究に注力している。綿密な記録、観察は今のところ主眼に置いて無いのだから、いたずらに苦しめる実験は避けるべきだったか。いや、被検体は他にもいて、それらも先の男と同じように処理済みであること鑑みるに今更ではあるのだけれど。

 あの男を除く検体は、最初から全て諦めていたり、錯乱したりと正気無くどうしようもなく壊れていた。それらと比較して、男の初期態度は落ち着いており、最期に諦念に沈むまでの間、己が意思を示し、人間的であった。それ故に同情をしたか、或いは、実験動物が人間であったことを思い出したのか。

 瞑目するも、瞼の裏に答えが書かれている訳がない。

 

「――――ハオ、この赤いの。ちゆりに渡してくれる?」

 

 目を見開き、深呼吸を一つ。骨、肉、姿勢を意識する。

 魔法制御で宙に浮く魔剣、古の覇王ことハオの刀身をの腹を指先で撫でつつ語りかける。

 漆黒の短剣は静かに浮いたまま、魔法陣から伸びる黒の手を人並みの大きさに縮め、手渡した赤結晶を丁寧に掴み、ちゆりの前までフヨフヨと浮かび移動して赤結晶を手渡した。

 

「ありがとぉです、ハオ。『黒の魔法』の制御、ハオだけで出来るようになったんですね」

「簡単なものならね。そのDOD結晶は製剤しておいて」

「了解。教授はこれからどぉすんです?」

「部屋で届いた治験データ目通したら、件の最終調整かしらね」

「……本当にやるんですか?」

 

 ちゆりの声色に陰が入る。房を出る私にちゆりのジト目が刺さる。

 手持ち無沙汰気に浮かんでいるハオを掴み、腰後ろの短剣鞘へと納める。

 

「近々忙しくなる気がしてね。思索も準備も万端、横槍が入る前に済まそうかなって」

「かっるいなぁ……。教授、寝たほぉがいぃです。ここ連日、襲撃者の対処から実験続きで疲れてますよ絶対。治験データはこっちで纏めときますんで」

「ちゆりは大丈夫なの?」

 

 率直な質問にちゆりはジト目を幾度か(まばた)きさせる。

 一息おいて先まで被検体がいた独房に目を向けて続ける。

 

「教授が襲撃者に襲撃カマしてる間はカイムさんが警戒してくれましたから暇なもんでしたよ。実験も私は教授やカイムさんみたいに力で対処できない都合、直接手を下してませんからラクなもんです」

「いや、気持ち的に」

「襲撃者達の処分は正当だと思います。検体に用いたことも妥当だと思います。ただ、割り切れないものがあるのは確かです」

「それは苦しいってこと?」

「否定はしねぇですし、必要なもんだと思って受け入れてます」

 

 ちゆりの目は独房から私の瞳を真っ直ぐ見据えていた。

 その瞳にも声色にも澱みは一切無かった。

 

「そんなものかしら」

「そんなもんです。夢美も同じこと思ってんじゃねぇですか?」

「そんなものかしら」

「知るわけねぇでしょ」

「えぇ!? そ、そこはほら――――、」

 

 あっけらかんと言い放つちゆり。おセンチになりかけた心をバキバキにされたことに猛抗議せんと躍起になった瞬間、この地下独房に入るドアがノックされ、その向こう側から少し常人のものと比べ違和感のある、男の声が響く。

 

「夢ミ。いイか」

 

 大きな影が扉の向こうから覗く。

 影といっても、先の被検体と同じ黒々としたゲシュタルトではなく、並の人間のような容姿をした男、カイムの姿があった。

 ゲシュタルトの頃に見たものと変わりない顔立ちはコーカソイド系。肌色はやや日焼けした色身だが元地は色素薄い肌。深く濃い黒の髪は光の具合で微かに青くも見える。目元を隠すような長い前髪の奥に覗く濃い碧眼は遠目にも目を引き付ける。コミュニケーションを拒むように伸びた髪の割りに、肩胸を張って開かれた体癖に臆病さは見られない。

