Re:DOD   作:佐塚 藤四郎

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新3「静謐」に差し替える予定。話も時系列も多少変更が必要となったので。
旧3「静穏」になるものは消すか、公開のまま場所を移すか思案中
拙者、関西圏の地理と三人称視点の書き方、分からん侍



3.「静謐」-1

     1

 

 

 

 鈍い痛みで男は目を覚ました。

 ぼやける視界と鉛の様に重く動かない身体。身体の節々は鈍く痛み、酷い二日酔いのような頭痛もする。

 見上げるは白塗りの天井。どうにか首を僅かに捻って見渡した光景は鉄格子と白塗りの壁と床、1畳の無機質な独房。男は鉄格子側に頭を向けて仰向きでよこになっていた。鉄格子を挟んだ向こうにも、また似た造りの空の独房が並んでいる。

 並の人間なら何事かと自身の置かれた状況を喚き立てるのだろうが、男は妙に納得した様子で身体の力を抜いて姿勢をラクにする。

 ここは何処ぞの留置所なんやろう、と。過去にも酔った勢いでの乱痴気騒ぎやらで手前自身ぶち込まれたり、バカ騒ぎやらシノギで下手こいた奴の所為で出頭させられたりと慣れ親しんだ場所。この留置所と思しき場所に見覚えこそ無かったが、男は自身をそう納得させた。

 頭痛に霞む思考と記憶は曖昧だ。なぜ手前がここにいるのかを思い出そうとするも、頭痛の波が思考を攫って行ってしまう。大方、飲み過ぎて何処ぞの何某と一悶着やったんやろうか。留置所の預かりになってんねから、酔って独りでに転んだマヌケではないはず。記憶は不確かだが、怪我の具合は確かに酷かった。首こそ僅かに回るが、首から下はずっしりと重い。感覚はあることから脳がイカれれたワケでも無ければ、骨が折れたり、肉が離れた訳では無さそうだが。ただ、如何にも指の一本も動かせない有様。事の経緯によっては、相手方に治療費だの慰謝料だのとゆすり脅して絞ってやるか、と男は邪悪にほくそ笑んだ。

 房の外、視界に入らない所から足音が近付く。

 サツの監視か、新しい房友を連れての事かは知らないが、丁度良い。連絡付けさせて、下っ端の若いのを使いに寄越そう。男があれこれと気を回している最中、逆さの視界、白い鉄格子の向こうに現れたのは赤い女だった。

 

 腰ほどまでにある真紅の髪の女。

 

 ウチの若いのの中にも奇抜な髪色キメているのはおるが、そういった連中のはある種浮いている。金髪や茶髪でも似合わん奴はとことん似合うてない、それが赤やピンク、紫などなら尚の事だ。言ってしまえば、似合わないのが普通、当たり前だ。あの手のが様になるんは、それこそミナミのオバハンくらいなもんだ。一種のステレオタイプであって実際は滅多に見んが、おるときはおる。

 だが、目の前の女はどうか、その赤さが女とても自然なものだと男には感じられた。

 それは不自然なことに感じられた。

 男は自身が半グレ、カタギでもヤクザでもない半端な領域にいることを自覚し、立ち回ってきた平衡感覚があるからこそ感じられる。この女は普通ではないな、と。それはカタギかヤクザか、はたまた同族の半グレかという話ではなく、集団におけるイカレ、その手の類の異質さだ。組織の最上か最下の層にはたいてい一人はいる人種だ。

 男が本能的な警戒を抱いていると、女の歩が自身の房の前で止まり、こちらに向き直った。仰向けで見上げる形で逆さの視界には、はためいた赤いスカート、おみ足の奥に目が行くが、ロングスカートでその最奥までは拝めなかった。警戒していた相手に対してであっても、これは自然の摂理、生存本能、仕方の無い事。若いネーちゃんだろが、皺くちゃのバァさんだろうが、ひらひらしたもんが翻ると目が行くってのは、本能的な事なのだから。後者の場合は、防衛本能も同時働いて全力で目ん玉と首を逸らすんだが。

 秘所を拝もうとする自身の目線が、赤女の視線とかち合う。こちらを興味薄そうに見下ろす女の顔が見えた。纏う雰囲気の割に顔は幼く二十半ば、いや二十歳前後か。化粧気は薄いながらに整って見える顔はモテ系よりは美人系、身体の方もバランス良く整っていて申し分ない。店に出せばしっかり客がつくだろうなと職的な値踏みをする。ここ最近のゴタゴタでご無沙汰なのもあり、味見できるものならしてみたいものだなと男は暢気な欲望を巡らせた。