 ゲシュタルトの頃と違い、今の人間らしい形をした器を得た事でか、細かな癖も見られるようになった。ほんの少し、気にもならない程度だけれど、前傾姿勢で身体の力が前方に向いている。この男が別の世界、この男にとっては元の世界で、長きに渡り戦火に身を置いてきたことで未だ戦闘姿勢が抜けきっていない事が窺える。多分に無意識の領域で、カイム自身に自覚は無いのでしょうけど。前髪が鬱陶しくなったらしい時には手指で髪を弄らず頭を振って前髪を払うのも同じなのだろう。両手持ちで武器を振るうのがカイムの主な戦闘スタイルらしく、武器から手を離さずにの習慣が癖になったのだろう。

 カイムはチョーカー型人工声帯の締め付け具合を窺うように喉元に手を当てる。カイムは超常的事象『契約』なる作用の代償に声、より正確には『言葉』を失ったようで、喋れない聴唖の身であった。それはゲシュタルトの時もそうであり、今の器を人間の形にしてからもそうであった。

 荒廃した東京タワーの元で手を組むことを契約した際、声もあげると確約したことに対する結果。まだ完全には使いこなしていないようで、発声は常人のものと比べ少し違和感があるけれど、時期に常人と変わらないように会話できるようになるでしょう。特訓には会話あるのみ!

 

「ちょっとぉ! 今良い所なの!」

「そうか。……ちゆり、玄関に客が見えている」

「あぁーっ! 面倒くさいからって私じゃなくてちゆりにタゲ変した!?」

 

 積極的に絡みに行ったが敢え無く躱されてしまう。

 もっと最初の頃はあれこれと面倒臭そうな顔しつつも構ってくれていたのに、ちゆりの教育が行き届いているようで日に日に賢くなっていく。特に、私の処理の仕方はちゆり本家仕込みだ。

 

「取り次ぎありがとぉございます。予定にない訪問ですね」

「紙束の荷は夢美の部屋に運び入れておいてよかったな?」

「もうやってくれたんですね、助かりました」

「構わない」

「ただ、カイムさん」

「何だ」

「女性がいる部屋に返答も待たず立ち入るのは、どぉかと思いません?」

「ム、」

「私達は良ぃんです、着替え中だろうとなんだろうと。ただ、他の方を相手にやっちまったときはマジィ、ですよね?」

「ムゥ……」

 

 ちゆりがハンドジェスチャー巧みに指導が入る。その顔はとても良い、眩しい程の笑顔。

 カイムはというと、側に詰め寄って見上げながらアレコレと指導してくるちゆりを、見下ろしそうながらバツの悪そうな雰囲気を醸している。小型犬に躾けられる大型犬、という画が一番しっくりくる。

 

「まぁまぁ、ちゆりちゃん? カイムも反省してるようだし、その辺で、ね?」

「そぉは言いますがね教授、訓練で身体に沁み込ませてこそ本番で活きてくるもんなんですよ」

「……! その通りだ。改めよう」

「ほら、カイムさんもこう言ってます」

「嘘でしょ!?」

 

 まさかの裏切りであった。

 否、カイムの表情は眉根の皺がパッと消え、得心いった面持をしている。こいつ、本心で言っていやがる。日頃、勉学のみならず肉体的鍛錬も欠かしてないのは知っていたけれど、まさか訓練や本番などの言葉にほだされたか。カイムの教育に関してはちゆりに任せている面が大きく、カイムの取り扱いになれているのは明白だった。

 ちゆりは此方に詰め寄り直し、ジト目で見つめている。ここは逃げの一手である。

 

「ほら! お客さん! お客さん待たせてるじゃない!」

「関係者からの訪問予定は私に話通るよぉなってんです。急な客なんてのいないんですよ」

 

 回る込まれた! 逃げられない!

 

「ご近所さんのお裾分け、とか?」

「なんで疑問形。大規模な居住地から離れてますし、地主さんのご厚意で近場の家屋は空き家ですよ」

「半グレ残党が攻めてきた可能性だって」

「教授の夜襲を生き延び、玄関対応でカイムさんの警戒にも引っかからないのがいればですね」

「う……、営業のおじちゃんや宗教勧誘のおばちゃんとか、とか」

「それこそ待たせたらいぃですよ」

「本当、待ちくたびれましたわ」

「ほらぁ、待たされるのはヤキモキするものだからね?」

「待つのもお仕事なんですよ」

「おい」

「何よカイム」

「何ですカイムさん」

「こいつ、誰だ」

「「え」」

 

 私とちゆりの間の抜けたハモリ声が地下室に反響する。

 金髪紫瞳、女性的肉感に恵まれた、要は巨乳の黒パンツスーツ姿の美女が極自然な雰囲気で扉の側、カイムの背の陰になる場所で佇んでいた。

 

「今日和。お初目にかかりますわ。ワタクシはヴィオレッタ=ハーン。どうぞ、ヴィオラとお呼び下さい」

 

 美女はそういうと、スーツジャケットの裾端を摘み上げ、片足を斜め後ろの内側に少し引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま優雅にお辞儀をした。

 

 

 × × ×

 

 

 西欧圏においてカーテシーと呼ばれる古典的な礼は、その一連の動作に澱みなく優雅であり、(へりくだ)る礼でありながら見る者に高貴さを感じさせる舞のようでもあった。

 スーツという現代衣装を身に纏いつつ、ドレスで行うような礼を振舞い、謙るようで威厳を見せ付けんとする女の第一印象は、胡散臭いであった。あとは、ドレスのような衣装に着慣れているのだろうなという事。

 カーテシーの礼をスーツのパンツやタイトスカートで行う場面もあるが、その場合はジャケットの裾端をスカートに見立てて摘まむのでなく、身体の前で手を組む方が一般的だ。敢えてそうしないという事は、無意識か、意識的なら今の私は本当ではないという彼女なりの自己紹介の挨拶か。

 

「あぁん、そんなに熱烈に見つめられてしまうと――――、」

「――――照れてしまう、そうでしょう?」

 

 ヴィオラと呼んでくれという妖艶な美女の、無駄に色気を振りまきながら紡ぐ言葉に割り込む。

 女は此方の割って入った言葉を聞いて、ピタリと止まった、と言い表すのは正確ではない。止まった瞬間など知覚できない程、それこそ初めから静止していたかのような佇まいで私の顔を見ていた。

 その顔には言葉割り込まれた事への不快感や、私が発現した内容を訝しむような色は一切無い。ただただ、ひどく綺麗な顔に笑顔だと感じさせる色を滲ませている。表情筋そのものの動きは殆どない。何が変わったかと言うなれば、オーラとか空気感という曖昧な表現に留まらざるを得ない。女が笑うで妖しい、如何にか言葉にするなら妖しいと言い表すのが適当に思えた。

 ともあれ、この女、ヴィオラの所属が少しばかり見えてきた。それも氷山の一角なのでしょうけど。ヴィオラ自身、隠すつもりは無い様子であるし、試されていたのかしらね。

 ちゆりとカイムの視線は私とヴィオラの間を右往左往している。二人は二人なりに、突如現れた美女のことを推察しているようであった。私が訳知りに話しかけた事で私の関係者かどうかと混乱に拍車をかけてしまったようね。

 私の割り込みにより、張り詰めた空気が空間を支配する。その静寂を破ったのはちゆりであった。

 

「……教授、お知り合いで? 話には聞いてねぇですが」

「私は彼女を知らないけど、彼女は私を知っているようね」

「お知り合いではねぇんですね」

「それじゃ、『お知り』ね」

「日本語はそこまで柔軟万能じゃねぇですよ。カイムさん、玄関に見えてたのって」

「この女だ」

「いやですわ。どうぞ、ヴィオラとお呼び下さいな」

 

 ヴィオラはカイムに一歩寄り、上目がちに迫るが、カイムは涼しい顔をして上身を逸らして躱す。ヴィオラはあら冷たい、と残念でもなさそうに呟き、何事も無かったかのように元の姿勢に居直る。カイムの脚の付け根をまじまじと観察するがそちらも何事も無かった。

 

「カイム、聞くけど」

「聞くな。口を閉じていろ」

「その美女タイプじゃなかっモッ?!」

 

 決してセクハラ目的ではなく、カイムの今の肉体の生理反応を窺う為の質問は、ある種の当然の帰結として遮られた。カイムの大きな手がアイアンクロ―の要領で私の顔面、鼻口を塞ぎつつ鷲掴みにして、視界は暗闇に陥る。