 

 【6.12】の影響は世間一般、表のみならず裏社会にも及んでいた。東西で大きく二分されて均衡を保ってきた勢力は、東京、関東地域から放逐された勢力が、方々の既存勢力と衝突を繰り返す事態となっていた。白塩化症候群や感染者、変異感染者の拡大もあり、日本国政府が軍事力、警察力に強化を図ったことで直接的な大規模抗争には発展していないものの、各都市圏では裏の勢力図が日に日に更新されている。

 男が縄張りにしていた関西、大阪の街も例外ではなかった。東からはみ出たハミ出し者達はこぞって西へと侵食し、街は表も裏も混沌としている。

 東は古い縁やら習わしへの固執もあり区割りはハッキリしてたが、西は戦後の荒廃と瓦礫を揺り籠に生まれた経緯もあり、良く言えば若い、悪く言えば不安定な土地柄である。元から路地一つ違えば、異なる勢力が犇めき合っている環境だったのが、今や一つの路地の中で点在している状況だ。

 今の関西の裏は、一言でいえば、魔窟だ。災厄前であれば適度な無秩序さが、男のような半グレの頭目でもヤクザとの抗争や暴対法の適応を逃れつつ思うままに欲望を謳歌出来ていたが、今は違う。自身を捕食者側と思い生きてきた者達は、閉じられた箱の中で少ないパイを求めて争い、捕食者同士で互いに喰らい合いもする。近すぎる食物連鎖は蠱毒の様相を呈していた。何より、この暗い魔窟の最奥には何が潜んでいるかなど、把握できている者はいない。その最奥の存在自身の他には。

 

 女は屈んで、鉄格子越しに顔を寄せる。

 縮まった距離間に、男は赤女の匂いを敏感に感じ取った。といっても、股座に響くものではなかった。香水の類のものでなく、化粧気も無いせいかメス特有の芳香も薄い。微かに香るのは、血の匂い? 女性特有のもののことでなく、流血の匂い。裏路地に慣れ親しんだ男にとっては嗅ぎ慣れた匂い。そして、捕食者の匂い。或いは、自身が被食者側であるのを理解した自分自身の匂いか。

 男は頭痛で霞む思考がクリアになるのを実感した。生唾を飲む喉がごくりと鳴り、呼吸が浅くなる。

 女の吸い込まれるような瞳は深い深い赤色だったことが脳裏に焦げ付いた。

 

「意識戻った?」

 

 女は顔を小さく傾けながら語り掛ける。その顔は微笑みであった。

 男は何かしら反応を返そうと焦る。赤女に見覚えは無いが、向こうは此方の事を知っている風だ。このロクでもない気配しかしない女と自身は関係がある、それもこちらは房にぶち込まれ、向こうは自由の身で立ち会うような関係でだ。下手な刺激は避けるべきだと本能が警鐘を鳴らしていた。

 差し当たって、こういう時は鸚鵡返しの問答で様子を窺うのが常道。裏路地の一角を仕切り、関西の裏を渡り歩いてきた男の頭は経験から答えを弾き出し、行動に移すも何かがおかしい。声が、出ない。

 

「声、は出ないか。喋れても煩いだけだし、カイムを間に挟まないとサッパリだからいいけど」

 

 女は男の心内を読んだかなのように幾つか聞き覚えの無い言葉を交えつつ語り掛ける。その顔は微笑んでいた。

 声が出ない衝撃と心を読んだかのような女の言動に、男の心臓は痛いほど高鳴っていた。それこそ、目の前の赤い女に鉄格子越しに聞かれるのではないかというほどに。

 

「なんで、って顔してるわね。――――心因的記憶障害、道理で安定しているワケだ。心に蓋をして無かった事にした。壊すつもりでの検証だったけど、中々どうして。心理的な防衛機能というのは勤勉にして有能のようね。……面倒ね」

 

 女の口調と表情も無機質な冷めたものに変わった。

 男は自身の状況を再検討する。ここは留置所ではないのか? そも、自分はなぜこのような場所に、このような状態でいるのか? この女がやったっていうのか? オレが何をしたって言うんだ。

 