 

「えと、ヴィオラさんでしたか? 何時、何処からここに?」

「つい先ほど。そこの殿方、玄関鍵かけて行かれませんでしたので、そのまま玄関からつついと」

「カイムさん!」

「ム、」

「そう責めないで下さいまし。何やら耳障りな音が奥から聞こえたなと思った時、殿方は酷く気を揉んだ様子で音の方へ駆けて行ったのですから」

「むー! むー!」

「あー、きっと被検体の最後の抵抗と絶叫ですね……。すみませんカイムさん、露知らず」

「構わない。不用心だったのは確かだ」

「誤解も解けたようで何よりですわね!」

「いや、……いや止めとく。どことなく夢美と似た匂いがするんだぜ、あんた」

「あらあら、ご挨拶ですわね。お近づきになれたと思う事に致しましょう。で、殿方が鷲掴みの彼女、腕をぺちぺち叩いてますがマズくありませんこと?」

「あ。カイムさんもうペッしていいですよ、ペッ」

「むーッ!?」

 

 鼻口を手掌で塞がれ声にならない声での猛抗議を最後に戒めから解放される。

 あぁ、空気がおいしい。地下の、密室の、人体実験室だけれど。

 カイムめ、肉体の制御が上手くなったようで、スンとも動けない程がっちり固定していながら、痛くも傷は付けさせないとは。鍛錬は順調に実を結んでいるようね。にしても、全く以て手酷い仕打ちだ。

 

「はぁ、はぁ……、えぇと、それで? どこまで話進んだの」

「このヴィオラさんが関係者でも何でもなく、ただの不法侵入であることが判明したくらいですかね」

「あなた方は国立超自然第二研究所の事件で行方不明、実質の死亡扱いになってますから、日本国法の庇護は当てにしない方がよろしいかと」

「知ってるわよ。で、ヴィオラ。貴方は誰の使い? 日本国? 合衆国? 第三国?」

「そう急かされずとも。こちらつまらないものですが手土産に蓬莱890の豚まんと」

「受け取るわけないでしょ、出直しなさい」

「高級いちごの詰め合わせですわ」

「これはこれはご丁寧に、」

「受け取ってんじゃねぇ。――――ヴィオラさん、手土産はお受け出来ねぇです。今日の所はどぉかお引き取りを。こちらにも都合というものがございやがりますんで、連絡先と連絡手段を提示頂ければ此方から折り見てご連絡致しますんで」

 

 ちゆりは私にこぶしを入れつつヴィオラの間に立ち、真正面から向き合う。事務的な会話でありながら、そこにはあからさまな警戒が見て取れる。

 当然だろう。岡崎夢美(わたし)に事前に察知されていないことも然る事ながら、カイムの警戒に引っかかるような攻撃的な気、敵意や害意、恐怖心といったものを持たず直接的接触を図る存在。岡崎夢美やカイムの異常性を理解しているちゆりだからこそ、それらとタメ張ってくる存在は同程度の異常性があるだろうことを理解、想定している。

 ちゆりの攻撃的な、向こうの出方を窺う為であろう物言いにもヴィオラは綺麗な笑みは崩さない。

 

「そうは仰りましても、もう一つの手土産はしっかり受け取って頂かれたようですし、お話だけでも聞いて頂きたいものですわ」

「……何の話です」

 

 ちゆりはヴィオラに問い返す。言外に、ある種の想定は見当が付いているようで、その想定はきっと正しい。

 ちゆりに下がるよう手振りで伝え、ヴィオラと再度、正面から対峙する。

 

「そう、貴方だったのね。雑多な連中を掻き集めて嗾けてきたのは」

「教授、襲撃者の黒幕って、」

「カイム。問題無いわ、大丈夫。大丈夫よ」

 

 ちゆりの言葉を遮って真面目な男に静止をかける。

 カイムはヴィオラと出入り口の扉を挟む様な位置に立ち、無意識的な戦闘姿勢の端々にまで意識が入る。出入り口を塞ぎつつ、ヴィオラの死角に回り込む流れは酷く手慣れた警戒であった。ちゆりの教育で知識と常識を得て、過度な攻撃的警戒は避けるようになったが、過去の習慣はそうは抜けないらしい。

 ヴィオラはカイムの行動に動揺する素振りもなく、ちゆりの疑問に世間話でも交わすかのように軽い口調で続ける。超然とした態度は胡散臭い、しかも胡散臭さを隠す気が無いと見える。彼女なりの自己紹介だろうか。

 

「ワタクシですわね。尤も、ご用意した数の殆どに手を付けて頂けませんでしたけれど」

「これでも(ひん)はイイ方でね。ご馳走全て平らげる程いやしくはないよ」

「それはそれは。お口に合わなかったのかと思いましたが、そうではなかったようでホッと致しましたわ」

「そう。悪いわね、気を使わせたようで」

「いえいえ、此方が勝手にやったことですので。それで如何致しましょう」

「と言うと」

「残りは持ち帰っております。お口に合っていたようでしたら、持ち寄りましょうか?」

「私が犬に見えるワン?」

「犬猫なら猫ですわニャー」

 

 何気ない会話の応酬。最後のお互いふざけた遣り取りに、一拍間を置き互いにフフッと小さく息を漏らして一息つく。傍目には和やかな会話だろう。

 少し顔を傾けてヴィオラの向こうで怪訝な表情をしているカイムに目を遣る。難しそうな顔をしているけれど、どの程度理解しているものか。今後のちゆりの教育に期待、ということにしておこう。

 目の前の女の所属を探る、というよりも女の手解きで自己紹介を受けたわけだけども、もう一歩の所で判然としない。少なくとも大陸系ではないようだ。日本国か合衆国か、あるいはその両方か。それでも今一つ、この女の浮世離れした雰囲気と、自身の勘が合致しない。

 初対面であるはずだけれども、この美女、ヴィオラは随分と話に乗ってくれる。元より、この手の回りくどい事が得意であり好きなのだろう。正面から突っ込みがちな身としてはよくやると思う。

 

「主任はお元気?」

「あらあら、急ですわね」

「急なものか。君が最初に私に向けた言葉は、研究所事件当日、岡崎夢美研究員が千藤汽笛主任研究員と最初に交わした内容そのものだ」

「研究の事ばかりかと思えば、よく覚えていらっしゃいましたね」

 

 当然だろう。この先の人生に於いて、あの日の事を忘れる事だけは無い。

 聞き取り調査をされたであろう主任にしても、当日の私との会話をどの程度記憶していたかは知らないけれど、当日の私とのやり取りを一から話すとなれば幾度となく触れる話題だろう。こと岡崎夢美の特異的な赤髪赤瞳、変異感染者と同じ赤い瞳に対してどのような感情を抱いていたか、精神状態を計る為にも避けられる話題ではない。この接点からヴィオラが日本国政府との浅くない縁があるのは疑いない。

 

「興味があることならね。それで?」

「事件後、聴取や責任の追及あったようですが誰より整然と平然としてましたよ」

「誰が主任のその後を尋ねたかしら。君の話をしていたつもりだったけれど」

「気になりませんか?」

「話だけでも聞いてほしい、君の言葉だ」

「なら問題ございませんわね」

 

 やや突き放した雰囲気を持たせた私の物言いにも彼女は動じない。

 彼女は日本国政府の中でも、研究者側、若しくは、主任個人に近しい人間なのではないかと言う先入観を持つことにする。

 

「責任の押し付け合いの際、回されてきた責任を彼は素直に受け入れ、研究職を辞する意を示した時は周囲が引き留める事態に。結果、事件の責任の所在は不明確なまま、誰も触れたがらない宙ぶらりんの処理済み案件になりましたとさ。めでたし、めでたし」

 

 何処かで見聞きした手口。全てを曖昧に、灰色にしてしまうやり口。

 まだ第二にいた頃、研究参加の嘆願も似たような手で生殺しのオアズケを食らっていた。ただの先送り主義かと思ったが、やはりと言うか何と言うか、違ったようだ。主任は私の理論を用いないとの発言もあったことから、元より意図的に研究に関与させる気が無かったのは確定した。理由は分からないけれど。