「相当恨まれていたね、君。逆を言えば上手くやっていたわけだけど、手広く行き過ぎたわね。お陰で私みたいな新参者でもやりやすかったけど。君に、君が食い物にしてきた人達の怨念が見えるようだよ?」

 

 女は最後、揶揄うかのような表情と口振りで語る。

 怨念? そんなものいるワケないだろうと男は内心否定する。怪しげな霊感商法の手合いだってもう少し設定を練ってくる。それとも何か? 懺悔しろとでも? 馬鹿が、と憤る。どうしようもなく落ちぶれて、付け込まれる弱みを晒せば食い物にされるに決まっている。頭がお花畑な家畜が、欲に溺れて柵を破り野に放たれれば格好の餌食になるのは当然だ。弱肉強食であって自己責任だ。この女は復讐代行か何かで、詫びの言葉でも吐かせたいのか。

 

「君は思考が波に出やすいな、強く否定している。怨念なんてあるもんかって感じ? いやはや、君は自分の姿を自覚していないと見える。君の姿こそ怨念めいてるのにね? ――――DOD処置前後の記憶の混濁は確認してるけど、それに加え回避型の幻覚か。結果的にであれ、安定しているのを見るに、やはり精神の作用を大きく受け……」

 

 女の語りは途中から自己に向けられたようで、独り言のそれは次第に小さく尻すぼみし、最後の方は男には聞き取れなくなった。

 男の想定とは裏腹に、悪事を責め立てるようなことも無く、意味不明な話題を繰り返す女を男には気味悪くて仕方が無かった。しかし、この女は何と言ったか? 自分の姿が見えていない? 怨念? そんな馬鹿なことが有るかと思いつつも、自身の身体に目を向ける。といっても、身体は動かなから見られる範囲はごく限られる。首と眼球をどうにか捻ってみた肩先と胸元はナントモナカッタ。狂人の言う事を真に受けるなんてどうかしている、そうだと男は祈るように自身に言い聞かせていた。

 ほんの暫く、沈黙が流れる。ふと、女の視線が虚空から女が通ってきた方に顔を向ける。すると、まもなく遠くの方から一つの声と近付いてくる足音が響いてきた。

 

「教授? いるぅ?」

「ちゆり、遅いじゃない」

「なら先先行くんじゃねぇですよ。こちとらさっきまでオーナーさんトコの使いの人に応対していたの見てたでしょ」

 

 赤女の視線の先、男の視界には入らない通路の先から一人の少女が現れて言葉を交わす。赤い女と新しく来た少女の間の空気は和やかだ。赤女の異様な気配は一瞬で形を潜めていた。日常の遣り取りを垣間見たようで、少しばかり男の気持ちは現実感を取り戻すことが出来た。

 金髪金眼のセーラー服の少女。セーラー服といっても下はスカートではなくショートパンツなのが活発な印象を男に抱かせる。顔は赤い女以上に幼い。赤女と同じく化粧気の無い顔は間違いなく美人、3年、いや5年後に期待といった評価を付ける。美少女であり、細く長く伸びる手脚は自然と目を引くが、圧倒的に火力、胸の成長が足りていなかった。洋の雰囲気もあり、少女嗜好なコアな客が熱心に入れ込むだろうが、男の趣味ではなかった。

 

「……教授、なんか失礼な事考えませんでした?」

「え、えぇ!? なんでぇ!!?」

「ああ、違うならいーです」

「び、びっくり……で、使いが来るって何かあった?」

「お陰様で娘さん何ともねぇだそうです、良ぃ意味で。感謝してましたよ。今まで通りこの屋敷は煮るなり焼くなり好きに使ってくれていいそぉです。他にも一切の協力を惜しまないとの申し出を受けました」

「一つに依存するのは好ましくはないけど、あまり手広く関係結んで雁字搦めになって目立つのもアレだから、いざという時にだけね。被験者の容体とデータとGODは?」

「塩化は抑制されてます。回復はしてねぇですが、進行もしてねぇです。まぁ、凶暴化はその仕組みが不明な以上、変異の可能性は拭えねぇですが。データと、被験者から剥離した塩化組織と引き換えにお薬の方予定通りに渡しておきました。塩化組織はカイムさんに保管庫へお願いしました。預かったデータはどぉします? 先に電子化で纏めときましょうか? 紙のまま教授の部屋投げときます?」