 ただ、事実として、私とカイムの接触は騒動を免れなかったであろう事を思うと、私には好都合であった。主任にしても、予知される騒動を避けられていたという点では利があるかもしれない。ただ、疑問も残る。

 主任は管理責任者であると同時に研究者だ。それも国からの要請を受けた意欲のあるはずの若手の研究者。それでいて、研究対象の変化が望める実験を避けていたこと。私が同じ立場なら実験を断行していただろうし、現にやったのが今に繋がっている。

 動機が官僚的責任回避に基づくものであった場合、その後の責任問題の追及では責任を受けようという姿勢に、如何にも違和感が拭えない。

 

「研究機関の再編までの間、他の第二研究所の所員ら一緒に第一研究所の預かりになりまして、今は第二研究所跡地での調査研究に当たってますわ」

「なるほど。やはりあの男、興味深いわね。けれど、ヴィオレッタ=ハーン。君は私の興味を引けるのかしら」

「美しく、聡明で、日本国政府側とのコネがある人材と言うだけで魅力ではございません?」

「合衆国側とのパイプもあるでしょう」

「なら一石二鳥ですわね」

「二兎追う者は一兎をも得ず、とも言うわね。鳥とも獣とも知れぬモノがどう思われるか、知らないわけないわよね」

「貴方も似たようなモノではなくて?」

「蝙蝠が咎められたのは存在自体の所為ではなく、芯の無い行動を所為よ。私も君も得体が知れない存在のようだけど、それは共感を誘う理由にはならない。ねっ? カイム」

 

 ヴィオラを躱すように上半身を大きく横に曲げ、ヴィオラの背後の先にいるカイムに話を振る。カイムは一瞬驚いたように眉を上げ目を丸くする。ニッと笑顔を向けると難しそうに眉根を寄せた。瞳の動きを見るに私達の会話を思い起こしているようだ。生真面目に深読みしてるのか、聞いてなかった話の記憶の切れ端を必死に掻き集めてるのかは知らないけれど。

 私の視線を追ってか、ヴィオラも振り返りカイムの方を見つめた。ヴィオラの顔は見えないが、カイムの表情を見るに、やはりカイムの警戒を誘うような気配は微塵も出していないようだ。

 ヴィオラが私の方に向き直る間際に見せた一瞬の顔はとても穏やかなものだった。あまり観察したことのない表情、記憶を漁るに郷愁に想いを馳せる老人がこんな顔をしていたなと漠然と思い出す。なるほど。見知らぬ人からあの表情を向けられたら、警戒も何も無いかもしれない。

 瞬きした後のヴィオラの顔は元のひどく綺麗なものに戻っていたが、先よりも纏う空気感が緩んだ気がする。気のせいと言われれば否定の仕様も無いけれど、ようやくこの女の本音が覗けた気がした。

 

「フフッ、経歴やプロファイリングの人物像とはかなり違いますわね」

 

 ヴィオラは口元に手の甲を当て上品に笑う。私やカイムの顔がおかしかったということはなく、安堵したことや、過度に警戒していた自身に向けたものに思えた。微塵も感じなかったが、やはり相応の用意と警戒はしていたらしい。

 

「私の? いつの?」

「合衆国のグループホームの頃から渡日するまでですわ」

「違って当然ね。どんな評価されていたのか聞きたくも無いわ」

「ええ、とても聞かせられませんわね」

「「でしょうね」」

 

 脇で控えていたちゆりと私の声が綺麗にハモる、ハーモニーした。お互いに目を合わせて、同じように一拍空けて小さく吹き出す。場の空気が少しばかし緩んだ気がした。置いてけぼりを食らったカイムは不思議そうに姦しい場に視線を泳がせた後、立ち寝でも決め込むかのように静かに瞑目した。

 

「ワタクシは八雲(やくも)(ゆかり)。異界より罷り越しました。どうぞ、よしなに」

「「え」」

 

 本日何度目かのハモりが静かな部屋に響く。

 ヴィオラは最初に見せた歪で優雅な古典礼の姿勢に、これでもかと妖しく綺麗でいたずらな笑みを浮かべていた。

 

 




用語等の解説回は次回

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