「これの後で確認するから適当に部屋投げておいて」

「おーけーです。そぉ言うと思ってカイムさんに塩化組織の保管後、資料を部屋に運び込んでもらうようお願いしておきました」

「さ、流石すぎる……。あぁ、一つ。薬のこと、きちんと伝えてあるわよね?」

「というと?」

「効力。拡大理解の元に誤解されて、逆恨みを買うのは御免だからね。それこそ、何でもやると、私達みたいな明らかアングラな輩相手に言い切る覚悟の決まった人の恐ろしさ、知ってるでしょ?」

「ま、多少。治療薬ではなく予防薬のようなもので、完治させるものではねぇことは処方の度に念押しで伝えてます。それに、向こうさんは元から覚悟は決まってたようです。元々は手の打ちようが無かったんですから、夢美には本当に感謝してると伝えてくれって私言われたんですが、どぉします?」

「それは……、よかった、わね?」

「他人事かよ! ったく、やり口が昔と変わってねぇんだぜ。邪道と地雷原は突っ走るクセに、王道となると……」

「アーアーキコエナーイ!」

 

 少女2人は賑やかにやりあっている。男はすっかり蚊帳の外であったが、先までの赤い女からの圧力を独りでに受けずに済む状況に心安らいでいた。

 話の内容は、部外者である男には用語や状況を含め理解できない点が殆どであったが、一つだけ、気になる点があった。ここは留置所のような施設でなく、屋敷、個人邸宅の中かもしれないということ。ロクでもない事ばかりが男の脳裏によぎる。どうにか思い出そうとするたび頭痛がはしり思考を鈍らせる。

 四肢は動かず、こめかみを揉むことすら出来ない状況。あきらかにオカシイ。痛イ。何が?

 

「――――はぁ。で? 今からですか? その検体、調子良さそうですね、珍しい」

「かわいそう?」

「……慣れました。それにその人、どうあっても夢美は許さないだろ?」

「見逃さないという意味ではそうね。彼、何やったか、何やられたかも覚えてないみたい。DOD処置による記憶の混濁でなく、心的負荷に対する防衛機能としての乖離性健忘でしょうね」

「精神状態の影響、ですか。……記憶が戻った際の情動影響の観察、重要そうですね。房には常時カメラ回ってますのでいつでも無駄にはさせねぇです」

「機会の?」

「命のです。しかし、静かなもんですね。喋れも動けもするでしょうに」

「思い込みでしょうね。自身の身体の認識も幻覚でズレてるし。コイツは最後に回すと決めた都合、DOD処置前の沈静化措置で身動き取れない期間が長かったから。記憶というのは脳だけではない。動けなかった頃のことを心は忘れた気になっても、身体は覚えているんでしょう。っね?」

 

 女の瞳が男の、オレの目を見る。女の瞳は赤かった。

 女の顔は最初の微笑みを浮かべていた。今なら理解できる。その笑顔は嗜虐趣味でもなければ、愛想笑いでもない。言ってしまえば無邪気な、夢や好奇心に浮かされたガキみたいな顔だ。

 オレは、そうオレは半グレのグループを仕切っていて――――、

 

「君はミナミ圏を中心に活動していた半グレの実質的頭目。君は上手い事やっていた。権威的、組織的気質が強いのヤクザを相手に、実力主義、個人主義的気質の集団を形成した。その全てを支配しようとせず、企画と制作を繰り返し、風土を塗り替える続けるだけ。上手いやり方よね。ゴールドラッシュ時代に一番儲けたのは鉱山労働者ではなく、そういった層に道具を供給する商人たちだった。既得権益の安定を求めたヤクザが踏み固めてきた犯罪の温床に、君は鍬を差し込んで解きほぐしたわけだ。お陰でアングラに潜り易かったよ」

 

 女は滔々と語り続ける。懇切丁寧に、いやだ、嫌だ。思い出したくない。

 

「君の影響力は裏に於いて無視できないものになった。特に、花やお薬や氷菓子といった老舗が扱ってるジャンル、モノではなく、サービスや情報は君の手の中だ。そんな中でしょう? 私達の事を知ったのは。肯定も、否定もいらない。知りたいことは知っている。実験も済んでいる。君が交渉に差し出せるものは何もない」

 

 赤い女が立ち上がる。その手には何処から取り出したのか、黒い短剣の切先を此方に向ける。

 短剣の柄にはこぶし大もある赤い水晶が輝いていた。ぎらぎら眩しい照明の光を受けて、その表面にオレの姿を映す。

 仰向けで身動きできないでいる男。黒々とした影。もがく様に身動ぎし首を動かすと、その赤水晶の中の影も全く同じ動きをする。それは紛れも無く自身の姿だった。口の端が裂けんばかりに顎を開いて絶叫を上げるも声は出ない。出ないが、男の中では誰かの、或いは自身の絶叫が木霊する。頭痛によって覆い隠されていた記憶が蘇る。

 いつからか、裏路地に於いて台風の目のような空白地帯が出来た事。そこにちらつく赤い女の存在。同業か政府系か知らないが、暗部の連中が餌片手に嗾けてきたこと。明らかにヤバい案件でもやるしかなかった、やるしかなかったんだ。それから、それから――――、

 

「思い出した? 君は君の持つ戦力を私達に向けた。私とちゆりとカイムと、あとは最近の関係先もそうね。君は賢い。後方の安全域から、戦力を最初から惜しみなく全面に吐き出した。極めて正しい。ただそれ以上に私は準備していた。君自身や君のツレがこの屋敷に来てからどうなったか知りたい? 思い出した? 今この状況の理由を」

 

 クソ、クソッ! 殺す、殺してやる! 絶対にブッ殺ス!! コロス、コロス、コロス!!

 イヤだ! イヤだ! 死ニタクナイ! イタイ、死ヌ死ヌ死ヌ死死死死死――――、

 

「貴方は私の身内に手を出した。それだけの理由で貴方を」

 

 ――――縺?◎繧阪¥縺昴m縺上!!!!

 

 女の宣言を遮るように男は絶叫した。男自身でも何を言ったのか理解しなかった。

 ただただ、積み上げられた恐怖や怒りが全身を支配し、鉛の様に重かったはずの身体は軽くなり、動くようになった四肢を力任せに地に打ち付ける。反動で宙に飛び上がる身体は天上に四つん這いになる形で着地する。意図しない身体の挙動に意識の空白が生まれるも、先まで自身の頭が置かれていた場所に女の持つ短剣の切先が突立てられているを男は見た。男は理解した。赤い女の明確な殺意の意思を。殺らなくては殺られる。先まで己を見下ろしていた女を見下ろす形になった男は、天井を蹴り、鉄格子の隙間を縫って女の細首を潰さんと影の腕を伸ばす。不用意に近付くからだ、馬鹿がと男は悦に入る。無防備なその首は男の位置から良く見えた。

 男は赤い女と目が合った。いや、男自身にその刹那の判断はつかなかったが、女の瞳の赤さがどうしようもなく想起され目が合ったのだと確信した。先まで男が床に転がっていた場所に短剣を突立てておきながら、女の意識は床ではなく天井に昇った男に向けられていた。されど、宙に身体を放り出した男はもう止まれない。男は重力と蹴り出した勢いのまま伸ばた手は、首まで僅かの所で阻まれる。地に墜落した男は女を見上げる。そこには光る文字が宙に浮かんでいた。なんだとも、どうすればいいのかとも思う前に男は首根っこをキツく締め上げられる感覚と共に独房奥の壁に押し付けられ、脚が宙に浮く。背を強打したことで、肺の中の空気が押し出される。

 

「『手』と『轟壁』イイ感じね。そのままでお願いね、ハオ」

 

 女は短剣に告げるかのように短剣を寄せて囁く。短剣の柄を囲むかのような光の文字列の輪が浮かんでおり、その短剣が女の手から離れるも宙に浮いたままであった。その傍の宙空には同じ光の文字で書かれた所謂、魔法陣のようなものが浮かび、そこから黒き巨腕が伸びて男の首を絞めていた。奇しくも、男が女にせんとしていたことをやり返されていた。

 女は男の顔を覗き込み窺う。男は、もうどうでもよくなっていた。ただ最期に、その赤い瞳はもう見たくないと瞑目し顔を逸らす。

 

「……折れたか。これ以上は急激な変化観察は望めないわね。おやすみ」

 

 女は男の首元に銃型注射器を宛がい、引き金を引いた。

 男の視界は霞み、意識は暗い暗い海へと沈み込む様な感覚の中に溶けていった。




ゲシュタルト語の文字化け表現、悩み中。いずれ変更するかも。
今は、原文を『逆さ語』化、その逆さ語ひらがなを『文字化け変換』させてます

例 原:猫 neko ねこ → 逆:oken おけん → 化:縺翫¢繧

逆さ語、文字化けのサービスがあるサイト様のお陰です。感謝。

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